プラス思考・マイナス思考

このQ&Aのポイント
  • プラス思考・マイナス思考についての相反する意見があります。
  • 「泣いてはいけないのでしょうか」「疲れたと言ってはいけないのでしょうか」という疑問があります。
  • プラス思考では泣くことや疲れることを避けるべきとされていますが、それが本当に正しいのか疑問です。
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プラス思考・マイナス思考

「辛いことがあったら、泣きたいだけ泣きなさい、そうすると、心がスカットするよ」と聞いたことがあります。 しかし、次のようなことも聞きました。 「疲れた」という言葉を口に出すと、マイナスのパワーが体に入ってきて良くない、と言うことを聞きました。 この2つ、「泣ければいい」と「疲れたと口に出してはいけない」は相反しているように思うのです。そう思われませんか。  私が思うに、後者の「疲れた」という言葉を、疲れたときに口に出して言わないと、なお、疲れるのでは思うのです。ですから、「疲れたなぁ」と口に出して、「でも、また、やるか」というのが良いのではないかと思うのですが。 プラス思考・マイナス思考のことに詳しい方、 「泣いてはいけないのでしょうか」 「疲れたと言ってはいけないのでしょうか」 教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

『プラス思考・マイナス思考のことに詳しい方』、って云われていますが、ご期待にそえなくて悪いのですが、一言いわせてください。 『喜怒哀楽』という言葉がありますが、これは感情を(人の)表したことばですよね。何のためにあるのでしょうか。私達のためではないでしょうか。人は感情の生き物です。強くもあり、弱くもあります。 “喜び”に満ち溢れたときは思いっきり喜びに浸り・・・。(歓びとはニュアンスが違うけど。) “怒り”に駆られたときは怒ればよい・・・。(座布団でも重ねて“サンドバッグ”にすればよい。) “哀み”に心が沈んだり、張り裂けそうになったら、思いっきり泣けばいいのです。(シャワーでも浴びながら思いっきり号泣すればよい。) “楽しい”と心が踊ったら思いっきり楽しいとはしゃげばいいのです。 これを人前で露骨に現すということではないです。泣きたいときは思いっきり一人で泣けばよいことです。 逆に自分の感情を殺し、男らしくない、とか下品だとか、とした考え方こそ“マイナス思考”というもの。下手に感情をコントロールするのは健康な精神(心)まで歪んでしまいそう。最悪の場合、精神疾患も考えられる。自分に正直に生きることは“ブラス思考”に繋がっているんです。(こねくり回し、判断付けする必要は無いです。) >「辛いことがあったら、泣きたいだけ泣きなさい、そうすると、心がスカットするよ」と聞いたことがあります。 これは先ほどから述べている様に本当だと思います。 >「疲れたと言ってはいけないのでしょうか」 人前では言わない方がいいのでは・・・。そして同じ言うにしても『今日もよく頑張ったなぁ~。』に変えたらどうでしょうね。“言霊”ですね。みなんプラスにかわります。 繰り返す様ですが、自分に“素直”に生きることが“ブラス思考”ではないでしょうか。

mashu166
質問者

お礼

ありがとうございました。お礼申し上げます。 「喜怒哀楽」は、抑えると、心の病になるかも。そんな感じがします。 だから、抑えることなく、喜べばいいし、怒ればいいし、悲しんで泣けばいいし、楽しめばいいということ、これがプラス思考に繋がるということ、分かりました。  少し、質問させてください。 「泣くのは一人でシャワーを浴びて」「怒るのは、人に対してではなく、だれにも害が及ばないザブトン」。「楽しいときは、人前ではしゃげばいい」。  ということは、場をわきまえてという条件がつくということですね。 「怒りは、場をわきまえて出せばプラスの行為で、マイナスの行為ではない」ということと理解しました」。それでいいでしょうか。   「疲れた」という言葉のかわりに「今日は頑張ったなあ」と、表現を変える。分かります。 でも、疲れたのに、その言葉を飲み込んで、「今日は頑張ったなぁ」というと、辛いなぁという気持にならないかなと思ってしまいます。  「疲れたなぁ、でも、今日頑張ったなぁ。偉かったなぁ」と言った方が、素直に心に入ってくるように思うのですが。  どうでしょうか。私の考え方、変でしょうか。 

