論理的とは?その意味と定義の考察

このQ&Aのポイント
  • 論理的とは、正しいと認める法則に従った思考や話し方を指す言葉です。
  • 論理は物理と組み合わさり、様々な法則が形作られます。これによって私たちは物事を理解し、論理的に考えることができます。
  • 論理的な思考や話し方は社会的なルールに従ったものとしても捉えられます。一般的な人々が共有した認識や法則に基づいて行われることが多くあります。
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「論理的」の意味

論理的という言葉の意味について、特に決定的な定義が見つからないので、自分で考えてみました。 この解釈はおおむね正しいと思いますか? また、間違いやズレがあればご指摘をください。よろしくお願いします。 論理とは、何かを正しいと認めることから派生する法則のことである。 論理以外の法則として物理がある。物理は存在そのものによって現れる法則である。 つまり、論理=論(言葉)の理(法則)。物理=物(存在)の理(法則) たとえば、「すべての物体は重力の影響を受けて下に落ちる。(A)」といったとき、「Aだから、目の前のペンも放り投げれば落ちる」という構成は論理的であり、実際に物が落ちるのは物理的である。※物理は論理の影響を受けない。引力の法則(論理)が存在しなくても物は落ちる(物理) 言い換えれば、論理は物理を組み合わせて作られた法則である。 さらに、論理が間違うことはなく、ただ、物理と食い違ったときに価値が無くなるだけである。 たとえば、太陽が回っている(物理)、ということは空が回っている(論理)。というのは、論理的な間違いではなく、物理を通して構成された論理が、物理と食い違ってしまった。という誤りである。 ゆえに、論理的というのは、「正しい」という意味ではなくて、あるものを正しいとしたときに構成された法則にしたがっているということである。 このことから、論理的に話すというのは、次のようになる。 [極論的な論理的] ある個人自身が決めた法則にしたがって話す。 [社会的な論理的] 一般的な人が正しいと認めている法則にしたがって話す。 非論理的な例 ・言葉の定義を自由自在に変更する。(ステレオタイプなど) ・矛盾している。(結論が正しいとき、前提が正しくなくなるなど) ・根拠が無い。(人間は悪だ。)※法則(論理)について述べていない。論理と物理が食い違うことは「科学的に間違い」。 ・嘘。 非論理的とはいえない例 ・根拠が間違っているまたは薄い。(おなかがすいたということは12時だ)※物理とは食い違うかもね。 ・冗談、お笑い。(騙すという法則が構成に含まれている) メモ 社会的に正しいと認められていると思われる会話や議論の法則 ・論理学の基本法則(論理和・論理積・否定など)。 ・日常言語はすでに共通了解されている。(犬のことをサルということはない)

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  • ok9608
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回答No.3

論理的を理解されるためのご質問と思います。普通には 証明はできないまでも矛盾がないストーリィを言うように思います。あるいは 論理学で裏づけされ得るストーリイということでしょう。 問題は論理学です。1930年代にゲーデルという論理学の大数学者が出てきて不完全性定理を証明します。詳しくは 各種の解説本などがでており そちらをみて欲しいと思います。 今の場合 以下のような理解でいいのではと思います。 論理系とは(1)公理(原理)とその演繹で成り立っている(2)公理は証明できない (3)公理は矛盾してはいけない。 この説明は、例えば幾何学を考えてみれば 納得しやすいのではないか、と思います。重要な点は公理の説明は 他の言葉で説明しようとしたとき究極の堂々巡りになっているということ、と公理は任意の言葉で立てられるということです。これによって任意の多様な論理系が出来上がります。 では論理系とはどのようなものがあるのでしょうか。数学、物理学(科学的に追求する学、文系の学問であっても扱えます)など非常に幅広く奥深いものと思います。物理学についてご質問の様子なので 私の考えを述べます。物理学の理論は 論理学の範疇です。数学と違うのは必ず実証してその理論が正しいことを示す ということです。理論だけで実証がないのは完成した物理学とは言えないと思います。これは基本であって 多くの現代物理学の説明書が出て おり そちらを参照してください。 こんなところで失礼します。

graf_
質問者

お礼

ラッセルの思想を読んだ後に考え付いたものなので、おおむね方向性が間違っていないことがわかって幸いです。 やはりしっかりした学問的集積が不可欠ですね。 含意をしっかりと汲んでいただきまことにありがとうございます。

graf_
質問者

補足

>> 証明はできないまでも矛盾がないストーリィを言う 論理は証明できなくてよい。 >> では論理系とはどのようなものがあるのでしょうか。数学、物理学・・・ 数学や物理学は論理系だ >> 理論だけで実証がないのは完成した物理学とは言えない 完成した論理(物理学)には実証が必要だ。 の三段部分に矛盾が生じているように見受けられますが、私の悪意かもしれません。補足がいただければ幸いです。

