• 締切済み

システム、ロゴス、権力の関係性

システム、ロゴス、権力の関係性を教えて下さい。 また、これらの関係性を語った本などがありましたら、 教えてください。よろしくお願いします。 僕は、大きな枠で価値について考えています。時代としては 1930年代頃です。実は、カミュの『異邦人』で論文を 書いています。助言がありましたら、お願いします。 よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#6165
noname#6165
回答No.1

ロゴスというのを、論理というのか、神的なものとして挙げるのかに違いはありますが。関係性について考えて見ます。ラフタッチですが、今から考えるものを書きます。まぁ、手前(私)のはったりです。 まず、システムは、起動している時と、していない時がある。 ロゴスは、普遍的に機能している。 権力は、機能しているときと、していない時があり、しているときは、普遍的とはいえないが、継続性とその範囲が、その権力の属性(王様なのか、政治家なのか、社長なのか、母親なのか)によってありそうだ。   権力を維持するのはシステムである。システムを起動させる動力は、認知である。 認知というのも一つのシステムであるが、認知の連続が、システムを起動させている。 人から人へ、イメージからイメージへ、記憶から記憶へ、連続する認知、これが、社会システムや、個体としての人間にみられる、記憶(データ)に基づく行為の実体です。 システムが起動していない時というのは、この認知の連鎖が、呼び起こされていないとき。記憶は記憶のままに、ねむっている時、噂がそのままに、ねむっている時、お呼びでないとき、そのとき起動していない。 しかし、いつ、どこからか、別の連鎖系が起動しており、それが記憶を掠めるかもしれないし、噂に火をつけるかもしれない。 常にどこかで回っている連鎖系がある限り(例えば今の私の思考)、その連続認知が、他の信号に接触しえる。 そうして、システムは、全体的に観ると、明滅しながら起動している。 交じり合った蜘蛛の巣を想像してください。蜘蛛の巣が幾重にも重なり合っている。それらの部分部分が、溶接工の放つ火花のようにちかちかと灯りを放つ。 それがシステムの全体像。 そして、権力というのは、どこを頻繁に光らすか? 蜘蛛の巣のよく絡み合ったところに発生する。 それはつまり、頻繁に認知されるところ。 権力というのは、中央集権だとか、封建だとかを言うのではなく、権(ごん)の力です。 そういう風に観れば、母親も一種の権力。 仲のよい友だちもそう。 しかし、金は権力を持っている。 金と権力ではなく、金が権力です。 金の集まるところ(金のシステムで、蜘蛛の巣が一番絡まってるところ)が、金の集まるところ、金システムでいちばんピカピカ光るところ。 そこに座れば、権力者になります。 また、自分で蜘蛛の巣を作り、絡ませても、権力者になれる。 政治家や、財界の者に権力があるのは、金というシステムをとおして、皆の注目(認知)が、彼らの居るところに集まるからです。皆が金を見れば見るほど、彼ら金の権力者を優位にする。 だから、金を欲しがってやまない者、金に困る者は、いつでも、金の権力者の奴隷とも言える。 餓えに困る者は、生物システムを利用する、生命の権力者の奴隷とも言える。   で、次はロゴスですが、 認知と認知の間に(イメージからイメージへ、人から人への間に)、微塵の隙間がある。当然、認知が連続していない時は、隙間だらけ(つまり隙間しかない)、いわば開けっぴろげで隙間なんて分別は無いのだけれど、この隙間に、普遍的に作用しているのがロゴス。 当然、隙間を埋める諸々の認知の連続、{イメージの連続(連想、つまり文の構成、文法)や、人から人への認知の連続(人語から家族認知)、近所づきあいから社会システムまで}、つまり「認識」、認知の連続は認識であるが、その認識状態においても、ロゴスは裏で作用している。 なぜなら、もともと開けっぴろげだったところに、連続(すばやく、しかも断続的にという意味で連続)で認知を打ち鳴らしているわけだから、音の明らかでない世界で、音が鳴らされているようなものです。 で、その鳴っている音(認知)ばかりをしていると、認識が生まれ、音が無いということを、忘れてしまう。 それが、ロゴスを忘れるということ。 で、眠っている音(音階)というのがあり、それが、実質的に存在する、識であり知です。浮上していないだけで、それは暗いだけで、あります。   で、関係性を総括すると ロゴスが無関係性。縁られている無縁。宇宙の理。 眠っているシステムは見えない関係性。縁。 明るいステムは、起動している関係。縁起。 権は、よく起動するシステム。濃い縁。縁が集まってるところ。 権力は、その権において、先んじている者の所。因を放った者、業。 権力者は、業者。因を生んだ者。 果を享受する者が、被支配者。  こんな感じ。なんやよーわからんよーなってきましたが、 だから、誰しも権力者です。 で、この権力を捨てた者が、隠者。   自分(独我)というものを権力と絡めて想定するとよくわかるが、独我は、権力とは無縁なわけです。 権力と縁がある限り、自分というのは生起する。 権と縁が無くなれば、自分というのは眠りにつく。 しかし、消えたわけではない。 ここから話を飛ばしますが、 ロゴスに至り、自分というのははじめて消える。 しかし、ロゴスというのは、創造の原理である。 なぜなら、無力な自分(独我)という只のリトルロゴスが生きてしまうのは、いや、生を生んでしまうのは、ロゴスが、顕現している、明るいからである。 完全に透明で、明るい。それが、今の宇宙のロゴスである。 これを探求せん限り、生は解かれない。 いや、解けたところがロゴスであるのだから、もうどうしょうもない。もう、やることが無い。 ロゴスが明るいというのも、ロゴスに暗いがあるのかは不明である。まさに、不明。全く不明である。 という訳で、もうかなりお手上げな訳です。 笑ったってください(^^。もうやばいね。 っていうかもう笑ってる。 ではここらへんで。 きゃー。 マジでお手上げやわ。どん詰まりや。八方広がってるだけに、どん詰まりやわ。 ここが、独我の、独我たる所以です。 八方開きなのに、どんづまり。 スゲェオチだ。という訳で、ロゴスから独我(はじめ)に探求対象を変更。 まぁ、これも、するほどのことが無いのよね。 1と、0だから。