その他の回答 (4)

回答No.5

お礼文を読ませてもらい少し言葉が足りなかった部分がありますので『補足』させて頂きます。 もし、一人暮らしをされているのなら思いっきり泣いても構わないとおもいますが、家族と一緒なら大声で泣くのもどうかと・・・それが許される条件なら宜しいとおもいますが・・・。(シャワーを浴びながらというのは一例としてです。声をだして泣いたって音でかき消されるとおもったからです。) 楽しい時は・・・“はしゃぐ”というのは子供みたいにと言うことではないです。“血湧き肉踊る”とした感覚を言いたかったのです。 怒りのサンド・バッグですが、“マナー”のない族がやたらと多い。“カチン”と切れるときもある。そんなのをいちいち相手にしていたら身が持たない。(しかし腹が立つ) もしこれが会社の上司、同僚だったらどうしますか。? 会議中での意見の中で、また会社帰りに飲んでいる時に批判、中傷めいたことを言われた時、どうされますか。? その場で上司に向かって『こんな会社辞めてやる。』! って啖呵をきれますか。? 同僚の胸座つかんで『・・・もう一度云ってみろ。』! って殴れますか。? よほどのことが無い限りできるだけ避けるでしょうね。(大人の解釈で事を大きくしないよう努める方向に持っていくとおもう。) そしてその場でのこともあるし、そうした行動に出る訳にもいかない。生活掛かっているし、バカをみるのは自分だけ、ということになる。今の世の中こうした仕事上のことに限らず不愉快なおもいをすることがとても多いです。・・・だから溜めておかず“サンド・バッグなんです。 >「疲れた」という言葉のかわりに「今日は頑張ったなあ」と、表現を変える。分かります。 でも、疲れたのに、その言葉を飲み込んで、「今日は頑張ったなぁ」というと、辛いなぁという気持にならないかなと思ってしまいます。  「疲れたなぁ、でも、今日頑張ったなぁ。偉かったなぁ」と言った方が、素直に心に入ってくるように思うのですが。  どうでしょうか。私の考え方、変でしょうか。  そのとおりだと思います。言葉が足りなかったのはそれです。 『疲れ』を自分に向けた“労い”の言葉にすればよいことです。

mashu166
質問者

お礼

ご教示、ありがとうございました。 内容に、経験を経てでないと、出て来ないような深みを感じさせていただいております。

noname#137229
noname#137229
回答No.3

感情は言葉では表せない・・のです。 だから感情とも言うのです。 勿論、似た様な言葉を当てはめてはいますよ。 感情を表現するときには、例えば「う!!」とか「あう!!」とか・・ 言葉にならない言葉・・ある種うめきの様なものでしか表現できないのです。 例えば、愛と言う言葉があります。 しかし、愛って言ったって、本当の所は良く分かりません。 様々な解釈や意味づけはしていますが・・良くは分からないのです。 言葉とはその様なものなのです。 疲れた・・・ と表される・・何かはあります。 しかし、それは何も「疲れた」表現しなくとも良かったのです。 「楽しい」でも良かったし「愛してる」でも良かったのです。 たまたま「疲れた」と表現しました。 すると、今度は言葉が一人歩きを始めました。 疲れたとは、その様なもの・・と。 しかし、疲れたも本当の所はよく分からないのです。 何となく・・あるいは自分の経験と照らし合わせて分かった様に気分になるのです。 しかし、多くの場合はその様にまでは考えません。 一人歩きを始めた言葉に支配されてしまうです。 またまた例えば・・ですが。 最近は真夏日があり、とても暑いですね。 我が家には温度計がありません・・わざと買わないのですが・・ それはさておき、何かの都合でその時の温度が分かったとします。 すると・・ああ38度かあ~だから暑いのだ・・とか、だから暑かったのだ・・などと余計に暑さを感じたりします。 この様に言葉に自分の気分が左右されたり、誘導されたりします。 で、疲れた・・は言わない方が良い・・と。 泣くのは言葉ではないです・・ 泣きなさいまでは言葉ですが、泣くことは言葉ではありません。 行為・・あるいは感情の発露・・ これは言葉とは全く違います。 また、泣く・・のは、多くの場合ほぼ正確に伝わります・・・珍しい言葉(表現)かもしれませんね。 しかし、くどいですが、泣くは言葉ですが、泣いている行為は言葉ではないのです。 混乱しましたか? だからと言って言葉はダメ・・などとは言ってはいません。 限界のある道具なのですが・・ その限界を良く知って、上手に使う・・ あるいは、限界のある事を糸って、その限界をどの様に克服。あるいは埋め合わせをするか・・などが必要となるのです。 今の所、不完全ではありますが、言葉以外に便利な道具もないので・・

