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日本の「神社」は日本古来のものか、日本化されたものなのか、外国のものな

日本の「神社」は日本古来のものか、日本化されたものなのか、外国のものなのか こんにちは。 日本文化というものには、外国のものを日本化したものが多いですが、「神社」はどうでしょうか? 神社にもいろいろあるかもしれませんが、日本書紀などの神々にまつわる神社ならば「日本古来」のものにあたるのでしょうか? それとも建築様式は「外国の」もの?それとも外国のものを「日本化(Japanize)」したもの? どうでしょうか? ご教示お願いします!

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回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>日本の「神社」は日本古来のものか、日本化されたものなのか、外国のものなのか まずは「鳥居」から・・・。 鳥居の起源については諸説あります。 (1)天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために、鳴かせた「常世の長鳴鳥」(とこよのながなきどり=鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いた・・・と言う説。 (2)インド仏教に見られるトラナや中国の華表(かひょう)や鳥竿(とりざお)、牌楼(ばいろう)を真似た・・・と言う説。 (3)朝鮮の紅箭門(こうぜもん)を真似た・・・と言う説。 (4)イスラエルの移動型神殿を真似た・・・と言う説。 (5)中国雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族の「村の門」(ロコーン)を真似た・・・と言う説。 (6)秦氏は古代イスラエル人(ヘブライ人)の末裔であり、ユダヤ教の聖典である旧約聖書の「出エジプト記」に鳥居の原型がある・・・とする説。 秦氏は、中国や日本のルーツ問題に限って言えば、中国でも秦氏はシルクロードを経て中国に移民をし、呉地方に住み着いた部族とする説が根拠となっている。古代日本でも秦氏は技術や産業、軍事面等で大和朝廷黎明期から密接なつながりがあったことが明らかになっている。 などがあります。 また、「狛犬」については、 (1)古代インドで、仏の両脇に守護獣としてライオンの像を置いたのが起源とされています。 (2)古代エジプトやメソポタミヤの神域を守るライオンの像もその起源とされている。(ピラミッドを守るためにライオンの像=スフインクスもその一つです)。 (3)獅子または狛犬は中国や韓国にも同様なものが見られる。 (4)阿吽(あ・うん)の形は、日本において発達してと言われている。 (5)伝来が朝鮮の「高麗」から伝わったので「狛犬」と呼ぶようになった・・・とも言われている。 伝来: 日本へは唐の時代の獅子が仏教とともに朝鮮半島を経て伝わったとされる。 法隆寺や五重塔初重の壁面画造に彫られている像のように、はじめは、仏や仏塔入り口の両脇に置かれ、獅子または大型の犬のような左右共通であったと考えられている。 変遷: 平安時代に入ると、香炉を取り付け宮中の御簾(みす)の四隅に置いたりした。 また、御簾や几帳(きちょう)を押さえたりするものとして使われた。 「禁秘抄」や「類聚雑要抄」などの書では、獅子を左に狛犬を右に置くとされている。 「神殿造り」について。 近年の研究で、寝殿造の想像図がどこまで本当なのか疑問視されている。今のところ(2009年3月現在)完全な遺構は見つかっていない。原典と見なされているのは江戸時代末期1842年(天保13年)刊行の国学者沢田名垂著『家屋雑考』である。ここにある寝殿造の絵を明治時代に教科書に使ったのが始めだとされている。その絵の元の出所ははっきりせず、文献(文章)からの想像図ではないかと考えられている。『家屋雑考』は、最近の研究でいくつかの誤りが指摘されているので、寝殿造の絵(と構造)の信頼性は不明である。 結論: 神殿造りについては、中国などで屋根がそりあがっている高級家屋などを見ると、やはり、日本独自と言うよりも中国から直接、または、中国から朝鮮をへて日本に伝わったと考えても良いのではないでしょうか。

その他の回答 (7)

  • TrailJoy
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回答No.8

文化人類学の観点で日本の周辺を見れば東アジア、東南アジア、ポリネシアの 民族は長い時間をかけて移動したことが認められます。日本民族も そうやって移動してきた民族が混在して混血して成り立ってきたと 考えると信仰の概念も入り混じったものだと考えられます。 古代の日本がリネージ(同じ祖先を共有する社会グループ)によって 成り立っていたと考えると古事記日本書紀はリネージである豪族が それぞれに持ってきた神と信仰の形式を万世一系に組みなおした ものと考えることができます。古事記、日本書紀に出てくるからと 言って必ずしも同じ神様の系統であったと考える必要はないと思います。 ただそこまでさかのぼるなら「外国」という概念自体が無意味ですが。

回答No.7

建築様式に関しては「外国の」ものではないし、外国のもを「日本化」したものでもないようですよ。 仏教建築が瓦と土壁を使うのに対して、神社建築は屋根に瓦を使わない(板葺き)し、壁も土を使わずに板壁ですね。それから屋根の形が切妻形式であるのも神社建築の特徴です。仏教建築では寄棟と入母屋がありますが、神社建築は基本が切妻です。仏教建築の影響を受けたと思われる入母屋造りも見られますが、それでも棟木を強調して切妻の雰囲気を残していますね。 少なくとも建築様式に関して言えば日本古来の物、あるいは日本独自の物と言ってよいのではないでしょうか。

