縄文人の特徴の地域差とは?

このQ&Aのポイント
  • 日本の人々が日本中を移動しはじめたのは交通機関が発達した明治以降ですよね?しかし、それまでは各都道府県の人々は長い歴史の間あまり移動せず、各地方ごとにある程度傾向が残っていたとされています。
  • 縄文人の特徴は地域によって異なると言われています。具体的には、北海道のアイヌ民族や沖縄の琉球王国の人々を筆頭に、東北や北関東の一部、九州の一部などに縄文人の血が濃い人々が存在したとされています。
  • しかし、アイヌ民族と琉球人は縄文系でも特徴が異なっており、地域ごとに身体的特徴の差があった可能性があります。教科書のような縄文人の特徴は均一的ではなく、地域ごとに顔の形や身長、足の長さなどに差があったと考えられています。
回答を見る
  • ベストアンサー

縄文人の特徴の地域差

日本の人々が日本中を移動しはじめたのは交通機関が発達した明治以降ですよね? それまでは各都道府県の人々は長い歴史の間あまり移動せず、 各地方ごとにある程度傾向が残ってたと聞いてます。 本土の真ん中あたりが一番弥生の血が濃くはしっこに行くにつれて縄文の血が濃くなると。 具体的には北海道のアイヌ、沖縄の琉球王国の人々を筆頭に 東北や北関東の一部、九州の一部などにかなり縄文人の血が濃い人々がいたと聞きました。 でもよく考えるとアイヌ民族と琉球人って同じ縄文系でも特徴は全然違いますよね? アイヌと東北の縄文の血が濃い人々も特徴は全然違いますよね? ということは大昔の縄文人でも結構な身体的特徴の地域差があったのでしょうか? 教科書の様な縄文人は背が低いが手足が長い顔は四角とかそこまで均一的だったのでしょうか? ある地方は全然縄文人の特徴が当てはまらないほど卵型の顔が多かったり 足が短い人が多かったりしたんじゃないでしょうか? 縄文人の身体的特徴の地域差ってどれくらいあるのでしょうか?

  • yoh_u
  • お礼率84% (85/101)
  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数4

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.4

●アイヌ民族と琉球人って同じ縄文系でも特徴は全然違いますよね? ○琉球地域だと中国大陸や東南アジアの人々との交わりがありますが、北海道地域だと北方ロシアの人々の交わりがあります。  そういう長い歴史の中へ変質していったのでしょう。  縄文系の顔云々という話がありますが、良好な形で残っているものは少なくまた出土地域も偏っている(関東ではほとんど事例がない)ので細かい傾向は不明です。  

yoh_u
質問者

お礼

縄文人骨の出土地域はそんなに偏ってたのですか… 大変参考になります。 どうもありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.3

矢じりは黒曜石を加工する物なのですが、産地は長野県以下、数箇所に限定されます。 つまり、交易は盛んに行われていました。 当時は温暖であり、東北に人口が多く、関西は人口が少ない状態でした。 巨大な栗林を背景にした狩猟と採集で巨大な集落を支えていました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1 黒曜石は元より、琥珀、ヒスイなどの貿易の証拠も残っています。 また、土木建築技術も優れています。 この後弥生人(渡来人)になる訳です。 つまり、国内で交易が盛んであったのが、外国交易が盛んになったと言う事です。 1人渡来人がいると2世代目には4件。 3世代後には8件。 4世代後には16件が渡来人の血縁となります。 すなわち、この数値は普通の数値と言う事です。 日本ミツバチは西洋ミツバチに占領されていますが、 決して朝鮮人がお盛んであったとか、朝鮮人の血が相当強力であったとかと言う訳ではありません。

yoh_u
質問者

お礼

???弥生人の中の割合でいったら朝鮮人はかなり少数ですよね? 大陸から来たといっても大半は半島の向こうからですよね? お答えは参考にさせていただきます。 どうもありがとうございました。

回答No.2

こんにちは。 縄文人や弥生人の違いは判りませんが、面白い研究発表がありました。 出土した人骨をDNA鑑定した結果、丁度、東海付近を境にして北方系人種と南方系人種がわかれる・・・と。言う発表でした。 北方系は、犬歯が発達しており動物の肉を主食としたものと考えられ、体毛も濃いと思われる痕跡があった。 一方、南方系は貝殻等が同時に発見される場合が多く海の幸を多く食していたと思われる。 と、言うものでした。 あなたの質問には関係ないかも知れませんが・・・。

yoh_u
質問者

お礼

つまり縄文人=体毛が濃いなどという小学校の教科書の記述は あてにならないということですね? どうもありがとうございます。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.1

