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いわゆる『南京大虐殺』の数は何人ですか

pluto1991の回答

  • pluto1991
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回答No.10

そもそも質問者さんの質問は「何人と書いてありますか?」 ですよね。 質問者さんは祖国の名誉を守るために何をしているのですか?ここに反論を書くこと? わたしは南京の近くに住んでいますが、多分日本から考える印象と現実はぜんぜん違うんですよ。 南京は墓場のように暗い所で、日本人が歩いていたら石を投げられるんじゃないかみたいに感じているのではないですか? 広島を歩くアメリカ人は石を投げられますか?たった一つの爆弾で25万人を殺したアメリカ人は。 「そりゃ、歩いてるこの人がやったわけじゃないだろう」って思うでしょ? そういうことなんです。 南京は超大都会です。 古い都、いわゆる京都みたいな観光大都市で、京都に原爆記念館があるようなものです。 年間、山ほどの観光客が「楽しみ」で観光に来ているんです。 風光明媚な自然と歴史の建物と夜のネオンに照らされた川沿いの夜店を楽しみに。 観光地めぐりして、日本の観光地でオルゴール博物館に連れて行かれるみたいな感じで大虐殺記念館にも行くんです。 大多数が別に泣きに来ているわけでもなければ日本への憎しみを新たにするために巡礼に来ているわけでもありません。 ここには日本人が1万人近く住んでいて普通に工場長やってたり、夜は日本式カラオケクラブに通ったりしてるんです。 300000人 っていうのは「大虐殺」という言葉のメタファーなんですよ。原爆の25万人は1桁まで名簿があるそうですが、南京にはありませんね。なきゃ死んでないのか?というわけでもないし。だからもう過去のことをほじくり返したって正解なんて無いでしょう。あくまでこの数字を訂正しろってことですか? ゼロだった。と言いたいのですか。 中国がそれを認めて極東軍事裁判は冤罪だった、って話にするんですか。 尖閣諸島と同じ、双方の国が「ほらこの文献にこう書いてある」って、自分に都合の良い方の証拠や地図を出してくるんです。 日本人は日本にいたら日本に都合のいい証拠を見てる。相手の国の政府が言ったことなんてウソと思ってる。 それって、中国側の中国人だって、同じ事を思ってるんですよ。中国に都合の良い地図や証拠だってあるんです。 ともあれ、 実のところ、中国人だって30万なんて信じてないんです。 今のネットユーザーは政府発表を鵜呑みになんてしてないし、異論反論は隠しきれないほど増殖されてしまうし、ごまかしが効かないとこまで来てるでしょう。 「30万は確かに政府の言い過ぎかもしれない。でも、なかったとは言わせない」 ってあたりが本音じゃないでしょうか。 ・・・・・・・なんだ、日本人の思ってることと同じじゃん。(それともゼロですか?)

