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自殺対策支援と震災復興支援

東日本大地震の復興支援は衆目を集め義捐金やボランティアも活発に行われているようですが、 東日本大地震と同じくらい毎年死者を出している自殺者への支援はどうして活発にならないのでしょうか? 東日本大地震の被災者のことを思うと胸が張り裂けるという人が結構いますが、そういう人は何故、自殺者には無関心で来れたのでしょうか? 震災により亡くなった人と自殺により亡くなった人は、そんなに決定的に違う何かがあるのだろうか?

みんなの回答

回答No.7

私の廻りでの見解です。 今回の震災は大規模ではありますが、個人レベルでは、 日本国内で日常的に発生している事実です。 ある日突然、会社が倒産、 大黒柱が突然死、 災害で家屋消失、 火災で家屋焼失、 etc。 4ヶ月間もどうして、劣悪、不自由は避難所に留まるのですか。 仮設住宅」に移っても、職場の保障も無く、生活費は自立しなければならないのですよね。 将来の職場も今まで以上の繁栄も無い過疎を含めて、 将来の劇的繁栄希望も何も無い地域に、 そのまま再建して又津波が来ますよね。3.4回もあるのですから。 税金?で建設業界が一時的に潤っても、それでその地域はどうなりますか? 奥さん無くした市長さん?は感動的でしたが、 息子や孫の事を考えたら、単純に震災前に戻すだけでは、 地域の将来の課題解決には程遠いですよね。 将来設計、現状解説から、10年後、20年後の地域住民を主体に考えた統廃合を考えた、 行政体制改革のビジョンは無いのですか? 行政主導者、市長、町長は地域の理想像に今こそ出来るのです。 大規模な組織変更等々今なら簡単でしょ。 今出来なければ、100年後も同じでしょう。 部外者ですが、今書いたよう地域で借金があり、 仕事が無い、返済予定も当然立たない、子孫に負担させない手段は 自殺して免責か生命保険での決済、以外無いですよね。 全ては行政に責任があります、なんの行動もしていません。 4ヶ月も経て、想定外でなにも出来ないままです。 会社なら、倒産してますよね。 お役所仕事、ですか?