mashu166
質問者

お礼

早速、非常に高度なことを、分かりやすくご説明下さり、ありがとうございます。 「感情は、言葉ではない」。まさしくと思いました。 小田和正の歌に「嬉しくて、嬉しくて、言葉にならない。ウーウーウー」というフレーズがあります。多分、「ウーウーウー」が感情ということですね。  「感情」と「言葉」の違いは、よく理解できました。  言葉を発すると、その言葉に、自分の気持ちが誘導される。これも分かります。 「疲れた」と言えば、「疲れた」の言葉に誘導されて、「疲れが増す」 「熱い」と言えば、「熱い」に誘導されて、熱さが増す。 と言うことですね。  ここで、一つの疑問が出てくるのですが。  カウンセリングでは、相談に来る人は、自分の辛い話を言葉を使って話します。そして、カウンセラーに聞いてもらって、「ああ、楽になった」と言って帰ります。  ですから、私、思うのですが、辛いことも話し、それがいつも「辛い話」ばかりだと、言葉に誘導されるから、限度があるのかなぁと思ってしまうのですが。 私の考え、でうでしょうか。  また、お教え下さると、ありがたいです。    

noname#137229
noname#137229
回答No.2

泣くと言う事は思考ではないので・・・ 泣くのは感情の発露です。 思考と感情をごちゃまぜにしていては迷うばかり・・ 疲れた・・と口に出すと、疲れた感が心に蓄積されます。 口に出さなければ、それほどの事もない・・ あるいは、時間が経つと忘れてしまう・・様な事です。 それが言葉に出すと、意識化されて疲れ感がまします。 言葉の魔力・・でしょうか。 で、同じ言葉に出すなら、前向きの言葉が良いですね。

mashu166
質問者

お礼

ありがとうございました。 「感情と思考」とをごちゃまぜにしてはいけない! よく理解できました。なるほどと、ガッテンです。 そこで、もう一つ教えていただきたいのですが、 「泣くのは感情」 「疲れたなぁ」というのは、感情にはならないのでしょうか。 「嫌い」という言葉もマイナス思考の言葉と聞いたことがありますが、私は、「感情」をあらわす言葉でもあると思うのですが。  そのへんの所を、お教えていただけないでしょうか。  

回答No.1

>「泣いてはいけないのでしょうか」 多くの場合泣きたい時には泣いたほうが健康にいいようです。 >「疲れたと言ってはいけないのでしょうか」 生理的に我慢出来ないくらいに、ため息をつきたかったり、「疲れたー!!」と叫びたい状態である時は、泣くのと同じようにおもいっきり発散したほうがいいと思います。ただし、そのように言うことで疲れた状態にあることを自分でハッキリと認めることになります。実際には体は疲れていないのに、そのように言うことで本当に疲れた状態になってしまうこともありますので、ここは注意してください。 基本的には、マイナス思考を「無理に抑えつける」ことが良くないことと考えて良いと思います。あたかもマイナスの気持ちがあり得ないかのように振舞うのは潔癖すぎるとおもいます。

mashu166
質問者

お礼

ありがとうございました。   泣くという感情は抑えない方がよい。 よくわかりました。 また、「疲れた」という言葉も、余りにも疲れたのに、言わないということになると、良くないが、 何でもないのに、直ぐ「疲れた」「疲れた」というのは、疲れた状態を加速されるということ、よく分かりました。

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