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英語の教科書で扱うべき文章のジャンル。

ここでは,高校2・3年用として話を進めてまいります。  私は高校の国語の教科書同様,評論・論説,小説,随筆,詩などを盛り込むべきだと考えます。説明文や物語は高校2・3年用としてはあまりにも幼稚すぎると思います。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ucok
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回答No.9

まず、中高の教科書にも一応は、評論・論説,小説,随筆,詩などが盛り込まれていますよね。私は文部科学省が高校卒業資格として課しているレベルは今のままでいいと思っています。ただ、それよりさらに上を目指したい人のためのカリキュラムはあってもいいかもしれませんね。 とはいえ、もっと盛り込むべきは、取扱説明書、商品の売買に伴う電子メール、市民向けの広報紙、質疑応答形式のインタビュー、軽い雑誌記事、映画の紹介記事やCDのライナーノーツ、などだと思うんです。 こうした素材は、独特の文体で書かれているわりには需要が多いといいますか、英語圏の社会人なら誰もが容易に理解できるものですし、むしろ、評論・論説,小説,随筆,詩よりも簡単に理解できるものだと、英語圏では考えられています。しかも、日本でも社会に出た時に、仕事で英語を使う場合は、まずこうした素材と向き合う羽目になります。むしろ、一般的な会社で評論・論説,小説,随筆,詩と向き合う機会など極めて稀です。

noname#157574
質問者

お礼

>もっと盛り込むべきは、取扱説明書、商品の売買に伴う電子メール、市民向けの広報紙、質疑応答形式のインタビュー、軽い雑誌記事、映画の紹介記事やCDのライナーノーツ、などだと思うんです。 国語の教科書にもありますからね。ご回答誠にありがとうございます。

その他の回答 (9)

  • cherry77_
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回答No.10

>それでは、あなたは英語の教科書でどんな文章を扱うべきだと考えますか。 英語に関してはTheWK1981 さんの提案するカリキュラムで教える学校があってもいいとおもいます。でも、英語以外の外国語を勉強したい人はどうすればいいんですか? 結局、中等教育で英語しか勉強できないという点では 大きな改革はないと思います。

noname#157574
質問者

お礼

>結局、中等教育で英語しか勉強できないという点では大きな改革はないと思います。 事実上そうなっていますね。謎です。

  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.8

再び失礼します。 わたしは反対です。読む量が徹底的に少ない、という大きな問題があるのに、これ以上程度を上げても、それでは、読む量が減るばかり。だいたいが、日本で教える英語は程度が高すぎるんです。だから習得できない。no more than と not more than はどう違うか、とか、そんなことより、しっかり発音できてしっかり聞き取れ、基本的な文が読んでも分かり、また書くこともできる。それでないと学習効果は上がりません。語彙は、興味のある分野の読み物を通じて積み上げて行きます。 英語の読み物は、「幼稚すぎる」かどうかではなく、「年齢相応の好奇心を刺激する」内容かどうか、が大切なことです。読んで分かって楽しい、ということが学習効果を高めるのです。 わたしは、英語の勉強法を求める質問に回答を書くとき、ナショナル・ジオグラフィックのサイト(「大人」用のと、子ども用のと、サイトふたつ)をよくすすめます。ちゃんとした英語で書かれていて、記事の種類も豊富、長さも取っつきやすい長さ、好きなトピックを選んで読めばいいので、英語学習用にたいへん適したサイトだと思います。こういうサイトがどんどん読めるようになったら、「新聞」系のサイトに行ってみればいいわけです。そうすると、論文なんかかなり読めるようになります。 _____________________________________________________________ 私は大学でフランス語を専攻しましたが、題材はフランス語でも 2年生あたりから TheWK1981さんの仰るようなジャンルをメインで勉強しました。これを英語で高校の段階からやるわけですね。 これもいいかもしれませんが、他の方も示唆されおりましたが、英文学が必ずしも仏文学とかロシア文学より優れているとも限らないと思いますが、英文学より仏文学とかロシア文学が好きな人はどうしたらいいんですか? 生徒に選ぶ余地はないんですよね?

