文明の進歩の目的とは?

このQ&Aのポイント
  • 文明は進歩することで人間の生活を便利にし、生産効率を高めていますが、幸せや幸福感とは直接関係がないように思われます。
  • 文明の進歩は一人当たりのGDPの増加などで測られますが、それが生活の快適さや幸福感と一致するわけではありません。
  • 具体的な目的は人間の幸福ではなく、生活の便利さや経済の発展にあるのかもしれません。
回答を見る
  • ベストアンサー

文明は何のために進歩していくんですか?

文明は何が目的で進歩していくんですか? 文明は絶え間なく進歩していますが、それによって最終的に何を目指してるんですか? 少なくとも文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係のように思えます。 例えば昔なら車や飛行機、鉄道の発明。最近なら情報技術の飛躍的発展など。 文明が進歩すると人間の生活が便利になり余暇が増え、幸せになるかというと、そうではなく、ただ単に生産効率を高めているだけですね?昔なら10日かかっていた仕事を一日で、あるいは一時間で、という風に。 昔に比べて一人当たりのGDPが増えてるだけで、生活の快適さや幸福感とは何の関係もないように思われます。 文明の進歩は何を目的に行われているんでしょうか?

noname#153988
noname#153988

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

Q、文明は何のために進歩していくんですか? A、人類が存続していくために。 人間と犬や猫との決定的な差は、自然を自らの存続のために高度に利用している点です。 この人間の自然への働きかけは、人が人として生きる基本的で永久の条件です。 こういう人間と自然との関係を基礎に文明が生まれ文明が発展してきました。 >少なくとも文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係のように思えます。 そうです。 人間社会の歴史を振り返れば、<文明の進歩と個々人の幸せとは無関係>と断言できます。 例えば、自動車産業などは現代文明の象徴です。 日本の自動車産業のトップメーカーは、実に莫大な利益を上げ続けています。 ですが、その工場で働く派遣労働者は、彼がやっと生存できる賃金した手にしていません。 少なくとも、1100万人のワーキングプア層にとっては<個々人の幸せとは無関係>と断言できます。 >昔は電話なぞ村に一台しかなかった。 >しかし、今では派遣労働者だって携帯電話を持っている。 >十分に文明の恩恵を得たいるし、その事に感謝すべきだ。 などと言う議論は、現代日本の自動車産業の矛盾・闇から目を背けたものです。 文明が進歩すれば、その生活様式が変化するのは当たり前のことです。 ですが、万人に等しく<生活様式の変化=幸福>という等式が成立する訳ではありません。 <ブラウン管TVから液晶TVへの変化>が、何か幸福をもたらしましたか? 否、否、否、断じて否です。 今や、どこの生活保護家庭だって液晶TVはありますよ。 つまり、<文明の進歩による生活様式の変化と個々人の幸せとは無関係>と断言できます。 ところで、<文明の進歩と個々人の幸せとは無関係>という文明と個との矛盾を正すのも文明。 かっては、領民が領主に対して文明と個との矛盾が存在していました。 それは、永遠不変の真実かのように思われていました。 しかし、人類はそれを克服して近現代に突入。 この歴史を考えれば、私らが目にしている矛盾もいずれは正されることと思います。 人類が存続していくために。

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。おっしゃる通り。携帯やテレビがあるから昔の人より幸せだというのは、単に生活様式の変化を指摘してるだけの議論だと僕も思います。しかし文明の進歩と個人の幸せがイコールにならない矛盾がいつか解消される日が来るのでしょうか…。

その他の回答 (7)

