- ベストアンサー
昭和初期の高崎線と両毛線について
普段利用している電車が昔はどのような列車だったか子供に質問されてこたえられませんでした。 よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
http://www.pacific571.com/ ↑ご参考(蒸気機関車の画像) 私は、昭和25年生まれなので、昭和初期頃の高崎線及び両毛線の状況は存じませんが、明治44年生まれの父(故人)や大正9年生まれの母(91歳)の話を聞いてますので、凡その様子は分かります。 昭和30年代前半の頃は、私も小学生でしたから実際に見てますが、両毛線は電化されてなかったので真っ黒の蒸気機関車または青色のディーゼル機関車が焦げ茶色の客車を牽いてました。 実際に、両毛線小山駅から大平下駅まで蒸気機関車が牽く列車に乗った事があるので間違いないです。 高崎線は昭和30年代には電化されてましから蒸気機関車と電車の両方が走ってましたが、昭和初期では日本中の路線は全て蒸気機関車が焦げ茶色の客車を牽いてたはずです。 因みに、客車は1等車(現在のグリーン車)と2等車(現在の普通車)と呼んでました。 客車内は、床や座席は木製で床の手入れに使う油の独特の臭いがしてました。 当時は、客車内でも喫煙は自由だったので、床の油とタバコのヤニの臭いが混じって臭かったですが、座席の窓が上下に開閉出来たので、子供だった私は列車に乗ると直ぐに窓を少しだけ開けてました。 昭和初期と昭和30年頃の蒸気機関車の様子は映像などを視ても殆んど変わってないので、昭和初期も同じような様子だったと思います。
その他の回答 (1)
- RTO
- ベストアンサー率21% (1650/7787)
回答No.1
蒸気機関車が牽く 雑多な茶色い客車列車 いずれも電化は戦後なので 電車じゃありません
お礼
サイトの情報まで入れてもらいありがとうございます。