• ベストアンサー

口語文法(形容動詞)の質問

「きれい」の品詞について考えています。一番自然なのは形容動詞「きれいだ」の語幹と考えることだと思うのですが、「それってとてもきれいね」などという日本語もあるような気がします。形容動詞の活用表をみると必ず活用語尾がついてくるので、こう考えると「きれい」は活用語ではなくて、名詞扱いになるような気もします。形容詞でないのは自分でもわかるのですが、詳しくはどう解釈すべきなのか教えてください。 それともあまり文法的にはよくないことだけど、形容動詞の「だ」抜き言葉、なんていうものがあるのでしょうか。

  • adinat
  • お礼率78% (245/312)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • beat118
  • ベストアンサー率31% (85/272)
回答No.6

「とてもきれいね」という言葉は確かに耳にしますが、文法的に正しいとはいえません。 「とてもきれい(だ・です)ね」が正しい文法です。 「美しい・ね」と「きれい・ね」はやはり成り立ちが違います。 「美しい・なぁ。」「美しい・ぞ。」「美しい・わ。」は言えますが 「きれい・なぁ。」「きれい・ぞ。」「きれい・わ。」は言えませんから、やはり「きれい・ね」や「きれい・よ」は正しい文法ではないのです。 また、名詞(体言)はその直後に「は」や「が」などの助詞をつけると主語になれます。「きれいは花。」などとは言えないので「きれい」は名詞ではありません。

adinat
質問者

お礼

ありがとうございます。やはり名詞と考えると少し怪しいですよね。いろいろ考えて、形容動詞は何かに接続する場合は通常の活用語尾がつかないといけないけど、単独で言い切りの場合は語幹のみで使用してもわりと違和感がないように思えてきました。そしてごく一部は名詞化しているものもある、ということでよいのかも知れません。例えばhonnoriさんも紹介してくださった「バカ」なんかは名詞とも形容動詞語幹とも両方取れる、あるいは形容動詞擁護派は二つあると考えてしまうかな。

その他の回答 (5)

  • solisere
  • ベストアンサー率31% (34/108)
回答No.5

「専門家」というほどえらいものではないですが、えらそうな話をするのでごめんなさい。 まず大前提として、「文法があって言葉があるのではない」ということができます。 いままで日本人が使ってきた言葉を規則的に分類したり定義づけたりするのが文法ですから、中には例外的なものもあります。(その中で代表的なのが例えば「カ行変格活用」とか「サ行変格活用」なんだと思います) 「形容動詞」というのもなかなかに微妙なものでして、質問者の方の疑問ももっともだと思います。 「そんなものは存在しない」という文法学者の方もいらっしゃいます。もちろん名詞に助動詞「だ」のついた形だという方もいらっしゃいます。 ただ、今学校で教えている文法は、たくさんある学説の中で「最も破綻が少なくわかりやすい」ものだから、といえるのではないでしょうか。