noname#194996
noname#194996
回答No.8

>文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係 幸福の概念が異なれば当然そうなります。 >文明が進歩すると人間の生活が便利になり余暇が増え、幸せになるかというと、そうではなく この感覚は貴方が間違っています。 >人間の生活が便利になり余暇が増え  われわれはこれを普通、しあわせの指標にしているのです。 文明の進歩は普通、長く生きられるようになったとか、遠くまで早く行けるようになったとか、風呂を労力少なく浴びれるようになったとか、歴代のハリウッド映画を廉価で気ままにみれるようになったとか、夏も冬も快適に過ごせるようになったとか、そんなことを指すのですが、それが「幸福感」につながっていない人間なら、進歩はないとかんがえられるのも当然ですが、。 多数の人はそれらを目指すことを幸福と規定し、現在もそれらを追求しているのです。 しかし、それは人間という生物の種の進化とは無関係だと思います。むしろ、文明の進歩は生物としての人間の退化につながっているという人もいます。人間は意識しないところで自分たちの種の進化に寄与しています。それはDNAのレベルでの事象です。そして、それは現在の人間の意識している目的のようなものとはベクトルが異なっているかもしれません。 質問者樣が書かれる、個の存在よりも種の存続のために世界が動いているということは生物としては当然のことですが、文明というものが果たしてその方向なのかは、はっきりいってわかりません。人間が利己主義的に意識できることはそのレベルにとどまるので、それ以上のことは確実にはわからないと言っていいと思います。あるいは人間の文明の進歩は最終的に絶滅へ向かってプログラムされているのかもしれません。はっきりいってそれが人間自身の利己的な目的を無視し、制御の範囲を超得ていることは確かです。

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。大事なのは幸福の定義ではなく、人間が進歩を止める事が出来ないようにプログラムされているのは何故か、その最終目的は何かと疑問を感じたのですが、「分からない」というのも1つの答えで結構だと思います。

回答No.7

No.4です。 >現代社会はそのような利器を駆使して生活するのが前提となっているので。 先ず、間違っています。「駆使」するのは「前提」になんてなっていません。「無くても困らない。無くても十分生活していけるし、幸せに暮らせる」ものも含まれています。 (大体、「駆使」の意味を分かっていますか) 「それらがないと、生きていけない」 ならば、貴方にとっては「それらが身近にある」事は「前提」でも「当たり前」でもなく、「有難い」「幸せ」なのです。又、 >もし時代ごとタイムスリップできるのであれば、そのような利器がなくても生きていけると思います。 斯様な質問(愚問)をし、「ああ言えばこう言う」程度の愚にもつかない返答をしている貴方には、「無理だ」と断言します。もし、「生きていける」人ならば、この様な質問自体しないからです。 貴方の考え方は、即物的に過ぎる上に短絡的です。 貴方自身、自分は何か哲学的な疑問を発しているかの様に感じておられるか知れませんが、ただ単に、 「自分で自分を幸せにする力が無い」 「自分の内(心)に確固たるものが無い」 「自分自身の力で、自分の内(心)を満たす事をしていない」 「精一杯、一所懸命生きていない」 「自分で勝手に不幸せぶっている」 「自力で幸せになろうとしていない」 「というよりも、自力で幸せになる気がない」 「何も努力せず、ただ不平不満を溢している」 だけの人に他ならないのです。 大体、 「何が幸せか、何に幸せを感じるかは、個人がそれぞれに定める事」 「幸せは、人それぞれ」 という「大前提」を無視しています。 「文明の発達によって、『全ての個人』が幸せを感じられない」 「文明の進歩と『全ての個人』の幸福に関連性がない」 という事を「証明」しなければ、貴方の質問文は、 「僕は幸せじゃありません。便利な物が沢山あって、苦労せずに生活出来るけど、何か物足りなくて満たされない。 だって、誰も僕を愛してくれないし。 どんなに文明が発達しても、僕を愛してくれる人は簡単に現れない。寧ろ生活が便利になり過ぎて、結婚が難しくなっちゃった。 もっと不便な時代なら、誰でも当たり前に結婚してたのに。 文明が進歩しても、僕に『愛してくれる人との生活』という幸せは与えてくれない。 だから、文明の進歩は僕個人の幸福と関連性がない」 という本音が隠されているかの様です。

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。僕はまず、文明の進歩が個体の存続より種の存続のための営みという側面にに着目し、その最終的なゴールは何か、何を目指しているのかなという素朴な疑問を質問しました。

  • Knotopolog
  • ベストアンサー率50% (564/1107)
回答No.5

人間の遺伝子DNAがそうさせている! 人間も棲息する,百数十億光年の彼方まで続く,この大宇宙は,エントロピーの増大に向かい,混沌の世界へと進んでいます. 50億年もたてば地球も消滅します.人類の文明など,はじめから無に等しいのです. 人類の文明の進歩は,一時的な現象で,やがて滅びる運命にあります. 文明の進歩の目的などと言うものはありません. 人間一人一人が,食うための行動・出来ること・好きなこと・やりたいこと,などをしているうちに,こんな世界が出来あがってしまっただけです. そして,全てが滅亡に向かっています.花火のように,パッと輝いて,スーッと消えます. どんな文明でも,パッと輝いて,スーッと消えるのです.過去の人類の文明が,いい例でしょう.みんな,パッと輝いて,スーッと消えています. 何の目的で進歩したのかを語らずに,みんな消えました!! みんな消えて行ったんです.エジプト文明も・・・. 我々も,やがて,消えて,バラバラな原子に戻ります. 誰も止められません・・・・・.

