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野球の子供時代の楽しみと課題
- 子供時代の野球の楽しさと課題をまとめました。
- 野球の守備の難しさやルールの複雑さなど、子供にとっての野球の課題について考えてみました。
- 野球のプレイ環境や技術的なハードル、ルールの難解さなどが子供の野球の楽しみを制限しているのではないかという点について考えてみました。
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質問者が選んだベストアンサー
言われてみればそうかもというのが多いですね ただ、テレビを付ければ巨人戦がやっていた時代ですから ルールをなんとなく覚えるんですよね 挙げていたルールが難解というのもほとんどの友人が理解していた記憶があります 中には2塁、3塁を駆け抜けてしまうのもいましたが、タイミングがセーフなら アウトにせず教えてあげて塁に残したり。 何人も集まればルールを知っている人が教えたりして楽しんでいました エラーが当たり前というか前提の遊びだったので乱打戦になって楽しんでいたような気がします。 やってくうちにフライが捕れるようになって、エラーも減っていってと 難しいからこそ楽しんでいたのかもしれません 知っている人が教えてといった楽しむ野球をしていたからか 女の子も参加してましたしクラスの野球普及率は高かった記憶があります。
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- gnnfs
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幼少の頃、野球を全く理解しておらず、 「ボールを投げているチームはどうやったら点が取れるの?」 と、質問したほど攻撃と守備さえも知らない人間でした。 でも、周りは野球少年ばかり。 サッカー少年団でサッカーをしていましたが、普段の放課後は野球でした。 僕のところに打球が来ると、皆諦めるほど守備が下手でした。 上手投げのボールが怖くてバッターになるのが怖かった・・・ 初めて自分のグローブを買ったのが、社会人になって仕事場の野球に参加しなければならなくなった時です。 そんなですが、やっているときは野球、楽しかったなぁ。 息子は野球部です。
- セファット ファリード(@GodGandamu)
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楽しめましたね。といっても「まともな野球」はほとんどやってませんが。 一番よくやってたのは「タイベー」と地元では呼んでいた個人戦野球です。 4~5人でやる野球で、投手1人・打者1人、残りは適当に守備というシステム。 基本的にストライクもボールもなく、空振り3回で打者交代(そのかわり何球も見逃すと他の人からブーイングが出る) 打者は打っても走らない。打球を野手がノーバンでキャッチしたらアウト。 ワンバン以上でキャッチしたらその野手が捕球した位置から本塁に投げて、捕手が本塁に足をつけたままでノーバンorワンバンでキャッチできたら打者アウト。できなかったら(それほど遠くまで飛ばせたら)打った打者に1点です。 これを投手・打者をローテーションしていって、何回りかして一番多い点を取った人が勝ちというルール。 学校の休み時間など、ある程度人がそろってるときは基本的にキックベースしてましたね。 人数が集まるということはその分バットにボールが当たらない人がたくさんいますから、なるべくみんなが楽しめるように工夫していたと思います。 ローカルルールは地域によっていろいろだと思いますが、その地域の子どもたちによって工夫されて楽しめるものが出来たということが、「ものづくりの国・日本」の地盤を築いたともいえるんじゃないでしょうか。
- qto10083
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というかね、ルール自体、リトルリーグとプロ野球では違うのだよ。 面子に合わせた道具やルールを整備する、そんなの当たり前。 特に子供はそういうことを簡単にやってのける。自分たちのやりたいようにね。 それに友達同士で遊んでいるときは、我慢できなくてぐずることなんてほとんどないよ。 子供同士でもそういう社会になっている。 もしかして、あなた子供の頃友達と遊んだことないんでは? 野球の普及の理由は、サッカーの普及を見れば一目瞭然でしょ。 欧州諸国がアフリカと南米、アジアの多くの地域を植民地として占領した。 だからサッカーが広まった。 戦後、日本はGHQといいつつ、ほぼ米国だけの影響下に置かれ野球が普及した。ただそれだけ。 米国に近い中米、日本に近い朝鮮と中国台湾にも波及した。 文化というのはそういうものだ。金があるから普及するしないではない。
- tsuyoshi2004