回答No.6

 日本の列島にはもう数万年にわたり、幾層かの渡来が繰り返されてきているそうですね。  どこら辺から日本のこの特徴的な民族性が醸成されてきているかはとても難しいでしょうね。  民俗学でも直接的回答は困難でしょうね。  土蜘蛛に難渋した渡来の先進文化、弥生人が音楽を奏で、それに興味をもった土蜘蛛なる先住者がでてきたところを、穴を塞ぎ殺戮したそうですね。  あたり一面が踝(くるぶし)迄、血の海になったとか。  どうもお神楽の原形みたいだったという話もありますが。  そういう時代を経ながら、世界のアニミズムとも少しニュアンスの違う信仰心性が醸成されながら何層か移入文化との習合ができてきたのかと存じます。  教義も祭神も、そして祭儀の方式も不明確なところへ、いろいろな作為が為されてきているのでしょうね。  ご質問の事柄の中の、発祥について少しでも研究が発達してくると、日本民族についてずいぶん明確になると思いますので、今後ともご研究を期待します。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

私の神道の知識はほとんど柳田國男からなんですが、柳田に言わせると、#3さんの言う >残念な事に、祭神の名前もすでに不明の社が多いのです。 とは、どうも反対なようです。もともと各農村で自然発生的に成立していた名も無い神の信仰に対して、江戸時代の平田神道などが全国の村々を歩いて、あんたの村の神様は古事記、日本書紀、あるいは延喜式などに載っている何々神に当たるのじゃ、と牽強付会をしたのだとのことです。事実、昔の村は大字(おおあざ)辺りが一つの単位になって一柱の名も無いや祖先神や産土神や山の神(と同時に田の神)を信仰していたらしい。その大字の数は約20万程あったそうです。ところが、延喜式に載っている神の数はせいぜい2千位です。柳田國男は、20万もの神々をそんな2千程の神に統一してしまう方が無理があると言っております。 ですから、祭神の名前は「すでに」不明になったのではなく、元々名無しだったと言うのが正解のようです。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.4

建物などはその時代の文化を反映しているので、神社の建物や施設の形状は必ずしも日本古来とは言いがたいかもしれません。 というか、日本人そのものが、熊襲やアイヌを含めて東南アジアや中央アジアからやって来ている者ですから、彼らが持参した文化である以上、全てが大陸由来と言っても間違いはありません。 しかし、大陸から分離した生き物が独自の進化を遂げるように、日本文化も独自の文化を作り出しています。 例えば平仮名は日本独自の文化ですが、元は感じを崩したものであり、その意味では大陸由来といえなくもありませんが、大陸には平仮名はありません。また漢字の中には日本で独自に考案されたものもあります。 神社の施設も同じように、その起源は大陸であっても日本で進化し、発展したものであって、大陸の模倣ではありません。 大きな変化では寺社の屋根のカーブが判り易いでしょう。大陸のものは多くが直線だったり、大雑把なカーブで、日本のような緻密で美しいものはありません。(勿論大陸の建造物も素敵である事に間違いはないですが) 神社の発祥は神社はありません。最初は沖縄の巫女達の祭事と同じようなものだと考えられています。祭事のたびに祭壇が設けられていました。それが次第に依代という木の枝などを使うようになりました。今で言えば家を建てる際の地鎮祭の祭壇の様な物です。それが次第に同じ土地で行なわれるようになり、これは神社の始まりです。この段階でも建物はありません。、やがて依代を御神体としえ祠に入れ、宮を建てました。さらに祭事をする場所が定位置になり拝殿ができました。私達が神社と言ってお参りしているのはこの拝殿です。 建物は出来たのはかなり後になってからなので、この頃には中国様式の影響が大きくありますし、すぐに神仏混淆>神仏習合となりましたので、仏教文化=中国文化の影響はかなり濃くなっています。 実際、これ以降建てられた神社の施設の配置は寺と似ている部分が多くあります。 もう一度結論を言えば、日本独自の自然観、信仰を基本としていますが、現代に残る多くの施設や神道は大陸文化の影響を受けているものの、日本独自に進化したものであると言えます。特に施設に関しては神道形成後期に出来上がっている上に長く神仏習合の時代をすごした為に、大陸の影響は強く受けています。