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。そうなんですよね。生物は遺伝子の命令に従って動いてるだけ、という面が確かにあると思います。でも文明の進歩を見ると一定方向を目指して動いているとしか見えないのですが…。

回答No.4

>文明の進歩は何を目的に行われているんでしょうか? 「人間個人の幸せの追求」ですね。 >少なくとも文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係のように思えます。 そう思う・思えるのは、貴方(若しくは、貴方の様に考える人)が「傲慢」だから、或いは「欲深い」からです。 人間の欲望(幸せの追求)には限りがありません。 今まで持ち得なかったものを手に入れると、暫くは感謝し満足し喜んでいますが、 早晩、感謝や有難みを忘れ、「もっと」「もっと」となるものです。 (だからこそ、「足るを知る」という言葉があるのですが) 先の回答者さんも書かれておりますが、 例えば、貴方が「お風呂に入りたい」と思ってから実際に入れるまでに、どの位の時間が掛かりますか。 蛇口をひねればお湯が出て、浴槽を満たすまで10分か15分もあれば十分ではないですか。 貴方にとってそれは「当然の事」で、敢えて「幸せだ」「便利だ」「助かる」と感じる事のないものなのでしょう。 しかし、それは、 「外の井戸から水を汲み上げてバケツで何往復もして浴槽を満たし、風呂釜に火を起こし、薪をくべて(薪割りは前もってしておく)、時々燃え具合を確認し、何度も薪を継ぎ足して、浴槽いっぱいの水がお湯になったら、お風呂に入れる」 (所要時間:水汲み(10l×12回=120l)30分+風呂焚き1時間=1時間半。+日中に薪割り1時間) という「ほんの数十年前には、日常の事だった」事を経験していないからです。 子供の頃に、水の入った重いバケツを何度も運んで、斧を振って薪割りをした人からすれば、 「蛇口をひねるだけでお湯が出る。なんて有難い事だろう」 「こんなにすぐにお風呂に入れるなんて、助かるなあ」 「楽してお風呂に入れるなんて、幸せだ」 等と「文明の利器(文明の進歩)」に感謝するでしょう。 (お年寄りの方達は、実際に感謝したそうです) 電気にしても、また然りです。 貴方にとっては、「電気があるのが当たり前」「だから、わざわざ有難がらないし、幸せだとも思わない」のでしょう。 >(文明の進歩は)生活の快適さや幸福感とは何の関係もないように思われます。 それでは今すぐ、 「電気」「ガス」「インターネット」「パソコン」「テレビ」「冷蔵庫」「レンジ・オーブン」「電車」「自動車」「自転車」「コンビニエンスストア」「缶詰」「レトルト・冷凍食品」「インスタント食品」「輸入野菜・果物」「雑誌」「書籍」「石油ストーブ」「温風ヒーター」「エアコン」「こたつ」「太陽光発電」「携帯電話」「ゲーム機器・ゲームソフト」「映像作品」 等「文明の進歩の結果」を一切合切全て排除した生活を送って下さい。「文明の進歩は、生活の快適さや幸福感とは何の関係もない」と思うのなら、これらは「貴方の生活には一切必要でないもの」の筈であり、「無くなっても全く困らないもの」の筈です。 貴方の疑問は、そういう事ですよ。 それと、 >人間の生活が便利になり余暇が増え、幸せになるかというと、そうではなく そんな事はありません。それは「人によりけり」「人によって違う」事です。 ただ、 「強欲」 「無能」 「自分で考えて行動出来ない」 「自分の考えというものが無い」 「自分の中に知恵や知識、経験の蓄積が無い(少ない・足りない)」 「自分の人生に対する長期的展望を持っていない」 (「持てない」というのはただの言い訳で、事実は「持たない」) 「学ぶ事、働く事、鍛える事が好きではない」 という人ならば、「生活が便利になり、余暇が増えても、幸せにならない」でしょうね。