縄文系というのは意味なしナンセンスな概念です。縄文人とは縄文時代に日本列島で暮らしていた人達というほどの意味であって、単一の民族を意味していません。たまたま発見された遺跡の特徴が縄文時代と弥生時代で明白に異なっているため縄文人、弥生人と呼んで区分していますが、それは民族の名称ではありません。

yoh_u
質問者

お礼

ではやはり顔が四角い・歯が小さい・彫り深い・体毛濃い・唇厚い・耳垢湿る などの縄文的特徴の抽出はあまり意味をなさないのですか… どうもありがとうございます。

関連するQ&A

  • 縄文人

    ケルト人がゲルマン人進入により周縁に押し出されたのだとしたら、アイヌと沖縄は、弥生人に押し出された縄文人と思われます。 そして、アイヌのイオマンテ(熊祭り)がクマの血を神に捧げる儀式であるのであれば、つまり、血をこよなく神聖視するのであれば、和人(弥生人)が血をケガレとするのは、むしろ、反縄文文化的な反発作用起源なのではないかと思います。自主的に血をケガレとする根拠が弱い為。 そのあたりまで、仮定できるなら、被差別部落の拠点数が、最北の関東でも600あるのに北海道、東北、沖縄に0だというのは、その地域が、縄文人のテリトリー(蝦夷、エミシ)だったからで、被差別部落は、縄文人の飛び地的な場所の名残りなのではないでしょうか。 飛び地の必要性は、弥生側のニーズにあり、皮製品の担当職人としてのアウトソーシングという役割かと考えられます。ちょうど欧州での金融担当のユダヤ人のように。 なので、弥生テリトリー全域にそれはある。 それから、ここからが重要なのですが、明治新政府が「新平民」として、差別を平準化しようとしましたが、部落解放同盟が自らそれを差し戻し、結局、被差別部落という名前で、「被差別」を再確認(強調)する事で落ち着きました。それは、補助を受ける必要性からですが、理由はともかく、歴史は、結果的に、縄文人と弥生人を区別し続ける事となりました。 祇園祭や御柱祭に限らず、我々は「意味もわからず」その文化を保存する事があります。それは、中身を知らずに配達する郵便屋さんのようです。 天皇継続もそんなところがあります。とにかく絶やしたらご先祖様に申し訳ないという義務感だけです。 もし、被差別部落の存続が「無意識な」縄文人保存行為であるなら、差別されている真の理由からすれば、それは和人の方なのかも知れません。 トランプの2がジョーカーに勝つ、または、崇高な托鉢と、最低の乞食が同じという事に、言い方を習えば、最下層と思ってきた被差別部落は、真の日本人の保存役だと、考えられますがいかがでしょう。 もっと言えば、弥生人の象徴が天皇なら、被差別部落は、縄文人で、天皇制が続く事と被差別部落の存続はセットではないかということです。 無意識な行為というところに共感頂けるかが鍵なりますが、そういう風に、直感する方はおられませんか?。