tricleore
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 いろいろ考えるとこんがらがりますよね。

関連するQ&A

  • 価値のシステムについて(権力かな?)

    たとえば、会社、「美人論」、「やさしさ」など、なんでもいいですが、そこには優劣を定めるような価値のシステムが存在すると思います。その、価値のシステムをわかりやすく説明できるかた、または、そういうものを研究している哲学者などはいますでしょうか。たくさんいると思うんですが、ちょっとぼくにはわかりません。もしよろしければ教えてください。よろしくお願いします。 「真・善・美」というよりは、世俗の価値システム。例えば、隣人との間の権力???関係?クラス内の優劣???など、の方向で考えていきたいです。質問分がわかりにくくてすいませんでした。

  • 全体主義について述べている有名な本を教えてください

    こんにちは。 1.今、カミュの『異邦人』という本を読んでいます。この本が出版されたのは1942年のことですが、そのあたりの時代状況、特に全体主義の流れを知りたくて質問しました。なんでもいいので教えてください。 このあたりの時代の全体主義的傾向を扱っている著名な本などがありましたら教えてください。僕は政治を専門的に勉強していないのでもっとも基本的な本がいいと思います。 2.ついでですが、全体主義的傾向は戦争の時期に限らないと思います。たとえば、日本人の私たちを日々暴力的に統率しているものとして、「やさしさ」が挙げられると思います。優しさが無いと判断されると、全人格的に否定されてしまう。意識下に巣食う集団的暴力はほかにもいろいろあると思います。もしよろしければ、これについても教えてください。よろしくお願いします。

  • まったく新しい経済システムは不可能なの?

    最近貧富の格差が拡大していると言われています。お金さえあれば何でもできるという極端な拝金主義やいわゆる勝ち組の人たち、その一方で学校の給食代すら払えない低所得世帯が急増しているとか。経済学者やエコノミストも所詮は今ある経済システムの枠内での議論をしているに過ぎません。 共産主義でも社会主義でも資本主義でもない、これまでの貨幣経済を根本的に変えるような全く新しい経済システムって考えられないものでしょうか?もちろん政治システムとも関係してくると思いますが。 一億総中流時代と呼ばれた時代がありましたが、それこそ全人類総中流世帯になるような画期的なシステムって考えられないものでしょうか?また、最先端の経済学の研究ではどんなことを研究しているのでしょうか?そういう画期的な議論はされていないのでしょうか? 数千年に一度くらいの大天才でも現れないと無理なのでしょうか?