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小学校の低学年から楽しめましたね。 幼稚園児の頃から兄弟や父親とキャッチボールはしている子供がほとんどだったので、普通に捕ったり投げたりはできたような気がします(もちろん、10回中数回は暴投や捕球ミスはありましたが)。 もちろん、その年齢だと特にチームとかも意識せずにその日に空き地や河原に集まった人数で半分に分けてチーム分けとかだったと思います。 小学校の3,4年生になるとチームが自然にチームが作られていって、他のチームと試合らしきことをやっていたような気がします。結果としては、野球のやりたい子の数だけチームがあったと思うので、下手でもなんでもどこかしらのチームでは野球ができたと思います。(一つの学年で一つの学校に数チームはあったと思います。) 小学校の高学年になると初めて学校として一つの代表チームができますが、それでも3,4年生のからのチームもあったので、野球がしたい子は代表チームに入れなくても野球ができました。 小学校低学年の頃のルールの理解ですが、正直なところプロ野球のテレビ中継どおりという理解だったと思います。プロ野球でも滅多に発生しないようなルールが子供の野球で起きることも滅多にないので、それで特に問題もなかったと思います。 なので、逆にルールには全く関係ないのに、走者無しで三振を取ると意味なく内野で球を回したりしてました。 それで投手は曲がりもしない巨人の堀内のカーブを投げたり、阪急の山田バリのアンダースローで投げたり、右利きの子が左打席で一本足打法に挑戦したりしてましたね。 これらを考えると低学年では野球というスポーツを楽しむというよりもプロ野球のマネをするのが楽しくて仕方なかったのかもしれません。
- konata508
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子供のころ、運動音痴でしたがやりました。その時の楽しかった理由は父親や友達と遊べることでした。野球そのものではなくゴムボールなどでキャッチボールできるだけでよかったです。コミュニケーションのとり方として親などに自分の全力を見せることが出来、うまくできないなら接触してコツを教わったり、うまくできるまで声をかけてもらえ、うまくできると褒められたからです。 これができるならどんなスポーツでもいいと私は思います。うまくなってからルールのもとに試合をするとかでしょうから
50代のオジサンなので、「遊び」も「スポーツ」も「野球っ子」でしたネ・・・。 何よりも、野球やるのに困らない土地の有る田舎、でしたし。 1. あァ~、こんなの普通ですよ。 基本、ボール1個、バット一本。 グローブは、ピッチャーとキャッチャーとファースト。 いや、ピッチャーはキツイ球を捕るコト少ないから、グローブ無しって奴もいました。 片方に「軍手」をハメてる外野もいましたっけ・・・。 2. 球が、子供の頃は俗に言う「アンコ・ボール」で、確かゴム製の安物。 体にボコボコ当たっても、そんなに痛くなかったなあ・・・。 いや、場所によっては、やっぱり痛いか・・・。 (^^; 痛い思いをしたくなけりゃあ、ちゃんと捕球すればいい訳で。 >外野フライがランニングホームラン・盗塁はほぼ成功なんてことがしょっちゅうでした。 ↑ そうですよ。 それが「草野球」ってモンです。 3. 私たちが子供の頃は、10点差になると「ゲーム終了」。 チーム編成を組み直して、また最初から「ゲーム再開」としたコトがありましたね。 「遊びの野球」は、「臨機応変」なのです。 4. 子供の頃の野球は、モメるのは「ストライク&ボール」くらいなモンでしたけどネ~・・・。 「ルールが複雑」なんて、思ったコトも無いな~・・・。 (・.・ゞ 5. そう?。 野球って、大声を上げるでしょう?。 守備の時も、攻撃の時もワイワイガヤガヤやってましたよ~・・・。 >「現代っ子には展開が遅すぎてつまらない」 ↑ これは、まあ、判らないでもありません。 今の少年野球は、そんなに「お行儀良く」なってしまったんですかね。 >単純に子供の遊びとして楽しめましたか? ↑ 子供の頃は、「野球が遊び」でした。 楽しかったですけどね。
子供の頃の遊びの野球なんてハンデや地域ルールがあるのが当たり前でしたし、使うのもゴムボールでしたけどね。 バットはプラスチックだったり、公園に落ちてたデッキブラシの柄とか。 ストライクが入らないならピッチャーマウンドを近くしたり、フォアボールを無くしたり。
お礼
そういう簡易野球もやりましたね 懐かしい 私は休み時間にたて笛をバットにしていました 人数が足りないと三角ベースにしたり、透明ランナー制度があったり 言われてみれば、独自の形で楽しんでた部分はありますね
お礼
なるほどねェ エラー当たり前の乱打戦ですか そういうのもいいですね 単純に私の学校ではサッカーがブームだったというのもあるんでしょうけど