  • oska
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回答No.3

>日本書紀などの神々にまつわる神社ならば「日本古来」のものにあたるのでしょうか? 韓国人の回答だと、日本文化は全て朝鮮のコピーとなります。(笑) まぁ、偏った偏見的な回答は置・い・と・い・て。 神々については、古代神道と外来の神々が一体化したものでしようね。 古代の神道では、自然(天気・山・海・木・岩・水・滝など)全てに神が存在します。 この神の存在を、有効に利用したのが日本書紀です。 (この考え方は、1945年まで続く) 日本書紀などは、古代大和王権の正当性を示すように書かれた物語です。 神さんの位(例えば、稲荷さんは正一位など)を、天皇家が決めていた現実でも理解できるでしよう。 ですから、日本書紀などに出てくる神さんは「意図的に神格化された(架空の)人物」です。 その証拠として・・・。 古代天皇家に従わなかった一族は「客神」として、各地の神社境内の隅の壊れかけの社に祭られていますよ。 残念な事に、祭神の名前もすでに不明の社が多いのです。 唯一大規模に残っている神社が、関東地方に存在する「氷川神社」系統です。 (氷川という漢字は、神社によって漢字が異なる場合があります。例えば氷河神社など) 大和朝廷時代「東に日高見国あり。討って取るべし」と竹之内某が進言しています。 現に、関東地方近辺では大和朝廷時代の金製品など高度な出土品多く出ています。 また、古代神道の神は(先に書いたように)自然です。 ですから、他の宗教と異なり「教義が無い」宗教として有名なんです。 キリスト教なら聖書。仏教なら仏典。イスラム教なら聖典・・・。 神道には、教えがありませんよね。詔として「神さんにお願いする」事はありますが。 天満宮の神さんでも「勉強しないと、罰が当たるぞ!」という教義はありません。 日本古来の神々を、大和朝廷が設定した架空の人物を神と看做すか否かで判断が異なります。 >それとも建築様式は「外国の」もの?それとも外国のものを「日本化(Japanize)」したもの? こればかりは・・・。 学術の世界でも、色々判断が分かれています。 そもそも、神話自体が世界各国に存在する神話に似ています。 神社の狛犬も、世界中に似た形式があります。 (狛犬と一言でいっても、猪が狛犬に代わって座っている神社もあります) ピラミッド前のスフィンクス。これも、狛犬の一種だ!という説もありますしね。 困った事に、伊勢神宮には「ダビデの星」が存在します。 古代ユダ(ヤ)王国の神殿跡からは、天皇家の紋章が出土しています。 (この事実から、日本ユダヤ同祖論が誕生。裸で風呂に入る、塩・酒でお清めをするのも同じです) まぁ、確実な事は・・・。 建築形式に関しては、日本の神社は木造です。 独自の建築技術・様式が誕生しても不思議ではありませんね。

  • cyototu
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回答No.1

これは難しい問題ですね。勿論日本には古代から、「神道」と現在、音読み即ち古代の中国語で呼ばれている信仰がありましたが、それはカミと呼ばれる御霊をお祭りする日本独自の信仰です。 古事記や日本書紀の神も、山の神も、ご先祖さまも、普段はそれをお祭りするための、特別な建築物やお屋敷はにはいなかったらしいと、柳田國男の本で読んだことがあります。神たちは、祭の時だけに村々に居りて来られるので、その祭のために毎回、仮の建物を立てて、そこで神と村人が一緒に食事をしたそうです。そして、天から居りて来るその食事の場所の道しるべが、ご神木だったそうです。ところが、それを外来の宗教の伝来の影響や、あるいは祭のごとに仮の建物を建てる煩わしさを避けるために、一般の人々の間では中世の頃から、貴方の言う恒久的な「神社」を立てるようになったそうです。そう言えば、それに対応する古代日本語として「ヤシロ」と言う呼び方があるのに、神社も外国語のようで「ジンジャ」と音読みしますね。 そんな神社を作っても、日本人はしばらくの間は、神様は普段は留守でそこに居られず、祭のときだけ、かがり火やご神木を頼りに空から居りて来られると信じていたようです。しかし、そのうちにあれだけ立派な「神社」と音読みで表現されるものが作られてしまうと、日本の人々も普段そこは神様が居られないと言うのが納得出来なくなってしまったようです。そこで、祭以外にも神様はそこに居られ、私たちの願い事を聞いて頂けると日本人は段々と考えるようになって来たらしいと柳田は言っていたように覚えています。 だから、神社は外国の影響を受けているか、と言う問いに対しては、そうかも知れません。しかし、御霊に対する信仰は外国から教わった訳ではなく、日本古来からあるようです。そう言えばあの美の極致の鳥居の形は、私の知る限り、世界中でも日本の神の御霊に関わった場所以外に無いようです。 因に日本人には、自分たちに祟りをすることができるほどの御霊ならば、こちらからの取り扱い次第で御利益をもたらす善良な御霊にもなることができる、と言う信仰があったようです。その典型として天神様のことは質問者様もご存知でしょう。他にも、もと祟りをして、その後善良な神になったと信じられている方々が幾らでも居られます。 実はその勢いて、太平洋戦争中の元日本海軍の方達が、ミッドウェー海戦で日本に祟りをしたにニミッツ提督の生まれたテキサスのフレデリックスバーグにニミッツ神社を建ててお祭りし、ニミッツ提督の御霊を善良な神になってもらおうとしたのですが、アメリカ側からそれを断られたと言う逸話が残っています。こんな発想は、日本人が外国から教わって出来るような発想ではありませんね。やはり、神道は外国輸入の改良版ではなくて、日本独自なものじゃないですか。

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