noname#157574
質問者

お礼

補足に書かれている内容を撤回いたします。申し訳ございませんでした。

noname#157574
質問者

補足

 それでは、あなたは英語の教科書でどんな文章を扱うべきだと考えますか。また、英語の授業は何年から始めるべきだと思いますか。 私は中学1年(現在の小学5年)から始めるべきだと思います。まず文字の学習をした後、説明文や童話を扱うべきだと思います。

  • love_pet2
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回答No.7

>ですからこの際,修業年限は小学校:中学校:高等学校=4年:4年:4年とし,現在の小学5年生から英語の授業を取り入れます。そうなりますと中学校が英語圏における小学校の,高等学校が同じく中学・高校の内容を扱うことになります。 考え方が短絡的ですね。母国語と外国語では習得プロセスも違いますし、そう簡単にはいかないと思います。 ただ、インドなんかはそれに近いことをやっています。でも、インドの場合はヒンディー語なんかは母国語として 文学などにウィとを置きますが、英語は実用的な目的に特化しています。しかし、なぜ そこまで文学にこだわるんですか? こんなところでくだを巻いているので、TheWK1981さん自身、シュークスピアとかディケンズを原文で読破し、また 外国の英語教育事情ももっと調べたらどうですか?

noname#157574
質問者

お礼

>こんなところでくだを巻いているので、TheWK1981さん自身、シュークスピアとかディケンズを原文で読破し、また 外国の英語教育事情ももっと調べたらどうですか? 厳しい課題だな。

  • love_pet2
  • ベストアンサー率21% (176/826)
回答No.6

再度失礼します。 この種の「質問」のほとんどは質問ではなく「同意を求めている」だけと思われますが、BA捨てて私の意見を述べさせていただきます。 気持ちはわからないでもないのですが、「話す、書く」さらには「聞き取る」という能力において、「あまりにも幼稚すぎる」とおっしゃる程度の説明文ですらままならない高校生たちが、読解の難度の高い英文を「英語として理解」できる道理はないのです。もしも質問者様が「英文和訳」できることをもって英語が読めるとお考えなら、それはまったくの間違いと言わざるをえません。 英語の4技能(読む、書く、話す、聞き取る)は互い相互作用を持っていますが、難は易を含むという「技能の包含関係」があります。 すなわち「書ける英文はすべて読み取れる」、「自分の発音できる音はすべて聞き取れる」です。 従って4技能をバランスよく伸ばしていくには、能動的な力をまずしっかり身につけさせる必要があります。 英語の教材は「こういう英文が口をつき、英語話者がこの英文を口にしたときストレスなく理解できる」ことを主眼に作成されるべきです。それを踏まえると「日本語でも書けないような英文、まして英作文など不可能に近い文章」を読ませることにどういう意義があるでしょうか? そういう高度な内容の教材を使って「そういう英文が口をついて出る」だけの訓練をするというなら賛成です。正しい発音により、適切な強弱やイントネーションをもって「意味を読み上げる」ような音読すらできない生徒に、和訳によってはじめて内容を把握させるような教材や指導はもはや英語の授業ではありません。英文読解ではなく英文「解読」です。 ただでさえ授業時間が少なく、まともな基本も身に付かない生徒がそれだけの難度の英文を「英語のまま理解」し、自らの言葉として取り込めるような指導が可能とは思えません。英語ネイティブが生活のすべてを費やしながら10年以上かけて読める文章を、週数時間の授業だけを通じて同じものをやらせるのは適切ではありません。 中学で週に10時間も英語に費やし、発音、聞き取り、基本構文を徹底的に習熟させ、日本語の小学校3年生程度のレベルの英文が自在に読みこなせる力をつけさせた上でならば、高校に入って高度な英文を読ませることもよいでしょう。ただしその授業全体がすべて英語で運営されるならば、です。和訳など一切せずに、その教材の内容について英語で議論を交わさせるのであればそれだけの価値もあるでしょう。 簡単な会話もできないのに、難解な英文解釈の和訳で悩む質問者がこの知恵袋にどれだけいるか。 それを見るにつけ「なんと無意味で遠回りな学習を強要していることか」と悲しくなります。 私が高校の頃は、今よりはるかに難解な論説、評論、随筆の類が教材になっていましたが、英語学習に避ける時間も今とは比較にならなかったので、そういう教材でさえも「こういう英語が使える」ことを目標にすることがまだ可能でした。そういうスタンスで英文解釈に取り組んでいたものは高校を卒業するころには会話には困らなくなっており、簡単なレベルの同時通訳さえできる程度になっていました。もちろん「英文和訳」のみに心を奪われていたものは、5000語以上の語彙があるくせに、簡単な会話もできないままカタカナ読みで単語を覚え、通じない英語を暗唱し、まったく英語が使えるようにはなっていませんでした。 高度な内容を読みこなせる「前提」となる能動的技能の充実が先決だと強く感じます。 単なる教養言語として日本語を週に数回程度教える学校が外国にあったとして、そんな教育を受けた17,18歳の英語話者に日本語の論説や評論文を「さあ読め」と渡してどうなるかを想像すればわかると思います。

