• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:無限についての問答)

無限についての問答

beingpeaceの回答

  • beingpeace
  • ベストアンサー率19% (203/1025)
回答No.1

それはカントが突き詰めて考えた問題ですよ。その問いにはどれほど考えようとも原理的に答えが出せません。人間の理性には限界があるのです、 カント入門 (ちくま新書) [新書] http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480056297 カントはこう考えた―人はなぜ「なぜ」と問うのか (ちくま学芸文庫) [文庫] http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480092145 ま、他にも多数ありますが、一応ベタな回答はカントの「純粋理性批判」を読むと良い、という回答になると思います。死ぬほど難しいですが。

関連するQ&A

  • 無限とは何か

       問う人: 無限とは何か。 「人の道」: 有限でないことである。 つまり無限とは限りが無いことである。 無限の対極にあるのが有限である。 つまり有限とは限りのあることである。 問う人: 無限はどこにある。 「人の道」: そこらじゅう至る所に無限は有る。 一滴の水の中にさえ無限はある。 問う人: なぜ一滴の水が無限なのか。 「人の道」: 一滴の水の中に無限の宇宙があるからである。 つまりこれがミクロの宇宙である。 一滴の水の中に高度な文明があるかも知れんのである。 誰もこれを否定することなど出来ん。 問う人: 一滴の水の他にはどこに無限はある。 「人の道」: それは我々が今見ているこの宇宙空間である。 わしが手を伸ばす方向にどこまでも進んで行くと考えてみー。 いづれ壁にぶち当たり行き止まるゆー者もいる、また一周して元に戻るとゆー者もいる。 これらの者は宇宙空間は有限であると思っておる。 問う人: 宇宙空間は有限なのか。 「人の道」: それは違う。 宇宙空間は無限である。 宇宙空間に限りは無い。 問う人: 一滴の水とこの宇宙空間以外にも無限はあるのか。 「人の道」: もちろん有る。 それは我々が認識する時間である。 この宇宙は無限の過去から無限の未来に至るまで永遠である。 宇宙には始まりも終わりも無い。 問う人: では宇宙は有限であると考えるのはどーしてなのか。 「人の道」: それは願いである。 宇宙は有限であってほしいと願う人の心が無限の宇宙を有限なものにするのである。 問う人: ではなぜ人は宇宙が有限であることを願うのか。 「人の道」: それは恐れである。 無限であることを恐れる人の心が無限の宇宙を有限なものにするのである。 そして神が宇宙を創造したとなどと願うよーになるからである。 しかし宇宙は何ものかよって創造されたものではない。 神を含め何ものも宇宙を創造してはいない。 何故なら宇宙は無限であり、これを創ることは元より理に反するからである。 どーじゃ、これで無限が何か分かったか。 問う人: はい、よー分かりました。 一滴の水の中にも無限は有り、宇宙に限りは無く、宇宙は無限である。 「人の道」: 宇宙は無限に満ちており、この世界には始まりも終わりも無い。 皆にも訊いてみるとえー。 問う人: 宇宙は無限に満ちており、この世界には始まりも終わりも無いゆーこと、皆はどー思う。   

  • 恥ずかしながらこの歳になるまで時間は無限じゃないかと思っていたんですが

    恥ずかしながらこの歳になるまで時間は無限じゃないかと思っていたんですが、、、、。 宇宙物理の本(といっても一般向けの)を読んでいたら、時間には始まりがあるんですって。 宇宙のビッグバンとかいう言葉は聞いたことがあって、宇宙の始まり、実際にはビッグバンの「少し」前が始まりということは理解していたのですが、「宇宙が始まる前」なんてのを勝手に想定していて、時間はその前にさかのぼれるんじゃないかと、漫然と思っていたんです。 ところが、宇宙の始まりが時間の始まりであって、それ以前の時間は「無い」んだそうです。 科学は、ときどき非常識な真実をつきつけてくるものですね。 過去にも未来にも無限にたどれると思っていた時間ですが、過去に遡れるのは「ここまで!」で、時間は有限であることが分かった。 始まりがあると言われると「じゃ、おしまいは?」と聞きたくなるのが人情じゃないですか。 物理学では、宇宙の終わりは、今のところ「分からない」そうです。 いつの日かわかる日がくるのかもしれないですが、私の生きている間ではなさそう。 科学でわからないことは、宗教か哲学に答えを求めるしかない。 無限でない時間のおしまいについて、哲学は答えを用意しているのでしょうか? 宗教に行く前にちょいと聞いておきたくて。