その他の回答 (4)

  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.5

No.3です。説明不足のようですみません。 (1)『>> 証明はできないまでも矛盾がないストーリィを言う 論理は証明できなくてよい。』は 論理的という普通つかわれる言葉の説明です。日常会話では 論理学の厳密性は 意識してないと思います。 (2)『>> では論理系とはどのようなものがあるのでしょうか。数学、物理学・・・ 数学や物理学は論理系だ』は、数学は論理学と一つですが、物理学は その上に実証が 加わります。論理学の範疇の中に 数学も物理も含まれるという意味です。 (3)『>> 理論だけで実証がないのは完成した物理学とは言えない 完成した論理(物理学)には実証が必要だ。』は (2)で述べた通りです。仮説(理論(論理学))をたて その検証(実証)をする という説明でもあります。仮説は論理学上の矛盾はありません が 物理学はそれだけでは だめです ということです。 以上 よろしく。

graf_
質問者

お礼

さっそくのご返答ありがとうございます。 (1)で私が通常使う意味での「論理的」がおおむね正しい方向であると再認識しました。 私は(1)を論理的、(2)(3)の部分を科学的・実存的として分類する傾向がよりはっきとして見えてきました。 私も、言葉の定義で誤解されないよう気をつけます。

回答No.4

そうした議論は、論理学において既に尽くされています。 ある言明において、その要素の定義とその展開の因果関係が 明確に把握されている(例外を含まない)こと、ないしある式に おいて、その単位と演算が無矛盾であること、といった形で。 それは、少なくとも「正しい(現実の記述という意味で)」必要は ありません。 ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は相容れません (どちらか一方でしかあり得ない)が、どちらも論理体系として 無矛盾です(と考えられていた)。 ここから先は、「論理的であろう」とする者にとって非常に重要 な指摘なので、ぜひご自分で「ゲーデルの不完全性定理」を 学んで、普段の思考で自在に応用できるようになって下さい (決して言葉としての知識ではなく)。 「正しい」という場合人は、「論理的に破綻がない(完全な 公理系)」と「事実を記述する(無矛盾である(Aと非Aを同時 に導かない))」は自然に両立するものだと直感しているが、 実は、それは相反するものであった、という華麗な証明を!

graf_
質問者

お礼

ラッセルの思想を読んだ後に考え付いたものなので、おおむね方向性が間違っていないことがわかって幸いです。 含意をしっかりと汲んでいただきまことにありがとうございます。

回答No.2

なんとなく言いたいことはわかるけど、答えはもっとシンプルで良いと思う。 - 論理的 -  物事を順序、道筋を立てて答えを導く過程。 答えそのものが正しいかは問題ではない。 >言い換えれば、論理は物理を組み合わせて作られた法則である。 というよりは物理学を説明するための過程っていう表現の方が近いと思うよ。 論理的って考えは別に物理に限った話ではないしね。 要は「ある事柄」を、それを説明したい人に、その人が納得するように話す過程のことかな。 イロイロ書きたい事あるけど長くなるので、反論あれば言って下さい。 またできるだけ論理的に自分のわかる範囲で答えていきたいと思います。

graf_
質問者

お礼

まさに私に欠けている部分の指摘ありがとうございます。 やはり主張は最終的にシンプルに落ちてこなければ「納得」という重大事を逸してしまうことを思い知りました。 ありがとうございます。

noname#150695
noname#150695
回答No.1

AならばB (例:風が吹くならば砂が舞う) こういったものの組み合わせではないでしょうか (例:風が吹くならば砂が舞う、砂が舞うならば目に入る、目に入るならば目の見えない人がでる、目の見えない人がいるならば三味線が売れる、三味線が売れるならば猫の皮が必要になる、猫の皮が必要になるならば猫が減る、猫が減るならば鼠が増える、鼠が増えるならば桶が食われる、桶が食われるならば桶屋が儲かる 結論:風が吹くならば桶屋が儲かる)

graf_
質問者

お礼

同意を頂きありがとうございます。

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