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対偶命題 背理法 違い

Caperの回答

  • Caper
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回答No.9

● まず、1つ の例題によって、そのちがいを私は示してみました。ごらんください。   例題  「 x^2 が奇数であるならば、x は奇数である 」という命題が真であることを証明せよ。( ただし、x の変域は、自然数全体の集合であるとする )  《 x^2 が奇数であって、》x が偶数であると "仮定する" ならば、x = 2m を満たす 自然数m が存在します。このとき、次の等式が満たされます。   x^2 = (2m)^2 = 4m^2 = 2(2m^2).   この等式が満たされることによって、x^2 が偶数であることが示されます。★《 これは、x^2 が奇数であるともしている "仮定" に反します。》   ( 証明終わり )   上記の証明の最初と最後に、《 》でくくった記述があります。これらの 2つ の記述を証明に盛りこめば、背理法による証明になると、私は思います。《 》でくくった 2つ の記述を省けば、「 証明しようとする命題の対偶 」の証明ということになると、私は思います。 ● 記号を用いて、補足の説明をさせてください。   アルファベットの大文字は、それぞれ命題を表わすものとします。→ という記号は「 ならば 」を意味するものとします。¬ という記号は「 否定 」を意味するものとします。∧ という記号は「 かつ 」を意味する記号とします。   2つ の 命題 A, B を 次のとおりに置くことにします。   A = ( x^2 は奇数である )   B = ( x は奇数である )   前述の例題は、A → B を証明せよというものでした。《 》無し の証明は、¬B → ¬A という命題が真であることを示したものです。  《 》付き の証明では、★ 印 より前において、(A ∧ ¬B) → ¬A という命題が真であることを示しています。そして、★ 印 より後ろにおいて、背理法による証明が行なわれたことを強調する「 補足の記述 」がなされています。 ● 背理法についてだけ、さらなる補足の説明をさせてください。   背理法は「『 真であることを証明しようとする命題 』の否定から矛盾を導く 」という証明手段です。もっとくだいて説明すれば、「 真であることを証明しようとする命題が P であるとき、¬P → ( 矛盾 ) が真であることを示す 」という証明手段です。なお、矛盾とは、「 つねに偽である命題 」のことです。   前述の例題において、証明しようとした命題は A → B でした。これの否定、すなわち ¬(A → B) は、A ∧ ¬B と同値です。前述の証明では、★ 印 より前において、(A ∧ ¬B) → ¬A が真であることを示したわけです。   ところが、¬A が「 つねに偽である命題 」という扱いを受けるのかと言うと、そうではありません。この場合、「 つねに偽である命題 」という扱いを受けるのは、¬A ∧ A ということになるのです。   話を少し脱線させます。   P, Q がいずれも命題であるとき、次の 1) という命題は、P, Q がどんな内容であっても、真になります。このように「 つねに真である命題 」のことを、トートロジーと呼びます。 1) (P ∧ ¬Q) → P という命題は、   また、P, Q, R がいずれも命題であるとき、次の 2) という命題と、3) という命題とは、P, Q, R がどんな内容であっても、同値になります。 2) (P → Q)∧(P → R) 3) P → (Q ∧ R)   話をもとに戻します。   前述の証明では、★ 印 より前において、(A ∧ ¬B) → ¬A が真であることを示しました。一方、(A ∧ ¬B) → A はトートロジーです ( 前述の 1) 参照 )。すなわち、(A ∧ ¬B) → A も真であるわけです。   これにより、次の 4) が真になるのは、おわかりですよね。 4) ((A ∧ ¬B) → ¬A)∧((A ∧ ¬B) → A)   この 4) が真であれば、次の 5) も真になります ( 前述の 2) 3) 参照 )。 5) (A ∧ ¬B) → (¬A ∧ A)   ¬A ∧ A は矛盾です。前述の証明における、★ 印 より後ろには、このような意味が隠されているのであると、私は思います。 ● 背理法による証明として、よく話題に上るのが、√2 が無理数であることの証明です。   2つ の 命題 A, B を次のとおりに置くことにします。   A = ( √2 は無理数である )   B = ( √2 = m/n であって、なおかつ m/n は既約分数である 整数 m と 自然数 n が存在する )   √2 が無理数であることの証明は、申し上げるまでもなく、A が真であることを示せばよいわけです。   証明の手順は、次の 1> - 4> であると、私は思います。通常、3> 4> については、明記されないでしょう。また、2> から 3> にかけては、理解しづらいかもしれません。命題 P が真であれば、どんな 命題 Q を持ってきても、すなわち、命題 Q が真であれ偽であれ、Q → P は真であるということを利用しています。 1> 有理数についての定義などにより、¬A → B が真であるということを示す。 2> ¬B = ( どの 整数 m をとっても、どの 自然数 n をとっても、√2 = m/n であるならば、m/n は既約分数ではない ) が真であることを示す。 3> 自動的に、¬A → ¬B が真であることが示される。 4> 自動的に、¬A → (B ∧ ¬B) が真であることが示される。   上記の 4> における B ∧ ¬B が矛盾です。 ● 私はそこつ者です。以上の記述の中にあやまりが含まれている可能性は高いです。まちがっていましたら、ひらにごめんなさい。   また、理解しづらい個所がございましたら、[ 補足 ]欄 を利用するなどして、遠慮なくお知らせください。

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