adinat
質問者

お礼

ありがとうございます。でもやっぱりきっちりと理解できる文法体系を望んでしまうのは僕の性なのかな。

  • big_barn
  • ベストアンサー率40% (31/77)
回答No.4

こんばんは。 ちょっと長くなりますが。 金田一春彦氏は、岩波新書『日本語 新版 (下)』のp211~で次のように述べています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (略) 日本語は、こんなふうで、センテンスの最後がはっきりしている。ところが、日本人はこの性格を利用しているというよりは、むしろもてあましてきた。日本人は、はっきり文章が終わってしまうと、何か切り口上のような、そっけない ― 今のことばでいえば、ドライな漢字がすると考えていやがった。  電話のベルがなって、女の人が出る。   ハイハイ、渡辺でございますけれども・・・・・・  外国人は、よく、この最後の「けれども」はどんな意味だとたずねる。どんな意味もない。切り口上をさけたのである。あるいは次に来ることば、たとえば「何か御用でございますか」というようなことばを略したというべきかもれない。どっちにしても、はっきり切れるべきところで文章を切ることを避けている湖とはたしかである。その結果、センテンスの途中でセンテンスを切る。この傾向は、特に女性の表現に多い。 (中略) 今の日本語で、動詞には文法でいう終止形と連体形との区別がない。たとえば。両方とも「する」「する」だ。これは、実に特異な言語である。が、平安朝ごろまでは、ちゃんと区別があった。終止形は「す」、連体形は「する」だった。ところが平安朝の末頃、終止形で終わるのがドライだというわけか、文の最後に連体形を用い、終わるような終わらないような口調で文をとめるのがはやり出した。 (中略)  今、男の言葉と女の言葉を比べると、女は「だ」という助動詞を使うことが少ない。   ほんとうだよ ― ほんとうよ   そうだねえ ― そうねえ  上(左:原文は縦書きなので上に位置する)は男の言葉で、下は女の言葉だ。なぜ女は「だ」を避けるのか。これは「ダという助動詞をさける」と言っては正しくない。「だ」という助動詞は、連体の形と終止の形がちがう唯一の単語である。「だ」というと、いかにもセンテンスが終止した感を与える。だから。これを避けるので、これも、終止の形を避けるあらわれである。 (以下略) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 要約すると、 断定の助動詞「だ」は、終止形の「だ」を用いることを避け、連体形を用いることによって、センテンスが終わったような終わらないような雰囲気を作り出している。 ということです。 ただし、助動詞「だ」の連体形「な」は、現在あまり用いることがない形になっているので、消失しているものと考えられます。 形容動詞の語尾に関しても、助動詞の「だ」と同様の活用をすることから、同様に考えることができます。 それでは、また。

adinat
質問者

お礼

ありがとうございます。確かに「きれいだ」ってどうも重いんですよね。特に女性なんか、形容動詞の終止形は使わないだろうな、と想像します。それに反して、「汚い」は形容動詞ほど重さがない気がします。

  • honnori
  • ベストアンサー率32% (72/220)
回答No.3

 先ほど回答いたしましたhonnoriです。  忘れ物をしてしれしまいました。  下の参考URL書き込み欄に「ばか」についてのページを打ちました。みてくださいね。失礼しました。

参考URL:
http://www.t3.rim.or.jp/~hepxi/bancho/keido.htm - 4k
adinat
質問者

お礼

参考urlおもしろいですね。形容動詞の終止形に「だ」を抜いた語幹のみというのを追加したらスッキリするのかも、と思いました。この案ダメかな...

  • honnori
  • ベストアンサー率32% (72/220)
回答No.2

 形容動詞と名詞の見分け方ってけっこう難しいし、ほとんど分けようがない、またはどちらともとれるものもあるようです。  まず、名詞について。名詞は活用がなく、その言葉に格助詞をつけると主語になることができます。  形容動詞は、「な形容詞」とも呼ぶ人がいて、形容詞的な役割をもち、あるもののある状態を表す言葉です。 「な」をつけて言うことができても、主語にならなければ形容動詞といえるでしょう。  そこで。 「きれい」ですが。  確かに形容詞ではないですよね。形容詞は語尾が「い」のままで単独で述語になります。「花はは美しい」がそうです。「きれい」だと、「花はきれい」となり、意味はわかりますが、尻切れトンボのように感じますね。形容動詞独特な「だ」「です」をつけた方が響きがよくなり、座りのいい文になります。  本来形容動詞は、「きれいな」「きれいだ」とういうように「な」「だ」「です」をつけて言うことができます。では「な」をとったら名詞なるでしょうか。「きれいは」「きれいが」まして「きれいも」ということはあまり考えられません。「きれいが一番!」と無理矢理言えばいえなくもないです。ですから、今後は名詞の仲間に入る可能性はあります。が、今現在では「形容動詞の語幹」というのが正解でしょう。  次の所にアクセスしたら、「バカ」について述べていました。なかなかおもしろい話です。「ばかだ」「ばかな」という形容動詞は、「ばかは」「ばかが」「ばかも」というように主語にもなれるので、「ばか」で名詞になると考えられます。というのです。読んでみてください。  この程度しか説明できなくてごめんなさい。

