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昔に比べ家庭の教育力が低下している

といった俗説は、どのように発生したのでしょう? やはりマスコミの過剰報道が原因ですか? 皆さんはどう思われます? http://www.mammo.tv/interview/archives/no189.html

みんなの回答

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.5

 俗説ではなく、当然の成り行きでしょう。  明治どころか昭和に入っても、農家や自営業で、家庭にいつも両親・祖父・祖母がいるのが普通。  保育園や幼稚園など必要なかった。  小学校から帰ってくれば、家族の誰かが居て、おかしなことをすれば、お小言をもらった。  現在は、核家族で両親が共働きで家に居ない。  現実に、親・祖父母と子供が接する時間は、大幅に減っています。

  • ohg-jiya
  • ベストアンサー率37% (354/940)
回答No.4

>昔に比べ家庭の教育力が低下しているといった俗説 これは一種のノスタルジーでしょう。 しかしある側面から見ると必ずしも俗説と切り捨てるわけにも行きません。 その側面とは社会の仕組み。 子供が育つ環境として 1)家庭 2)子供社会 3)学校 4)地域社会 のバランスが取れていることが必要だと考えます。 まず、家庭の教育力自体は昔だって高いはずはありません。 しかし、かつてはムラ社会だったので、子育ても親だけではなく地域社会の経験者がアドバイザーというよりもっと強く他人の子育てにかかわっていました。 つまり家庭と地域社会が連動していた。 そしてそこに子供社会も有機的に連携していた。 そういう全体の力が大きく作用していたわけです。 それがプライバシーが尊重されるに従い、この関係が崩れ、併せて学校も分離してしまった。 いくつかの子育て環境がそれぞれ分断されたり消滅したりしているのが現代です。 こういう現状で、家庭、あるいは社会の教育力が高くなったとは決して言えないでしょう。 いつの時代も「昔はこうだった」と言われるのは、庶民レベルで常に向上したいという向上心が働いているからです。 人間世界を統計のような数字で把握しようとするのは、一部の学者に任せておきましょうよ。

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.3

思春期の子供を持つ親などは、相当子供の教育に悩み続けています。 これを能力の言葉ひとつで片付けたり、結果やデーターだけで駄目親扱いする こう言ったマスコミは全くアテにしていません。 最も大きな違いは体罰が許されない事です。 また、児童や生徒のプライバシーなどの権利(法)の重さが違います。 痛み(極刑)があるから違法をしないのであり、 バイオレンス(無法地帯)であれば小学5年生は教師にキックを毎日浴びせます。 だから >昔に比べ家庭の教育力が低下している こうは認識していません。 バイオレンスにはそれ以上のバイオレンスを与える必要があり、バイオレンスを良く認識させ、 法治を良く認識させる事が出来ると思います。 かつて、ドイツ軍はT-34に対抗する手段を必死に模索しました。 その結果がタイガー戦車でした。V(^_^) お互いにより良く生きるにはどうしたらよいのか? それを必死に児童に必死に模索させる必要があります。(^○^)

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

昔に比べて ●●が低下している。 というのは、たぶん人類が昔の話をしだした頃からの定番。 中国史では、孔子が昔の正しい礼法がなされていないと嘆いているし 古代ギリシャにおていも 金の時代 銀の時代 鉄の時代 と劣化してきたと言っています。

  • under12
  • ベストアンサー率12% (202/1670)
回答No.1

ゆとり教育を見ていると、家庭ではなく国全体の教育力の低下を感じることはあります。 例えば、現在自公が推進している穴だらけの児童ポルノ規制などは、まともに性教育を受けていない 者の詭弁でしかありません。彼らには羞恥心が無いのかと考えてしまいます。 いつの時代も「昔はよかった」とか、「今の若者は~」とか、そんな台詞がありますが、 時代に適応した教育論を生み出せているかというと、決してそういうわけではありません。 教育には何が必要か、重要な要素の一つに「宗教観」があります。 特定の宗教に傾倒するのではなく、哲学や倫理、もっと浅く言えば道徳に至る精神面の教育観だと言えます。 どんな宗教でも最終的には幸福になることを目的とするように、教育にも共通するものがあります。 少なくとも、「受験のためだけの教育」からは脱却しなければなりません。 言葉が拙くて説明し切れませんが、精神性に欠ける教育には限界がありますし、 それは現状のとおりだと思います。ではどうするべきかと問うと、非常に難しい。 日本人は無宗教と言うより、ただの宗教アレルギーでしかなく、思想・宗教を論じられる レベルに到達していない者があまりにも多すぎる。島国の閉鎖性から、教育もガラパゴス的 進化(鈍化?)を遂げてきました。 最低限行わなければならない事は日教組の解体であります。 そして、教師=教育者とも言える人材の育成を推進するための教育戦略の見直しを図るべきです。 極論を言えば、行政に属している教育機関を独立させてもいいんじゃないかと思えます。 結果は次の世代にならないと分かりません。 逆に言えば、教育力の低下に関して言えば、元から大したレベルでもないとしか言えません。 寧ろ、現状を作り上げてしまった親の世代の特徴を掴むべきです。

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