noname#157574
質問者

お礼

 あなたの考えを勘案いたしまして,4・4・4制が実現した暁には,扱う英文の内容は次のようになります。 中1・中2(現小5・小6)説明文,童話・物語,詩など 中3・中4(現中1・中2)説明文,物語・小説,詩,伝記など 高1・高2(現中3・高1)説明文・論説,物語・小説,随筆,詩など 高3・高4(現高2・高3)論説・評論,小説,随筆,詩など

noname#157574
質問者

補足

 童話,民話,小説は物語の一種で,小説は坪内逍遥が作った語です。中学入試ではこれらをまとめて物語文と呼ぶことがあるようです。

  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.5

できる人には確かにそれらの方が読み応えがあります。 しかし、教科書とは出来ない人向けに作られていますね。 すると、内容の吟味以前に、例えできる人には幼稚な文でも、ほとんどの生徒には、意味をとる(訳す)ことすらおぼつかない、といのが現状です。 それなのに、評論などを扱ったら、みんな嫌がり授業が成立しえない危険性が想定されます。 読み応えのある文の精読は、予備校、塾の担当でいいと思います。 因みに、詩は掲載されているものがほとんどですよ。

noname#157574
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • love_pet2
  • ベストアンサー率21% (176/826)
回答No.4

高校2・3年が習得しようとしている「英語」の水準は、英語圏でいえば、「小学校~中学校」ぐらいの水準ではないでしょうか。 習得する「英語」の水準に見合った、コンテンツの内容となってしまうのは、仕方がないように思います。 「習得する『英語』の水準」とは、学習者本人が、英作文できる、あるいは、話すことができる水準(学習者がoutputできる水準)を意味します。 その水準を大きく超えたpassageが、大学入試で出題される。そこに、大きなゆがみがあるような気がします。 学習者がoutputできる水準の、1.25倍ぐらいの水準が、読解・聴解する対象(inputする対象)として、ふさわしいような気がします。 質問者さんが、おっしゃるようにしてしまうと、「output水準:input水準」が、「1:1.25」という理想比から、さらに乖離してしまうことでしょう。例えば、「1:3」などのように。

noname#157574
質問者

お礼

>高校2・3年が習得しようとしている「英語」の水準は、英語圏でいえば、「小学校~中学校」ぐらいの水準ではないでしょうか。  ですからこの際,修業年限は小学校:中学校:高等学校=4年:4年:4年とし,現在の小学5年生から英語の授業を取り入れます。そうなりますと中学校が英語圏における小学校の,高等学校が同じく中学・高校の内容を扱うことになります。となると高校3・4年(現在の高校2・3年)は英語圏における高等学校の内容を扱うことになり,必然的に評論・論説,小説,随筆,詩などを扱うことになります。

