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黄門さまが江戸幕府を長寿にしたんですか?

『頭が高い!!』と言えば、ひれ伏す社会も魅力です。

みんなの回答

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

黄門様は関係ありません。 江戸幕府が長寿であったのは。 1,幕府の経済力が強かった。  全国2400万石に対して、徳川家は400万石も  ありました。  京、大坂、長崎、佐渡などを直轄地とするとともに、  貨幣の鋳造権や貿易を独占していました。 2,俗に旗本八万騎と言われる軍事力を誇っていました。 3,各藩に分け、分割統治をして、参勤交代や、賦役で  藩が豊かにならないようにしていました。 4,各藩をきちんと管理して、統治能力の無い藩は  お取りつぶしにしました。 5,それから、最後に、下々の生活は結構豊かであった  ことが挙げられます。  百姓ほどノンキな商売はない、などと言われていました。  年貢も、生産性が上がったため、実質、3公7民、ないし  2公8民になっていました。  これは下手すると、現在よりも低いかも知れません。

noname#153082
noname#153082
回答No.5

ドラマを真に受けるな。

  • kaxuma119
  • ベストアンサー率29% (108/363)
回答No.4

水戸黄門の漫遊記はまるっきりの作り話です。彼は学者肌で行動的人間ではなかったようです。 彼が江戸幕府を長寿にしたとは言えません。むしろ逆です。幕末に倒幕の原動力となった尊皇思想と神仏分離をはじめたのは彼です。 彼が生涯をかけてのめりこんだのは「大日本史」という歴代天皇の紀伝型の歴史書編纂です。この事業は幕末まで水戸藩の中で続けられました。さらに彼は水戸藩内の寺院整理を行い、神仏分離までやっています。また、幕末に倒幕の志士の精神的モデルになった楠正成を称えるため、彼は楠公墓を護ってきた広厳寺に碑文と堂宇を建ててます。 このため水戸藩には尊王思想が受け継がれ、幕末には、この思想にかぶれた藩士たちが脱藩し井伊大老(幕府の最高行政官)の暗殺、いわゆる桜田門外の変を起こし、幕府を弱体化させました。

  • rukio444
  • ベストアンサー率8% (1/12)
回答No.3

情報管理システムの構築。 家やすが目指したものです。 国を閉鎖状態にして、現在の北朝鮮の状態を作りだした。 洗脳しやすく、管理しやすい。 将軍を神化することにより国民を操りやすくなったんでしょう。

回答No.2

江戸幕府が長く続いたのは、参勤交代と江戸屋敷です。 参勤交代で藩主に江戸と領地を往復させる費用を負担させて各藩の経済力を削ぎ、江戸屋敷に各藩の大名の妻子を強制的に住まわせて人質にして、謀反を起せないようにしたのが、江戸幕府が長く続いた理由です。 あと、天皇と公家に実権を与えなかったのも理由でしょうね。 蛇足ですか「黄門さまの悪者退治の旅(「頭が高~い」)」と「桜吹雪の遠山桜(「この桜吹雪を見忘れたとは言わせねぇ」)」は、完全な作り話です。

noname#159030
noname#159030
回答No.1

水戸黄門はフィクションです。 実在するのもいるが、水戸の藩主です。 旅はしてないという説有り。 でも、気分いいだろうね。

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