  • 宗教漬についての問答

    宗教漬についての問答 問う人: 宗教漬ちゅーのはどーゆーことや。 「人の道」:  よー訊いてくれた。 宗教漬ちゅーのは宗教に浸ること、つまり神や仏、天国、地獄ちゅー観念に縛られることを言う。 問う人: 宗教漬になるとどーなる。 「人の道」: 宗教漬になると、眼を塞ぎこの世界をマジに見ようとしなくなる、そして思考を停止する。 問う人: するとどーなる。 「人の道」: つまりアホになるちゅーことや。 問う人: アホの坂田になるちゅーことか。 「人の道」: そーや、アホの坂田になるちゅーことや。 問う人: アホになっても宗教漬になるのはどーしてや。 「人の道」: それは心地えーからや。 問う人: アホになるのは心地えーんか。 「人の道」: そーや、アホになるのは心地えーんや。 問う人: 宗教漬になると何をするんや。 「人の道」: 念仏を唱えたり、お経を唱えたりするよーになる。 問う人: 念仏を唱えたり、お経を唱えたりするのが心地えーんか。 「人の道」: そーや、心地えーんや。 問う人: そんなに心地えーんならわしもやってみよーかな。 「人の道」: そーや、みんなそうやって宗教漬になるんや。 問う人: 宗教漬になるとずーっと、いつまでも心地えーんか。 「人の道」: さー、それはどーかな。 しかし一つだけ言うとく。 アヘンちゅーのはな、最初は気持ちえーもんなんや。 しかしそれは長続きはせんのや。 それどころかそのうち苦しみに変わるんや。 その苦しみから抜け出しまともな人間になるのがこれまた一苦労なんや。 どーや、これで宗教漬になるちゅーことがどーゆーことか判ったか。 問う人: はい、よー判りました。 宗教漬になるとアホになり、心地よーなるちゅーことよー判りました。 「人に道」 皆にも訊く、宗教漬になるとどーなるかよー判ったな。  

  • 宇宙が始まる前には何があったのか?

    宇宙には時間的な始まりや終わりはあるのですか?あるとしたら宇宙が始まる前、終わった後には何があるですか? また、空間的には宇宙は有限なのですか?それとも無限なのですか?

  • 宇宙が無限であることの証明

    宇宙が無限であることの証明 宇宙が無限であることを証明する。 背理法により行う。 仮に宇宙が有限であるとする。 すると適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができる。 次に、この球体の半径Rより1m大きな球体G1を考える。 G0とG1を同心としたとき、G1とG0の差分として1mの厚みを持つ球面体(G1-G0)が得られる。 球面体(G1-G0)は球体G0の外部にあるがこれも空間を構成するのでやはり宇宙の一部である。 なぜなら任意の空間は宇宙の部分であるからである。 つまり適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができるとした最初の仮定は矛盾を生む。 従って宇宙は有限では有り得ない。 宇宙は無限である。 証明終わり。 ご意見ください ----------------------------------------------------------------------  補足: 実を言うと、宇宙が有限か無限かを問うこの問題、最初は哲学の問題であろうと考え最初に哲学カテに投稿したのですが、そこでは全く期待外れの結果に終わってしまいました。 どうやら哲学カテの方は完全に宗教漬になっていて神やら仏やらの議論ばかりに終始し真理について語る場所ではないことが分かりました。 そこで同様の問題を物理カテに投稿しました。物理は科学なので少しはマシな回答を頂けるのではないかと期待したからです。 さらに同じ問題を数学カテにも投稿したわけです。数学カテであればさらにマシな回答が頂けるのではと考えたのです。    

  • 宇宙が無限であることの証明

    宇宙が無限であることの証明 宇宙が無限であることを証明する。 背理法により行う。 仮に宇宙が有限であるとする。 すると適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができる。 次に、この球体の半径Rより1m大きな球体G1を考える。 G0とG1を同心としたとき、G1とG0の差分として1mの厚みを持つ球面体(G1-G0)が得られる。 球面体(G1-G0)は球体G0の外部にあるがこれも空間を構成するのでやはり宇宙の一部である。 なぜなら任意の空間は宇宙の部分であるからである。 つまり適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができるとした最初の仮定は矛盾を生む。 従って宇宙は有限では有り得ない。 宇宙は無限である。 証明終わり。 ご意見ください

  • 神についての問答

    神についての問答 問う人: 神とは何や。 「人の道」:  神とは宇宙の法則や。 宇宙の法則のことを神と呼ぶ。 これを仏と呼ぶ者もおるが呼び方などどーでもえーことや。 問う人: 神は語るのか。 「人の道」:  宇宙の法則は自ら語ったりはせん。 万有引力の法則が自ら語ることが無いのと同じや。 問う人: 念仏を唱えると神に近づくんか。 「人の道」:  念仏を唱えると神から遠のく。 問う人: お経を唱えると神に近づくんか。 「人の道」:  お経を唱えると神の放つ光が眩しくなる。 だから眼を閉じ、神に背を向け、神から遠のいて行く、そして最後にはアホになる。 問う人: 神に姿形はあるか。 「人の道」:  神に姿形はない。 宇宙の法則に姿形などは無いんや。 万有引力の法則に姿形がないのと同じや。 問う人: では仏像を彫って拝んだりするのはなぜや。 「人の道」:  それは神や仏が何たるかが判らん輩のやることや。 形に捉われるちゅーことほど愚かなことはない。 問う人: 大仏様を拝むと神に近づくんか。 「人の道」:  あのなあ、えーか。 大仏などの仏像を拝むのは偶像崇拝ちゅーてな、イスラムの国々ではおよそ人間のやる所業の中で最も卑しい行為と見なされておるんや。 嘘やと思うたら試しにサウジアラビアのモスクの前辺りでこれをやってみい、たちどころに警察に連行されてそれこそ犬畜生扱いされること間違いなしや。 問う人: では神に近づくにはどうすればえー。 「人の道」:  眼を開くことや。 「目ざめよ!」ちゅー人もいる。 そして真理を探究することや。 どうや、これで神が何か判ったか。 問う人: はい、よー分かりました。 神は宇宙の法則なんで念仏やお経を唱えても神には近づかんちゅーこと、よー分かりました。 「人の道」:  皆にも聞く、神に姿形はなく仏像を彫って拝んだところで神には近づかんちゅーこと、よー判ったな。  

  • 宇宙が無限であることを証明する。

    宇宙が無限であることを証明する。 背理法により行う。 仮に宇宙が有限であるとする。 すると適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができる。 次に、この球体の半径Rより1m大きな球体G1を考える。 G0とG1を同心としたとき、G1とG0の差分として1mの厚みを持つ球面体(G1-G0)が得られる。 球面体(G1-G0)は球体G0の外部にあるがこれも空間を構成するのでやはり宇宙の一部である。 なぜなら任意の空間は宇宙の部分であるからである。 つまり適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができるとした最初の仮定は矛盾を生む。 従って宇宙は有限では有り得ない。 宇宙は無限である。 証明終わり。 ご意見ください ----------------------------------------------------------------------  補足: 実を言うと、宇宙が有限か無限かを問うこの問題、最初は哲学の問題であろうと考えまず哲学カテに投稿したのですが、そこでは全く期待外れの結果に終わってしまいました。 どうやら哲学カテの方は完全に宗教漬になっていて神やら仏やらの議論ばかりに終始し真理について語る場所ではないことが分かりました。 そこで同様の問題を物理カテに投稿しました。物理は科学なので少しはマシな回答を頂けるのではないかと期待したからです。 さらに同じ問題を数学カテにも投稿しました。数学であればロジックによりさらにマシな回答が頂けるのではと考えたのです。 さらに同じ問題を天文学にも投稿したわけです。天文学は宇宙について思索する場所ではないが、望遠鏡を覗く場所であり、アンテナを張って宇宙からの電波に耳を傾け宇宙人と交信しようという途轍もなく優雅な生活を送る人々の集団なので何がしかの答えは返ってくるのではと考えたからです。    