  • covanonki
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回答No.6

>「現実に自殺問題と向き合」うという定義が曖昧ですが、 >あなたはきっと、実際に何か具体的な活動をすれば、 >それで、現実に自殺問題と向き合っていることになり、論じる資格があり、 >具体的な活動をしていなければ、論じる資格は無いと考えているのでしょうね。 >だから聞いてもいないのに、わざわざ、 >「私はリアルに自殺対策支援の活動にかかわっています。」なんて言うのでしょう。 違いますよ。あなたがどのような立場でこの質問や回答へのレスポンスをなさっているのか 確認したかったからです。あなたが他の方へなされている回答にはそう思わせている節があ りますから。当事者か、もしくは支援者か。今でもどちらかではないかと勘ぐっています。 売り言葉に買い言葉で、私も少し攻撃的になりすぎたかもしれませんが、前回も記したとお り、あなたの回答に違和感を覚えたから私は回答したのです。 客観的に考えれば、たった一日で、かなり大量の人が亡くなった事が人々の心に与える ショックが計り知れないということは容易に想像できますね。普段死に対する関心を持たな い人たちにまで死に対して関心を抱かせるほどに。 震災が起きた時、悩みましたよ。私自身受けたショックも大きかったですし、年間の自殺者 数に近寄らんとする数の被害者の数が報告されるにつれ、あなたと同じようにも感じました よ。年間に自殺で亡くなる方の数はこの数より多いのに、そちらには注目されないんだよ な、って。 だけど、すぐに打ち消しました。命の価値に差はないと思ったからです。大切な命を失われ た人のことを、当事者でもない人間が比較することは違うと感じたからです。大切な身内や 友人を失った人たちの気持ちは、その原因が自殺であれ、震災であれ、同じように苦しみ、 胸をえぐるような思いをするはずですから。 また同時に、この光景を見て、私が関わっている人たちは、どのような感情を抱くのだろう か、ひょっとして思いつめて先走りはしないか、不謹慎な人が「もっとリアルな現状(=体 育館に被災者の遺体が並べられている光景)をなぜマスコミは報道しないのか」などと口走 るのを見て、本当に居たたまれない思いがしましたよ。 なぜその光景を見た人たちがどのような感情を抱くのか、この人たちは想像できないのだろ うか、と。 へんな話、たとえば日本以外の国で、どなたかが自殺されたというニュースを耳にしたとし て、その事に私が関心を持てるかと言えば、恐らく無関心でいる可能性の方が高いと思いま す。 私は活動にかかわっているからこそ、せめて国内の自殺問題の動向に対して、比較的そうで ない方に比べれば関心を持つことができます。ですが、そうでない方が、この問題に対し て、関心を持て、と言っても、本人が遺族であるか、身内に希死念慮しゃがいるかのどちら かでない限り、これを要求するのは無理がありますよね。 だからこそ、その事態を問題であると感じた人たちが広報活動や啓発活動を繰り返し、自殺 問題の存在を人の目に付きやすい工夫を行ってきたからこそ、このころになってようやく一 般の方の目にもこの自殺問題が目につきやすくなったんです。 マスコミでも報道される割合が大きくなりましたよね。2006年に大綱が作られ、政府行政が 一丸となってこの問題に取り組む体制が生まれたからなんですよ。 それだけで、それまで自殺対策という活動に対して真剣でなかった地域では、自殺者の数が 減った地域さえあります。 それと、今回の震災に関連して、恐らくこれから、さらに希死念慮者の数が増えると想像さ れます。今回の震災の被災者で生き残った人たちに対する支援やケアを行うことは、これか ら先に想像される新たなる自殺問題のリスクを回避、もしくは軽減させる手段でもあるんで す。

hos28
質問者

お礼

> 違いますよ。あなたがどのような立場でこの質問や回答へのレスポンスをなさっているのか > 確認したかったからです。 私の立場によって、これまで私が表明してきた意見に対して、あなたの見方/評価が変わるということなんでしょうね。まぁ、そのような考え方は、ある程度理解できるし、そのような考え方をする人が少なからずいることは私の少ない経験からも確認できますが、私はそのような考え方には基本的には与できません。 このような考え方は、繰り返しとなりますが「自殺対策支援の広がりを阻害する可能性」があるでしょう。 > だけど、すぐに打ち消しました。命の価値に差はないと思ったからです。大切な命を失われ > た人のことを、当事者でもない人間が比較することは違うと感じたからです。大切な身内や > 友人を失った人たちの気持ちは、その原因が自殺であれ、震災であれ、同じように苦しみ、 > 胸をえぐるような思いをするはずですから。 上記の部分が、私が知りたかった部分を説明しているように思うのですが、 あなたが何故「打ち消」すことになったのかの因果関係が、 上記の文章を読んでもすみませんが良く分かりません。 >当事者でもない人間が比較することは違うと感じたからです。 (中略) >私は活動にかかわっているからこそ、せめて国内の自殺問題の動向に対して、比較的そうで >ない方に比べれば関心を持つことができます。ですが、そうでない方が、この問題に対し >て、関心を持て、と言っても、本人が遺族であるか、身内に希死念慮しゃがいるかのどちら >かでない限り、これを要求するのは無理がありますよね。 やはり、当事者だったり具体的な活動をしていなければ、論じる資格は無いと、 仰っているように思えますが、違いますかね? ちなみに、私は、他の人に対して自殺者に関して関心を持て、と特に言っているのではありません。 質問分に書いた通り、 「東日本大地震の被災者のことを思うと胸が張り裂けるという人が結構いますが、そういう人は何故、自殺者には無関心で来れたのでしょうか? 震災により亡くなった人と自殺により亡くなった人は、そんなに決定的に違う何かがあるのだろうか?」 ということを知りたいということです。

