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過去の罪

私は中学の頃から やんちゃに目覚め、 地元では一番の不良でした。 そのため他中とのいざこざは絶えませんでした。 私が15の時に他中のAのグループに袋にされ五ヶ所の骨折 頭蓋骨粉砕骨折にあい 入院中ずっと復讐する事ばかり考えていました。 そして私が17の頃Aのたむろしている場所を見つけたのでパク車でAを轢きつけて少年院にはいりました。 21になった今友達からAが車椅子生活になった事を聞き。 罪悪感と人の人生を大きく狂わした事に自己嫌悪と嘔吐がとまりません。 Aに謝罪にいきたいのですが勇気がでません Aが私の顔を見たくないのは分かります。 本当にどおすればいいでしょうか? 友達も少なく相談出来る親友もいないのでここに書き込ませていただきました。

みんなの回答

回答No.10

不良少年の更生なんてありえません。犬なら狂犬病。すなわち人間として病気なのです。年を重ね血気盛んな頃の力が衰えただけ。あなたは本心から反省はしていない、謝罪は都合がよい逃げ道。 従って死ぬまで苦しみ悩むことしかできません。

回答No.9

一回の謝罪ではAさんは納得しないでしょう。 自分が納得でき、自己嫌悪がなくなるまでAさんのもとに通い続けられますか? 最後までやりたいなら辛くても行くべきです。 弱い自分を優先させたいのならば行かない方がいいです。 罪悪感をずっと持つ事になりますが、こういう状況下で逃げ出す人間が沢山居る事も事実です。 言いたい事がひとつ。 生きる為には幸福でなければなりません。 もしここの回答を読んで、罪悪感に気が触れてしまう様でしたら、ここの意見に左右されない方が良いのです。 罪悪感は他人が与えるものでは無いですから、自分が狂いそうならば罪悪感と自分を一旦切り離してもいいのです。

回答No.8

No.5です。 No.7さんは頭蓋骨が骨折するほど袋叩きにされるという状況を理解できますか? 17歳という年齢でそれを受けてどれほどの精神状態になるか理解できますか?。 仮に想像出来たとして自分は絶対復讐のために犯罪を犯さないという確信がありますか? あるのだとしたらよほど若いころから、しっかりした人格をお持ちだった方なのだと思います。 私はそこそこ悪いこともしてきましたし、犯罪者にならなかったのは言ってみれば運が良かっただけだと思っています。 質問者さんの文面が真実ならば、私は「犯罪者」と「一般人」という短絡的な切り分けはとても出来ません。 犯罪者になるかならないかなど、ほとんどの人が環境と運と少しの意志という紙一重の上に成り立っていると私は思います。

  • illy0206
  • ベストアンサー率1% (2/105)
回答No.7

No.5さんはNo.1さんを批判してるけど No.1さんのがよっぽどマトモな事言ってる。 なんで犯罪加害者の苦しみに共感しなきゃならんの? 被害者の気持ちはどうなる? そもそもAから手を出してきたからってか? 誰もが罪を抱えて生きているとか 犯罪者とミソもクソも一緒にしないでほしいわ。 刑期を終えたら罪は償えたってことなの? そうじゃないでしょ。 罪を犯すような腐った人間を「一般人」程度にまで 徹底して矯正する期間なんじゃないの? 加害者は刑務所から出ても罪を一生背負って生きるべき。 「いっそAが死んでいれば」 これが質問者さんの本音でしょ? 謝罪はAのためじゃない。自分のためじゃん。 Aの取り巻きにまたズタボロにされる覚悟ならいいけど そうでない「形だけの謝罪」なんてなんの意味もない。 謝罪は心の中でしとけ。

noname#139735
noname#139735
回答No.6

次の本を熟読してください。 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4894560046/ref=redir_mdp_mobile/377-2335679-0612860 この本のP187~190を参考にしてください。 これも挑戦してみて。 http://www2.wbs.ne.jp/~foryou/soul/soullist.html

camiro
質問者

お礼

すみません携帯で見てるので タイトルを教えてもらってもいいですか?