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。確かに電気、ガス、インターネット…等がなければ生きていけません。現代社会はそのような利器を駆使して生活するのが前提となっているので。もし時代ごとタイムスリップできるのであれば、そのような利器がなくても生きていけると思います。

noname#160321
noname#160321
回答No.3

>昔に比べて一人当たりのGDPが増えてるだけで、生活の快適さや幸福感とは何の関係もないように思われます。 これに関して有名な生物学者でエッセイストの故スティーブン・グールド教授はエッセイの中で、以下のように述べておられます。 「墓地に行ってご覧なさい。1940年代以前の墓碑銘にいかに幼児の比率が多いか。(米国の例です) 古き良き昔などというものは存在しませんでした。抗生物質や先進医療が発達する以前の人間は非常に簡単に死にました。特に乳幼児の死亡率は悲惨なほど高く、人口増加が維持された背景に母親は数人の子供を産み、半分が繁殖年齢にまで達すれば御の字でした」 いま、我々はもう第二次世界大戦の前の世界の事を忘れています。 結核は「死病」であり、平均寿命は五十歳、主たる産業は農業で女の子はしばしば身売りさせられて売春婦になりました。 次男以後の男子はとびぬけて頭が良くても中学にも行けず、庄屋などの富農の子かパトロンが居なければ大学などへ行く事は夢のまた夢でした。 ですから次男以後の男子が不自由なく暮らすには軍人になるしかなかったのです。

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。確かに先進医療のおかげで平均寿命は伸びました。しかし、医療が進歩するほど患者の苦悩も増えている、と僕には思えてなりません。昔なら不治の病ということで諦めていた命も、医療の進歩のために、手術だ、入院だ、抗癌剤だ、臓器移植だ何だのと、莫大な医療費と肉体的苦痛と精神的負担を患者と家族に負わせている現実を見るにつけ、本当に昔の人より現代人の方が幸せと言えるのかなと疑問を感じています。

  • tsukiguma
  • ベストアンサー率13% (27/195)
回答No.2

さぁ~ なんだろうね~ その質問は 誰に何の得があって人は生きてるの 並みの難しさだよね~ 確かに文明の進化によりメリットは増えるけど それ以上にデメリットが増える 殺人犯罪、人身売買、権力犯罪がいい例 まぁ 本当の幸せなんてだれにも分からないしね 家族が居て、愛する人が居て俺は幸せだ 的なあれとは違う意味で まぁあれじゃないかな? 本当の幸せが分からないから探しているような物じゃないかな? 文明の進化が本当の幸せに繋がるとは限らないけど可能性があるならやるべき 的なあれの意味で

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。そうですね、答えが分からないから追求している、というのはある意味正論だと思います。

回答No.1

生活は快適になっていると思いますが。 原始時代の人からしたら毎日ご飯が食べられて明かりがあって気温の調整が出来る。 これだけでも十分快適になっていますが。 それと幸せが必ず結びつくとは思えませんが、そう考える余裕があるというのは十分幸せだと思います。

noname#153988
質問者

お礼

回答ありがとうございました。明かりがあって気温の調節ができるのは確かに有り難いですが、そのために昼夜なく働かされるような環境が出来てしまったのも事実です。

関連するQ&A

  • 文明が進歩するほどに人は不幸になる気がしません?

    そもそも人間とて動物です。動物は子孫を残すことが役目です。人間だって最初のころは他の動物と大差なく、自分たち動物の使命を素直に忠実に果たしていました。ところが、文明を進歩させる能力を唯一持っている人間は、文明を高度に発展させ、今日のような世界を作り上げました。 おかげで、いろいろと「便利」にはなりました。でもそれは、本質的な「幸せ」でしょうか? 便利と幸せは違うと思うのです。私たちは「便利」に目を覆われ、文明を進歩させてきました。だけど、私は文明が進歩すればするほどに、実は人間は自らを不幸にしているのではないか、という気がします。 原始時代の人間は、クレジットカードの不正利用を恐れて悩んだりしたでしょうか? 原始時代の人間は、原発による放射能を恐れたでしょうか? 原始時代の人間は、敵国の攻撃を恐れ、軍隊を作ったでしょうか? 文明を発展させればさせるほど、私たち人間が不幸になっていく。 皆さんはどう思われますか?

