• ベストアンサー

インドの宗教について

serpent-owlの回答

  • ベストアンサー
回答No.1

 完全に専門外なんですが、困り度3なので。  二宮書店の「ワールドデータブック」によると、インド人口約八億三千万人のうち83%がヒンドゥー教徒とのことです。ただし、ここで言う「ヒンドゥー教」は狭義のそれであって、言葉の意味自体は「インドの宗教」ということですから、広い意味では仏教やジャイナ教、イスラム教まで含むことになります。  面倒ですから狭義のヒンドゥー教で話しましょう。ざっと沿革を述べます。  ヒンドゥー教はいわゆる世界三大宗教のように特定の開祖を持つものではなく、さまざまな宗教や民間信仰を取り込んで形成された、たいへん多様な内容をもつ宗教です。  まず、紀元前2000年~1500年頃にインド北西部に侵入したアーリア人たちの宗教「ヴェーダの宗教」が核となって、民間信仰を取り込み「バラモン教」に。紀元前600年頃からの千年間ほどは仏教やジャイナ教に圧倒される時期がありましたが、その間も聖典の整備やヴィシュヌ神、シヴァ神などの信仰は盛んで、紀元後4世紀頃のグプタ王朝の繁栄とともに勢力を復活させ、東南アジア地域まで広がりを見せます。この頃になると、もう元のバラモン教の性格も薄まり、ヒンドゥー教と呼ぶべき段階になるようです。  次いで紀元1000年頃にイスラム教が侵入、在来宗教を弾圧しますが、いわばその反作用でヒンドゥー教の独自性への自覚が高まると同時にイスラム教の影響も受けて一神教の性格を強めます。この頃、ヴィシュヌ神、シヴァ神を信仰する二大分派を中心に多様化が始まっています。またこの時期、イスラム教との対抗や調和を目指す努力が、多くのすぐれた哲学者・宗教家を生んだようです。  さらに15世紀頃、西欧からキリスト教が渡来。これとの間でも対抗と調和が行われ、またも分派が生じ、ますますややこしいことになっています。  こういう沿革からして、「ヴェーダの宗教」の時代からさまざまな民間信仰や他宗教の要素を受け容れつつ実に多様な内容を持つに至った宗教がヒンドゥー教ということになります。(ここまで、平凡社の百科事典を中心に。)  それで、諸派が何を基準に分かれるか。  内容的には、ヴァイシャを信仰するかシヴァを信仰するかで大きく二つに分かれるようです。そしてさらに、それぞれがどのような民間信仰の要素を帯びているか、他宗教の影響をどのように受けているかで細かく分かれます。  そして、信仰する宗派が何で決まるか。  やはり生まれた家で決まるようです。「ブラフマナ」「クシャトリア」「ヴァイシャ」「シュードラ」という、いわゆる「カースト」が世襲的なものであることはご存知だと思いますが、それと同じ事で「カルマ(業)」によってその家に生まれたということで、その子どもの宗教・宗派も決まるということです。  ただ、実は「カースト」という言葉はポルトガル語に由来する言葉で、正しくは「ジャーティ」というそうです。カーストの4種族の方は、正しくは「ヴァルナ」。インドに特有な「内婚」という婚姻形態が、排他的で特殊な社会集団を作っており、それが「ジャーティ」の固定性を強めているようです。  そういうことで、私に言えることは「ヒンドゥー教の分派は非常に細かく多様である」「信仰する宗派は生まれで決まる」ということくらいで、細かく分けた諸宗派の人口比などは、ちょっとわかりません。資料にも、残念ながら心当たりなし。もっと詳しい方のフォローを期待しましょう。

takaka
質問者

お礼

本当にありがとうございます。 この質問、大学の課題なんですが、 先生もこの質問は「学者でも分かる人は少ない」と言っていました。 本当にこんな質問にわざわざ答えてくださってありがとうございます。