  • 縄文人と弥生人の特徴について少し疑問があります。

    縄文人と弥生人の特徴について質問です。 ネットで調べると、まず縄文人は「縄文人は全体的に大ぶりの造形。背は高く四肢や指が長く、体毛が濃いのが特徴。顔は輪郭が四角形、眉が太くて目はぱっちりとした二重まぶた。耳たぶが大きくて鼻は広く、唇が厚い。」で、弥生人は、「弥生人は全体的に細く薄く、縄文人と正反対の特徴。背は低く四肢や指は短く、体毛は薄い。顔は輪郭が丸く、眉は細くて目は切れ長の一重まぶた。耳たぶは小さく鼻は細く、唇も薄い。」と書かれていました。 また、縄文人はお酒の耐性が高い酒豪体質で、弥生人はお酒の耐性が弱い下戸体質と書かれていました。そして、下戸の遺伝子は弥生人(渡来人)から来ており、「弥生人の分布図」と「下戸の分布図」が見事に比例している通り、自分が住む兵庫などの関西圏は王朝があったなごりから弥生人の血が多く残っているため酒に弱い人が多い、と分かりました。 勿論、今現在は純粋な縄文人も弥生人も数%しかおらず、殆どが混血らしいのですが、少し疑問があります。 弥生人(渡来人)→全員が下戸というわけではないと思いますが(突然変異が起こらなかった渡来人もいると思うため)、 (アジア圏に限っていえば)下戸→弥生人以外ない(弥生人の血が強い)、となりますか? ちなみに私は下戸です。コップ1杯のビールで顔が真っ赤になり気分が悪くなります。 父(奈良県出身)は下戸で私と同じように1杯で真っ赤になります。 母(鳥取県出身)は毎日お酒を飲んでいます。顔も全く赤くならないです。それに母は、かなり飲まないと酔っ払わないです。 不思議なのは自分も両親もかなり濃い顔で、耳たぶも大きい方で、唇が厚いです。 両親も私もまさに縄文人の特徴と一致します。 私が下戸ということは弥生人の血がかなり強く多く残っているということになるのでしょうか? そうだとしたら、両親せめてどちらか弥生顔なような気がします。 それか極端な話ですが、1人でも下戸の弥生人の遺伝子が家系に入ったことで他が全て縄文人だとしても、その下戸の遺伝子だけ残って何代にも渡って残る(顔は縄文顔だが、下戸遺伝子を持った子が生まれる)ということもあるのでしょうか? 同じようなことが有名人でもあったので、その例も書きます。 中日ドラゴンズの鵜飼航丞選手は顔写真を見ると、弥生人の特徴の顔(体毛は薄い。顔は輪郭が丸く、眉は細くて目は切れ長の一重まぶた。耳たぶは小さく鼻は細く、唇も薄い。)をしているように見えます。 そして、鵜飼航丞選手の姉の紫央さんもやはり、濃い顔ではなく、耳たぶも大きい方ではない様に感じます。 紫央さんはマスクをしているので、鼻の長さや唇の厚さまでは判断できませんが、弥生人の特徴「全体的に細く薄く、体毛は薄い。顔は輪郭が丸く、眉は細くて目は切れ長の一重まぶた。耳たぶは小さく鼻は細く、唇も薄い。」に近いと思います。 (※鵜飼航丞選手と鵜飼選手の姉の紫央さんの画像が載っている記事があるので、補足欄にその記事のリンクを添付しておきます。) ここで疑問が浮かびます。 鵜飼航丞選手の姉の紫央さんは、お酒が強い体質でお酒をかなり飲める体質らしいです。一方で、鵜飼選手は下戸で殆どお酒が飲めないそうです。 鵜飼航丞選手も姉の紫央さんも「弥生人」と特長をされているように見えますが、姉の紫央さんがお酒に強い体質というのは自然なことで何も違和感を感じませんが、鵜飼航丞選手が下戸というのはとても不思議です。 鵜飼航丞選手について、記事に以下の様に記載されていました。以下、転記です。 ============================ 4歳上の兄・瞭汰さん、2歳上の姉・紫央さんの3兄妹だが、唯一お酒があまり飲めない。普段から仲の良い岡林勇希選手と焼肉に行き、隣で後輩がレモンサワーをごくごく飲み干していくのを「すげー」と眺めながら、ウーロン茶片手に山盛りの白飯をのみ込んでいくのが航丞青年だ。 https://news.yahoo.co.jp/articles/341cbecaa298067d5e93cafdc2b22df818e85dcf 「球界を代表する右の長距離砲になる」中日・鵜飼航丞の“忘れられない打席” ============================ 変な質問ですみませんが、下戸というのは苦労するもので、遺伝的に仕方ないということを納得したいのです。 よろしくお願いいたします。 鵜飼航丞選手の姉の紫央さんの画像(スポーツ中日)のリンク https://www.chunichi.co.jp/article_photo_chuspo/list?article_id=444513&pid=2126954 鵜飼航丞選手の画像(スポーツナビ)のリンク https://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/2103845/top 画像を見ると、鵜飼航丞選手も姉の紫央さんも弥生人の顔立ちであることが分かると思います。

  • アイヌ民族と土器

    アイヌ民族の文化遺産として土器が見られないようですが、実際にアイヌ民族では土器が古代から生産、使用されていなかったのでしょうか?アイヌ民族はかつては東北地方にも多く住んでいたとされています。東北地方では縄文土器を始め、土器文化は発達していましたが、なぜアイヌの文化財に土器が見られないのか、その理由を教えてください。

  • 東アジアの民族の見分け方(顔以外の身体的な特徴)

    普通は顔や文化的特徴で見分けると思うのですが、手足など他の特徴でも判別できますか? 特に日本の本土人とアイヌや琉球人、日本人と朝鮮民族の違いが気になるところです。詳しい方の回答をお待ちしています。

  • アイヌの文化

    本州の人が北海道に旅行に行くとき、大抵短期の物見遊山なら、美味しいもの食べて景色を楽しんで終わるだけですが北海道にはアイヌ文化が一部に残っています。詳しい人から聴いた情報、本から仕入れた情報によると非常にアイヌ人の多いエリアは今でもあるみたいです。北海道の主要空港ではアイヌ関連のお土産もあるし一部の観光地では、アイヌ人が多い地域であることを堂々と表に出して宣伝までしています。ただ、差別が皆無とは言えないので適当な人つかまえて「この辺でアイヌ人が多いところどこですか」と訊いたり「アイヌ人がやってるアイヌの料理が食べられる食堂どこですか」と訊くのは絶対しない方がいいみたいです。また、道内でもかなり伏せたがる地域とおおらかに公言する地域の差が大きいみたいです。また東北に移ったアイヌ人、アイヌ系が相当いて青森辺りで多い苗字で相当アイヌが混じる苗字がある話も知っています。関東にも埼玉県や千葉県の一部にアイヌ系の少なからずいる地域があるようです。いろんな事を調べて暴く趣味はありませんが地域の文化、地域の食のことに興味があるので、「ありのまま」を知りたいのです。情報を得たかったらどこに行けばいいでしょうか?