  • 文明進歩の速度について

    人類が定住生活を開始して文明というものを築き始めてから4、5000年でしょうか? 人類という種が誕生してから何百万年から考えれば、わずか4か5000年です。 そのうち人類が馬より早く走る手段を手に入れたのは、わずか200年かそこら前です。 遠くの人間と直接会話できるようになったり、空を自由に飛べるようになったのは100年くらいに過ぎません。 それから50年くらいで人類は月を踏みました。 なぜ文明の進歩の速度はどんどん加速しているのでしょうか? 定住を開始してから1000年くらいで都市を築き国を築き、文字を使い鉄器を使うようになったのに、 なぜそれ以前の何十万年の人類にそれができなかったのでしょうか? 産業革命から200年で昔から考えれば神の世界に等しい文明が今日築かれているのに、 それ以前の何千年なぜそれができなかったのでしょうか?

  • 人類史と文明の尺度

    人類史と文明について、よく科学技術?は指数関数的な速度で発展しているといいますが実際に文明度を何かで測定?表現して、グラフにしたような説明は無いのでしょうか? 個人的に色々考えて文明の尺度として用いるのは、「概念の数」、つまり「単語の数」がよいのではないかと思います。日常生活に必要な単語の数はおそらく人類発祥の時からさほど変化はしていないと思います。しかし新たな発見や発明があると、新しい学問ができその学問分野について専門的な単語が 飛躍的に増えていきます。普通の辞書に載っているような単語だけではなく、工学、化学、物理学、 生物学、理論物理学、民俗学等ありとあらゆる分野の専門的単語を含め、 人類の持つ単語の総数こそが文明の尺度として最適だと思うのですが、そういうグラフ、 データなどは無いのでしょうか?

  • アフリカの文明

    なぜ、アフリカでは西欧ほどの文明が発達しなかったのでしょうか? エジプト文明は実は黒人の文明だった、という説もあるらしいですが 結局は残らず衰退してしまいましたので明らかではありません。 他にも遺跡などがあってある程度の文化が発達していたことは認めます。 コロンブスがアメリカ大陸を見つける以前に アフリカ人が舟(船じゃなくて)で南アメリカに辿りつき、 そこで新たな文明を起こした説もあるらしいです。 しかし、16世紀にヨーロッパ人が攻め込んできたときには成す術もなく、 奴隷にされてしまいました。 一部の差別的な人達はSATやGREの結果などを見て「黒人は知能が劣っている」と言います。 それは明らかに間違いなのでしょうが、 ヨーロッパでは薬とか機械とかどんどん新しい発明が生み出されていたのに その一方でアフリカでは比較的立派な文明が存在せず、今でも開発途上の国が多いと聞きます。 これはどう考えればよいのでしょうか? 以前、ある人類学者と話す機会があったのですが、その方が言うには 「寒い気候の地域では物事を工夫しないと生きていけない。 温かい気候の地域では資源はたくさんあるし、 工夫しなくても生きていけるから文明が発達しにくいんじゃないか」ということでした。 半分納得したのですが、温かい地域でも工夫は必要でしょう、やっぱり。 未だに採集狩猟生活を続けている地域では毎日の食料確保も難しいと聞きますし。 本当に気候と学習能力との間に深い関係があるのでしょうか? 疑問だらけです。 (アフリカの)文明・歴史について詳しい方、いらっしゃいませんか?

  • 文明人として生きることに疲れていませんか?