  • covanonki
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回答No.5

>特に「不躾な表記」とは思いませんが、 >直接の関係者(自殺対策支援の活動の関係者なのか、自殺した人の関係者なのか、上記から >は読み取れませんが)でない場合は、 >不躾であっても良いと考えているのですね。 いえ、この後に続けようと思った言葉を表記するかせまいか、迷ったからこのように表記し ました。つまり、「あなたは現実に自殺問題と向き合っていないのに、机上の空論で自殺問 題を論じていませんか?」という言葉です。 きっとあなたは、自殺問題に対して、どちらかと言うと理解があるタイプの方で、本質を理 解されている方だとこれまでの(私以外の回答も含めた回答への)回答から私は推測してい ます。 しかし、根本的に、「自殺対策支援」と今回の震災復興支援とを同じ土俵で比較しようとす ることに違和感を覚えたので、私は回答をしようと思いました。 偽善的表現ですが、命の価値を貶める恐れがあると感じたからです。 今回の震災で、希死念慮を抱く方から、良くこんなお話を耳にします。 「(死にたいと思っている)私のようなものが生きているのに、(まだまだ生きていてほし い)震災の被災者の人たちはこんな目に会って、とてもショックだ」 という言葉です。 希死念慮者が被災者の為に、自らの苦しさに対して無理をしてでも募金活動を行ったという 話もよく耳にします。お金などないはずなのに、募金箱を見かけるたびに募金を行うので す。「これくらいしか私がやってあげられることはないから」と。 そして、繰り返し津波で押し流される町の映像を見、また何度も繰り返し報道される被災者 の数を見せつけられるに従って、従来の希死念慮者が、さらにその思いを強く抱き、うつな どの症状を悪化させてしまうケースも耳にします。(もちろん、逆にこんなに苦しい人が 居るのに、私たちはもっと頑張らなければならない、と立ち直る覚悟をした人の話も伺って います。) つまり、自殺という結論に、もっとも近い立場にいる人たちでさえ、今回の震災に対して 自分たちがおかれた状況よりもあまりに悲惨である、という認識をしているのに、もしあな たが自死という問題と直接的で関わる立場にない状態にあるのだとしたら、その立場で震災 の被災者たちと自殺者との比較を論じられるような立場にいらっしゃらないのではありませ んか? また、もし、支援者であり、本当に問題の本質を理解されているのであれば、私と同じよう に感じると思います。 もしあなたが当事者であるのならば、未だに収束のつかない、怒りや絶望に近い感情から、 上記のような状況を把握したうえで尚、自殺問題に国民が関心を向けないことに対する感情 の方が先に立つ、ということにも共感できないわけではありません。 人の命にかかわる問題ですから、私自身、言葉の用法については細心の注意を払っているつ もりです。ですが、当事者以外には不躾に感じない表記方法でも、当事者には不躾だと感じ るケースがあるのです。 非常に些細な部分ですが、私自身の表記の中にも、もし当事者が見れば怒りや悲しみの感情 を抱くであろう表現もいくつか含まれています。ですが、あなたは私の表現を見ても、不躾 だとは感じなかった、と表記されていますね。 そういうことです。 あなたが、議論する必要がない、と感じている分に関してはあなたがそう感じる以上、私も これ以上何か言うことはありせん。私も、一閲覧者として、あなたとあなたに考え方の近い 方が議論する様子を傍観するとしましょう。

hos28
質問者

お礼

毎度回答、ありがとうございます。 >>特に「不躾な表記」とは思いませんが、 >>直接の関係者(自殺対策支援の活動の関係者なのか、自殺した人の関係者なのか、上記から >>は読み取れませんが)でない場合は、 >>不躾であっても良いと考えているのですね。 > >いえ、この後に続けようと思った言葉を表記するかせまいか、迷ったからこのように表記し >ました。 残念ながら、意味不明です。 >つまり、「あなたは現実に自殺問題と向き合っていないのに、机上の空論で自殺問 >題を論じていませんか?」という言葉です。 (中略) >また、もし、支援者であり、本当に問題の本質を理解されているのであれば、私と同じよう >に感じると思います。 「現実に自殺問題と向き合」うという定義が曖昧ですが、 あなたはきっと、実際に何か具体的な活動をすれば、 それで、現実に自殺問題と向き合っていることになり、論じる資格があり、 具体的な活動をしていなければ、論じる資格は無いと考えているのでしょうね。 だから聞いてもいないのに、わざわざ、 「私はリアルに自殺対策支援の活動にかかわっています。」なんて言うのでしょう。 このようなある意味傲慢ともいえる態度が、自殺対策支援の広がりを阻害する可能性があるということは、自覚しておいた方が良いと思われます。 >しかし、根本的に、「自殺対策支援」と今回の震災復興支援とを同じ土俵で比較しようとす >ることに違和感を覚えたので、私は回答をしようと思いました。 あなたの違和感は、私の考えですが、まっとうなものだと思います。 私自身も「同じ土俵で比較」するのは何かおかしいと感じます。 私が知りたいのは、別の言い方をすれば、何故「同じ土俵で比較」するのに違和感があるのかということです。 この違和感が何に由来するのかを考えることが、真の自殺対策支援に繋がっていくような気もします。 >きっとあなたは、自殺問題に対して、どちらかと言うと理解があるタイプの方で、本質を理 >解されている方だとこれまでの(私以外の回答も含めた回答への)回答から私は推測してい >ます。 きっとあなたは、自殺問題に対して、どちらかと言うと理解があるタイプの方だと思いますが、 本質を理解しているかどうかは、これまでの回答からは疑問です。 そもそも私自身、本質を理解しているか疑問ですし。

  • covanonki
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回答No.4

No.3です。 >もう一つの質問「東日本大地震の被災者のことを思うと胸が張り裂けるという人が結構い >ますが、そういう人は何故、自殺者には無関心で来れたのでしょうか?」についてはどう >でしょうか? >これはもう少し一般的に言い換えると、 >自殺により、東日本大地震と同じくらい毎年死者を出しているのに、 >東日本大地震と比較して、どうして自殺に対してそんなに「自粛」が行われないのか? >といことで、これも「定量的な比較」の問題です。 >自粛に関しては、支援と違い、震災と比較してそんなに行いにくいということは無いと思 >います。 >特に質問文に書いたように、「思い」の部分であれば、ほぼ同等かと思います。 自粛・・・ですか。つまり、自殺者が毎年3万人を超える数を記録しているのに、どうして 国民はそのことに哀悼の意をささげ、消費を控えるような真似をしないのでしょうか、とい うことでしょうか。 自粛は行われていると思いますよ。一人の方が自ら命を絶たれたとして、仮にその人に関係 する人が平均で4名いたとして、年間で12万人を超える人が身内、もしくは友人・知人の 死を悼んで自粛をしていると思います。(実際には自死者の10倍に上る、と言われていま す) しかもこの数は毎年ですから、積算すると、相当の人口になると思いますよ。 やはり自粛に関しても、公開されている情報は限られていますから、やはりあなたの目に映 りにくいだけだと思います。特に遺族は、その苦しみがゆえに、5年、10年と苦しみ続け るのです。最大の自粛は、(とても不謹慎な表現だとは承知していますが)後追いで自殺し てしまうことです。 震災にしても、きっと同じことが言えると思うのです。 あの大津波で、3月11日に亡くなった方に対しては、あれだけセンセーショナルな報道が なされたのですから、多くの方が関心を持ち、哀悼の意をささげたでしょう。 ですが、きっとこれから後、この大津波の影響で、2次的、3次的な被害を受け、命を失う 結果に至る人も多く生まれると思います。 ですが、きっとそういった報道は「自粛」されるでしょう。数年後、その総計が報道され、 国民に示されたとして、一体、どの程度の人がそのことに関心を持つでしょうか。 ちなみに、私はリアルに自殺対策支援の活動にかかわっています。 あなたはどうですか? (ひょっとして、直接の関係者であった場合は、私の不躾な表記に 関して、お詫びしたいと思います)

hos28
質問者

お礼

再度の回答、ありがとうございます。 > 自粛・・・ですか。つまり、自殺者が毎年3万人を超える数を記録しているのに、どうして > 国民はそのことに哀悼の意をささげ、消費を控えるような真似をしないのでしょうか、とい > うことでしょうか。 そうですが、「これも「定量的な比較」の問題です。」。 > 自粛は行われていると思いますよ。 (自殺に対する)自粛は行われていると、私も思います。 しかし、今回の震災と比較して、量的には少ないと思います。 > やはり自粛に関しても、公開されている情報は限られていますから、やはりあなたの目に映 > りにくいだけだと思います。 「これも「定量的な比較」の問題です。」と明記した質問に対しての、上記のあなたの回答ですので、 あなたは、(自殺に対する)自粛は震災と比較しても、量的に同程度実際には行われていて、 私の「目に映りにくいだけ」ということで理解しました。 (要するに私の質問自体が成り立たないということ) 自粛に関して量的な比較をエビデントベースで示すことは困難と思われるので、この点に関しては議論しません。 私と同じように、(自殺に対する)自粛は震災と比較して少ないと考えている人の回答を待ちたいと思います。 > ちなみに、私はリアルに自殺対策支援の活動にかかわっています。 > あなたはどうですか? (ひょっとして、直接の関係者であった場合は、私の不躾な表記に > 関して、お詫びしたいと思います) 特に「不躾な表記」とは思いませんが、 直接の関係者(自殺対策支援の活動の関係者なのか、自殺した人の関係者なのか、上記からは読み取れませんが)でない場合は、 不躾であっても良いと考えているのですね。

