- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:評定所(江戸時代)の合議制について。)
江戸時代の評定所と合議制について
このQ&Aのポイント
- 江戸時代の政治体制である評定所は、老中と三奉行を含めた合議制のシステムでした。
- このシステムは、鎌倉幕府の評定衆と似たものであり、有力者同士の利害関係を調整するための平和的な解決を目指していました。
- しかし、この合議制が全会一致を原則としていたことには疑問があり、効率的な意思決定ができたのか疑問が残ります。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>このような合議制というシステム自体は、鎌倉幕府の評定衆も似たようなものだったし、有力者同士の利害関係を調整するうえで、武力を用いずに平和的に解決しようっていう意図があったんだと思います。 (↑そういう理解でよいのでしょうか?) その考えで正しいですよ。 >>それにしても不思議なのは、このシステムで全快一致という原則をとっていた理由です。実際の政治をやっていくうえで、不都合はなかったのでしょうか? 多数決と異なり、全会一致をとる場合、一人が頑なに反対したりしたら、何も決まらなくなって、すごく効率が悪そうです。 (1)評定所の役割としては、管轄の違う訴訟、藩内部の訴訟、藩と藩との訴訟、町人と旗本や御家人に対する訴訟を受付ました。 (2)その構成員は、あなたのおっしゃる通り、町奉行、寺社奉行、勘定奉行、老中(1名)でした。また、陪席として大目付と目付が加わりました。しかし、寛文年間頃になると、老中や大目付、目付などが加わらず三奉行だけでの審理も行われました。 (3)老中が進行役で合議制。反対意見がある場合は、その反対理由を明らかにし、再度審理をしましたので、多くの場合「全会一致」に到達できました。
お礼
多くの場合、全会一致に到達できたのですね。 利害関係が対立しているときに、評定所でどういう駆け引きがあったか、とても気になるから、いろいろ調べてみたいと思います。