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日本と欧米の文学について。

最近、読書にはまっているのですが気になることがありました。 欧米の文学を読むと、聖書中のエピソードからの引用や比喩が多いなと感じました。 (例・オー・ヘンリーの賢者の贈り物など) それだけ日常で聖書に親しんでいるのか、 割と普通にそういう表現がたくさんあってびっくりしました。 一方で日本の文学には、そういう宗教書物からの引用が少ないように思えました。 (まだ多くの日本文学を読んだわけではないので、何とも言えないのですが、) そういう神秘的な書物をバックボーンに持っている欧米文学が羨ましいです。 日本の文学にも宗教書物からの引用や比喩表現を用いた、作品というのはあるのでしょうか?

noname#190359
noname#190359

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  • ベストアンサー
  • ucok
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回答No.1

まず、引用や比喩というものは、元ネタを知らないと話になりません。つまり例えば「この神道の書物の言葉なら、あるいは、この仏典の言葉なら、誰もが知っているから、これを引用すれば読者には通じる」という論理が成り立たないと使えないわけです。 例えば、アメリカでは伝統的に、ほとんどの国民が、子供の頃、悪さをすると親から「聖書の一節を暗記していらっしゃい!」などと叱られたものです。また、良き国民は日曜には家族そろって教会に行くもので、子供なら日曜学校へ行き、そこでは聖書の内容をいちから学んでいきます。 そして欧米の多くの国々が、キリスト教を支えに国をまとめてきました。負の遺産としては、十字軍という宗教を柱にした軍隊が戦争をしましたし、外国へ宣教師を送り込んで最終的にその地を植民地として支配したりもしました。また、裁判所の証人や大統領の就任においても、聖書に右手を置いて宣誓します。 さらには、キリスト教を信ずる者にとって聖書は歴史書でもあるのです。つまり、神が地球を作って、アダムとイブが子供を作って、それがどんどん増えて罪を犯したりして、イエス・キリストがそれを救う。したがって、人類を振り返る時は、どうしても聖書を振り返ざるを得ません。 裏を返せば、欧米の多くの人々は、倫理観や哲学といえば、キリスト教に根差したものしか知らない、あるいは知らなかったのです。そういう人たちが人口の大半を占めている。したがって、そこから産出される小説家も自ずと、大半はそのような人たちになるわけです。でなくても、読者の大半がそんな人達ですから、人に認められる小説は、自ずとそういう読者にアピールする小説ということになります。 一方で、日本人の多くは、幼い頃から、神社にお参りに行ったり、仏壇に手を合わせたりしてきました。嘘をつけば舌を抜くのは「閻魔様」ですし、死んだ親の墓参りに行けば、自動的に「ご先祖様」にも会うことになります。そしてもちろん、太平洋戦争などでは、神道を支えに血を流していました。古事記という歴史書もありますし、八百万の神を軸とした伝説もあります。 確かに、仏教やら神道やら伝説やらが登場する日本のバックボーンは、キリスト教一途の価値観とは、やや異なります。しかし、それはそれで、これらの神秘性を知らない文化圏の外国にとってはエキゾチックです。例えば、そこらのガキンチョが、綿あめを目当てに夏祭りに行くとする。その子はまず、「お参り」をし、「お賽銭」をあげ、もしかしたら線香の煙で「無病息災」を祈り、「お守り」を買って、「盆踊り」を踊る。これらは欧米人から見れば、そうとう神秘的です。 もちろん、欧米にもキリスト教以外のバックボーンを持つ人たちが大勢います。ユダヤ教徒、外国からの移民、インディオなどの土着民などなどで、こうしたバックボーンを軸にした小説もたくさんありますし、古いキリスト教的価値観から解放されて、インドの哲学に傾倒したヒッピーなどの物語もあります。また、日本でもキリスト教をバックボーンにした小説がたくさんあります。 さて、前置きが長くなりました。日本におけるそうした文学の例ですが、例えば、夏目漱石は仏教に、三島由紀夫は神道に、有吉佐和子はキリスト教に傾倒したりしましたので、作品の中にはそれめいた引用や比喩がちりばめられてはいます。しかし結局は、読者に通じないと意味がないので、「小説丸ごと、○○経典の引用だらけ」というものは、極めて少ないのではないかと思います。なぜなら、日本語の書物の読者の中には、特定な1つの経典に詳しい人が極めて少ないからです。

noname#190359
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 日曜のミサは知っていたのですが、聖書はそこまで徹底して教えられるものなんですね。 何だか強烈な印象を受けました。 逆に日本の文化のほうは、特に神秘的な感じが薄いですね。 やっぱり身近すぎるからでしょうか? 最近読んだのだと、魔法ファンタジーの児童書の中でも結構聖書のことが引き合いに出ていたので、読んでいて驚きました。 これほどまでに聖書が身近な存在なんだなーって。