    前置: 今、引越し準備をしているのですが、常識の基準からいって、非常に時間が掛かってしまっています。 普通の人は仕事をしながら、一週間くらいで終わらせてしまうんだろうなとは思うのですが、 自分は仕事もしていないのに、この作業に一ヶ月は掛けようとしています。 なににそんなに時間がかかるのかというと、ゴミや不用品の処分などです。 特に書類は必要なものと不必要なものがごちゃ混ぜになっていて、その仕分け作業が非常にしんどいです。 もともと、仕分けという作業は仕事でもしたことがあるのですが、私にとってそれは特に苦手な作業なんです。 加えて、後から必要になるかもしれないと思うものがあると、迷ってしまって、 更に時間が掛かり神経を消耗して、その日はそれで終わってしまう程です。 そして、迷ったものは捨てないことになるため、その分引越しの荷物は減らないことになってしまいます。 そんな具合ですから、こちらが完了のメドがつかないため、 なかなか業者などとアポを取ることもできず、ズルズルと時期が遅れていくのです。 また、他にたくさん手続きがあり、どれも他人と関わることなので、その都度アポを取ったりしないといけないのですが、 それらの時期が重複してしまったり、外の天候や、同時に複数の書類を持ち歩くと無くすかもしれないなどと考えると、 一つが終わってからでないと次のアポを取れないため、またそれで時期が掛かってしまうんですね。 普通だったら、一日に雇用保険申請と引越しの見積もりなどと2件はこなせると思いますが、 私は、それをすると頭が混乱するのと、知らない他人と関わることで疲れ果てるため、それは出来ないのです。 なので、手続きが10件あれば、それだけで、最短でも2週間は掛かってしまうんです。 最近、雇用保険の申請をしてきましたが、必要書類を揃えることでも、 自分の書類の山からそれらをかき集めたため凄く疲れたのと、職安での手続き(職安の職員の対応は良かったですが)でも、 ものすごく疲れてしまって、翌日は寝込んでしまったくらいです。 寝込んだことに関しては、友達に怒られてその後連絡がないことも要因になっているとは思いますが、 それにしても合計で16時間は寝たのは、それだけじゃないなと。 本題: そして、ここからが本題なんですが、こんな自分の性格を直したいとかは思わないのです。 直るわけがないというか、直したいと思わないからそれが自分の性格なわけですからね。 それでも、この文明社会で生きるには、私は繊細すぎるし、弱すぎるというのは、紛れもない事実だと認めています。 一般には”非”文明の方が野蛮というかワイルドな印象を受けるでしょうけど、物を所有するという概念が無い非文明人は、 物を無くす心配はあまりしなくてもいいわけです。それに必要な書類なんてものも存在せず、それを管理する手間もありませんよね。 ちなみに、強いとか弱いとかいう概念はその環境に依存するので、非文明に適している人は文明世界では弱者になる得るのでしょう。 そう考えると、私が特に人生で他人より多く躓く部分はどれも自分が文明人に属しているが故のことのなのです。 なので、こういうときは特に、未開の地や無人島などに引き篭もりたいなどと考えてしまいます。 でもそれだと、寂しいので同じような人たちが集まって、皆で一緒に未開の地を開拓したいなんて夢見たりします。 その世界は私にとって面倒なことは何も無い世界でしょう。 その世界では、難しい書類を書かなくてもいいし、ややこしい手続きなんてものはないし、税金も健康保険や年金の支払いもないのです。 なので、そんな余計なことは考えずに食料の調達に専念できます。 そもそも考えてみて下さい、食料の調達という作業は、 人間にとって絶対的に楽しいものであるとが運命的に決まっていると思いませんか? たとえば、子供が農園で収穫をしているとき、誰もが笑顔ではありませんか? それは、自分が収穫したものを自分で食べることまで考えるからでしょうね。 一方、一般の労働者はそれが直接的でない、つまり、 それが社会的地位を守るためであったり、税金を納めるという側面が大きいためか、 仕事をしているときに幸せを感じている人は少ないと思います。(せざるを得ないという感じでしょう?) 我々は文明人ですが、文明人として生まれることを希望したというより、文明世界で誕生したというだけのことで 文明人として仕方なく生きているという人は少なくないのではと思います。 私のこういう夢想を無政府主義というのでしょうか、確かに権威というものがなければ、 何かを督促してくる存在はないことになるので、自分の本来の人生の目的に専念できそうです。 たぶん、私が理想としている社会は古代ガリア人やアメリカ先住民のインディアン等の社会だと思います。 古代ゲルマン人の一部に暴力的な部族が居たと思いますが、そういうのは非文明である以前に野蛮人なので好みません。 それがいえるなら、文明人でも野蛮人はいるかもしれないということです。 ここで私の定義する野蛮とは暴力で物事が決まる仕組みのことです。野蛮と非文明は同じではありません。 長くなりましたが、このような私の考えについてご意見ください。

  • 人類の進歩を可能にするのは、どんな種類の人間か ?

