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なぜ、江戸幕府はオランダとのみ交易したのですか?
なぜ江戸幕府は出島にて、 欧州諸国の中ではオランダとのみ交易したのでしょうか? 大航海時代、隆盛を極めたスペインやポルトガルでもよかったのではないのですか? 何か理由があるのでしょうか?
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はい、理由があるのです。幕府がつけた「キリスト教を布教しない」という条件に応じたのがオランダだけだったということなのです。スペインもポルトガルもキリスト教の布教を許されないなら、日本と交易する利益なしと判断して撤退していきました。 そのオランダとスペイン・ポルトガルの違いはどこから生じたか。それは宗教改革によってスペイン・ポルトガルがローマ・カトリックに留まったのに対し、オランダはプロテスタントの国になったからです。ローマ・カトリックには聖職者というキリスト教布教の専業の要員が存在するのに対し、プロテスタントにはいません。 そもそも宗教改革と大航海時代は密接に絡んでいます。宗教改革によって、西欧でローマ・カトリック離れが起きます。つまり聖職者の飯の種が減少したということなのです。西欧に閉じこもっていても市場は先細りで先行きの見通しが暗い。だからローマ・カトリックの財政再建の為にイエズス会が結成され、ちょうど時期を同じにする大航海時代の流れにのって海外の信者獲得を目指したのである。そのイエズス会のスペイン・ボルトガルの奴隷商人が悪の二人三脚で結託してgive&takeで飯の種を海外に見つけようというのがスペイン・ポルトガルの対日進出の目的です。キリスト教の力で現地の政治勢力を分断し、軍事力に頼らずに切り崩し、植民地化し、現地人を奴隷化して奴隷商人が売り飛ばす。それが当時スペイン・ポルトガルが世界で繰り広げていたビジネス・モデルなのです。元々スペイン・ポルトガルは日本と交易することが目的であったわけではない。交易は表向きの名目であり、現地人を手なずけるためのポーズに過ぎないものでありました。ところがアフリカや新大陸や東南アジアで成功したビジネスモデルが日本には通用しなかった。賢明な幕府はスペイン・ポルトガルの真の目的を見定めて、警戒を解かなかったからなのです。スペイン・ポルトガルが持ち込む南蛮商品は魅力的なものであった。長崎カステラはおいしい。だから幕府はキリスト教の布教は許さないが、交易だけなら認めるという態度でもあったのです。しかし、それではスペイン・ポルトガルは面白くない。わざわざ遠くから帆船で来ているのは決して日本を喜ばすためではありません。日本がそんなにガードが固いなら撤退するほかなし。世界にはもっとおいしい甘い国がいくらでもあるのだから、手強い日本にこだわる意味が何もない。 これに対しオランダは純粋に交易だけを目的としていました。ローマ・カトリック教会の聖職者はオランダにはいないのです。オランダが大航海時代に乗り出したのはスペイン・ポルトガルの後でしたが、純粋に商人が生計を立てるためにインドネシアの拠点からわざわざ日本まで来ていたのです。オランダは先行するスペイン・ポルトガルを追い落とす為にスペイン・ポルトガルの悪の手口を江戸幕府に暴露して幕府の信頼を得て、幕府の煩い注文も全部丸呑みしました。オランダ商人は日本との独占的交易権を握れば十分利益を出せるからなのです。オランダは江戸時代の最後まで日本に対しては誠意を尽くした取引をしてきました。 江戸幕府が外交判断を誤らなかったのは日本にとって幸いなことであった。
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- cyototu
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オランダがキリスト教を広めないと言ったから、それを受け入れたと言う方達が何人か居りますが、日本人は外国人の言うことを「はいそうですか」と簡単に信用するほどお人好しであった筈がありませんよね。レオン・パジェスの『日本切支丹宗門史』(岩波文庫)に書いてありましたが、幕府の役人が「切支丹の信者は癌みたいなもんだ。取り除いても取り除いても蔓延ってくる」と言う趣旨のことを言っています。ですから、幕府はキリスト教徒の約束なんてまるで信用していなかったようです。 それにもかかわらず何故オランダ人との交易を幕府が許したか。これは、私がヨーロッパ人から聞いた話しですが、オランダ人は自分たちがキリスト教ではないことを幕府の連中に納得させたからだと言っていました。 その当時はヨーロッパは宗教戦争中で、オランダは勿論プロテスタント。一方日本の切支丹はオランダの敵側のカトリックでした。幕府が切支丹殲滅を決意し実行していたときに、切支丹は執拗な抵抗を試みた。島原の乱の時に、幕府が切支丹を海岸の原城に追い込んだときに、幕府はオランダの艦隊に協力を求め、海側からそのキリスト教徒を大砲で攻撃することを要請した。 http://www4.kcn.ne.jp/~tnrn-ttr/orandasen.htm そうしたら、オランダ人はその日本のキリスト教徒を躊躇なく攻撃したそうです。これで幕府はオランダ人がキリスト教徒でないと確信を持ったとか。普段からあれだけ立派なことを言っているキリスト教徒が同胞のキリスト教徒を殺しまくるわけがないではないか、だから、オランダ人はキリスト教徒では有り得ない、と納得したとそのヨーロッパ人は言っていました。
お礼
参考図書、『日本切支丹宗門史』(岩波文庫)まで 教えて頂きまして、とても参考になりました。 感謝です。 ありがとうございました。
- PENPENMAKKY
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スペイン・ポルトガルの隆盛は16世紀の話 17世紀はオランダの時代です。 バルト海貿易の70%はオランダ船で、世界最大の貿易商船団はオランダ東インド会社です。 スペイン・ポルトガルの商船団はオランダの武装商船に襲われ、イギリスの商船団は容赦ない商売をするオランダに勝てず撤退したのです。 17世紀初頭、台湾はオランダ領だったんですよ
お礼
とても有益な回答を頂きまして、 資料の一つになりました。 うれしいです。 ありがとうございます。 17世紀初頭、台湾はオランダ領だったんですね!