その他の回答 (4)

回答No.5

キリスト教の司牧権というものは、信者を囲い込んで逸脱させないことにあります。 英語で "The Book" と言うと聖書を指しますが、 それゆえに子どもたちは幼いうちから徹底的に叩き込まれるのです。 暗唱が課され、そのためにはトークン・エコノミーも使われたりします。 聖書の言葉を覚えるとご褒美がもらえる、といったやつです。 (『トム・ソーヤーの冒険』の中の、トムが牧師をコケにした愉快な挿話を思い出してください。) ですから、何かと言うと聖句が引き合いに出され、誰でもわかるというのは当然なんです。 翻って日本はと言いますと、日本人の多くが宗教以前の宗教、アニミズムに生きています。 すべてのものに“いのち”が在るという考え方、 1粒のお米にも魂が宿ると言ったり、花を踏みつけておはなさんがかわいそうと言ったり、 愛車をこすってしまって痛かったでしょごめんねと言ったり、 古い家を解体する時に長い間ありがとうと言ったり、そういうことです。 「もったいない」という表現にも、単に経済的な損失を惜しむのではなく、 もののいのちに対して申し訳ない、という気持ちが内在しています。 そこには、キリスト教のような体系的教義は存在しません。 そういう状況なので、聖人の一生を描いた著作、登場人物が特定宗教の信者であるという設定、 教典の一部の引用等はあっても、 宗教を下地に読み解かせる作品は流通性がないというか汎用性がないというか、 読者の大半が読んでもぴんとこない、裏にある思想がつかめないというのでは、 なかなか成立のしようもないのではと思います。

noname#190359
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 トム・ソーヤーの冒険、懐かしいですねぇ(^^) 読んだのは小さい頃だったので忘れてしまいましたが・・・ 聖書ってそんなに叩き込まれるものだったんですね。知りませんでした。 日本には体系的宗教が存在しない・・・ということが一つのポイントのようですね。 どうしても体系化されたキリスト教が羨ましく見えてしまったんですね。 はっきりと、宗教が基盤にあるというのが分かるので。 でも、日本にも宗教的基盤がないわけではなさそうなので安心しました。

回答No.4

親鸞の『歎異抄』の主張を戯曲化した倉田百三の『出家とその弟子』は どうでしょうか。 http://kindai.sk46.com/taisho/shukke.html  私は、2ページ程で、放擲してしまいましたが。

noname#190359
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 仏教系というのもあるのですね。 その辺も触れてみたいと思います。

  • ennalyt
  • ベストアンサー率29% (398/1331)
回答No.3

日本では宗教絡みを嫌がるような雰囲気がありますからねぇ~ 古事記や日本書紀は、ズバリ国造りの神話です。 弘法大師空海が書いた三教指帰など、めっちゃおもろいのに、仏教ということであまり読まれません。 図書館にふんだんにありますから、 片っ端から覗いてみては。

noname#190359
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 神道系、仏教系の書物があるのですね。 でも、やっぱりキリスト教系文学のに比べると、余り引き合いに出されてないので寂しく思いました。 空海も気になるお坊さんなので調べたいと思っています。

noname#202494
noname#202494
回答No.2

偶然にも、昨日、何度か日本に布教に行ったことのある、ご老人とお話をする機会がありました。彼は、九州の五島列島など、日本でキリスト教が禁教であった時に、弾圧されながらも、神の教えを守り続けた人たちの足跡をたどって旅ができたことを、今も、慮外の幸せであった、と、あつく語ってくれました。 私も大昔に読んだことがありますが、彼が特に心を打たれたのは、遠藤周作さんの、”沈黙”だそうです。(英訳もされています。)遠藤周作さんは、カトリックのキリスト教徒でした。キリスト教徒の視点から、世界を切り取って、私達に見せてくれます。 聖書からの引用は、日本人向けに書かれた本であったために、なかったように思います。 英訳をお読みになるのも面白いかもしれません。

noname#190359
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 遠藤周作は、昔国語の教科書で知りました。 そのお話は『沈黙』ではなかったのですが、なかなか面白かったのを覚えています。 彼の著作にも触れてみたいと思います。

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