  • poor_Quark
  • ベストアンサー率56% (1020/1799)
回答No.1

 柳田国男著「国語の将来」によると、日本語は形容詞の数が不足していて、その不便を埋め合わせるのが形容動詞の役割だそうです。形容動詞は「名詞の形をした語幹」+語尾によって構成されており、正確には「体言」+「助動詞」という分析をする人もいて、その柔軟性の高さから品詞として認めないという立場があるくらいです。  と http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=262227 で回答したことがあります。この質問に寄せられたみなさんの回答がヒントになるかもしれません。ごらんになってください。  「きれい」ですが、形容詞の「美しい」と比べるとはっきりすると思います。「きれい」には活用がないので、体言と考えてかまわないと思います。また口語であっても体言で終わる表現はあってもおかしくないのではないでしょうか。

adinat
質問者

お礼

ありがとうございます。参考url拝見させていただきました。「この部屋は汚い。この部屋はきれい。」ではあまり不自然さを感じないのが相変わらず不思議です。綺麗⇔汚い、で品詞が異なるというのはしかし不可解なものです。

関連するQ&A

  • 「知らなさすぎる」文法的に…

    「知らなさすぎる」という言葉を、 品詞に分けたいのですが…。 知ら…動詞 な…助動詞? さ…名詞化の接尾語? すぎる…動詞 とくに「さ」がわかりません。 「すぎる」には動詞の連用形または 形容詞の語幹がつくはずなのですが そうすると「な」も「さ」も説明できません。 どなたかよろしくお願いしますm(_ _)m

  • 学校文法について

    学校文法に関して教えてください。 「静かです」を品詞分解すると、「静か」が形容動詞語幹、「で」が形容動詞活用語尾だと思うのですが、 そうすると「す」が分解できませんよね? 学校文法では、このような場合、どのように分解しているのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 古典文法 形容詞(ク活用、シク活用)

    こんにちは。 高校古典文法 形容詞の活用 ク活用、シク活用についての質問です。 参考書を見ると、形容詞の本活用(直後に助動詞以外が続く活用)の活用表を見ると、例えば「なし」という言葉なら、 <語幹>「な」 <未然形>「(く)」 <連用形>「く」 <終止形>「し」 <連体形>「き」 <已然形>「けれ」 <命令形>「○」 となっております。 質問(1):ここで、未然形については( )がついていますが、どういうことなのでしょうか?同様にシク活用の「かなし」についても未然形の活用語尾には(しく)と( )がついています。 質問(2):また上記の(く)や(しく)では、この形容詞に続ける言葉として、動詞の場合に続けていた「む・ず」が続きませんが、どういうことなのでしょうか? よろしくお願いいたします。

  • 古典文法

    (1)古典文法の動詞、形容詞、形容動詞の活用形を簡単に判別する方法は ないでしょうか。 (2)「忍ぶ」は古典文法では上二段活用なのに、現代日本語文法の中では 五段活用になるのはどうして。 (3)「得る」の語幹と語尾がわかりません。 「え、え、う、うる、うれ、えよ」、でいいのですか。

  • 形容詞、形容動詞の語幹と活用語尾

    中2です。 形容詞、形容動詞で語幹と活用語尾の区別が出来るものと、出来ないものの区別がわかりません。 見分け方など教えてください。

  • 身近な形容動詞について。どんなものがありますか?

    身近な形容動詞について。どんなものがありますか? 現在外国人に日本語を教えています。 「きれい」が形容動詞ということで、活用が形容詞と違うことに気がつき、 他にどんな言葉が(できれば日常会話でよく使われる、例えば「大事」とか) 同じような活用をするかが知りたいです。 簡単な表を作れればと思っているので、沢山の言葉をお待ちしています。 また、そのような言葉が一覧になっているウェブサイト等があれば教えてください。

  • すぎるの文法的解釈

    A:食べすぎる B:悲しすぎる C:穏やかすぎる Aは動詞の連用形+すぎる→複合動詞? Bは形容詞の語幹+すぎる Cは形容動詞の語幹+すぎる Aを複合動詞と考えると、「食べなおす」「食べだす」(こちらは接尾語というのでしょうか。)のような「なおす」・「だす」は、形容詞、形容動詞の語幹につくことがないので、「すぎる」だけが特別になってしまいます。 名詞にくっつく「さ行変格動詞」と同じく、B、Cのように、「形容詞・形容動詞」の語幹にくっついて、 新たに動詞を作る言葉、と解すると、独自性が高いので「すぎる」だけで、「~動詞」という新たな項目立てが必要かと考えます。 「すぎる」だけが、他に文法的な仲間を持たない独立した言葉のような気がするのですが、 どうなんでしょうか。

