子どもは場を和ませるための道具?

このQ&Aのポイント
  • 子どもは場を和ませるためだけの道具とは言いすぎですが、大人がなにかをするとき、そばに子ども達がいると明るくなることがわかりました。
  • 子どもは「純粋」で「かわいそう」で「明るい」の塊だからキレイに写るのだと思います。ただ経験が無く、悪く言えば頭がたりないだけだと思うのです。それは純粋とは違います。
  • 子どもなど社会的弱者たちは社会の道具なのではないですか?
回答を見る
  • ベストアンサー

子どもは場を和ませるための道具?

場を和ませるためだけの道具とは言いすぎですが最近疑問を感じているんです。 私が小学生のころ学校で聞きたくもない子どものための話や観たくもない劇や 食べたくもないものを食べされられたりなど随分つまらないことをさせられました。 そこで高校生になった今なぜそんなことをさせられるのか考えてみたのです。 私が思うに大人がなにかをするとき、そばに子ども達がいると明るくなることがわかりました。 例えばおばあちゃんと母親が一緒に食事をしているとき、 そばに幼い娘や孫でもいると一気に明るくなると思うのです。 ・・・このたとえ、わかりにくくてすみません。 それに番組とかでアフリカの難民に寄付するときも大人だって苦労してるのに 「アフリカの子ども達の笑顔のために」的なキャッチフレーズが多いし スポーツ選手が小学校に訪れて子ども達に囲まれながら指導をするというのもよくあります。 子どもは「純粋」で「かわいそう」で「明るい」の塊だからキレイに写るのだと思います。 私は子どもが純粋だと思ったことはありません。 子どもだって随分いやらしい子もいるし、汚いいじめっ子もたくさんいるし。 子どもは大好きですが冷静に見れば ただ経験が無く、悪く言えば頭がたりないだけだと思うのです。それは純粋とは違います。 純粋というのは大人に対してしか使えないと思うのです。 話がそれましたが子どもなど社会的弱者たちは社会の道具なのではないですか? そう思ったことはないですか? 質問は今回含め2回しかしたことがなく、うまく伝わらないため、 何度直しても言い方のきつい文章になってしまいましたが 批判はご遠慮願いたいです。ごめんなさい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#142398
noname#142398
回答No.7

私もそう思っていた子供時代がありました。 ヘレンケラーの伝記を読んで、「努力して偉いと思いました。私も努力しようと思います」と感想文。 テレビニュースでは地方で芋煮会、子供たちは「楽しかった」「おいしかった」とコメント 戦時の兵隊の帰りを待ち続けた母親の妹、みたいなややこしい話を聞かされて「かわいそうだと思った」とコメント みんな、本音じゃなくて大人に聞かせる「正答」を言ってるだけの偽善者だと思っていました。 まあそういうノータリンな子供も多いんでしょうが、中には本気でそう感じていたり、口には出さないけど何かをつかみとる、感受性の鋭い子も、実はいるんですね。 おばあちゃんの外面的な会話や場の明るさじゃなくて、内面的な暖かさや愛を感じ取ることができ、感謝し、心からおばあちゃんを喜ばせようと、一緒に食卓につく子もいます。 そういう人は大人になって大きな成功を収めたり、自分なりの生き方や幸せを確固として持っている、そんな気がします。 あなたが、「まわりの友達も皆、大人との行動を退屈に思ってる。そう言っていたし。」と思っていても、ある友達の心の中は、あなたが想像するよりも奥深くて、文句を言いながらも、大人と過ごした時間から何かをつかんで糧にしている可能性大です。

pannnnnnn
質問者

お礼

私も数少ないながら学校で聞いたこと観たこと全てが感動しなかったわけではないので ある友達の心の中は、あなたが想像するよりも奥深くて、文句を言いながらも、大人と過ごした時間から何かをつかんで糧にしている可能性大です。 という最後の文を読んで実際に自分の経験を思い出しました。 本当にありがとうございました^^!

