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躁鬱病を患う大学生のジレンマ
- 21歳の大学生(休学)が、躁鬱病に苦しんでいます。
- 治ることが怖く、甘えてしまう自分に悩んでいます。
- 社会復帰を望む一方で、死にたいというジレンマに苦しんでいます。
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無責任な回答をつけられるこんなサイトではなく専門家である主治医に相談するべき事柄です。 あなたの実際の状況を回答者は誰も知らないのです。第三者の意見を聞きたいから質問していらっしゃるのは手に取るようにわかりますが病気に関わることですからやはり専門家にご相談なさるのが賢明だと思います。
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- porute
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こんにちは、私も同じジレンマに陥ったことがありますのでご参考程度に・・。 今思えば治りたいけど治ったらどうやって又暮らしていけばいいのか、 仕事は?一体社会で通用するのだろうか? それだったら精神障害者と言われてもこのままで居たいと思っていました。 まだまだそんな状態では病気なのです。 本当に元気になったら家になんて居られないし働きたいという気持ちが 自然に湧いてくるのだと思います。 だってその方が人生楽しめるじゃないですか? そう思えないのはやっぱりまだまだ・・・・。 今は少しづつ ”治りたい” 方向に向かっているのかなと感じます。 だってあの頃は治ることも不安で葛藤があり恐怖もありましたから・・。 少しづつでいいんです。 治っても治らなくても自分を受け入れて行けたらいいですね。 カウンセラーさんにもお話ししました。 すごくスッキリした事を覚えています。
ジレンマ、相反する矛盾、それら丸ごとひっくるめて自分なんですね。 こうした矛盾のままの自己を受容するということは、かなり難しく、哲学的課題です。 医師と相談して治療していくのは当然ですが、病気の症状から離れて、治らなくてもいいという本もあり、病気と人生に対する考察が必要となります。 躁状態であれ鬱状態であれ、そうした心身症状態に振り回されない自己を形成していくという考え方が重要です。 これは西欧医学でなく、一言で言えば、肚をすえるということで、長年の修行で形成されます。 躁状態・鬱状態というものと、自己とを切り離し、躁状態・鬱状態である自己をコントロールするということです。 この考え方は既に亡くなられましたが、九州大学の池見先生がかなり昔言われたことで、池見先生が提唱して心療内科というものが出来ました。心療内科生みの親で、私が教えてもらって居たときは、さかんにヨガをかかめていました。 晩年になり、ヨガから気功に変わり、私も気功を始め、もう30年続けてます。 病気は一生のお付き合いですので、焦らずに、じっくりと勉強し、自分なりの病気のお付き合いの仕方を見つけてください。 マスコミや本は商売ですから、こうした治りましたというのが視聴率がよく、また本が売れますので、その手の情報が多いのですが、そうしたものは読まずに、しっかりした本を読んで、自分に適した考え方と生き方を模索してください。 躁状態・鬱状態であれ、その症状に振り回されなければ、生活に支障はありません。 今あなたは、その症状に完全に振り回されています。 振り回されない自己を形成し、その自己で生きていけば、病気を持っていても、自分なりの人生は歩めます。 これが、自己受容だと思います。 治すのではなく、切り捨てるのではなく、受容することです。 躁状態・鬱状態である自己にそっと寄り添ってあげてください。 躁状態・鬱状態である自己を大切にていねいに接してあげてください。 そうした自己を形成するのは修行です。
とりあえず http://okwave.jp/qa/q6255321.html http://okwave.jp/qa/q6306216.html 今が”躁状態”になってることに気づくことですね、話はそれからってところかな。 1さん同様、病院に行って主治医にこのままを全て話していいと思います。話したからといって 軽蔑されるわけでもないでしょう、心を病んでるが故の行動だと思うので。 病院で主治医から躁状態を抑える薬の調整とかもっとちゃんとした方がいいですよ。 自傷も、出来る今ならまだいいけど、傷つける場所がなくなったら怖いから。 自傷自体、最近は世の中に認知されてるから周りは差ほど気にしてないと思います。 「またか。」ってくらいだと思う。そんな寂しいの嫌でしょ?自分の状態把握できるようになれるといいですね。