    “ 人類の進歩を可能にするのは、どんな種類の人間でしょうか。それは天才たちです。ですから、あなたがたは天才たちを再評価して、彼らが地球を指導するのを可能にする必要があります。  これまで権力を握ってきたのは、他の者より肉体的に力が強い野蛮人、こうした野蛮人をたくさん雇える資産家、希望を振りまいて、民主主義国家の国民の心を巧みに捉える政治家、といった人たちです。そして言うまでもなく、野蛮性を合理化する組織を踏み台にして、自分たちの勝利を勝ち取る軍人たちに、次々と権力を与えてきたのです。  あなたがたが決して権力を与えてこなかった唯一のタイプの人間こそ、人類を進歩させてきた人たちです。車輪や火薬、内燃機関、原子力などを発明した人たちです。こうした天才による平和のための発明は、彼らより知性の劣る権力者が、しばしば殺人のために利用して恩恵を被ってきました。こういうことを変えなければなりません。” “  統治形態の変遷小史  人類が誕生して以来、一体どのように人間は統治されてきたのであろうか。 今でははっきり言えるが、まず最初は、最も強い者たちが、自分たちの掟を他の者たちに物理的に押しつけたのである。  強者はその力によって、富や財産を蓄積していった。強者の子供たちは、その富を相続し、こうして強者の統治は有産者の統治へと移っていった。  有産者は統治し、彼らの従者の中で最も知恵のある者たちによる緒発見によって、次第に知識を獲得していった。  次に有産者たちは、専門知識人による統治を実現するため、かれらの知識を民衆のすべてには与えないように気を配った。  こうした専門知識人たちは、世襲の優越性を一般民衆に信じさせて、民衆を搾取し抑圧し虐待したのである。  やがて民衆は、こうした専門知識人たちを打倒し、自分らを統治する他の専門知識人たちを民主的に選び出すにいたった。 「権力の座についた知識人」であった。  しかし、知識は知性ではない。だから、事はうまく運ばない。なぜなら、知識というものは、どんなコンピューターでも行うことのできる記憶作用にすぎず、それによって問題の解決策を発見することはできないからである。  そこで「統治する知識人」は、その権力を保持するために、天才たちの発明を利用し、善意の発明家たちが考え出したものを殺人目的に利用した。  ついで「統治する知識人」は、管理の技術を教える高等専門学校を創設した。つまり、「高級官僚」の養成である。これらの高級官僚は、他者の発明を、自分たちの利益のために利用して統治することを学んだ。  権力を持つ天才が、権力を持つ知識人にとって代わらなければならない。 高等専門学校が提供するのは天才では全くなく、いっぱいに詰めこまれた記憶でしかない。良識と知性を獲得するのに、この学校を卒業する必要はない。  どの世代も、発明家たちを生み出すが、人類という種の生存を危険にさらすために、権力がそれを利用する。そして、こうして利用され裏切られた発明家たちは、自分の発明品が、罪もない人びとを殺りくするために用いられるのを見て、嘆く。  こうしたことは、もう続いてはならない!  人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。それは、統治している時に、自分たちに何ができるかを示す機会をすべて持っていた、筋骨たくましい乱暴者や有産者、専門知識人、政治家、軍人のいずれでもない。そうではなくて、それは、自分たちに何ができるかを示す機会を全く持つことができずにきた唯一の人びと、すなわち天才たちである!   思考し、反省し,想像することに他の者より適した者が、社会の管理のために利用されるべきである。それは、人体が脳細胞を、その管理のために利用するのと同じである。  天才をして人類に奉仕させること、ここにこそ「天才政治」の意義がある。    ( ラエル ) ” _ しかし、知識は知性ではない。だから、事はうまく運ばない。なぜなら、知識というものは、どんなコンピューターでも行うことのできる記憶作用にすぎず、それによって問題の解決策を発見することはできないからである。 そこで「統治する知識人」は、その権力を保持するために、天才たちの発明を利用し、善意の発明家たちが考え出したものを殺人目的に利用した。_ _ ついで「統治する知識人」は、管理の技術を教える高等専門学校を創設した。つまり、「高級官僚」の養成である。これらの高級官僚は、他者の発明を、自分たちの利益のために利用して統治することを学んだ。_ _ 権力を持つ天才が、権力を持つ知識人にとって代わらなければならない。_ _ 人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。_  上記はまさに政変、 歴史上では太字で改革とか革命に相応しい内容であるとかんがえられますが、 今後における賛否、所信などありましたらお教えください ? ” 私たちは毎日、天才たちの想像力、熟慮反省、および苦労の産物からの恩恵に浴している。一日中、私たちは、平均より優れた頭脳を持つ人間の力によってのみ誕生した物を使っている。電球からテレビへ、自転車から自動車へ、冷たい水道の蛇口から洗濯機へ、タイプライターからテープレコーダーへ、ピアノからステレオチャンネルへと、私たちの生活をより容易に、より快適にしているこれらの物はすべて、その想像力によって、与えられた諸問題に対して、新しい解決策を発見することのできた人びとのおかげなのだ。”