- tanuki4u
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徳川家が圧倒的に強くあり続けるための施策 これが、根本方針です。 そのための貿易統制と宗教統制の結果として、欧州諸国との交易はキリスト教布教を行わないと主張したオランダとだけの貿易となりました。 実態としての貿易は、生糸や硝石の取引であり、これらは欧州産の物産ではありません。 中国や東南アジアの産物。 当時の東アジア交易圏で スペイン ○ フィリピンを拠点に、メキシコの銀を導入 1624年断交 ポルトガル ○ マカオを拠点に、中国の生糸を導入 オランダ ○ 1624年 台湾占領 ○ 1619年 バタビア(インドネシア)占領 イギリス ○ 1619年 バタビア守りきれず 東シナ海の交易圏をだれが握るか?で各国が陣地取りをしていたのが17世紀初頭の東アジアの状況。 その陣地取りの勝者がオランダであり、徳川幕府に対する政策として 恭順姿勢 オランダ 強硬姿勢 スペイン という基本姿勢があり、恭順姿勢のオランダが優位にたったということになります http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AF%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 この時代の大まかな流れのトピックスが 上記の事件となります
お礼
参考URLまで貼付して頂きまして、 とても大きな資料になりました。 恐縮です。 ありがとうございます。
- takuranke
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オランダはキリスト教の布教を一切しないと約束した国だから。 オランダはプロテスタントのカルヴァン派を信仰しており 当時、ヨーロッパではプロテスタントが台頭してきたので、 カトリックは勢力の拡大をはかるために、 遠隔地(南北アメリカ)への布教を始めました(東ヨーロッパ以東の国には東方正教があり、力があったので布教するには無理があった) 信長は外国の技術などが欲しかったので、布教活動を認める代わりに、 技術や知識を提供させましたが、 カトリック教会が、日本国内で色々やり始めたころ信長が死に、秀吉が天下を取りました、 その時にカトリック教会は奴隷商人に協力をして(率先していた事もあったらしい)、 日本人を奴隷として外国に送っていました。 ちなみに南米でカトリック教会が行っていた事は、 秀吉や家康は知っていたようです。 信長も西洋の奴隷制度には顔をしかめたそうです。 なので、カトリックに不審を抱いた秀吉やその後の家康は、 キリスト教の禁止令を出しました。 オランダはスペインから独立したばかりで、 色々吹きこんだのかもしれませんが、 プロテスタントは特に勢力拡大を図る必要がなかったので、 日本で布教禁止と言われても困ることはなく、 布教しませんと約束をして交易のみ行うようになりました。 イギリスは単にオランダに日本での貿易戦争で負けたので自主的に撤退し、 インドに勢力を伸ばしました。 かなり大雑把な説明ですが、こんな感じです。
お礼
とても簡潔かつ分かりやすい回答を頂まして、 とても感激です。 ありがとうございます。
- kigurumi
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スペイン(イスパニア)はカトリック国で、オランダはプロテスタントの国だったからだと思います。 カトリックのイエズス会によって めちゃくちゃに日本がされてしまい、ウイルスにより日本を破壊されないためには、門戸を閉じて、毒性の薄いプロテスタントの国から 異文化の品物を輸入しよう ってなったそうです。
お礼
回答ありがとうございます。
- okestudio
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やっぱり西欧でもキリスト教の国じゃないからではないですか?キリスト教が広がったら幕府 に歯向かう勢力になるやも・・・
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
とても具体的な回答を頂きまして、 納得することができました。 感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございます。