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「絶対無」からの始動

朱熹氏によりますと、「無極」と「太極」とは一体化しているそうですが、どういう切っ掛けで両者の分化が起きる、と彼の教義の中では見做されているのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

朱子学がどのようなものか知らないので、該当する回答とはならないのかも 知れませんが 中国人の言う「無」とは日本人の持つ「無」の概念と微妙に違うような気がします 「無」という概念、しいて言うと「無というもの」が 存在するのか 存在しないのか の問題があります。 どうも、中国における「無」とは、「なんにも無い」というイメージよりも 「無」というものの存在を肯定、しているように思えます。 よって、この世の原理として「絶対無」というものが「存在」し、 その「絶対無」の能力により、世界が支えられている。 と考えているように思えます。 アドバイスまでです、又、朱子学は私は知りません。

JidousyaGaisya
質問者

お礼

朱子学であろうがなかろうが関係なく、無が存在している時点で、それは絶対無と呼ばれ得ません。 因みに、別ページ(http://okwave.jp/qa/q6770985.html)にヒントが隠れていますから、再度の御教授を賜れませんでしょうか?

JidousyaGaisya
質問者

補足

早い回答は大変に有り難いのですが、残念ながら、仰っている「無」は「相対無」に留まっています。

その他の回答 (1)

  • codotjtp
  • ベストアンサー率26% (40/149)
回答No.2

序数の中にNULL値が含まれ難い、という事情から類推しましょう。

JidousyaGaisya
質問者

お礼

http://okwave.jp/qa/q6880488.html 此方に内容が続きます。

JidousyaGaisya
質問者

補足

素粒子群の中身の時空間さえもが素粒子群の存在に先立てない、という事情への着眼が、矢張り此処でも必要なのですね。

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