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苦しいことは不幸なことではない?

多分、ほとんどの人が、人が悩み、苦しんでいると、それは不幸、あるいは、幸せではないと考える人が多いのではないかと思います。 むしろ逆で、困難、苦しみは幸せなこと、あるいは、幸せに至る途上であることが多いように思えます。 苦労した人ほど成長してから楽しみが増します。 幸せは、困難と苦悩の厚き壁の向こう側にあり、その壁を破る以外、幸せに至る道はないと思いますがいかがでしょうか?

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  • pct10968
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回答No.10

確かに苦しい事と不幸は別物ですね。 困難、苦しみは幸せなこと、あるいは、幸せに至る途上は賛成です。 登山に例えれば、登りは苦しいけれど、それが不幸かといえばそうじゃないですね。 上りの苦しさを超えて山頂に立った時は、実に爽快で乾杯したい気分になります。 壁を破る以外、幸せに至る道はないと云う考えも極端ですが、平凡な幸せもあなたのそばにあるはずです。

noname#171883
質問者

お礼

回答有難うございました。 自分の目標を持って、努力している人は困難も苦しいことではないかもしれませんね。 困難を乗り越えて何かを達成した人は魅力がありますね。

その他の回答 (9)

noname#157261
noname#157261
回答No.9

厚き壁を破るだけの精神力を持ってる人だけが得られる幸せはありますよね。

回答No.8

完璧にはき違えてます。 困難,苦,の壁の向こうに,その壁を打ち破ったところに幸せがあると思うのは,貴方が本当の苦(修羅の道)を経験してないからです。 喜びのない苦労は拒否していいんです。 幸せに至る道は常にゆらぎながら存在するんです。 気付きとかありますが,レベルの低い気付きになりますよ… といっても,ここでこういう質問をしているうちは理解できないと思います。 一度,日本を何年か離れてみればいいですよ。(GDPの低い国に) 一円も持たず,帰りの飛行機代も持たずに… できないでしょう…,できないはずです。 それが貴方の苦労のレベルです。

noname#203300
noname#203300
回答No.7

 はい。頑張ってください。  ただ、生来の“怠け者”“面倒くさがり”の私は、『その壁を破る』なんてことはしなかった。一生懸命“逃げ道”を探し、“時の流れに身を任せて”60余年。  自分で“頑張った”と言えるのは高校時代の勉強くらい。あとは、“頑張った”と言うより“そうしなけりゃならなかった”と言うだけ。いつも“尻に火がついて”いた。  『幸せ』なんて“考え方次第”のもので、拘る必要も無いと思っています。「今幸せですか?」と問われて「はい。」と答えちゃ、その先は無い。「はい。」と答えられるようになったのは還暦を過ぎてから。もう先が無いですから(笑)。

noname#157440
noname#157440
回答No.6

哲学的ですね‥。わかります。 私もしょっちゅう考えます。ただ、人間の認識は流動的に変化するので、不幸の向こうに幸せがある。と、断定はし難いです。少なくとも私は。 不幸がまさに目の前、もしくは只中の中にいるときでも、世界が輝かしく見えることもある――例えば美しい夕空を見て感動したり、同僚のギャグに笑うこともあるわけで‥。 自分が絶望して心を完全に閉ざしてしまった時が、究極的な不幸なのかな‥とか。不幸な状態の裏側に待ってるはずの幸福が、本当の幸せか分からないというか。説明が難しいですね。 不幸の中にも幸せが間違いなく存在し、はたから見て、あなた恵まれてるわね~!って状態の中にも闇が潜んでる可能性もなきにしもあらず。 表裏一体なのかもと‥。 この問題さえなければ!!と、問題=「不幸」にとらわれる時が、不幸そのものかもしれませんね。

回答No.5

たぶん、それはいわゆる「悟った人」だからこそ言えることです。 一度苦しみから幸せに至った人は、そのような「体感」や「気付き」があります。 だからこそ、次からは同様の苦しみも過去の経験から 質問者さまのように考えることができるのだと思います。 幸せがわからない、というのはとどのつまり、 そういう「気付き」がこれまでの人生で無かった、ということに他ならないと思います。 それは他人から見てどうこうではなく、あくまで本人が気付くか。 だからその人たちにとっては、苦しいことはただ苦しい=不幸に感じるということです。 さてそこで肝心の「気付く」ための要件・条件が、イマイチ僕にはわかりません。 ご存知ですか?

  • kyo-mogu
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回答No.4

 苦しみを受け入れれば幸せを感じる力にもなる。受け入れないでいるとどんな状況でも不幸だと思い込んでしまう。  常に不幸と幸せは表裏一体。急に逆に転じることもある。 そのサイクルは様々である。  苦しみを受け入れると、その奥に見える幸せを発見したりする。  私はそういう感じです。  苦しいけど、楽しいですぞ。 本当に苦しいのが山積みなんだけどね。子育てとかでへこみそうになるけどね。でも、そこから新しい知識を得たりもするし、人の関係も増えるしで。プラスに転じているのかな?

noname#181117
noname#181117
回答No.3

幸せは、足元にあると思う。 厚い壁の向こう側、努力の結果ではなく、途上。

回答No.2

「いかがでしょうか?」と質問されても困ります・・・ 現状に満足している人間の場合、厚き壁が見えないのですが・・・ そのような状況だと、どうすればいいのでしょうか・・

回答No.1

幸福な者とは楽しい出来事ばかりを覚えている人間である。 不幸な者とは辛い出来事ばかり覚えている人間である。 どんな人間も今生きているなら苦しみを乗り越えた過去を持っている。 乗り越えた後の嬉しさを覚えているか乗り越える前の苦しさを覚えているかの違いだろう。 成功の反対は失敗ではなく何もしないことである。 過去の苦しみに囚われて何もできなくなることが不幸なのだ。

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