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近衛とヒトラーとムッソリーニ

第二次世界大戦時ヒトラー、ムッソリーニの日本での人気はどの程度のものだったのですか? 近衛首相はヒトラーの真似をしようとして戦争を拡大させたのでしょうか?

みんなの回答

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

まだドイツでも「変わった政治家」と見られていたミュンヘン一揆については、当時日本では「ドイツでヒトレル氏なる人物が騒ぎを起こして逮捕された」とベタ記事で紹介された程度だったようです。 なお、細川護熙元首相と近衛文麿が外祖父の関係であることは有名ですが、国民人気はあったけどお坊ちゃん気質、政権を突然投げ出したところは共通しているなんていわれたりします。 当時の政治環境って、今とすごく似ているんですよ。政治家は政争をするばかりで国民生活がないがしろにされている、東北では飢饉なんかが発生したりしましてね。え?私は昭和初期の話をしているんですよ。当時の日本と今の日本が違うのは軍隊がクーデターを起こしたり暴走したりしないことです。政治が政治家同士で足の引っ張り合いをするばかりで何も進まないので陸軍がイラついて暴走し、それを政治がまったく止められなかったのが昭和初期の政治です。 近衛文麿はそういった国難の事態に優柔不断を繰り返し、当時泥沼になっていた日中戦争が停戦の方向に進んでいたのに中国人の二枚腰に翻弄されて「国民党(蒋介石)は交渉の相手にならねえよ」と国際的失言をして日中戦争をさらに泥沼化させました。 話は横道にそれますけど、日本人はヒットラーみたいな独裁者ってのを本能的に好まない民族です。今の日本の政治家で最も独裁者に近い存在は小沢一郎氏でしょうが、彼を嫌悪する国民は少なくありません。

strg733
質問者

お礼

当時と今と政治が似ているというのはなんとなく分かります。鳩山さん、菅さんと優柔不断な人が総理になっていることを考えると近衛さんがいつも頭に浮かびます。ご回答ありがとうございました

回答No.2

当時の新聞報道では、ヒットラーが政権を取った1936年まではほとんど紙面に登場する事のない無名の人でした。 報道され始めた1936年以降は思想弾圧やユダヤ人迫害などを非難する記事が多かったようです。 1938年のベルリンオリンピックを境に強いリーダーとして賛美する風潮が出て来ましたが、 ヒットラー賛美の裏には、先の回答者さんがおっしゃられていたように優柔不断な近衛文麿に対する当て付けがあったようですね。 ヒットラーの著書「わが闘争」は日本語訳され、戦前もそこそこ読まれていたようですが、日本語訳する際に日本人を思い切りバカにしているアーリア至上主義のくだりは大幅にカットされています。 ムッソリーニについては当時の日本とイタリアは外交的に接点がなっかたので、ほとんど報道される機会もなかったようです。

strg733
質問者

お礼

ヒトラーに対する批評は賛否両論だったというところですかね。ムッソリーニについての報道が無かったというのは面白いですね。日独伊は互いに関心があったはずと想像していました。ご回答ありがとうございました。

回答No.1

昔生前の両親から聞きましたが、ヒトラーもムッソリーニも日本では人気はなかったそうです。 特にムッソリーニって誰?と言うくらい有名ではなかったとか。 近衛文麿は真似ではなく、菅直人首相のように無能なだけでどんどん傷口(戦局)を広げた人のようです。 優柔不断な人だったようですよ。 戦後は調子に乗って平和憲法なるものを連合軍と一緒になって作っていましたが、戦犯の指名を受けたら自殺した卑怯者です。

strg733
質問者

お礼

人気の有る無しに知られてもなかったと言うところでしょうか。たしかに対ソ連というところでのドイツへの関心も当時の一般庶民にとってはどうでもいいことであったのかもしれませんね。ご解答ありがとうございました

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