回答No.5

No1さんの回答はあまりにも質問者さんの苦しみを理解していないように思います。 私は質問者さんの気持ちが少しは分かります。 私は間接的にではありますが、人を一人殺しています。(間接的になので罪には問われていません) でも、今でも罪悪感があります。 それとは別に人の人生を大きく狂わせたことも2度程あります。 そんな自分はそしらぬ顔をして生きています。 それに対して強い罪悪感を感じていますが、どこかある意味で、「人間とはそういうものなのかも」と思っている部分もあります。 その時は気付かないが、後から考えると大きな罪だったということがあるという事です。 若気の至りと言うには度を越していると言われるかもしれませんが、様々なシュチュエーションや心情が悪い方向で絡まって表出してしまうということは多かれ少なかれ誰にでもある事だと思います。 極端な話、悪気がなく言った事で傷ついて自殺してしまう人もいるのですから。 本当に誰もが罪を犯しながら生きていると思います。 私はそれを後悔するなとは言いません。(私も今でも後悔しています) ただ、その様な後悔を抱えて生きているのは自分だけでなくほとんどの人が同じだという事をまず知ってほしいです。 誰もが、多かれ少なかれそういった影を持ちながら生きているのだと思います。 特に人生経験の長い年長者ほど、そういった罪悪感を多く持っているように思います。 それと、傷つけてしまった人に対して謝罪に行くのは本当に大切なことだと思います。 それはある意味では自分の為だとも思いますが、悪かったと思う気持ちをしっかり相手に伝えるこ とは、相手方の気持ちの整理にも役立つと思うのです。 もちろん今すぐには無理だと思いますが、徐々にでも質問者様を許す気持ちが生まれればそれは重要な意味のあることです。 ですから、どうか相手方に悪い事をしたという気持ちがあるのなら行動に移してほしいと思います。 最後に「自分のコントロール出来る事とコントロール出来ない事を区別する」という考え方を伝えたいと思います。 「自分を責める気持ちを忘れようとする」というのは「コントロール出来ない事」ではないでしょうか。 それを考えていても一切生産性はなく非合理的です。 なので、それはもうそれで一旦諦め、自分のコントロール出来ることを考えるのです。 例えば、過去に人を傷つけてしまったのなら、その分の気持ちで人に対し何か役に立つような事をするなど、 未来に対し、自分がコントロール出来ることのほうが、よほど生産的で合理的だと思います。 以上です。説教臭くてすみません。 がんばってください。

camiro
質問者

お礼

ありがとうございます。 正直Aが死んでれば楽になったんじゃないかとも思いました。 悩みって事は楽になりたいから悩むわけですもんね。

回答No.4

質問者様はもう立派な大人です ここは勇気を奮い立たせて、罵倒されることを覚悟で Aさんに会いに行きべきではないでしょうか Aさんもあなたと同様に かなりのやんちゃな生活をしてきたのでしょう 車椅子生活になった今 彼を支えてくれるような友達がどれだけいるのでしょうか Aさんのもとに行って 彼の支えになる努力をしてみてください 拒絶されても挫けずに足を運んでみましょう それがあなたに出来るつぐないではありませんか お二人に明るい未来がありますことを お祈りいたします

回答No.3

罪悪感を抱く必要はないでしょ。 そもそもAと彼の仲間達が貴方に重傷を負わせた。そのツケとして、今のAは車椅子の生活。Aの自業自得です。

回答No.2

仏教は罪を一生償わなければなりません。 キリスト教は懺悔すれば、罪はチャラになります。 一生償うか?懺悔でチャラにするかは、貴方の宗教観次第です。

  • cafeM
  • ベストアンサー率24% (233/950)
回答No.1

謝罪してどうなるのですか? Aの足は元に戻りますか? 謝罪をしたいのは、自分の心を軽くしたいからです。 もしくはAがすでに立ち向かってこれない体に なっているとわかりきっているからかもしれません。 いずれにせよ、謝罪したいのはAのためではなく 自分のためです。 謝罪という行為で、自分の中で罪を軽くしたいだけなのです。 それはあなたが心の中で行えばいいことです。 Aが顔を見せに来いや、と言っているのでなければ 行ってはなりません。 傷口に塩をぬるような行為です。 ひと一人の人生をめちゃくちゃにしたことを 一日たりとも忘れず、毎日心の中で謝罪して生きてください。 つらいでしょう。 でもAはもっとつらい毎日を生きています。

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