関連するQ&A

  • 組織としての宗教は 違憲ではないか

     1. 宗教組織は 結社の自由になじまないのではないか? 信教の自由を侵しかねないかたちと内容をもって 憲法違反ではないか? 以下 これを問います。  2. 信仰は 《良心・信教の自由》がうたわれているとおりに 個人の内面主観において自由に成り立つと考えられる。  3. しかるに宗教とは この信仰から得られた生活態度ないし世界観をオシエとして表現したものである。  4. その宗教は しばしば教団とよばれる組織を持つ。一般には 結社の自由において 自由だと見なされている。  5. ところが 信仰の教義化かつ組織化は まづ教義化において主観内面のことが言葉による表現としてすでに外面に移されている(註1)。しかもそのオシエを中心としオシエに従って 組織の権限関係が形成されることになる。  6. ならば 一方で主観内面としての信仰はすでに消えており(もしくは 蝉の抜け殻と見るべきオシエに変身しており) 他方でしかもその信仰が――という意味は オシエとその遵守というものに成り変わった信仰観念が―― 組織の運営や人間の関係にとって判断・評価の基準とされることになる。  7. つまり 信仰ではないものが信仰と見なされしかもその教義が組織〔としての人間関係〕の中心となる。教義が中心となるということは 組織の権限関係において最高の地位に立つものが解釈したその教義内容が中心となることを意味する。  8. もしこうであるならば 組織の長としての人間が ほかの人びとを・そしてしかも組織の外の人びとをも ほんとうは信仰ではなくなっている倫理規範としての《教義》とその知識および実践の度合いに応じて 評価しときには裁くというかたちになる。  9. これは 信仰の・または信徒のあつまりではありえない。言わば道徳ごっこである。道徳ごっこっとしての仮面をかぶったイジメ合いである。  10. 自分も他人もそして世の中が 自分の思うようにならないという《苦――生老病死だそうだ――》から逃れようとして いやそれなら自分以外の人間をみなおれの思うようにあやつればよいという支配欲にみづからが支配され この道徳ごっこ――つまり内面における信仰の外面化としての倫理規範のもてあそび――を考案し 結社の自由に乗じて組織化したものである。のではないか?  11. この組織宗教とは 良心・信教の自由を侵す犯罪行為ではないのか? 憲法違反ではないか?  12. 組織の権限関係にもとづき――ということは 権限ある地位についた人間がその人間としての判断にもとづき―― 他人の信仰の是非や度合いを規定するかのごとく言い渡すのは 人間の自由を侵す犯罪行為ではないか?  13. 結社の自由は 宗教にもとづく組織としては 個人における良心・信教の自由と両立しないのではないか?  個人の信仰は ヒエラルキアになじみ得ない。  14. 信仰の宗教化じたいがすでにその瞬間に 信仰の自殺行為となるのではないか?  15. 聖典等と呼ばれる文献等の研究のための組織のみが残るのではないか?   16. いわゆる宗教家は 個人としての表現の自由にもとづき個人として活動するのみとすべきではないか?  17. 宗教組織は すべからくすみやかに自己解体すべきではないか?  (註1) 《信仰はその教義化において主観内面のことが言葉による表現としてすでに外面に移されている》: たとえば信仰においては 《存在の奥底にそなわったと言うべき中核のチカラが 〈ひとは人をころさないものだ〉と語っているのを知っている》。しかるに 宗教においてその信仰内容が教義化されるということは 《なんぢ ころすなかれ》という言葉による表現となって持たれることを意味する。  片や 心の声を知っている信仰と 片や その声の内容を倫理規範として持ちそのことの習慣化によって或る種の観念を形成しこの観念が――法規範と成ることをとおしても――おのれの思惟や行動〔の自由〕を規制するようにはたらくこととがある。この両者の差は おおきいであろう。 

  • いろんな宗教について

    現在、特定の宗教に対して信仰心を持っていません。 理由は、どれもこれもうさんくさいと感じるから。 しかし、教えてグー(OK WEB)でいろいろ読んでいると、自分は宗教に対して誤解があるんじゃないかと思うようになってきました。何だか、食わず嫌いみたいで・・・。 そこで、ちょこっと宗教について知ったほうがいいんではないか(学問的な意味で)と思い、本を探しています。が、ネットで調べてみたら、ヒット数が多すぎてよく解りませんでした。 知りたい事柄は ・現在、世界で多くの信仰者がいる宗教について、どんな宗教があるのか ・それらはどういうもので、どういう歴史があるのか ・それらの、派生宗教、宗派にはどういうものがあるのか。その特徴など。 ・その他いろいろ ・新興宗教については不要 宗教に対する知識はほぼ皆無なので、いわゆる「○○入門」のようなものがイイかと思うのですが、一冊でいろいろな宗教について知ることが出来る本で、おすすめなものを教えてください。