  • covanonki
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回答No.3

問題は、支援する側よりも、される側にあると思いますよ。 「自殺」する人って、自殺するまで、ずっと死にたいと思っていても、誰にも伝える事が出来 ないし、支援される側が「助けてほしい」って言えない以上、支援する側もどんな手の差し伸 べ方をしてよいのか判らない。 理解が十分でない人が、下手に支援に関わろうとすると、却って余計なことをしてしまい、支 援される側を追い込んでしまう。 また、自死の問題で一番ネックになってくるのが「自死遺族」の問題です。 本当は、誰よりも一番苦しみを抱えていて、喉から手が出るほど支えてほしい遺族が、言えな いんですよ。いちばん肝心なことを。 「私の子どもが自殺で死んでしまったんです」 「私のお父さんは自殺で死んでしまったんです」 「私のお兄ちゃんは・・・」 言えないんですよ。人によれば、10年も、20年も。 本当にセンシティブな問題です。 今回、震災で被災された皆さんは、確かにおつらい思いをなされたでしょう。小さなお子さ んだっていらっしゃいます。お身内を全てなくされた方だっていらっしゃいます。本当に、 被災しなかった地域で、私が言及することすらおこがましいほどだと思います。 ですが、テーマが自殺問題との比較ですから、その視点であえて言わせていただけるなら、 被災された皆さんは、みんなに注目してもらうことができます。テレビも取材に来ますし、 多くの方に苦しみを共感してもらうこと(理解ではないですよ)が比較的容易です。 人前で泣き叫んだとしても、誰も責める人はいないでしょう。むしろ進んで手を差し伸べ、 肩を抱き抱えてもらえるかもしれません。 だから、彼らは声高らかに叫ぶことができます。「支援がほしい」と。 理解しやすい。分かりやすいですから、支援する方も比較的支援の仕方が容易です。 だからこそ、誰からも頼まれてすらいないのに、率先して、自ら支援の手を差し伸べようと したりします。 だけど、自ら死を選ぶほどの苦しみを抱いている人や、身内を自殺で亡くした方々は、そう いうわけにはいかないんです。それには、未だにこの国の思想の根底に、「自殺=悪」とい う思想が根付いているからです。 たとえ周囲がそう思っていなかったとしても、本人たちの中にそういった意識がある。 本人たちは自己開示したくとも、周囲にはまだまだ理解が行き届いていない。 確かに、支援する側からみれば、自殺は防ぐことのできる問題です(もちろん100%と は言いません)。ですが、それは個人が一人一人で解決できる問題ではなく、様々なセク ションが、多層的、マルチなレベルで複数の問題に対して関わり合い、また地域特性に対し ても、非常に複雑な連携を図っていかなければ、とても解決できる問題ではありません。 そして、「防ぐことができる」と言われた当事者たちの気持ちを思い知ってほしい。 遺族からすれば、「防ぐことができる問題なのに防ぐことができなかった」という感情を 生じさせるのです。自らを追い込み、2次的な被害者を生む。 また、自殺は「己の選択」なのか。生まれた時からDV家庭に育ち、両親から暴力を受け、 場合によっては性的な行為まで強要され、自らの人格を否定しながら育った子どもたちが、 「己の選択」で死を選ぶと本気で考えているのか。 「死」という手段は己の選択かもしれない。ですが、、「死を選ぶ」事しか選択肢が残され ていなかったら、それはすでに「己の選択」とは言えないと思います。 それと、勘違いしてほしくないのは、「貧困」の問題は左翼的ですが、「自殺」の問題は 必ず中道でなければ解決できない問題です。支援の手を差し伸べない誰かを批判するのでは なく、説得し、協力し合える関係性を築かなければ、被害を受けるのは当事者たちですか ら。 行政とも、民間団体とも、企業とも、それぞれに対して、フラットな関わり合いの仕方をす ることが大事。トータルでケアを施していく体制を作ることが大切。 それと、ご質問者さま。あなたは「自殺者への支援」が「活発にならない」と考えていらっ しゃるようですが、それはあなたの目に映らないだけ。 http://blog.goo.ne.jp/nonkinonki_001/e/eba9d510aa7763c9e972e678ade80370 私は四国の人間ですが、長い間自殺率が最も多い地域と言われていた秋田県を中心に、特に 東北地方では、本当に真剣に自殺問題にたいして取り組んでいらっしゃいます。 上記記事にある、「いのちを守る いのちを支える 全国フォーラム」は、毎年東北地方 で、各県が持ち回りで開催しています。 秋田県の「NPO法人蜘蛛の糸」という団体の代表でいらっしゃいます、佐藤久男さんが発起 人となって始めた活動です。 もちろん、現在地域間格差があり、積極的でない地域があることも事実。 ですが、どの地域も結局、「関心がない」わけではなく、「どのような支援の仕方をすれば いいのかわからない」というのが本音です。 今の政権では、福島瑞穂氏が担当を退いて以来、自殺問題に対しては、まるで存在しないか のようにしてなりを潜めてしまいましたが、2006年。当時民主党参議院議員の故山本た かし氏が中心となり、超党派議員立法で「自殺対策基本法」を成立させました。 http://www.lifelink.or.jp/hp/syomei_giinyuushi.html 以来、日進月歩でこの問題に対する取り組みは、大きく組織化しています。 http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/ http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/index.html http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/index-w.html あなたの目に見えないところで、数多くの人が、この問題に取り組むため、「官」「民」 「学」を中心に、必死に活動しています。各県に対して、対策のための予算もついています し、明らかに以前とは自殺問題の位置づけは変化していることをご理解下さい。