  • 科学技術の進歩は必ずしも人間を幸せにしないのではないか?

    暇人の質問をお許しください。 私は、今、数学や物理学、機械製図の勉強をしている者ですが、最近、人間の幸せは科学の進歩とはイコールではないのではないかと強く思っています。 1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になったはずですが、排気 ガス、交通事故、車社会のために子供たちが外でのび のびと遊ぶ自由を奪ってしまったなど考えられないで しょうか。 2、また、パソコンの開発により、人間は大量の仕事を 効率よく短時間で処理する事が可能になった。本来な らば、その余った時間は自分の時間を得られるはずな のに、逆に仕事量が増え、トータルで考えれば、以前 より仕事量は変わらないか、以前より増えたのではな いか? 3、イネの品種改良で、害虫や寒さに強いイネを作り出 して、以前より人間の飢えなくなったことは多分幸せ な事だと思いますが、その結果、人口爆発によって地 球上の人類全員分の食糧を供給できないのでは? 4、僕はイヌ、ネコの方が人間より幸せそうに見えるの ですが、だとしたら人間が作り出した科学技術や哲学 や文明は何の為だったのでしょうか。 科学技術の進歩で幸せになるのならば、21世紀より20世紀の人間の方が不幸であり、20世紀より19世紀の人間の方が不幸だったのですか?そんな事は無いと思います。 科学技術の進化は功罪いずれもありますが、功<罪ではないかとの思いにとらわれています。 しかし、今、僕が利用しているインターネットも科学技術ですよね。 長文すみません。 僕は、気楽に哲学や科学を語れる友達がいないのです。 皆さんの率直なご意見、ご批判を是非お聞かせください!

  • 家事は何故必要?人間は何故自殺できない?

    家事って何のためにやる必要があるんですか? 目的も意義も見出だせないものに毎日努力を続けても、疲弊するばかりです。 毎日生きてても面白くないです。 幸せになりたいのに、幸せなはずなのに、幸福感が得られません。 死んでもいいとも思います。 人間って何のために生きなくちゃいけないのですか? 何故自ら命を断ってはいけないのですか? 死んではいけないのなら、 誰か私に生きなくちゃいけない決定的な理由を教えてほしいです。

  • 星新一さんの作品で・・・タイトルを忘れてしまって

    星さんの本だと思うのですがタイトルを忘れてしまって困ってます。 2つど~しても思い出せません。 (1)「男性にとって処女が魅力的で何故処女が魅力的だなんて解らないが流行なのでとにかく男性は処女と結婚を望む世界で処女か非処女か見分けるために色々な薬や機械を発明に発明を重ねて文明を築いていく話です」(2)「人間は好奇心旺盛な生き物で自分が儲けなくても儲けてもそれに関係なくても興味を示すような事を語っていた内容です。」

  • 日本も人口5千万ぐらいだったら幸福度も高かった?

    日本も人口5000万ぐらいだったら幸福度も住みやすさも個人GDPも高かったでしょうか? 人間が多いって商売する時以外で良い事って何もなくないですか? 例えば金持ちは人間がうじゃうじゃ溢れる連休などは旅行にいかないのだそうです 通常の平日に旅行にいくのだそうです、もちろん理由は快適だから。 お金をとる立場の時だけは人間が多いほどターゲットが増えるのでいいけど それ以外の時って少ないほど良いですからね。 旅行だってコロナ禍の方が客からすれば天国状態、金を取る側からすれば地獄状態 例えば鉄道会社からすれば満員電車は天国、客からすれば地獄みたいなね。 幸福度ランキングとかみても人口が少ないまたは人口密度が低い先進国ほど高く、 日本や中国等みたいに人間が多い国ほど低くなってますからね。