  • 有限時間のパラドックス

    有限時間のパラドックス 有限宇宙のパラドックスにおいて宇宙が無限であることを証明した。 宇宙は無限である以外には有り得ないという事実を述べた。 同時にこれは神が存在しないことを証明するものでもあった。 有限宇宙のパラドックスに続くものが何かと言えばこれは当然、有限時間のパラドックスである。 有限時間のパラドックス 無限なる時間は神を必要とせず、神は時間が有限であることを求める。 取り分け神は宇宙に始まりがあることを求めるのである。 なぜなら始まりの無い時間は神の手に余るからである。 神にとってこの宇宙は神によって創造されたものでなければ納まらないからである。 そこで神が存在しうるためには時間に始まりがなければならないのである。 ところがこの始まりのある時間によって一度神が生み出されると、神の生成は連鎖反応として起こり無数の神が次々と生み出されるのである。無限に生みだされた神々は 人の数を超え、このとき神々は神でなくなる。 有限時間を求める神は自らの願望ゆえ神の死骸となる。 有限時間は無限量のこれら神々の寿命時間によって包まれ、神の存在せぬ無限時間となる。 このように有限時間は常に無限時間へと変貌する運命にある。 やはり時間は無限であり、始まりなど有り得ないのである。 これで時間が始まりの無い無限なるものであることが完全に証明された。 ---------------------------------------------------------------------------- 時間が始まりのない無限なものであることの証明 -有限時間のパラドックス- ここに時間 tが存在する。 時間tは連続体である。 時間tは始まりのある有限なものと仮定する(1) (1)が正しければ、連続体である時間の境界が存在する-(2)   ※時間は連続体なので時間の境界が存在しなければ有限である証明が出来ず、(1)は否定される-(2*) (2)が正しければ、時間の境界には外側が存在する-(3)  ※外側が存在しなければ(3)は否定され(2*)に戻る (3)が正しいとして、2つの仮定を提示する。    1.境界の外側は時間tと同種の時間で構成されている-(4)    2.境界の外側は時間tと異種の時間で構成されている-(5) (4)が正しければ、時間の境界の内外が同じものとなり    境界は意味を失って(2)は否定され、それによって(1)も否定される。 (5)が正しければ、時間tを内包する、時間tとは異なる時間が存在することになる。    仮にこれを時間μとする。 仮定(1)より時間μが生まれたが、 仮定(1)を時間μに当てはめると、時間ηが生まれることになる。 さらに時間ηに仮定(1)を当てはめ・・・とこれを繰り返すと、 始まりのある有限の時間を包む別の時間が無限に生まれることになる。 つまり時間が始まりのある有限なものと仮定することによって、 逆に時間は始まりのない無限なものであることを認めざるを得ないパラドックスに陥る。 従って(1)は否定され、宇宙は始まりのない無限なものである、という結論に達する。    

  • 「1、2、3、たくさん」の「たくさん」と無限の違いは何かね?