その他の回答 (7)

  • dandyman
  • ベストアンサー率17% (107/614)
回答No.8

概ね賛同です。 私にも年端も行かない子供がおりますが、なにかにつけ「こいつもまだまだだなー」と思います。 純粋というよりデータと思考回路の足らない発達途上の生物です。 >子どもなど社会的弱者たちは社会の道具なのではないですか? そうです。今後の社会を作るための材料を育成させられているのです。 子供というのは無条件で愛おしく思えるように生物は作られています。 こどもを可愛く思い、場を和ます存在にさせるのは大人です。 それは子孫による今後の社会を発展させるため、大事に育てさせるための、神の陰謀に操られているからです。 その陰謀にまんまと引っかかる大人の多い事。私もそうです。

pannnnnnn
質問者

お礼

子孫による今後の社会を発展させるため、大事に育てさせるための、神の陰謀 この言葉が私にとっておもしろかったです。 私には神様とか大きな存在のことはよく分かりませんが 世の中がうまく動かされていることは間違いないので納得させられました。 ご回答ありがとうございました!

noname#204885
noname#204885
回答No.6

おっしゃるように、子供を利用した表現は今でも多いですね。誰だって、自分が子供の時は、子供は純心だとか天真爛漫だとか思っていた筈は無いので、あざといと感じる人がもっと増えても良いと思うのですが・・・。 とは言うものの、年をとってくると、その点は十分承知の上で、それでも子供はいいなあと思うことはあるものです。それは、「子供は天使だ」なんて言う的外れな認識ではなく、良かれ悪しかれストレートに感情を表現してくるところに一種の潔さ(いさぎよさ)と穢れ(けがれ)のなさを感じるのだと思います。(その潔さは、pannnnnnnさんの質問文にも漂っています。年寄りから見ると、ちょっとうらやましいです。) 最近は、子供の本質を捉えた上で、子供の良さを表現できる人も増えてきましたよ。 例えば、写真家の梅佳代。小学生男子のアホさ加減を正直に撮ってるだけなのですが、それでも被写体である彼らのキュートさが滲み出てくるのが非凡です。若い人が見たらこいつらアホかで終わる写真でしょうが、老人が見るとちょっと胸キュンですね。 http://kannnon.blog11.fc2.com/blog-entry-264.html だいぶ雰囲気は違いますが、奈良美智の絵も、子供と大人の両側の視点から子供を描いているところがあって、好きです。こちらは若い人からも共感を得られるかもしれませんね。 http://www.aomori-museum.jp/ja/collection/nara/ まあ、そういう動きもあると言うことで、程度の低い大人社会をお許しあれ。

pannnnnnn
質問者

お礼

小学生男子たちの写真は 最近は、子供の本質を捉えた上で、子供の良さを表現できる人も増えてきましたよ。 という文にぴったりのものでした。 子どもの本物の純粋さを良く表現できてるなと 素人の私も上から目線になってしまいますが思いました。 奈良美智さんの絵もどれも好きな絵ばかりでした。 大人の中でも子どもの純粋さだけを利用する人は多くはないのだなと harihorereさんのご回答を読んで感じました。 本当にありがとうございました!!