  • 東北地方の人の形質について

    ネットで東北地方の人の形質について調べてみると、 ・瞳の色が薄い ・外国人のような顔(いわゆる北方モンゴロイドのような顔ではない) などの形質をもつとのことです。 東北地方の人たちは確かに縄文系の人の割合が多いでしょうけども、そもそも縄文系の人たちの瞳は、青かったり、灰色がかったりしているものなのでしょうか? もう一点質問があります。縄文人の形質は、今の東北地方の方々の形質に反映されていますか? 今の東北地方の方々は、大阪や東京などに住む日本人と大差ない顔に見えてしまいます。

  • 大物主命とアイヌと・・・

    今日、新千歳空港でアイヌの工芸品を買い求めました。この機会に今までずうっと胸に引っかかっていた疑問について質問させてください。 大和(ヤマト)朝廷の原型はヤマタイ国でそれは今の大和地方の三輪山のふもと、桜井辺りだったと考えられています。元々は宮崎の高天原に流れ着いた朝鮮民族だったのでしょう。つまり、縄文時代の人々は大陸から来た弥生土器を作った人々により徐々に征服されし隷属するか土地を追われたということでしょう。ヤマタイの頃には旧支配階級の大物主命(大国主命)は出雲にあって殺されるのですが、一族の残党は日本海を北上して逃げ延び、秋田や青森、北海道で生き延びたのではないでしょうか。そうすると、平泉の頃の安倍氏や清原氏、あるいは安藤氏と出雲の末裔との関係についてどう考えますか?そして・・・縄文人と蝦夷(えみし)、そしてアイヌとは深く関わっているように思うのですがどうでしょうか?もっと言えば。縄文人の末裔として色濃く特徴を残しているのは北の最果てアイヌ民族と南の最果て沖縄民族であり、したがって両者は人種としてかなり共通点を持つのではないかと思うのですがどうでしょうか?もちろん、鎌倉時代以降のさまざまな混血要因を棚上げにして考えた場合です。

  • えみしは日本民族か?アイヌ民族か?

    古代の東北地方の住人をえみし(蝦夷)といい、アイヌのことはえぞ(蝦夷)というと思っているのですが、同じ漢字を使って居て、ややこしくなっています。 えみしがアイヌ人のことだとすると、東北人のルーツはアイヌと言うことになります。 えみしが日本民族の一部だったとすると、東北人のルーツは、本州全体と同一民族だった、と言えますので、えみしが日本人だったか、アイヌ人だったか?は、東北人のルーツを考える上で重要だと思われます。 この問題は、えみしが日本語を使って居たか?どうかで決められると思いますが、現在の研究ではどうなっているのでしょうか? 藤原三代の平泉文化をみると、私にはこれは日本民族の文化だと思われます。 藤原氏が日本語を使って居たか?ということを、残っている文書資料で判定できないのでしょうか? こういう考え方全体のどこかに間違いはあるでしょうか?

  • アイヌの末裔

    私の祖父の苗字(母親の旧姓)はアイヌ語です。アイヌでありがとうという意味らしいのですが・・。こういう方いらっしゃいますか?おまけに、祖父は、外国に行って日本人だと思われなかった程、ほりが深く、外人みたいな顔立ちでした。なので、祖父の先祖はアイヌ系なのでは、と思うのですが・・。母親は一重で普通の日本人顔です。でも、私は祖父に似たのか、二重でほりが深くて、どうも日本人離れしている顔らしいのです。友達にも、最初見たときハーフかと思ったと言われます。これは、やはりアイヌの血が入っているからなのでしょうか?アイヌの血が入っている方は、やはりほりが深くて、日本人離れした顔をしていらっしゃいますか?あと、九州地方も割と顔立ちが濃い人おおいですよね。加藤ローサとか、沖縄の人とか。私の祖母は、鹿児島出身なので、そのせいもあるかもしれませんが・・。周りに、アイヌ系の人がいないので、そういう方、もしくは知っている方いたら、教えてください。

  • 地方と都会の給与差はそんなにあるの?

    地方と都会の給与差のため、マクドナルドとかで地域別価格をやっていると小冊子ありましたが、普通のサラリーマンではそんなに変わらないのでは? 一部の裕福層は都市部に集中していますが、中流や下流は都会も地方もあまり変わらないと思うのですが。 ご存知あれば、教えて頂ければ幸いです。