- ベストアンサー
天才や偉大な人の面白いエピソードを教えて下さい
おちゃめな奴か一般的に奇行とおもわれるエピソードを教えて下さい。 グレゴリー・ペレルマンの母と暮らしていて、懸賞金問題をとき、フィールズ賞を辞退して、キノコ狩りが趣味といった人物に対する面白いものもいいですね。 参考になるサイトを教えていただけるとなおいいです。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ロシアのピョートル大帝(1672~1725年)なんかどうでしょう。ロシア史上でも有数の偉大な皇帝ですが,奇行と思われるエピソードにも事欠かない人です。以下数例を挙げます。 ・ピョートルはナイフとフォークを使う西欧式の食事になじめず,彼は手づかみで食べ,服の袖で口のまわりを拭った。しかし,何度も西欧を旅行しその風俗と習慣にどっぷり浸かってしまうと,ピョートルは自分のテーブルマナーの悪さは棚に上げて,後進国ロシアの遅れた伝統を批判の目でみるようになった。 ・皇帝(ピョートル)の命令で,ロシアの上流階級の人は「アサンブレー」に集められ,彼らはそこで西欧式の服装をしてメヌエットを踊り,トランプやチェスに興じる習慣を教えられた。アサンブレーでは皇帝が棍棒を持って目を光らせており,床につばを吐いたり,鼻をほじったり,食べ物をほおばったまま喋るものがあれば,それが誰であれ,たちまち引っ捕らえてぶちのめした。 ・当時の西欧ではきれいに髭を剃った顔が文明の証であり,手入れをせずに長く伸びた髭は未開人とみなされたが,ロシアでは髭が善良な正教徒の証だった。皇帝は祖国ロシアに戻ると,宮廷貴族の髭をつかんで自らそれを切り落としにかかり,パーティーを開いては巨大な鋏を持った道化師に部屋中の髭を刈らせることもあった。皇帝は涙を流してその光景を笑ったが,臣下の方は涙を流して恥辱に耐えた。 ・皇帝はカトリック教会が気に入らなかった。そこで彼はわざわざ飲んだくれ公会議なるものを設立して,教皇庁をあざ笑った。飲んだくれ公会議では,皇帝はかつて自分の家庭教師を務めた名うての飲んだくれ,サートフを総大司教(教皇猊下)に任命し,サートフには木造の宮殿と,たっぷりの給与と,12人のどもりの枢機卿が与えられた。サートフが演説や説教をする際には,羽目を外した与太話に猥談を交え,リズムに合わせて卑猥な身振りで踊りながら,げっぷをしたり屁をひったりした。 ・ピョートルが歯の抜き方を習うと,ロシア人も他国の外交官も震え上がった。いつでも使えるようにペンチをポケットに入れ,皇帝は会う人ごとに口を開けて検査させろと命令し,虫歯を発見するとためらうことなく(麻酔無しで)それを抜いたという。彼は抜いた「戦利品」を自慢げに革袋に集めており,今日この袋はサンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館に展示されている。 以上は『女王たちのセックス』という本からの抜粋ですが,信じられないようなエピソードはまだいくらでもありますよ。
その他の回答 (7)
- カルマ(@mimicry-budda)
- ベストアンサー率18% (280/1490)
『北大路魯山人』 ↑ 人気漫画「美味しんぼ」の、海原雄山のモデルとも思える「実在の人物」ですが。 生い立ちの不幸も有りますけど、人物として見ると、良くも悪くも「面白い」と思います。 かつて、ドラマに成った事もありましたけど。
お礼
大変な人物ですね 少し調べただけでも面白いと感じました ご回答ありがとうございました。
- D-Gabacho
- ベストアンサー率64% (1068/1663)
平安時代の三筆の一人である空海(弘法大師)は、唐に留学中、両手、両足、口の計5本の筆で同時に書くという特技を披露し、五筆和尚の異名をとった伝えられています。 空海が唐で五筆和尚といわれていたこと自体は、後に天台宗の円珍が唐に渡った際、現地の僧侶から聞かされた話なので、事実なのですが、それがそういうアクロバティックな技を意味するものなのかどうかは不明で、最近では楷・行・草・隷・篆の5つの書体のどれも達筆だったということだろうと推測されています。 高野山金剛峰寺HP http://www.koyasan.or.jp/shingonshu/about/kobodaishi_koya/08.html ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E4%BF%A1%E5%B8%96#.E4.BA.94.E7.AD.86.E5.92.8C.E5.B0.9A
お礼
へぇ~にわかには信じたいですね。 ご回答ありがとうございました。
- alterd1953
- ベストアンサー率20% (239/1173)
この話は割に有名みたいですが 数学者のヒルベルトは家に客が来た時に 2階に着替えに行ったら、そのまま寝てしまったそうです。 後、サイバネティクスの創始者のノーバート・ウィーナーは キャンパスの道で学生に質問を受け、親切に答えた後 「ところで、私は君に会う前、向こうから来たかね? 向こうなら食事は済んでるはずなんだが」と言ったそうです。
お礼
ご回答ありがとうございます
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
お礼
有名ですよね ご回答ありがとうございました
- tomozoi32
- ベストアンサー率38% (13/34)
武田信玄はある家臣(男性)との浮気が本気の家臣(男性)にバレてしまい、言い訳の手紙を出している。(古文書として現存) 「本当は君のことが一番好きなんだ」 今の価値観で考えてはいけないんでしょうね。
お礼
どちらかと言うと意外性のある、変わった逸話ですね ご回答ありがとうございました
- cpbr
- ベストアンサー率25% (70/273)
ゲルハルト・プラウゼと言う人は、よほど天才に興味があったらしく、「天才の通信簿」「天才のプライバシー」「年代別エピソードで描く天才たちの私生活」等の本を書いています。
お礼
そんな本があるんですか 機会があれば手にとって見ます ご回答ありがとうございました
- bara2001
- ベストアンサー率30% (647/2111)
アインシュタインが実は数学が苦手で、しょっちゅう計算ミスを繰り返していたというのは有名な話です。
お礼
数学と言うよりも算数の方ですよね ご回答ありがとうございました
お礼
笑えるような笑えないような話ですね。 ご回答ありがとうございました。