  • blue-555
  • ベストアンサー率27% (162/589)
回答No.5

子供(4歳未満)は無知ゆえに純粋です。 1つ1つの事に過剰に喜び、感情を露わにします。 >ただ経験が無く、悪く言えば頭がたりないだけだと思うのです。 経験が無いから、物事に対し純粋になれるのです。 大人なら「警戒心」や「疑心」を持ちますからね。 子供は簡単に騙せる。 質問の意図がよくわかりません。 >話がそれましたが子どもなど社会的弱者たちは社会の道具なのではないですか? 何をもってそう感じるのでしょうか? >私が小学生のころ学校で聞きたくもない子どものための話や観たくもない劇や 食べたくもないものを食べされられたりなど随分つまらないことをさせられました。 このことは何を意味するのでしょうか? 大人が場を和ませるために無理やり強要していたと? 子供たちがいると明るくなるのは、逆の場合もありますよ? つまり大人が子供の相手をしてあげるためです。 いい大人が子供の前で仏頂面して接するわけにはいかないでしょう。 私は四六時中相手すると疲れるので、寝て逃げます。 子供は良い意味で「KY」ですよ。 大人の複雑な事情なんて関係ない。 お菓子をあげれば、それが敵対する側の人間であろうとニコニコしながら接すれば 子供は何も考えず喜ぶ。 それが敵対する側の人間であっても、笑顔で楽しく遊んであげれば受け入れる。 さすがに目の前で親でも殺されたら別でしょうけどね。

pannnnnnn
質問者

お礼

「警戒心」や「疑心」は子どもにもあります。 何をもってそう感じるのでしょうか? ということについては、ごめんなさい。私の文章がわかりづらかったと反省しています。 つまり、ある大人がなにをするにも「こどもたちと一緒に・・・をしました!」 と書くことによって(報道することによって) テレビが盛り上がるのです。だから社会の道具なのではと思ったのです。 このことは何を意味するのでしょうか? 大人が場を和ませるために無理やり強要していたと? はい。つまりそういうことです。 幼い心には劇やお話がまっすぐ届くと学校側が思ったのだと思います。 でも「戦争についての話」など結構つまらないものが多く、私には届きませんでした。 それにそういう集会が楽しいという子どもは見たことが無いです。 強要は言いすぎですが、望んではいなかったです。それにそういう話が好きな子どもなら プライベートで親が連れて行ってくれるとか、希望者だけとかにしてほしかったなと。 回答ありがとうございました!

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.4

 高校でいろいろなモノを見せたり、話したりすると、後で「先生の今日の話良かった、80点。今日は噛んでたし、60点」なんて言ってくれる子もいます。なのに同じ空間にいながら、私に言うではなく、異空間に「おもんない、おもんない」「きしょい」「うざい」を連発している子もいます。  何に感動して、何を自分の実として取り入れるかは、はっきり言って、生育歴です。育てられ方が、楽しいことに反応しないように育てられれば、例えば、日々夫婦の諍いを聞いていて、楽しい記憶がないなどでは、何が楽しいかを学習していないので、当然脳の回路が形成されていません。そこに感受性の違いが生まれます。そしてそれは、思春期などという発現を見る頃ではなく、あなた方のまだ記憶の薄い頃、3歳までに完成されると言いますし、実際子供を育ててみて、5歳まで確実に明るいかいかが決まることは、近所のいろいろな事情を持つ家庭およびウチの子が今のあなたぐらいの年齢になってみて、確信に変わりました。  学習は小学4年生まで(かけ算を習得完了するか否か)で決まります。落ちこぼれるかどうかは、その時代に親がどれだけ学習に関わったかで決まります。  自身を問い直してみてください。私は、自身が親になって自分がちゃんと育てられていないことに、幸せに育てられた妻に育てられて「日々幸せ」と言い切れる我が子で気づきました。そこに答えがある気がします。

pannnnnnn
質問者

お礼

質問と関係あるのですか?

回答No.3

いろいろ考える多感なお年頃ですね。 人間社会を、あえて、区別しようとすると 「子供、大人、お年寄り」 「男と女」 「外人、日本人」 「金持ち、世間並み、貧乏」 「児童、学生、社会人」 などなど・・・いろいろ考えられますよね。 その区別できるものでも、中身は普通の人間。何も変わりません。 地球の中で他の生物と一緒に生きているだけです。 子供が、どういう存在かを考えるのも、結構ですし、自由ですが、すべて、人間社会を構成する 大切な人間です。 それぞれに、個性があり、良い面も悪い面もあります。しかし、それを感じるのも、同じ人間なんです。 これからいろんな経験をされ、大人になっていくあなたには、いっぱい考える時間があります。 一面的に人を見ることなく、あたたかく、やさしく、毎日、普通に生きている事に感謝できる素敵な 人間になってほしいと思います。 まだまだ、わからないと思いますが、分かるときがきっとやってきます。

pannnnnnn
質問者

お礼

ありがとうございます。とても納得です。意味はわかります。 しかし質問とは関係ないですね。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.2

子供のよさは天真爛漫なところで、これに大人はいとしさを感じるのです。しかし天真爛漫というのは純粋無垢とは全く違います。子供は言われるように、嘘もつくし、いたずらもするし、いじわるもします。 しかしそれは大人の目から見ると許せるのですよ。何故なら、それは自分の欲求に対してまっ正直なのです。大人は自分の欲求を達成するのにさまざまな企みをめぐらせ、手練手管、権謀術策の限りを尽くして生きており、それには皆が自己嫌悪に陥っているのですよ。そこへ子供の天使爛漫な振る舞いが入って来ると救われたような気持ちになるのです。

pannnnnnn
質問者

お礼

大人の目から見れば子どものすることはなんでも許せますか? 大人相手だとうまくいきませんが子供同士だと子どもは自分の欲求を達成するのに さまざまな企みをめぐらせ、手練手管、権謀術策の限りを 尽くしてでも生きるところは大人と同じだと思います。 ただ大人相手だと子どものそれを簡単に見破ることができるから その必死さがかわいくて許せるだけで。 ともあれ、Willytさんのご回答が私にとって一番身近に感じやすかったです。 本当にありがとうございました。

noname#255857
noname#255857
回答No.1

理由とか意義とか要らないんじゃない? 子供を作りたい、育てたいと言う気持ちから子供ができるんでしょ。 その繰り返しで数百万年前、猿だった頃から現代までやってきた。 子供が要れば和むのは別のお話し。 たかだかここ数百数千の間にできた社会ごときでその意義は変わらない。 でもまぁ、社会の中で生きていくんだったら長いものには巻かれ、 うまく立ち回ったほうが人生楽しいし難しく考える必要も無いと思う。

pannnnnnn
質問者

お礼

理由や意義はもちろん必要ではありません。 しかし私はゆっくり考えてみたかったのです。 社会に立ち向かっているのではありません。 私の文章がいたりませんでした。

関連するQ&A

  • 栄養失調の症状について・・・

    アフリカの飢餓難民の多くの子供たちは、栄養失調でお腹が異常に膨れています。何故ですか? また、大人は目立たないように思いますが・・・

  • アフリカなどの子供に寄付する場合

    先日、ラジオを聞いていたら 「私はアフリカに住んでいる子供の親になりました」 と言う人がいました。 これはどういう事かと言うと 毎月何千円からお金を ある団体に寄付することにより その団体から アフリカに住んでいる子供の 学校や生活のお金を支払ってくれるそうなんです。 後日、その子供から 手紙や写真を送られてくるそうです。 そういうシステムがあれば 行ってみたい気持ちもあるのですが 少し怪しい感じもします。 その辺りのことをご存じでしたら 教えて下さい。 また、このような団体をご存じでしたら それも併せて教えて下さい

  • 「生きたい」と思いつつ死んでいく子供達が存在するということについて

    アフリカなどで「生きたい」と思いつつ貧困にあえいで餓死しなければならない子供達が存在することは、TVの報道などで、前から知っていました。 この事実に対して、以前の私は「気の毒ではあるけれども、どうなるものでもない」という割り切った考えでした。 政治、戦争、宗教等、様々な問題が背景にあり、一朝一夕に解決策が求められる問題ではないという見解でした。 しかし、お恥ずかしい話、自分に子供ができ、子供が「生きるためのパワーの塊」なのだと知った時、襟を正された気がしました。 子供は何の疑いもなく生きることを求めます。子供は生きるために泣き、そして叫びます。それは、アフリカなどの貧困にあえぐ地域の子供も同じことでしょう。 TVの画面を通してですが、食料がなく、母親の出ない母乳に吸い付きながら体が痩せ細り、餓死するのを待つしかない状態の子供の姿を見ました。 食料がとれず、意識が朦朧とする中で、目の前で餓死してゆく我が子を目の当たりにする親の思いはいかばかりかと考えると、今までの私の「どうなるものでもない」という考えが、本当にそれで割り切ってしまってよいのかと思われるようになりました。 その子供達は、難病に罹ってしまったわけでもなく、不慮の事故にあってしまったわけでもなく、ただ、少しの食料さえあれば死なずにすむところを、その少しの食料がないために死んでゆかなければならないのです。あんまりです。 今の私に出来るのは、そういった恵まれない子供達のために、少ないながら寄付をすること位しかありません。 ・・・さて、私のこの意識の変化は、単なる親ばか、独りよがりによるものでしょうか。もしくは偽善でしょうか。 皆様の御意見をお聞かせ下さい。

  • 子供を無理やり車に乗せる

    こんにちは 先日の事です 学校の帰りに小学生(4年生くらい)が、学校の近くの道路で小石を投げ合っていました。 その石が、通りかかった車に当たってしまいました。 車は急ブレーキで止まり、運転していた男が降りて来て、石を投げた子供を捕まえ、後部座席に乗せて、動き出しました。 そばで見ていた大人の方が、追いかけようとしたのですが、車は子供を乗せ、校門をくぐり学校に入っていきました。 運転していた男は、学校に講義に行ったのです。 子供と学校が、男に謝罪したようです。 お聞きしたいのですが、男が子供を車に乗せた行為は、犯罪ではないでしょうか? そばで見ていた方によると、いとも簡単に、摘み上げて乗せたようです。 また、この事実は、その後保護者(当事者で内)には、何も連絡は無く、今にいたっています。 学校の対応はどう思われますか? よろしくお願いします。

  • 日本とアフリカの関係。

    高校生の女子です。 今、私はアフリカに興味があります。 まだアフリカには食事を取れてない人、 学びたくても学校に行けない子供たち、 その他紛争や難民、貧困で苦しんでいる人たちがたくさんいます。 同じ地球上に日本にいる私たちが思いもよらない事がアフリカにはあると思います。 しかしアフリカの人たちは毎日明日に向かって頑張っています。 私は少しでもアフリカの人々の苦しみが減ったらいいなと考えます。 今、私たち日本人にできる アフリカの人々の苦しみを減らすために 何かできることはないでしょうか? また、日本とアフリカの関係で何か知っている方がいましたら、 教えてください。 小さなことでもいいので回答よろしくお願いします!

  • 「子供」は「子ども」と書かないといけないのでしょうか?

    「子供」は「子ども」と書かないといけないというのは本当でしょうか? 漢字の話を知人としていて、唐突に言われたのですが、初耳でしたので、本当かなと思いまして。 ネットで調べてみると、「子供」と書くと「大人のお供」という意味が感じられ、子どもの人権を認めていないから差別という話が載っていましたが、にわかに信じられないもので。学校の先生などもそのような意見をもっていそうな気はしますが。 質問を整理しておきます。 (1)「子供」は「子ども」と書かないといけないのか。 (2)YESなら、その理由は? (3)学校の先生はどういう考えなのか(日教組などの関係で) よろしくお願いいたします。

  • こどもは何故泣くのでしょう?

