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3年習うより3年師を探せ。という指示は入門者への責任転嫁なのか?
- 昔から「東洋の古流武術では、最初の良縁の為の精進の価値が強調されやすかった」と言われています。
- しかし、「3年習うより3年師を探せ。」という指示は、入門者達への理不尽な責任転嫁の手段になる可能性があります。
- 情報収集の手段が乏しかった時代には、入門者達が望ましい環境を見つけることが難しい状況でした。そのため、自力だけで最初の良縁を見つけることは困難でした。
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”師を探せ” これは同時に、”自分を探せ”という事では ないでしょうか、(てきとーな解釈ですが) 情報網の乏しさゆえに、自分の足で、情報を求め歩かなければ ならないし、情報を得るには、自分の言葉で人と会話をしない事 には始まらない。 そのなかで、自分の本質に気づき、人の心を知り、師に関する 情報を得る。これを同時に行うことによって、自分がどの様な師 に身を寄せるべきかを知ることができる。 てっとり早く師のもとに身を寄せるのであれば、ただ師に従うだけ となり、初歩的な経験(人として)が出来ないかもしれないし、 また、師と選ぶべき人を見誤るかもしれない事を憂いでいるのでは ないだろうか。 やはり道を学ぶ者の姿勢としては、与えられるのではなく、 求めねばならない。その求める過程にこそ、道があるのではないか。 「能わざるにあらず為ざるなり」この言葉の如く。 人に成るとは、かくも手抜きなど通用しない難題であることに まちがいは御座いません。
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一通り読み返してみましたら、先の質問から繋がっている 質問だったんですね。気づかずに、回答してしまいまして ちょっと恥ずかしいです。 僕は、肝心な所が大ざっぱなんですよー。失敗の連続です。 諸先輩である方々から、善き回答が寄せられる事を期待します。 そーでしたか、「すみれ草」 でしたか。 思うところが、あったとゆーことで 少しは、お役に立てたみたいですね。なによりです。 では僕は終わりに一句。「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」
補足
有り難う御座います。 甲野善紀氏の説明によりますと、 貴方の読解が比較的に妥当なのだそうです。 真理の奥は深いですね。 「裏を見せ表を見せて散る紅葉」
- kusa-mura
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後で読み返したら、いくつも文法ミスをやりました。ごめんなさい。 ・首を捻る→首をかしげる ・おそらくAはBがバカに思えてくるでしょう。→おそらくAはXがバカに思えてくるでしょう。 たぶん文脈で読んでくださるとは思いましたが、お恥ずかしい限りです。
お礼
此処での内容から別のページ(http://okwave.jp/qa/q6832003.html)に質問をスピンオフさせました。
補足
私の表現の中に言葉が不足し過ぎていたせいで分かり難い表現になっていますのに、御親切に接して下さいまして有り難う御座います。 実体験の御話から様々な事が良く分かり、非常に勉強になりました。 但し、折角の貴重な御指導を賜りながら畏れ入りますが、殆どの質問で私は自分の判断の悩みを伺っておりませんでして、先駆者の方々の御苦労の中から学びを得たい、という思いを抱きまして、質問を致しております。
- kusa-mura
- ベストアンサー率30% (7/23)
これは何を問うた質問かと首を捻りましたが(最初は「三年習うより――」という言い回しを批判しているのかと思った)、むしろ「最初の良縁を自力で探す」にはどうしたらいいかと問うていると見ました。何かに、これから入門なさろうとしているのかとも思いました。 うーん。僕は結構、師を渡り歩きました。破門されたことがあるのです。あまり僕のやることなすことにダメだしするものだから、今度は逆に先生の研究に「それはくだらんですなぁ、先生、本気出してもらえませんか?弟子を舐めんで下さいな」と、ある日とうとう、言ってしまった。が、その先生は本気も本気でした。僕は今でもその先生が、何でそんなテーマを研究なさっていたのかわけがわからんが、僕の言い方も無礼だったわけです。お互い、相手が何者かわからないまま、怒鳴り合って別れました。 やはりこういうことがあると、無駄な労力を消費します。本質的な問題を考えられず、俺は嫌われてるんじゃないだろうか、嫌われているから何をやってもダメだと思ってくる。そして委縮してしまいます。加えて彼の門下を離れても、狭い世界だから、後で意地悪されたと心配です。最初からいい先生にあった方がいいわけです。 確かに人間の相性がありますね。具体例をあげてみますと、物凄く厳密なことを好む先生Aがいたとして、面白いことなら何でも言おうと心がけている弟子Xがいたとすれば、師Aと弟子Xの反りは合いません。おそらくAはBがバカに思えてくるでしょう。逆に、頭が物凄く愚かでも、慎重なことを言う弟子Yが師Aとの相性が良いのです。 ところが今度は、目立ちたがり屋のタレント的な先生Bがいたとすれば、弟子Yのことは嫌になるでしょう。