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リカードとマルクス

高校でのレポートなんですが、マルクスはリカードについて勉強したのに比較生産説にはあまり多くは触れなかったという問題です。どなかたわかるかた教えてくださいませんか?

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  • gootttt
  • ベストアンサー率61% (191/309)
回答No.1

いまどきの高校ではそんなことやるんですか? 高校生でマルクス・リカードなんて軽く教えるだけでいいと思うんですけどね。 全くの当てずっぽうですが、マルクスは貿易問題に興味がなかったんじゃないかと思います。 リカードの時代のイギリスの抱えていた課題は地主階級(貴族)と商工業階級(ジェントリ)の対立と経済発展のために資本を蓄積することでした。 そしてリカードが比較優位を提唱したのは、穀物論争があったからです。 つまりリカードは、マルサスを代表する保護貿易派に対して、自由貿易こそ英国の利益を最大化するということを論証する必要があったわけです。 そういう意味ではマルサスがいなければ、比較優位は生まれてなかったかもしれないですね。 対して、マルクスの関心は当時の資本主義社会の矛盾による労働者の惨状です。 当時の資本主義社会は資本主義システムの奔流によって労働者が悲惨な目にあってたわけです。 一日十数時間働かせられてもらえる給料も少ない。そのくせ、恐慌が起こると労働者は真っ先に首を切られる一方で、作られた商品はそのままどぶ川に捨てられる。あちらでは飢えた人がいるのに、こちらでは売れない商品が廃棄されているわけです。 そういう悲惨な現状を目の当たりにしたマルクスは『この現象は一体なんなんだ!!!』と憤り、その原因を突き止めるために経済学を学び、『資本主義社会の法則である』と結論付けたわけです。そしてその社会の持つ法則の奔流の前には、個人の意思などなす術もなく流されてしまうということです。これは労働者もそうですが、資本家ですら太刀打ちできないと論じています。 ですから、マルクスは『労働者の惨状の原因の解明とその解決方法の確立』が関心の中心であり、比較優位なんてことには興味がなかったんじゃないかと思います。 ・蛇足 ちなみに、マルクスの関心は『労働者の惨状の原因の解明と解決方法の確立』ですが。 有名なのは後者の方ですよね。つまり、マルクスは労働者を救済するには共産主義社会を打ち立てるしかないという主張ですが、これは何から何まで間違っていました。 しかし、前者については今でも見るべきモノが多いです。つまり、『社会の持つ法則の奔流の前では個人ではどうしようもない』ということです。 そしてそれを変えるためには『政治の力で社会を変えるしかない』ということでもあります。もちろん社会の持つ法則にしたがって流れを変えないといけないわけです。流れをただ堰き止めるだけでは何れ決壊します。しかし、流れの方向を少し逸らすくらいはできるわけです。 ちなみにマルクスの時代に発生した問題は年々拡大していきましたが、WW2を期に大きく変動しました。 1.労組の成長により労働者に対する分配が増えた 2.WW2によって各国は戦費調達のための増税が進められた、この増税は必然的に再分配作用をもたらせた 3.同時に医療保険などの社会福祉制度が拡充した 4.その結果、需給の不一致による恐慌はなくなった これらによって、資本主義社会は共産主義社会に移行することなく問題を解決することが出来たわけです。 つまりは、マルクス経済学を妥当したのは古典派経済学ではなく、ケイジアンだったということですね。 まあその後は、今度は経済が政府支出に依存した構造になってしまうと言う問題が発生するわけです。 そして次は政府支出に依存しない経済構造に再編するというのが課題になるわけですね。 マルクスの理論はいまさら学ぶべきことは殆どありません。 マルクスの主張は間違っていましたし、それを支えていた理論も当時はそれなりに意味がありましたが、今はもっと洗練された理論があります。 マルクスが発見した理論のうち重要な部分は全て抽出され、宗教くさい部分は全てうち捨てられています。 いまどき剰余価値とかを素で教えようとする基地外の生き残りが居ますが、あんな理論学ぶ意味は殆どありません。 しかし、彼の問題意識・着眼点は知っておいて損はないと思います。 つまり繰り返しになりますが、当時の資本主義はそれほど酷い状況であり、その原因が『資本主義社会の持つ奔流』だということです。 当時の欧州では同じような問題意識を持った人がたくさん居ました、マルクスはその中の一人であり、その原因を最も的確に論じた人だったということです。(原因の解明は見事である反面、解決策の提示は駄目駄目でした)

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