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日本の城天守閣の階段

先日犬山城に行きました。それ以前にも松本城にもいってますが、天守閣の階段の勾配の急さと、蹴上がりの高さについての疑問です。天守閣が篭城の際に最後の守り場所となりますね。それを考えると、天守閣の階段が急勾配で、幅も狭く、蹴上がりも高いことは敵が攻めにくいとの理由があると一見おもわれます。しかし、敵が天守閣内部にまで侵入してきたような状態では、落城は確定です。wikiでみますと、天守閣は物置代わりという記述もあります。これを考えますと、天守閣には武具などの備品が蓄えられ、戦闘時にはそれらを動かすために、武装した城兵がたくさん移動しなくてはなりません。それを考えると動線が考えられておらず、あのような階段では城兵の動きが固まるだけで反対に防御しにくいように思われます。例えば、あの狭さでは下りとのぼりは一度にできません。 海外の城では階段を2つつくり、のぼりと下りにわけた例が多いです。 もし、敵兵が進入すれば、取り外し式の階段で上の階に引き上げすシステムのほうが、よほど理にかなっています。 なぜ、あれほど使いにくい階段である必要性があるのでしょう?

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  • eroero1919
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回答No.4

犬山城の天守閣は慶長六年に基礎となる二階部分が作られ、その上層は元和六年頃に完成されたといわれていますし、松本城は諸説あるようですが、現在のスタイルは寛永年間になってからではないかといわれています。 つまりその年代を考えると、もう世間は平和な江戸時代になってからです。 日本の城を象徴するあの天守閣がいつから作られたのかは諸説ありますが、ほとんどの城は江戸時代になってからの完成となります。つまり、天守閣なるものは実際の合戦では「使われる」ことはほとんどなかったのです。 実際問題、天守閣がある城での攻防戦となると最も有名なのはなんといっても大阪城に尽きるでしょうが、秀頼と淀君は、天守閣の北側にある「山里丸」で自刃したといわれています。つまり天守閣に籠もっていたわけじゃあないんです。 そもそも、日本の城は木造です。木造っつーことは「燃える」ってことです。いくらコーティングしたところでも。 確かにおっしゃるとおりに敵兵が侵入すれば取り外し式の階段にした方が合理的です。でも、攻め手はそうなったら火をかけてしまえばもっと合理的です。そもそも火は下から上に上がりますから。上にいる人たちはバーベキューになるか燻製になるかどちらかです。 だから秀頼や淀君は山里丸にいたのです。天守閣の上層階なんかにいたら、火がついたらアウトです。 実際問題、江戸城の天守閣はいわゆる振袖火事で焼失し、結局再建されることはありませんでした。要らなかったからです。 天守閣というのは、多分に気分的なものというか、実用性じゃなくてまあ見た目だよねというようなものです。だから、たぶんどこの藩主も天守閣じゃ暮らさなかったはずですよ。火事が怖いですからね。 私が知る限り、天守閣に住んだ人はただひとり、織田信長だけです。あの安土城の天守閣に住んでいたそうです。火事になったらどうするつもりだったんでしょうね。 だから日本の城の天守閣というものは、時代が平和になった江戸時代に、多分に芸術的ポイントを重視して作られたものであると考えたほうがいいと思います。戦争で使うものが芸術の域に達したものだと思えば良いのではないでしょうか。まあ、ポルシェのマウンテンバイクみたいなものです。それで本当に山を走るバカはいないよねということです。

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  • izuhara
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回答No.3

文献に基づいた意見ではありませんが、敵に攻めにくくさせる理由は、敵を天守で撃退するためではなく、敵が攻めあぐねている間に自害するためなのではないでしょうか。 最後の防衛拠点ではなく、最期を飾る場所と考えられないでしょうか。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (811/3029)
回答No.2

倉庫と言ってもメインとなる倉庫は天守閣の外にあるわけですから、そんな急に大量の出し入れが要求される事態ってあまり無いと思いますよ。 食料や武器にしたって、篭城して足りなくなっていき最後の最後に使う武器や食料を消耗に合わせて徐々に使うだけですから、そんなしっかりとした動線いらないと思いますが。

  • WriterGen
  • ベストアンサー率31% (51/163)
回答No.1

私は以前、名古屋に住んでいて、犬山城も、岐阜城も行ったことがあります。 確かに犬山城の階段は、階段というより、梯子のようですよね。 実際に、合戦の為の城として機能していた頃は、現在と違って周囲の木立はすべて切り払われて、敵の動勢が良く見えるようになって居たとおもいます。 敵が攻めて来るときには、守る側も準備万端、天守閣には見張り役程度しか居ない状態だったのでしょう。 元々、天守閣は、砦の見張櫓から発展したものですから。 実際天守閣には、居住の為の設備もありません。現在の姿と、当時の姿は、全く違ったものだったと思います。山城の場合、殿様の住む屋敷は、大抵山のふもとですし。松本城や名古屋城のような平城の場合は、二の丸に住んでいて、天守閣には住んでいなかったのですから。 トイレや台所も、一階にしか無かったと記憶しています。

shizumo
質問者

お礼

見張櫓から発展 これは知りませんでした。

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