  • 彼女と信仰している宗教が違う

    付き合って1ヶ月未満の彼女が居ます。 彼女と私の宗教が違います。 私の宗教はキリストに近い、 あの証人 です。(これだけで同じ信仰の方にはわかると思います) 母親と私の兄弟が進行しているようです。 厳密に言うと、私自身は宗教に興味が無く、聞く耳も無しなのですが、唯一認めていると言えば家族が信仰している宗教です。 (私は信仰はしていません) 彼女の宗教はキリスト教です。 彼女も家族ぐるみで信仰していて、彼女の宗教の人たちは私の宗教を極端に批判し、キリスト教に導こうとするらしいです。 彼氏の家族が信仰者だとはバレては居ませんが、バレると彼女の家族には絶対に反対されますよね。 私の母には彼女ではなく、友人と言ってあるのですが「宗教の話はするな」「家には行くな」と言われました。 はやり宗教においては彼女は彼女、自分は自分と わりきった付き合いをしていくのが良いのでしょうか。 たしかに私は宗教は信仰してません。 お互い割り切る付き合いがベストだとしても、彼女が宗教に洗脳されているようで、救ってあげたくて仕方がありません・・。 彼女と話ていて、たまに宗教的思考回路だと感じるので、その辺が割り切れません。 別れた方が良いのか…と頭の中でもほんの少し考えています。。 何か良いアドバイスをください。よろしくお願い致します。

  • 宗教の選択

    嫌なことがたくさんありなにかに縋りたいです。 宗教とは自分が選んで信仰するものではないのでしょうか? 例えば生まれた家が元々キリスト教だったとか。 また宗教活動は何から始めればいいのでしょうか? 仏教やキリスト教の本をみたことがあるのですが教養のない自分にとっては言い回しだったり過去の歴史などよく理解できませんでした。 うまくまとめれないのですが回答お願いします。

  • 宗教者の方の、信仰とは

    宗教熱心な友人と話をしていて、不思議に思ったことがあります。 私はわりと無宗教で、クリスマスにもお正月にも特に興味がない方です。 お寺を廻ったりするのは好きですが、庭が綺麗で空気が澄んでいるからとかそういう理由です。 食物は、もとは生きていたものなので、残さないように、感謝して頂く...くらいでしょうか。 生きていることに関しては、色々あって自殺未遂もしましたが(プロテスタント系の学校で暗いお説教ばかり毎日聞いていて気分がうつうつしたり、いじめにあっても全員クリスチャンの先生なのに全然助けてくれなかったりして鬱病を発症したので、宗教嫌いな面もあるのかも・・・)、 今は寿命まで生きたいと思いますし、きっと何かのご縁があって今生きているのだろうと思っています。 悩んでたくさんの本を読みましたが、もしその本の内容を「ぜんぜん面白くない」と言われても、「ああそうかー、この人には合わないんだな」くらいにしか思わないと思います。 なので 「自分の信仰している宗教を侮辱されると自分が侮辱されているようにつらい」 とか 「信仰しているものがないのによく生きていられるなあと思う」 という友人の気持ちが不思議でなりません。 もしその宗教団体が空中分解したらどうなってしまうんだろう・・・と思ったり。まあ大きな団体なので絶対ないとは思いますが。 私は出来ればたくさんの意見を取り入れて自分を作っていきたいのですが、 彼女は既にひとつの教えに沿って生きているので、どうしても齟齬が生まれてしまいます。 でも仲のいい友人だからこれからも付き合っていきたいですし、 純粋に、 信仰とは自分である 信仰とは生きる理由である という考え方のもとが知りたいです(さすがにそこまで突っ込んで聞けないので・・・)。 レスはゆっくりになるかもしれませんが必ずさせていただきますので、 どの宗教でも構いませんので、信仰されている方の心の内をお教えいただけたら嬉しいです。

  • インドのSEのレベル

    インドは日本と比べてIT産業はどの位のレベルでどのようなサービスが人気を集めているのでしょうか?またインドのIT事情について分かるようなサイトや本があればご紹介頂けるとうれしいです。またSE(例えばWebのポータルサイトやSNSを構築するシステムエンジニア)のスキルレベルはどのくらいで、もし分かればどの位の人数がいて、給料はどの位の金額なのでしょうか?インドに詳しい方、分かる範囲で結構ですので、ご回答頂けるとうれしいです。よろしくお願い致します。

  • 日本独自の宗教についての質問です。

    現代(第二次世界大戦後)の日本社会に単一の宗教が根付かなかった理由は何だ、と思われますでしょうか? 確かに大日本帝国憲法でも信仰の自由が認められていたそうですが、基本的には「『国家神道』への信仰」が重視されていた、と思われますので、終戦後に帝から【神格性】が剥奪された途端に、信仰の対象の必要性が感じられなくなったからなのか、と私が勝手に考えてきました。 でも、それに酷い誤解が含まれていますと、勿体無いですから、 宗教的な価値判断を為さらずに、教科書的な回答を頂けませんでしょうか?

