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自分にも欠点があるのに、人を注意出来ないと考えて仕舞います。

自分にも欠点があるのに、人を注意出来ないと考えて仕舞います。 完璧な人間は居ないのは分かります。しかし、「自分が○○が出来ないのに、他人の××を注意してはいけない。」(○○と××は別の事)と思って仕舞い何も言えません。 他人から注意されると、「注意した人も以前○○が出来なかったのに、それを棚に上げて同じ事を私に注意するのはおかしい。」と思ってしまいます。説得力を感じません。 私は、「私も昔○○出来なかったけれど、あなたも気を付けて下さい。」と言われた方が説得力を感じると思うのです。私はそうして居ます。 どう考え直せばよいのでしょうか?

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  • ueue3131
  • ベストアンサー率51% (208/405)
回答No.3

同感です。 人間は、失敗する生き物であり、未完成な生き物ですよね。 だから、人の欠点や 失敗に対して 基本的に 寛容な気持ちで接することが大切だと いつも思っています。 その上で その人に 直してもらいたい点について ささやかな アドバイスをしたり… お願いをしたり… そういう 謙虚な気持ちこそ 人に注意するときに大切なことだと思います。 もちろん 仕事をしていく上で  「してはいけない失敗」というものも 多々あります。 でも、企業は そのために 複数の目による チェック体制をとっているのです。 個人の力では どんなに気をつけていても ミスがあって当たり前だし それをしないようにと 個人にプレッシャーを与えてしまうと それが なおさら ストレスになって よくない結果につながってしまうでしょう。 また 注意するべき内容が その人の 弱点とか 失敗とかでなく、 その人の 「悪意」だったり「故意」だったりする場合は その限りではありません。 (例えば 人をいじめるとか 人のものや 公共のものをわざと壊すとか 暴言を吐くとか…) そういったものについては、厳しい態度で注意することが 必要だと思いますが…。 私はnepalise さんの考えに賛成ですが、 世の中には、そういう考えをできない人が 多いですよね。 そういう人は 決まって 「これくらい常識でしょう!?」とか 「社会人なんだから ミスは許されないんだ」など、さも立派なことを言っていますが 自分が間違えたときの かっこ悪さといったら ありませんよね。 私は 教育関係の仕事をしているものですが 子どもたちや その親御さんに話すときにも 「謙虚」を心掛けています。 「私なんか、よく失敗するんだけどね。」などのように 自分の失敗談を話してから 注意したり アドバイスしたりする方が 明らかに よく理解し、納得してもらえます。 逆に 上から目線で 注意している人は なかなか 相手に分かってもらえないようです。 …そういう人は 自分の失敗談を話すことで 「自分の信頼がなくなってしまう」と思っているようで 絶対に 自分の失敗談や 弱点を 表に出さないのだそうです。 こういうタイプの人が 教育の世界にも多いんですね。 というわけで、nepalise さんの考えは 『考え直す必要』はないと思います。 そういう「棚に上げて怒るタイプ」の人が 理不尽なことで 怒ってきたときには、私は、 「はい。わかりました。ごめんなさい!」と、とりあえず、さわやかに謝ります。 でも、その人が 自分も失敗してかっこ悪い場面では  『やった~』と、心の中で ちょっと喝采です〈笑) 世の中には いろんな考えの人がいるので 腹が立ったり 悲しい思いをさせられたり… でも、負けずに頑張りましょうね!

nepalise
質問者

お礼

大変ご丁寧に有難う御座います。私の考えでも間違いではないと自信が持てました。 特に、教師や親等は子供を叱る時に、言い方や考え方しだいで子供の受け取り方も変わりますよね。 心の中で、ちょっと喝采は私もよくしています(笑) 自分から気を付けていけば、人間関係も良くなるのでしょうね。

その他の回答 (3)

  • tappara
  • ベストアンサー率37% (260/694)
回答No.4

確かに反発しちゃう気持ちはわかりますが・・・ そもそもその行為自体が悪いと感じられるかどうかじゃないですか? 信号無視している人がいるからといって信号無視という行為自体がよくないことってのは知ってるわけです。そこであんたもやってるんだから自分もやっていいんだって理屈にはならないでしょう? 相手もやってるじゃんとかではなく、その行為自体どうかって考えるべきです。 結局自分にとって有益な注意喚起であればそれを受け入れることが自分にとってプラスになりますからね。 ただ、「私も昔○○出来なかったけれど、あなたも気を付けて下さい」ってのもフォローとしてわかりますが、相手が言われて反発を抱くとしたら、相手はむしろ昔の自分がやってたからではなく、今の自分の取り組みかたを見て反発を覚えることがほとんどだと思いますよ。 逆に自分が今出来ているのなら素直に聞いてもらえると思います。 完璧じゃなくたって注意はすべきです。お互い補完しあわなきゃ。

nepalise
質問者

お礼

回答有難う御座います。嬉しいです。 >相手もやってるじゃんとかではなく、その行為自体どうかって考えるべきです。 その様に考えると余計な事を考えずに受け入れられます。 >今の自分の取り組みかたを見て反発を覚えることがほとんど 昨夜友人に同じ質問をしたら、相手は過去に出来て居なくても、現在は出来ている。 だからその事を注意出来る。 そうですよね。友人に相談した所、同じ答えが返ってきました。 その点については私が直せば良いだけですね。

回答No.2

あなたが欠点を無くす努力、職務をまっとうしようと努力しているのであれば、例え欠点 があったとしても、他人に注意することは問題ではありません ですが、その人もその人なりに努力や工夫をしながら働いている可能性もあるので 言い方を気をつける必要はあります。頭ごなしに怒られたら実際自分が悪かったとしても むっとしますよね。

nepalise
質問者

お礼

有難う御座います。大変嬉しいです。 ついカッとなってしまうので、優しく言わなければと日々反省しています。

  • sotom
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回答No.1

完璧な人間なんていません。 注意をするのは相手次第、聞き入れるかどうかは本人の器量次第。

nepalise
質問者

お礼

有難う御座います。 まさに端的に言うとその通りですね。 話のし方や内容で、自分が聞き入れるか聞き流すか判断すれば良いですね。

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