    小さい子供って、よく泣きますね。 転んで泣き、どこかをぶつけて泣き・・・。 でも大人は「痛いという理由」では泣きませんよね。 呻きこそすれ、ぐっと堪えると思います。(えーんえーんと泣いている大人は想像できません。) では、子供は何故、「痛いという理由」で泣くのでしょうか? 赤ちゃんは「ビックリして」泣くという話は聞いたことがありますが、 小学校低学年ほどになれば、転んで「ビックリして」泣いているのではなくて、「痛くて」泣くのだと思われるのですが。 ご存知の方、宜しくお願い致します。

  • いじめっ子の悪事、大人になれば許される

    学生時代にイジメの主犯格だった男子生徒が、この度子どもが出来ました。それを知ったクラスメイトが「昔はやんちゃしていたけど、××くんも立派なパパだねー」と言っていて、私は耳を疑いました。 「やんちゃ」と言えば可愛く聞こえますが、実際に行っていたのは暴行・窃盗・恐喝(下級生から金品を巻き上げる)・自殺強要など。大人がやれば一発で刑務所送りになるような内容です。 それだけの悪事を働いても、家庭を持てば「立派な大人」として称賛されてしまうのでしょうか? 何故こんな質問をしたかというと。とあるサイトで長年苛めを受けていた被害者が、「加害者が幸せな家庭を築いているのが許せない」と書き込みました。それに対するコメントが「いじめっ子だって大人になって成長したのだから喜ばしいことじゃないか」「何年も前の話をネチネチと恨んでいる貴方が人として未熟」「いじめっ子って空気を読んだり仲間を作るスキルが長けてるから、社会人にはそういう人が評価される」など、いじめっ子を擁護する内容ばかりでした。 以前、どこかの学校の校長が「(苛めた)加害者生徒にも未来がある」と発言してバッシングを受けましたよね。いじめを行っている子供にはみんな厳しいのに、成長して大人になった人へは甘いですね。仕事で沢山稼いでいれば、家庭を作れば、過去の悪事など帳消しになるのでしょうか? もし私の子どもが苛めが原因で自殺して、他人から「加害者はもう立派な大人になったのだから、許してやれよ」とか言われたら、はらわたが煮えくり返ると思います。

  • 読売新聞に紹介された児童書を探しています!

    数日前に読売新聞で紹介されていた児童書のタイトルを教えてください。 切り抜く前に捨てられてしまいました。 うろ覚えなのですが、小学校高学年くらい~ の本で アフリカの難民の子どもたちや戦争に巻き込まれた子どもたちのことを綴った本でした。 「わたしだったら」「あなただったら」「できること」といったフレーズのあるタイトルだったと思います。ご存知の方、教えてください。

  • 自分の遺伝子が子供に伝わるということ

     不謹慎というか、不快に思う人もいると思うので、最初に断っておきます。あまり良い話ではありません。(カテゴリ的にはここが一番あってます)  私はいま20歳の学生で、結婚も出産もまだまだ先の話です。それ以前に、結婚できるかどうかが怪しいぐらいです。(経済的な理由や、未婚化、私の容姿の問題など)  私はもし、万が一、結婚して、子供を産むとなれば、自分の遺伝子が半分子供に伝わるということを、とても恐れています。自分のようなブサイクな遺伝・ひねくれ者の遺伝が伝われば、産まれてくる息子・娘は将来的に、学校でいじめられ泣いて家に帰り、中高では友達はおらず、大学・初期社会人では恋愛弱者になり、学歴も低くなる可能性があるからです。もちろん相手の女(妻)の遺伝子がどうかにもよりますが、私は自分自身のゲノム配列が伝わることをたいへん恐れており、結婚し出産する人を見ると、少子化社会にならぬよう頑張ってるなと思う反面、「なんだよ恋愛や結婚なんかしやがって、俺なんかどうせブサイクだからモテナイんだよ。」や、「よく自分の遺伝子を残そうと思えるな・・・恐ろしい・・・」などと思ってしまいます。  みなさんは、子供をつくるとき、そのような事を思いませんでしたか?  自分の遺伝子が伝わることに、恐怖を感じないでしょうか??  いじめられる息子(娘)、恋愛弱者になる息子(娘)、不細工で育ってしまう息子(娘)がいたとしても、それも愛嬌だと呑み込んでるのですか??  ご回答願います。