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運命の定義って?

reneの回答

  • rene
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回答No.3

別に宗教的な回答じゃないです. 私たちはある行動を起こす時, 背反する2つ以上の行動を同時に起こすことは不可能です. 例えば,眠ることと起きていることを同時にすることはできません. つまり,私たちは,いつでも1つの行動しかしていないことになり, この1つの行動の流れを<運命>と呼べるのではないのでしょうか. スピノザ的な必然性を問題にする決定論的思考においては, その必然性自体が以上の<運命>に直結していると考えられますし, ヒューム的な偶然性を問題にする非決定論においては, いくら偶然性を説いても,私たちは1つの行動しか取れないわけですから, その1つの行動を取らせる,超越自然的な力を運命と呼べます (この場合,「超越自然的な力」は,いわゆる神のように宗教的な仮定ではなく, 私たちの全ての決定から抽象して考えられる事態を 便宜的に呼称しているに過ぎないと考えればよい,と思います). 以下は蛇足かと. こう考えると,スピノザ的な決定論が現実に合理的かと思われますが. それが近代科学の問題で,近代科学が行き詰まった原因の1つだそうです. 現代科学はそれを克服しようとしています. 文系的な方法論とかでは克服の兆しが見えているかもしれませんが (現象学とか構造主義とか), 物理学などにおいては,まだ大きく停滞している分野もあるそうです (物理学については友人に聞いただけなので,情報が不確かで,すいません). 唯物論において,全て決定していると捉えるのは,機械論的人間論, つまり,人間を完全な<対象>=<客体>objectとしてしまうものです. しかし,現実には<主体>subjectとしての人間もあるわけですから, 機械論的人間論は現実にそぐわないことになります. かと云って,観念論的おいて,人間の営みを全て人間の思考に回帰し, 全ては人間の見ていることに過ぎないとし, ただ純粋に思考していればよいとするのは,逆に人間を<主体>と見て, <客体>,つまり物理的存在としての人間を見落としていることになります. 現代の大きな課題として, この<2項対立的主客>をどうクリアするかということがあります. この<運命>の2面性,つまり, >「最初から定められたもの」「自分で切り開いて行くもの」 というのは,この<2項対立的主客>にある程度は還元できると思います. つまり,スピノザの立場から云えば,全て決定されていると云えます. これは人間のみならず,自然環境(動物や植物を含みます)全体に適用できます. かたや,ヒュームの立場では, いくら決まっているとは云っても, 決定するための「超越自然的な力」は <主体>という能力を持つ人間に他ならず, その人間が<運命>を切り開いていると云えます. 但し,これは<主体>と成り得る自我を持つ人間に限るわけで, 植物は自己の運命を切り開いているとは云えません. もちろん人間の生き方のアナロジーを植物に働かせれば, 植物に適用できないこともないですが. つまり,運命をどう捉えるかは,自分の 思考によるもので, 自分の思想の1つの試金石として考えることもできるのではないかと思います. 私は「自分で切り開いて行くもの」として捉えた方が面白いので, そう考えてますけど.これも思想の反映として. この場合は,そんな大した思想ではないですが. 堅苦しくて解りにくいところは指摘してくだされば結構です. また,哲学についての誤りがあれば,どなたか御教示頂けると嬉しいです.

yuan_kou
質問者

お礼

む、難しい(汗) 単純な私の頭には少し(かなり?)難しかったようです。けど、読んでいて面白かったです。お礼を書くにあたって、どんな事を書けば良いかな、といま頭を悩ませながら書いております。お馬鹿な事書いて的が外れに外れすぎていたらどうしよう、と(苦笑) 二択、またはそれ以上の選択があった場合に選び取ると言う行動の流れを便宜上『運命』と呼ぶ。ううん、難しい。 「運命の分かれ道」とよく言いますが、それとはまたちょっと違う意味に取るべきなのかな?いずれにせよ、道を選ぶのは自分であり、また自然の流れでもあるのだろうかと考えました。 (見当外れの事を言ってましたらご指摘下さいませ)

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