hos28
質問者

お礼

具体的な回答、誠にありがとうございます。 仰ることは理解できたつもりです。また基本的に同意見です。 まず質問の文章がまずかったですが、 「自殺者への支援はどうして活発にならないのでしょうか?」 というのは、東日本大地震と比較して、どうして活発にならないのかという、 「定量的な比較」の問題です。 紹介頂いた、自殺に取り組むサイトのいくつかは既に存じていますが、 これらの自殺に対する取り組みの量(関わっている人数、支援金額、メディアでの取上げ量、等)は、 東日本大地震と同じくらい毎年死者を出しているのに、 何故、東日本大地震と比較して少ないのか?ということです。 (もっとも、具体的な、それぞれの量は、ちゃんとは把握していませんが) この理由の一つとしては、回答頂いたように、支援のし易さ、分かり易さ、認知度にあるのでしょうね。 地震による震災の被害は、各種メディアにより大量に伝えられているし、また支援の仕方も自殺と比較すれば簡単でしょう。 極論すれば、「分かりやすくて簡単だから」、地震による震災の支援の量は自殺のそれより大きくなっている、ということが出来るかと思います。 もう一つの質問「東日本大地震の被災者のことを思うと胸が張り裂けるという人が結構いますが、そういう人は何故、自殺者には無関心で来れたのでしょうか?」についてはどうでしょうか? これはもう少し一般的に言い換えると、 自殺により、東日本大地震と同じくらい毎年死者を出しているのに、 東日本大地震と比較して、どうして自殺に対してそんなに「自粛」が行われないのか? といことで、これも「定量的な比較」の問題です。 自粛に関しては、支援と違い、震災と比較してそんなに行いにくいということは無いと思います。 特に質問文に書いたように、「思い」の部分であれば、ほぼ同等かと思います。 この理由も、分かり易さ、認知度が大きく影響していると思いますが、それ以外にも心情的に異なる何かがあるように思い質問させて頂きました。(個人的には、震災に対し自粛するのだったら、自殺に対しても同様に自粛を考えるべきではないかと考えています。もっとも、誤解を恐れずに言えば、そもそも、震災や自殺の実態をしっかり認識する必要はあると思いますが、自粛は基本的にあまり意味が無いと思います)

  • under12
  • ベストアンサー率12% (202/1670)
回答No.2

自殺は己の選択によるモノだから、それに税金を投入するのは不毛ではないか。 不正受給のための殺人が増えるだけですな。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.1

 まず自殺は防ぐことが出来るもの。災害は防げないことも多い。  NPOなどが自殺者に対してサポートはしていますが。ただ自殺を試みる方のプライドも関係します。施しは受けたくない。恥ずかしい等々。公的に助ける方法もあるのを拒絶することもある。  今回の震災で助かった方も自殺者が出てきます。 生きる目標、意味などが無いという事もあります。  自殺者を出された家族なども、自分が原因だと思ってしまうこともあります。  そして、自殺者を防ぐには周りが気がつくことで防げることもある。    自殺者の支援は自己責任という事であまり援助もないですからね。突発的に失った命の方が援助も多いですね。自ら命を失ったか、他からの外的要因かで変わる物です。これが違いかな。

hos28
質問者

補足

回答、ありがとうございます。 >自殺者の支援は自己責任という事であまり援助もないですからね。突発的に失った命の方が援助も多いですね。自ら命を失ったか、他からの外的要因かで変わる物です。これが違いかな。 自殺者は多くの場合、もともと死にたくて自殺したんじゃなく、金銭的な問題とか健康の問題とかで、死にたくないけど自殺したという人が多いと思います。 また洪水で被災した人の中も、低地に住んでいたら危険ということが知っていた(もっと厳しく言うと、知るべきだった)けど、危険覚悟で住んでいたという人もいるかと思います。ある人は用心深く情報収集して、危険だと考え、費用をかけて高台に移った人もいると思います。ある人は注意もせず、あるいはある程度危険だと考えていたけど、娯楽にお金を使いたいので、費用をかけて高台に移らなかった人もいるかと思います。 要するに、自殺者は自己責任で、震災被災者は自己責任ではないとは簡単に言えないと思います。 「自己責任だからあまり援助しない」ということが是か否かはおいておくおとして、自殺者の自己責任度合いと震災被災者の自己責任度合いは、そんなに決定的には違わないと僕は思います。

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