弟子Xの方がいい。そして、ともかく頭が切れて生意気な弟子Zのことを重用するでしょう。仮にZの人格が破綻していたとしても、彼の方が刺激的だからです。 上から目線で失礼しますが、まずご自分の人間性と仕事の質を見極めるのがいいだろうと思います。自分はどんなタイプなのか。慎重派なのか、それとも目立ちたがり屋なのか、など。その上で、その先生の書いた本だとか、作品だとかをご覧になって、まず講演会に顔を出してみる。一度ではなく、何度も顔を出し、話しかけてもみる。弟子がいたら、どんな弟子が重用されているのかを考えてみる(自分とまったく違うタイプの人間が幅を利かせているなら、逃げた方がよい)。こうやって入門した先生は、そうそう期待を裏切りはしません。 ――これでご回答になっているといいのですが。あと、ご関心あったらと思って紹介しますが、子弟の葛藤を自伝的に描いたエッセイとして面白かったのは立川談春著「赤めだか」です。落語の子弟の話ですが、談春は談志と反りが合わなかったんですねぇ。そのすれ違いが滑稽で、また談春がそれでも談志のことをしたっているのが、泣けてきます。三年で諦めることなく、談春は合わないのに、彼の門下に居続け、関係をついに修復しました。僕は談春の芸はあまり評価していませんが、人間味はあるんだなと思ったものです。おっと、子弟の復縁とは、そうそう他人ごとではないですね。
補足
有り難う御座います。 別のページで私は或る有名武道家(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%AE%8F%E4%B9%8B)の自発的な破門の話題に触れさせて頂いておりますが、Wikipediaの破門(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E9%96%80#.E8.8A.B8.E9.81.93.E3.83.BB.E6.AD.A6.E9.81.93.E3.81.AE.E7.A0.B4.E9.96.80)の事例にも興味深い記述が含まれていましたので、御紹介をさせて下さいませ。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
いや、中国の誰だったか忘れましたが、その人の母親は息子の通う学校を10回以上天候させたらしいです。 孔子だったか誰だったか忘れましたがその母親。 自分の息子に良い教育を施すところを探しまくったってことですね。
補足
有り難う御座います。 良く御存知ですね。武術独特の用語なのかと思っておりましたので、誤解が晴れましたから、非常に嬉しく思います。 尚、折角のヒントを賜れましたので、私自身でも検索を試みたのですが、見付かりませんでした。 http://search.yahoo.co.jp/search?p=3%E5%B9%B4%E5%B8%AB%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%9B%E3%80%80-%E2%80%9D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E9%9B%A3%E9%A1%8C%E2%80%9D&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt http://search.yahoo.co.jp/search?p=3%E5%B9%B4%E5%B8%AB%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%9B%E3%80%80%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%AE%8F%E4%B9%8B&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt http://search.yahoo.co.jp/search?p=3%E5%B9%B4%E5%B8%AB%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%9B++%E7%94%B1%E6%9D%A5+%E8%89%AF%E5%B8%AB%E3%80%80-%E2%80%9D%E5%9E%8B%E7%A8%BD%E5%8F%A4%E2%80%9D&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt
- cyototu
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>情報収集の手段さえもが乏しかった時代に於いて、全く其の分野に関わった経験が無い入門者達が比較の為の体験をさせて貰わずに、想像による価値判断で「望ましい環境」を見付け出させる、という可能性は比較的に低いだろうと思われるからです。 質問者さんは幾つかの基本的な所で、考え違いをしていると思われます。 先ず第一に、芸とか学問と呼ばれるもので、運良くその人がのめり込めた場合に、詰まらないものは一つもありません。もし詰まらないと思った場合には、その人がその芸や学問を理解出来るまでやり切らなかったと言うだけです。別な言い方をすると、その芸や学問の深みや面白さは経験が無い入門者には決して解らないと言うことです。