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安芸国の古代山陽道
それはいったいどこを通っていたのですか。 地形上、安芸国では広幅の直線道路なぞ建造不可能だと思われるのですが・・・
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古代山陽道は、京と大宰府を結んだ古代の最重要道です。 現代で言えば東名高速道路に当たるでしょうか。 そんな道ですから、国家の威信を掛けて特別力を入れ築造したことでしょう。 古代の官道は、特別な地形制約が無ければ、おおむね直線的に作られます。 私の住む山がちな長野県にも東山道が走っていましたが、非常に計画的に作られており、 峠越えはなだらかになるよう、谷を渡る場合は掘割して高度を下げています。 飯田市から北上する古代東山道は、現在の中央高速道路とほぼ同じルートであったと考えられています。 http://www11.plala.or.jp/samma116/22/58/01.html 道路の幅は6~12m程度であったといいますから、狭い場所では片側3mの道路と一緒です。 しっかり計画された道であれば、この程度の幅は十分得られたと考えられます。
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- SPS700
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『延喜式』(10世紀)には次の13駅(馬を乗り継ぐための厩で「疋」は常備された馬の頭数)がでています。 安芸(13駅) 真良(しんら、沼田郡) 駅馬数20疋 三原市高坂町真良 梨葉(なしわ、沼田郡) 20疋 三原市本郷町 都宇・津宇(つう、沼田郡) 20疋(『倭名類聚抄』に「沼田七郷」として今有・沼田・舩木・安直・真良・梨葉・津宇) 鹿附(かむつき、沼田郡) 20疋 木綿(ゆう、賀茂郡) 20疋 東広島市西条地区 大山(賀茂郡) 20疋 東広島市八本松地区 荒山(安芸郡) 20疋 広島市安芸区中野東地区 安芸(安芸郡) 20疋 安芸郡府中町城ケ丘 下岡田遺跡 伴部(佐伯郡) 20疋 広島市安佐南区伴地区 大町(佐伯郡) 20疋 広島市佐伯区利松地区周辺 種篦(へら、佐伯郡) 20疋 廿日市市下平良地区 濃唹(のお・おおの、佐伯郡) 20疋 廿日市市大野高畑地区(『万葉集』高庭馬家(たかばのうまや)跡) 遠管(おくだ、佐伯郡) 20疋 大竹市 歩く、あるいは馬で移動した訳ですから、別に直線でなくてもよかったのでしょう。
お礼
ありがとうございます あの地形ではやっぱり直線的なルートは不可能でしょうね