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鎌倉時代の郵便のしくみ

鎌倉時代など、全国の郵便制度がなかったころ、お手紙など一般庶民は出さなかったのか、出せなかったのか、武家同士しか使えなかったのか、もし、飛脚みたいなものがあるなら、その手紙が着く保証や秘密厳守はどう考えていたのか(利用者)また、どれくらいの時間がかかり、その労力からして、どれくらいの代金で、引き継ぎの人との代金の分配などどうしていたのでしょうか?また、手紙以外の宅配・小包なんか託すことができるのか・・・・教えてください。

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回答No.3

鎌倉時代には公用便として鎌倉飛脚・六波羅飛脚などがあったそうですが、普通は、使者を派遣して使者に手紙や荷物、口上(こうじょう・言葉を伝えてもらう)を託するのだと思います。この方式は、もっと以前でも、江戸時代でも基本的には同じだと思います。江戸時代には、幕府などが使う継飛脚、諸藩の大名が使う飛脚、また大名・武家も町人も利用した専業の飛脚屋・飛脚問屋などが発達したのですが、基本は、その案件ごとに誰かを使者に仕立てる方式です。大名家も江戸や大坂と連絡する必要があるときには使者を立てるのが普通でした。 使者になれるのは、代理の役ができる/信頼できるある程度地位身分をもつ人というのが普通です。 昔、自分で歩いて行くことが難しいような遠隔地に連絡する必要があるのは、幕府や大名、貴族、寺社などが自分の関係している領地や荘園への指示や報告を受けることとか、政治的な連携、交渉のためです。 商業が発達したなかで、本店と支店で連絡をとる必要もあったでしょう。 しかし、一般庶民はほとんどそうした連絡を取るべき相手が遠隔地にはいませんから、飛脚そのものの必要性があまりありません。結婚や就職、転居などで、知り合いが遠隔地にできて、その人と連絡を取りたい場合には、そちらの方面に出かける人に手紙を託すことになったでしょう。そのような(ついでにお願いする)方法は、必ずしも確実ではないし、いつも利用できるとは限りません。 時代劇や落語などでも、その方面に行く人に(ついでに託す)例が出てくることがあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E8%80%85 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%84%9A http://edoken.shopro.co.jp/test/03/a03.html http://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisi3.html 当然のことですが、江戸から京都、大坂の誰かに手紙か小荷物を送るとして、京都や大坂まで行ってから、届け先に持っていき、(受け取りがいないと何度も行かないとならない)受け取ってもらってから、江戸に戻って、依頼者に届けたことを伝えるのですから、とても手間がかかります。料金もかかるし、よほど地理に詳しくて良い偶然か重ならないと大変です。 簡単に飛脚を使えるものではないでしょう。 http://mystery.illusion-factory.com/dictionary/2010/05/post-1703.html

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  • misawajp
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回答No.2

今の郵便のように不特定多数を相手にする仕組みはありません 必要があれば使者を発てました、ですから専用で貸切です 現在電話で済ます用件でも書面を認め使者を発てました、使者に口上を述べさせることもありました 返答を使者が承ってきました 質問の2行目以降は 成り立たない 無意味 郵便制度は明治の初め頃作られた画期的なシステムです

noname#159030
noname#159030
回答No.1

飛脚は、もうすでにいたというよ。 時間が大幅に遅れることが多いので、幕府とかのご用達 が大半で一般庶民は手が出せない代物だったみたい。 しかも、文字が読めない人も多かったし。 代金だけど、今のサラリーマンの給与で換算すると 80万円くらいかな。 http://www.kantei.go.jp/jp/kidsold/hanashi/postal.html 手紙が着く保証はなかったかもね。時間が保証できないんですから。 秘密厳守も使える人が限られるから必要ないのかも。

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