回答No.3

>文学は情操教育のためにも充実させるべきだと考えております。 なるほど、英語のコミュニケーションの手段としての有用性はここでは度外視するわけですね。だとすると、外国語は必ずしも英語でなければならないという必然性もなくなります。特に フランス文学は珠玉の作品が勢揃いで 英米文学ともひけを取りませんし、ドイツ文学やロシア文学も無視できない素晴らしい作品が豊富にあります。そうすると、英文学一色というのは非常に偏りが大きくなります。これについてはTheWK1981さんが英米文学だけを特別贔屓しているのか、それとも フランス語やドイツ語は難しいから 先ずは英語から攻めるのか、どうなんでしょう? TheWK1981さんの意見では高校の英語で文学の比重を大きくして情操教育を施すという以前に、社会主義や共産主義のように 画一的な教育カリキュラムを全員に押し付けるという思想があるようです。 TheWK1981さんは高校の時の英語の教科書に不満や物足りなさがあったからだと思いますが、もっと広い視点で考える必要があると思います。

noname#157574
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

回答No.2

>国語(日本語)も外国語(ここでは英語)も言語という点では同じですが。 ちょっとここが考え的に浅はかなような気がします。 ええと、日本語=国語じゃないんです。 つまり、私たちが日本語力を培ってきたのは、学校の国語の授業だけじゃないんです。国語で賄い切れない分は、社会とか理科とかで補ってきたわけです。また、学校の勉強とは関係なく、テレビでアニメを見たり、マンガを読んだりしてきたことも 私たちの日本語力を育むのに大きく貢献してきたわけです。 私は国語教育がむしろ文学偏重だと思うんです。 高校の英語の教科書の英文に関しては 幼稚というより 内容的につまらないものが多いような気がします。 実際に、TheWK1981さんと似たような考えをもって、それに近いことを実行している英語教師もおります。 でも、TheWK1981さんよりはずっと深い信念をもっています。 TheWK1981さんの方向に沿って考えるのなら、一番いいのは ネーティブの英語の教科書です。でも、コミュニケーションrとしての英語を考えた場合、これをメインにするのはあまり相応しくありません。 TheWK1981さんは英語はコミュニケーションの手段という点では どう考えていますか? また、そこまで文学にこだわるのなら、ラテン語が外せなくなりますが、これについてはどう思いますか?

noname#157574
質問者

お礼

文学は情操教育のためにも充実させるべきだと考えております。

回答No.1

質問というより、議論のトピックのようですが、なぜ そのような問題提起をされたのか 経緯を詳しく書いた方がいいですよ。 それに、高校の英語は中学と違って 学校により教える内容やレベルのバラつきが大きいです。 逆に質問ですが、TheWK1981さんは 高校で使われいる教科書を何冊も比較検討してみましたか? センター試験の英語のことも考慮されましたか? 国語教育の問題点についても考えたことがありますか? 英語は得手不得手の差が非常に広がりますが、習熟度別教育に関してはどう思いますか? 高校の英語教育に関しては どこまで文部科学省が教育要綱を設け、どこまで学校側の裁量に任せるべきだと思いますか? 高校も、普通科、工業科、商業科などがありますが、それぞれの科によっても英語のウェイトは同じにすべきだと思いますか? 普通科の場合、必修の英語と選択の英語がありますが、これについてはどう思いますか? TheWK1981さんが高校の英語教育に求める理想は何ですか? また、何を目標にすべきだと思いますか? 私の考えでは、国語と英語はもともと方向性が違うものです。 学校によってはTheWK1981さんの仰るような題材を副教材として取り入れている学校もあります。

noname#157574
質問者

お礼

国語(日本語)も外国語(ここでは英語)も言語という点では同じですが。

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