  • ◆カルト宗教脱退について

    ◆カルト宗教脱退について 私の大切な人が、宗教活動をしていて、どうもその宗教がカルト宗教であることが分かりました。 その本人(Tさん)は幼い頃から信仰している為、なんの悪気もありませんし、信じきっています。 しかし、私としては絶対に辞めてほしいと思っています。 疑いも無く信仰している本人に対してどのような説得方法があるでしょうか。 Tさんは最近私にも信仰するよう迫ってきていますが、私は入る気は毛頭ありません。 私が入らないと、Tさんとは縁が切れることになりそうですが、それは非常に残念なことです。 縁が切れてしまうのは百歩譲って仕方ないとしても、その後 その宗教集団にいいようにされてしまうのが嫌でたまらないのです。 説得しようとしたら、Tさんは当然自分を否定されたと思い、ショックを受けてしまうかもしれません。 有効な書籍等の紹介もご存知でしたら教えてください。 どうぞよろしくお願いします。

  •  信仰する宗教をどこにしようか迷ってます。選択のヒントを学びたく質問し

     信仰する宗教をどこにしようか迷ってます。選択のヒントを学びたく質問します。 現在、起業するという目的に向かって毎日を生きています。その過程で様々な本を読み漁ってきたのですが、その中で一番私の心に「ストン」と落ちてきた本を座右の書として、日々、起業に向かって一つ一つ毎日のやるべき事に取り組んでおります。いわゆる人生指南書、といいますか、成功哲学に分類される本です。  今までの私は宗教には無関心で、自分が何を信仰しているのか、考えた事もありません。20代の頃は上段半分で「俺は俺という宗教の教祖だ!」などと訳の分からないことを口走ったこともありました・・・ ま、それはおいておきまして、このたびの「迷い」に至ったきっかけは、(1)ある宗教を信仰している友人と「信仰」に関して深く話をした(彼の話は客観的に聞きました。彼の考えに対しては、あるがまま、素直に耳を傾けました。)それをきっかけに、(2)今自分が座右の書としている著者の信仰していた宗教はなんだろう?その著者のルーツ(宗教にあると仮定しております)である宗教に触れることで更に学ぶ所があるのではないか?・・・とそんな感じです。 調べた結果、著者はカトリックだったらしいです。 最終的には何にしても決めるのは自分。結果の原因も自分。 信仰に完全に依存するつもりは毛頭ありません。 人生の目標を達成するための手段として、いままで明確ではなかった自分の信仰心をはっきりさせて見ようかな、と思ったのです。 そもそもこんな目論見で選ぶなんてどうなんだろう?なんてことも考えたりしますが、 皆さんのご意見をお聞かせください。

  • 「宗教」について

    おはようございます。 ご回答者様によっては「また、それか・・・」で、すみません。 (広辞苑)「宗教」・・・神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事 ・・・「仏教は、宗教か?」ということで、考えてみました。 (宗教の特徴) a 現世及び来世における「ご利益」を期待する b 「価値判断」の、一部及び全部の「丸投げ」が有る (曰く「儒教は「宗教」ではない」、ですが、善悪ということを規定されている以上は、やはり「宗教」ではないか、と) c 経済的、もしくは奉仕活動的な「貢献・献身」を、求められる d 儀礼等に関して、形式的な約束事が多い e 他者に対して、入信や改宗などの強制・勧誘が見られる f 他の宗教や教義・流派などを、認められないことが有る ・・・まあ、これくらい定義しまして、 すると、私の考える仏教では、「ある「表現」」について、「ある人が、そのように表現した」と認識することで、別に、その教義や宗派などを否定することは、無いと思うんです。 そこで、「何が訊きたいの?」ですが (1)ある「宗教」は、他の「宗教」(・教義・流派)を、認める事が、可能なのかどうか (2)やはり「仏教」について、仏教と「宗教仏教」を分ける事が妥当ではないのか (3)それらに関して「この本を読むと、いいよ」という本やテキストの、ご紹介 を、宜しくお願い致します。 (カテゴリ選択)