  • 口語文法の「助動詞」の英訳は何でしょうか。

    補助動詞としての「助動詞(auxiliary verb)」ではなく、口語文法や学校文法における付属語としての「助動詞」を英語で何というのでしょうか。 外国人に日本語を教えるときに、国文法の「助動詞」を英語でどう説明するのか困っています。 英語でなくても、フランス語でもロシア語でもいいのですが、分かりませんか。 多くの外国語には日本語の付属語である「助動詞」というものが存在しないので、どう説明するのかという問題です。 活用しない後置詞である「助詞」は、particle と言いますが、活用する後置詞としての「助動詞」は、"postposition with conjugation" または " conjugative postposition" などというのでしょうか。 なお、suffix は助動詞ではありません。suffix は日本語では「接尾辞」で、動詞や名詞などと結合して新たな言葉を作る言葉です。 例えば、「先生らしい人」の「らしい」は suffix (接尾辞)の「らしい」で、「先生らしい」という形容詞を作ります。 ところが、「明日は雨らしい」の「らしい」は、 suffix (接尾辞)ではなく、助動詞の「らしい」で推測を表します。 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/hanazono/jp/rasii.html

  • 品詞に形容動詞は必要か否か

    ア)形容動詞を品詞の一つとして認めず、体言に助動詞などが接続したものとして扱う説があるそうです。この説は形容動詞を認めると何か不都合があると主張しているのですか。それとも形容動詞を認めなくても説明の付かない現象はないから認めまいと主張しているのですか。前者のとき、不都合な例を幾つか挙げて頂けますか。  なお、形容動詞を認めると同じ単語が用法によって名詞になったり形容動詞の語幹になったりする(煩わしさがある)のは承知しています。 イ)形容動詞を品詞の一つとして認めず、形容詞の一つとして扱う学説があります。この説は形容動詞を認めると何か不都合があると主張しているのですか。それとも形容動詞を認めなくても説明の付かない現象はないから認めまいと主張しているのですか。前者のとき、不都合な例を幾つか挙げて頂けますか。  なお、この説は母国語に形容動詞がない外国人が日本語を学ぶ際には有効な気がしています。 ウ)形容動詞を品詞の一つとして認めるか否かは議論があるのだと推測しています。文法の歴史を省みるとき、形容動詞の認知度は拡大しつつあるのですか、縮小しつつあるのですか。縮小しつつあるとき、ア)が有力なのですか、イ)が有力なのですか、何れでもないのですか。 宜しくお願いします。

  • 形容動詞「きれい」「有名」「嫌い」について

    形容動詞を名詞と接続する際に「な」を付加するかと思います。 私の印象では、英語などの外来語を形容する場合、形容動詞の使い方をするという認識があります。 例えば、エネルギッシュな人、ゴージャスな家、スマートな振る舞い等です。 カタカナですと外来語であることがすぐにわかるのでいいのですが 「綺麗(きれい)」と「有名」の語尾に「い」が付いても、形容詞ではなく形容動詞とされるのは、漢語が語源だからでしょうか。 そうであれば、以下も漢語と解釈していいでしょうか。 例)横柄・寛大・奇異・公正・尊大・多大・著名・不明・法外・優位 もしそれが正しいとすれば、わかりやすいのですが 「嫌い」も形容動詞であることから、その仮説は間違いなのかなという気もします。 「嫌い」は和語であろうと思うからです。 もちろん「嫌い」は「嫌かった」「嫌くない」などと活用しないですし 私自身は日本人ですので、それ自体の使い方を誤ることはありませんが、その定義が知りたいのです。 その他にも「桁違い」「ぞんざい(粗雑と書くという説もあるようですが)」が思い浮かびます。 長くなりましたが、私の質問は以下の通りです。 1. 外来語を形容する場合は形容動詞とする、という考えは正しいですか。 2. 語尾に「い」と付いても漢字に含まれる場合は漢語であり、ゆえに形容動詞となるという考えは正しいですか。 もし上記の2つが正しくないとすれば「嫌い」「桁違い」「ぞんざい」の語尾の「い」は偶然に過ぎず、単純に形容動詞として受け入れるしかない、ということで正しいでしょうか。 造詣の深い方にご教示いただけますと助かります。 どうぞよろしくお願いします。