hinode11
質問者

お礼

◆ハーグ陸戦法規は、支那事変(1937.07~1945.08)当時の戦時国際法だった。 陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約(1907年[明治40]10月18日調印。明治44年11月6日批准。明治45年1月13日公布、條約第四号。通称、ハーグ陸戦法規)の抜粋: 第一章 交戰者ノ資格 第一條…戰争ノ法規及權利義務ハ單ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス次ノ條件ヲ具備スル民兵及義勇兵團ニモ亦之ヲ適用ス (1)部下ノ爲ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト (2)遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト (3)公然兵器ヲ携蔕スルコト (4)其ノ動作ニ付戰争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト ……中略…… 第二十五條…防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス 第二十六條…攻撃軍隊ノ指揮官ハ強襲ノ場合ヲ除クノ外砲撃ヲ始ムルニ先チ其ノ旨官憲ニ通告スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘキモノトス ……中略…… 第四十三條…國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ占領者ハ絶對的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ ◆以下、昭和12(1937)年12月、日本陸軍が実施した南京攻略戦の経緯: ○12月1日、東京の大本営が華中にあった日本陸軍中支那方面軍(以下、日本軍)の司令官松井石根大将に対して南京攻略を命令した。松井司令官の国際法顧問として斎藤良衛博士(外務省)が加わった。松井司令官と作戦参謀に戦時国際法の助言をするためだ。なお、当時の南京は中華民国(国民政府)の首都であり、人口百万人を超える大都市であった。大本営の命令を受けた日本軍は南京に向けて進撃を開始した。 ○12月4日、日本軍が南京郊外に到達。南京城外の中国軍との間で戦闘が始まった。 ○12月5日までに多くの南京市民が家財を持って南京を脱出した。日本軍が南京に到着したときには、脱出するための資金もない、貧乏な市民ばかり20万人が残っていた。南京在住の欧米人が「南京安全区国際委員会」(以下「委員会」と略称)なるものを結成して、南京城内の一角に「安全区」と称する中立地帯を設け、20万人の一般市民を収容した。 ○12月6日、中国側は南京城の全城門を閉鎖した。城外で日本軍と戦っていた中国兵が取り残されて無統制になり、暴徒化して民家に押し入って家財などを略奪するなど、乱暴狼藉を働いた。 ○12月7日、中華民国国民政府の蒋介石総統、総統夫人宋美齢、何応欽軍政部長、白崇禧参謀総長らの政府・軍首脳は、唐生智南京防衛司令長官と唐配下の中国兵4万人(以下、中国軍)を残して南京を脱出した。続いて国民政府の要人も、南京市の市長と職員も南京を脱出した。電話は不通となり、電気、水道などの生活インフラも機能しなくなった。 ○12月9日正午、南京城を包囲した日本軍は飛行機で城内にビラ(和平開城勧告文)を撒いて、中国軍に降伏勧告を行なった。 ※ハーグ陸戦法規第二十六條に、「攻撃軍隊は砲撃に先立ち、砲撃する旨を相手官憲に通告せよ」とあるので、日本軍はビラを撒いたのだ。この時、唐生智司令長官は日本軍の降伏勧告を容れて城内の中国兵約3万人を南京から撤退させ、「南京はオープン・シティ(無防守都市)である」と宣言すべきであった。そうすれば、南京には同法規第二十五條が適用されて日本軍は攻撃しなかったし、その後の悲劇も起きなかった。 ※ちなみに、ドイツ軍がパリに迫った時、フランス軍は「パリはオープン・シティ」と宣言して軍隊を撤収したので、ドイツ軍はパリを無血占領できた。また日米開戦の緒戦で、フィリッピン駐留の米軍が「マニラはオープン・シティ」と宣言して軍隊を撤収したので、日本軍はマニラを平和裏に占領できた。いずれのケースも死傷者が出なかったのである。 ○12月10日、降伏勧告への回答期限である午後1時に至っても、中国軍からの回答がなく、日本軍は午後2時に城内の中国軍への攻撃を開始した。城内には20万人の一般市民がいるために、日本軍にとっては難しい戦闘になったのだ。 ○12月12日午後8時、中国軍の唐生智司令長官と幕僚が暗闇に紛れて南京から脱出した。総指揮官自身が敵前逃亡したのだ。そのため、見捨てられた中国兵3万人余りの統制が失われて大混乱に陥った。中国兵は、武器を持ったまま一般市民の「安全区」に侵入し、軍服を脱いで市民服に着替えて潜伏した。「安全区」の委員会は中国兵の侵入を許してしまったのだ。「安全区」の中立性が完全に失われた。委員会の責任は極めて大きい。 ※同法規第一條第(1)項には、「正規の交戦者は、指揮官の下で統率されて行動しなければならない」とある。だから指揮官に見捨てられた中国兵3万人は「交戰者の資格」を失った。 ※また中国兵が着た市民服は「安全区」の一般市民から略奪したものだ。市民服を着た中国兵は「便衣兵」と呼ばれた。 ※ここでも中国兵はハーグ陸戦法規に違反した。第一條第(2)項には、「正規の交戦者は、遠くから見ても兵隊だと分かるように良く目立つ『軍の徽章』を着けよ。」とある。しかし中国兵は兵隊であるのを隠すために軍服を脱いで市民服に着替えたのだ。『軍の徽章』を着けるはずがない。 ※また第一條第(3)項には、「正規の交戦者は、銃などの武器を誰からも良く見えるように持て。(懐などに)隠し持ってはダメだ。」とある。しかし中国兵は武器を隠したのだ。 ここまで書けば分かると思うが、第一條第(4)項に「正規の交戦者は、戦争の法規、慣例を順守せよ。」とあるのに、中国軍の唐生智も彼の幕僚も3万の中国兵も、戦争のルールにはまるで無頓着で、メチャクチャだった。日本軍は近代的な軍隊だったが、中国軍は未開で野蛮な匪賊集団同様だったのだ。だから、われわれの祖先は中国人を「チャンコロ」と呼んで軽蔑したのである。 ○12月13日、南京城が陥落して松井大将を初めとする日本軍司令部が入城。 ○12月14日、日本軍は、南京城内の「安全区」に潜伏する中国兵(敗残兵)を摘出する掃討戦を開始した(~16日)。 ※南京城に入城した日本軍司令部は敗残兵の掃討を急いだ。これには正当な法的根拠及び目的がある。ハーグ陸戦法規第四十三條に「占領軍は、占領地域の住民のために平和秩序を回復し生活インフラを確保せよ」とあるからだ。そのためには、一般市民の間に潜伏している敗残兵(便衣兵)を摘発し、隠し持っている武器も押収しなければならない。20万人の一般市民が安全に生活できるように秩序回復を急ぐ必要があったのである。 ※掃討戦の結果、多くの中国兵が死ぬことになった。このとき一般市民を巻き添えにしたかもしれない。しかし、それは日本軍のせいではない。中国兵が戦争ルールに違反して市民服を着たために、兵と市民の区別が難しくなったのだ。 ※指揮官に見捨てられて「交戰者の資格」を失った兵隊は、捕虜になったとしても、正規の捕虜として戦時国際法の保護を受ける資格がないということ。日本軍は中国兵をどのように扱っても構わなかったのである。かりに全員、殺しても良かったけれども日本軍は、捕虜の半分以上を解放してあげたのです。 ※日本軍の南京攻略戦における中国側の死者の数は、東中野修道教授の研究によれば、8千人ないし1万2千人だ(東中野修道(著)『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)より)。中国側に「30万人」の根拠を尋ねたい。 ◆悲惨な結果を招いた責任は、すべて中国側にある。 (1)唐生智司令長官が軍隊を撤収して「南京オープン・シティ宣言」をしなかったこと。 (2)唐生智司令長官と幕僚が敵前逃亡したため、取り残された中国兵3万人の統制が失われたこと。 (3)武器を持った中国兵を中立地帯である「安全区」に侵入させてしまった委員会(欧米人)の責任も非常に大きい。 (4)武器を持ったまま一般市民の「安全区」に逃げ込んだ中国兵が、軍服を脱いで市民服に着替えて潜伏したこと。これは、南京市民の生活にとって大きな脅威になった。 だから日本軍は、20万人の南京市民のために「安全区」の平和の回復を急いだのである。日本軍は正しい事をした。我々日本人は自信を持って良い。日本軍を誇りに思って良いのだ。 日本人は中国人(漢民族)を見下して、高圧的な態度で『南京問題の責任はすべて中国側にあるのだぞ』と言おう。「日本軍は南京市民のために平和の回復を急いだのだ。どこが悪い。」と、ひたすら言い続けよう。われわれ日本人と祖先の名誉を守らなくてはならない。名誉を守ることも国益に適うのだ。

hinode11
質問者

補足

>それともゼロですか? いいえ。昭和12(1937)年12月に日本軍が実施した南京攻略戦とそれに続く敗残兵掃討戦での中国側の死者の数は、8千人から1万2千人の間です(※)。「30万人」だなんてとんでもない。 このウソの数字が国際社会に広がるから放置できないのです。日本の名誉にかけても、「30万人」を認めるわけには参りません。あなたのようなアバウトな(愛国心のない)日本人がいるから、中国のいいようにやられてしまうのです。 あなたが南京の近くに住んでいるのなら、ちょうど良かった。週に一回、休日に「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」へ出掛けて、『30万人は大ウソだ』と大書したプラカードを持って、座り込みの抗議をしてくれませんか。日本の名誉のために。 ※東中野修道(著)『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)による。東中野修道教授は、いわゆる「南京虐殺」についての第一級の専門家です。彼の「南京虐殺」に関する研究態度は客観的かつ実証的です。なので、ウソの歴史で塗り固めた中国共産党にとっては都合の悪い存在でしょう。彼は中国共産党から目の敵にされ、中国共産党の走狗(手先)である日本人からは集中砲火を浴びせられています。

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