  • 次に読む本 あなたのおすすめを教えて下さい

    こんにちは。17歳、男です。 自分の趣向に合った本を探しています。 好きな作家は、村上龍、吉田修一、乙一です。 好きではない、文体が合わない作家は村上春樹、恩田?です。 最近読んで良かったなと思えたのは、バラバラな感じですが ポール・オースター『幽霊たち』 島本理生『リトル・バイ・リトル』 カミュ『異邦人』 嶽本野ばら 『世界の終わりという名の喫茶店』『コルセット』 田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』 です。 国内・外、時代、ジャンル、 名作・無名作は問いませんが 日本の古いもので時代背景などが説明されていない本 (例えば、比較的最近かもしれませんが三島由紀夫『潮騒』は よく飲み込めなくて断念しました)はなるべく避けて下さい。 名作と言われていても、その時代の人々が謳歌したのが今でも そうであるかのように続いている本って多いと思うんです。 アニメが好きなのでそれこそライトノベルでも構いません。 宜しくお願いします。

  • 権力のあるDQNやチャラ男こそが

    権力のあるDQNやチャラ男こそが恋愛においては人生の勝ち組ではないですか? 女子中学生や高校生(特に美人や可愛い子)は権力のあるDQNやチャラ男が大好きですよね? だからDQNやチャラ男は若い頃若い女性と女遊びが出来まくるわけです。 大人になると女遊びにも飽きてきて落ち着いてきて本当に大好きな一人の女性と結婚して幸せになるパターンが多いです。 しかも女慣れしているので自分が本当に好きになった女性を落とすのもうまいです。 確かに収入は低く大人になるとモテなくなるかもしれませんが、その頃には本当に好きな人と一緒になれているので関係ないです。 対して若い頃モテなかった人は、例え勉強を頑張っていい大学いい職業に就けたとしても寄ってくるのは金目当てのおばさんばっかりです。 で、学生時代のコンプレックスを一生引きずることになり女子高生など若い女性に執着するのだと思います。 性犯罪などはこのケースが圧倒的に多いです。 これが自分の意見なのですがみなさんはどう思いますか? ちなみに自分は完全に後者の養成所通いです(笑 これが分かりつつも演劇、声優、ナレーションの勉強頑張っています。 自分より歳上の意見が聞きたいです。 これは自分としてはかなり真面目な質問です。批判、中傷はやめてください。

  • 道を究めるのにどの宗教かは関係ない

    「道を究めることが大切であり、どの宗教かは関係ない」 「修行することが大切であり、その手段は問わない」 「自らを磨くことが大切であり、どの宗教かは問題ではない」 … 確かこのような趣旨のことを誰かが言っていて、それをどこかの本で読んだ記憶があるのですが、どうしても探し出すことができないでいます。 このようなことを言ったのは誰でしょうか? 鎌倉時代の偉いお坊さん??? 今書いている論文でどうしても使いたく、ネットでも探していますけど探し方が悪いのか何もヒットしてくれません。 誰の、何という言葉なのか、正確なところをご存知の方、教えていただけると嬉しいです。 宜しくお願いいたします。

  • 元彼と縁を切らなくても新しい恋を見つけられる?

    20代半ばの者です。 彼とは4年近い付き合いですが、半年前に別れていて、 最近また会ったり電話をしています。 私はそろそろ結婚も視野にあるので、プロポーズでも されない限り彼とよりを戻すことは考えていません。 そしてそんな事はまずない状態です。 (別れる前に年齢が気になってきた事は伝えていて、 私の年齢を気にするそぶりは見せるけれど、彼から提案した 約束にもたいした理由のないドタキャンが数回続いています。 例えるとカミュの『異邦人』のような、太陽がまぶしいとでも いいたいのかよと突っこみたくなる理由でです。) 彼をまだ好きですが、やはり新たな出会いを見つけて いったほうがよいですよね・・・。 自分で白黒区切りをつけようとするとかえって辛くなり なかなか忘れきれなかったのですが、この曖昧な関係に適度に 甘えつつなるようになっていくのを待っても大丈夫なものでしょうか。 どうすれば元彼とより早く決別できるか、不安です。