    「1、2、3、たくさん」の「たくさん」と無限の違いは何かね? 昔ね、本田勝一って人、朝日新聞の記者だったと思うんですがね、この人がニューギニアの高地に調査に行ってね、ニューギニア高地人の言葉や生活を調べたところ、数詞に関しては「1、2、3、たくさん」の四種類だってんだね。 小学生だったので、ニューギニア高地人に対して優越感を持ったね。 あいつら自分の指の数を「たくさん」って言うのか、なんて思った記憶が鮮明に残ってるんですよ。 翻って、現代の大工の世界ではね、 大工兄:「おーい、ちょっと、そこの釘、取ってくれないか」 大工弟:「あいよ。二三本で良いのかい?」 大工兄:「ああ。たくさんはいらねえ。」 なんだい、ニューギニア高地人と選ぶとこ無いじゃないか! でもね、棟梁になるとちょっと違うよ。 金勘定ってものが付きまとうからね。 積算とか見積もりとかいう仕事ばかりになっちゃったらね、鑿や鉋のウデも鈍っちゃうんだけどね、誰かがやらにゃ、家は建たないからね。 棟梁の世界は、 「1、2、3、、、3000万円、金持ち」ってぐらいの分類だね。 棟梁の仕事はニューギニア高地人の1000万倍複雑だってことよ(笑)。 3000万円は例えでね、まあ、4000万円だっていう人がいるかもしれないけど、ここでドングリの背比べしようってんじゃないよ。 「3000万」と次の「金持ち」ってのの違いが重要なんだ。 普通の人が家を建てる場合は、予算が重要でしょう? 貯金叩いて、ローン借りて、返済計画なんか考えながらギリギリのところで家をたてて下さるんだからね。 予算3000万円まではそういう「予算制約の家」さね。 建築士はね、「岡の上の家」とか「朝日の当たる家」、「港の見える家」なんて、しゃれた名前を付けて建築雑誌に写真をのせたりするけどね、大工に言わせりゃ、みーんな「予算制約の家」って呼ぶよ。 ところがね、たまにね、最近は減っちゃったけどたまにね、予算の事を仰らない施主ってのがいるんだ。 出桁化粧入母屋造りでね、差し鴨居は4寸x12寸のケヤキを使い、土台は今じゃ珍しくなったクリを使う、とかね、、、。 こういう注文を頂くことがある。 当然3000万円じゃおさまらないよ。 でも、気にしない。 「金持ち」だからね。 予算なんか気にせず、とことん良いものを求めていらっしゃる。 大工は、こういう時にほんとの力量が試されるんだ。 でもね、ここで言う「金持ち」ったって、「無限」に金が有るわけじゃあねえ。 建築と言う目的から見れば十分な金があるので、金額を気にする必要がないってことだ。 ここからが本題だよ。 物理の方面で、たとえば「宇宙を記述する」ってう「物理学の仕事」のなかでね、無限ってのは出てくるんですかね? 「目的から見て、上限を考える必要が無いほど大きな数」じゃなくて、数学の無限ですよ。 別の表現をすると、 「いまの、この宇宙を記述するための物理量が、無限という値をとることがあるか?」と言えるかな。 もっと言い換えると、「数学の世界で整合性を持つ無限は、我々の自然界(いまの宇宙)の実現値として実際にあるか?」と言ってもよい。 同じ事を、物理学のカテゴリーで質問したところ、 「ブラックホールの中で物質密度が無限大になる。」そうです。 ここで、無限大というのは、「金持ち」の定義みたいに、目的から見て十分大きな有限の数値、ではなくて「数学で言う無限」の事だそうです。 いやー、無学の大工としては納得がゆかなくてね。 大工の前提: 1.この宇宙の総質量は有限である。 2.ブラックホールは宇宙の一部である。 3.密度の定義は、「密度=質量÷体積」である。 4.割り算で、分母=0は認められない。 ブラックホールで物質密度が、(数学的な)無限になるっていうと、上記の前提のどれかが覆ってしまうじゃないですか。 もともと(過去)有限の密度を持っていた物質がブラックホールに吸い寄せられて、結果、(現在)無限の密度を持っているとすると、(途中で)加速度=無限で密度が増加しないとならない。 少なくとも一回は「アインシュタインのスピード制限」を超えたって事になっちゃうでしょう? 概念としての数学はいざ知らず、物理的な自然界は「アインシュタインのスピード制限」を守ることになっているのだから「そんなバカな!」と思っちゃうんですよね。 多分、個別の物理現象を正確に理解するためには、理論物理学ってのをちゃんと勉強しないといけないのでしょうけど、こっちの寿命はそれほど残っていないので、無限の概念を扱う事が得意な数学の先生からヒントをいただけると有難いんですがね。 質問: 概念上の「無限」が現実の世界(=物質・エネルギーの世界、われわれの宇宙)に現れることがありますか?