だから、初心者が想像による価値判断で「望ましい環境」を見付け出す、という言葉には何の意味もありません。初心者には与えられた情報を処理する能力が具わっていないのですから、そのことに関しては今の情報氾濫社会でも昔でも全く差はないです。 要するに、芸はや学問では何でも、それが頭で解るようになるか、あるいは体で解るようになるか、孰れにしても、それが解るようになれば、それをやっていて詰まらないと言うものは存在しないのです。 とは言え、人間には誰でも向き不向きがあります。だから偶々自分が興味を持ち、解らないながらも数年辛抱して、その道のほんの一端でも良いから究めようとしたとしても、運が悪くその人の性格や体形に全く向いていない芸や学問の道が幾らでもあります。 例えば、身長が160cmしかなく体重も精々70Kgぐらいしかない人が相撲取りになりたいと夢を描いてしまい、何年間も苦しい修行をする人が居た場合には、どうぞご勝手にと言うことになってしまいます。 だから、その分野に入り込んで、自分の向き不向きを判断する事も重要になります。その反対に、貴方にピッタリな芸や学問の道に巡り会えたら、貴方は幸運だったのです。そうです、「幸運」とは、初心者の貴方に前もってそうであることが解っていた訳ではなくて、数年の苦しい修行の後に初めて認識できるのです。 また、人間の人生を決定的に変えてしまうのが人と人との遭遇です。遭遇とは必ずしも師や友人ばかりではありません。事実、貴方の人生は貴方の配偶者に依って決定的に変わってしまいますから。しかし、ここでも皆、好みや性格が違う。だから、ある人に取ってどんなに素晴らしい方でも、他の人にはどうしても馬が合わないと言うことが幾らでもあります。だから、人生に取ってそんなにも大事な事が運次第なのです。これとても、現在の情報氾濫社会か昔の時代かには全く関係がありません。 自分が一芸に優れていたいと言う野心を持っているなら、一先ずそのことを齧ってみて、しばらくは思っていたよりも詰まらなくても我慢して、そのうちに面白さが解って来るかどうか試してみる。また、それに関して偶然に自分の選んだ師と馬が合うか、しばらく頑張って試してみる。そして、どうしても面白さが解らなかったり、師と馬が合わなかった場合には、余り長いあいだそこに留まらずに、別の事や別の人に改めて賭けをしてみる。その変わり身の頃合いの長さが、どんな事でも大体3年ぐらいだという経験則を人類は長いあいだの経験で手に入れて来たのだと思います。 ですから、人間が幸福になれるかどうかは、物でも事でも人でも本質的には全て遭遇と言う偶然が決めているようです。
補足
有り難う御座います。 「御縁」に逆らうのは無駄な悪足掻きなのであり、たとえ失敗した様に感じられる展開に巻き込まれましても、「人間万事、塞翁が馬」だと受け入れて、次の展開に役立てていく、という姿勢で物事に取り組むのが望ましい、ということですね。 でも、少し気になった内容が御座います。 そもそも古来の日本では師匠を裏切る寝返りが忌み嫌われやすかったのではないでしょうか? 「~3年師を探せ」という言葉を或る古武道家達から伺ったのは、約20年前のことでしたので、うろ覚えなのですが、恐らく特定の派閥への所属に対する警告の意味が有った様な気がします。
いわゆる、良師3年の言葉について・・なのでしょうが。 良師3年が、どうして難題なのか・・難題と思っているのかが理解できません。 本来の意味をはき違えている・・のでは。 良師の情報がない・・あるいは少ない。 それは今も昔も同じ。 インターネットで見た、あるいは探した所で、その先生が良師かどうかなど分からない。 また、ある人にとっては良師でも、自分にとって良師であるとは限らない。 自分が本当に求めているなら、良師は必ず見つかります。 その分野に関心を持っているのなら、必ずその事に対しての情報は得られます。 俗に、業界は狭い・・と言う事です。
お礼
1度でも特定の流派に所属していた履歴が出来上がりますと、昔なら「儒教」の教えの通りに其の流派への義理を通さねばならない可能性が有ったのではないでしょうか?
補足
有り難う御座います。 現場の内部事情が分からない儘の就職活動と同じ程に深刻な内容を想像していたのですが、そうではないのですね。
- BuffaloAndJtp
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転記の失念なのでしょうから、別のページのURLを教えて下さい。
お礼
3年に渡って、太気拳創始者の澤井健一氏は王薌斎師範からの指示の通りに「立禅」だけを行なっていたそうですね。
補足
失礼を致しました。下記の通りのページです。 http://okwave.jp/qa/q6823771.html そして、無関係の話ですが、 Buffalo社とJTP社との業務提携は継続されているのでしょうか。
補足
有り難う御座います。 流石に御詳しいですね。 一度、特定の団体に身を置いてしまいますと、儒教的には師匠を裏切り難い訳ですので、たとえ他所の団体との揉め事にも巻き込まれましても、「建て前」上では師匠からの指示に従わざるを得ないのかも知れませんし、又たとえ偏った考え方によって洗脳されそうになりましても、断り難くなるかも知れません。 従いまして、今時分には当て嵌まり難い内容なのかも知れませんが、仰る通りに、初期の師匠・道場探しによって自己の眼力を磨き上げていかないといけない、と教えてくれていたのだろう、と思われます。 「山路来て何やらゆかし、菫草。」