  • 成人後の親子関係

    成人後の親子関係は、いつの時代でも厳粛なものなのでしょうか?子が10代以前の頃の価値観や「時代の変化」の影響はあるのでしょうか?また、これらは外国ではどうなのでしょうか? 子の側が成人後(特に結婚後(とりわけ出産後)や独身の場合の結婚適齢期以降)の親子関係や、義理の親・親族等との関係についてお尋ねします。 どうも、遅かれ早かれ「厳粛」なものになるようですね。 気安くタメ口で話したり冗談を言ったり、いわんやおふざけや悪戯の出来るような関係ではなくなるようですね。 成人後すぐそうなるわけではないではないでしょうが、以下のような理由で。 (1)子の側の結婚で「義理の親」が出来た時。ないしは、出産後(親に「孫」が出来た時)。 (2)親の側が加齢で「定年退職(通常60歳前後=年齢的にかなり早い時点ですが)」「自営業の廃業」更には「健在ではなくなる(寝たきり等)」「死別(死因は老いに伴うもの)」 (3)上記の有無に限らず、子の年齢が30代以上(?)に達した時。 確かに、「死別」したら、その相手はこの世にはいない訳で、笑って済む関係ではなくなります。 いや、老いの結果「寝たきり」等になり、以後絶対に回復しない場合もしかり。 しかし、こうした実務的な理由ではなく、年齢的なけじめ、と称されるような一言でいえば「実務的ではない」理由で親子・親族間等の関係が良く言えば「厳粛」悪く言えば「堅苦しい(一歩間違えると「疎遠」)」になる事、私はあまり好きではありません。 そうした背景には「家意識」があるからです。 (近年の晩婚化や非婚化の背景には、結婚が家同士の関係であることが強調され、その「家意識」のしがらみが当事者に嫌われる事も要因のようです) 何より、そうした堅苦しい意識、もし子の側が10代以前だったら、甚だしく煩わしい(近年の言い方で言えば「ウザい」)ではないですか。 子は10代の頃、将来の自分がそのような意識になる(事を強制される)事を想像できるでしょうか? 家意識等、過度に「封建的」「前近代的」な意識は、近年では相当薄れているはずです。 現在の現役世代(成人後の子)は、10代以前の頃は、結構親などに生意気な態度をとり、かつそれが社会的に容認されてきた(思春期等の心理的特性として)はずです。無論、たとえ非行少年でなくとも。 親の世代も、最早大半が戦後に学校教育を受けた世代です。 子が10代以前の頃の価値観(当時の青少年文化等)や、その他の時代の変化(親が現役世代だった頃の社会情勢等)は、近年の親子関係を、往年のそれよりインフォーマルなものに変えているのでしょうか? それとも、老いた後の親子関係に、時代や世代は関係ない?

  • ウイルスでしょうか,システムの不具合でしょうか

    ウインドウズではどのウインドウ枠でも,右上に三つの四角が出ますよね.ポインターを置くと,「最小化」,「元のサイズに戻す」,「閉じる」の説明の出る四角のことです.実は1-2月まえからこの四角の中の図が消え,代わりに「0」「2」「o (みたいなもの?)」となっています.その他すべての画面でラジオボタンも変な図(言葉では説明の難しい変な図です)になってしまいました.システムの入れ替え以外は本見ていろいろやってみました.OSはウインドウズ98です.これはどういった状態なのでしょう?そしてどうするべきなのでしょうか?お知恵を拝借できれば幸いです,よろしくお願いします.

  • テレビのブラウン管およびそれに続くシステム

    テレビのブラウン管のシステムというのは電子を放射してガラス表面で発色させるというものですが、発射した電子が正確に画面に広がるのも不思議だし、第一ガラスの表面が発色するだの、そんな発色させる装置もブラウン管の中になくて単なるガラス管らしい。 古くなって新しいテレビに買い換えたら、一度ブラウン管をわって見るのもいいかも。しかし、割ってみなくても電子の直進性、曲げるための設備が必要なだけないことだけでも理解力があるならすぐわかることだと思います。 と、このように実は神業なのですが、実は私の若い頃、カラーテレビが発売されたころたしかに、「現代の三種の神器の一つカラーテレビ」と正直に発表されていました。 神器であると公表されていたのですから騙されたといえないですよね。 若い人で聞いたことがない人向けにちょっと書いてみました。 でこれを読んでテレビは神器だと思いますか?われわれ50歳代の日本人は神器と、確かに聞いた記憶があるんですよ(笑い)実際電子機器は全て神器のようです。 で、ついでですが、3cmの厚さのモニターが製造される時代になったわけです。