人間とは道具か

このQ&Aのポイント
  • 人間とは、自分が道具の為に生まれた存在なのかについて疑問を抱いています。
  • 私は目的の為に造られた道具であり、感情や人生には意味がないように感じています。
  • 私は道具としての役目に疑問を持ち、目的を果たせないただの欠陥品だと思っています。
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人間とは道具か。

人間とは道具か。 21歳の男性です。 長い間悩んでいた事があって、この場で相談させて頂きます。 中学生の頃将来の事で悩んでいた時、自分の生まれた理由をふと考えたことがありました。 両親がいて、自分を育ててきてくれた。それは間違いありません。 でも、「何の為」に私を生んだのか。 子孫を残す為。老後の面倒を見てもらう為。理由は他にもあるかもしれません。 その考えに至った時自分が目的の為に造られた道具に思えて、自分が持つ感情や人生に何の意味も無いように思うようになりました。 自分の為に生きる事に意味は無く、与えられた役目を果たす事が生きている目的。 仮に何かを楽しい・幸せだと思っても、「道具」としてそれが正しいのか必要なのかと常に心のどこかで疑問を感じています。 自分の目的についても、私は子孫を残す事に疑問を持っています。 それは私の狂った思考に原因があるのですが、目的の為に次の命を生みだす事、より端的に言えば「欲しいから」という理由で命を生み出すのが正しいのかわかりませんでした。 私は道具としての役目に疑問を持った、目的を果たせないただの欠陥品なのだと思います。 今でも、自分が道具だという考えは消えていません。傍から見れば馬鹿らしいかもしれません。 私は造られた道具でしょうか。 ただの道具に「自分の為に生きる事」が赦されるのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • LTCM1998
  • ベストアンサー率31% (238/747)
回答No.11

なるほど。 しかし,仮に「道具」あるいは「手段」のために生まれてきたとしても,そんなものは破棄してよいのです。 だって生まれてくるときにそういう約束・契約をしていなかったのですから。 「こんなはずではなかった」と誰が思おうが,あなたは勝手にあなたのために生きて良いのです。 私が仮に誰かから「お前は子孫を残す道具なんだから,子を作れ」と言われたら(私は独身です), 「あーあ,そりゃ残念ながら設計ミスだよ,悔しかったら殺してみるか?」 と答えるでしょう。 どのような理由や動機から作られたにせよ,人はすべて個人としてみずからの幸福を獲得する権利があります。 日本国憲法の「すべて国民は、個人として尊重される」というのはこのことです。 この国では「個」の考え方がまだ行き渡っていないので,どこかで「道具として扱われている」と感じる場面は少なくありません。 他の回答者さんが引用しているように,一部の阿呆は「~のための道具」として人を扱おうとします。 しかし人権拡大の歴史は,そういう阿呆が滅ぶべきだと指し示しています。 >私は子孫を残す事に疑問を持っています 子どもを作るかどうかも自由です。 ただ,「作る」「残す」のは簡単ですが,「育てる」のは大変です。 児童虐待・育児放棄の問題を見ていると,本来子どもを作るのには向いていなかった人がいるように思えます。 自分にそういう危険があると思うなら,子を残さないことこそ正義です。 自分は酔っ払い運転をする危険があるなと思うなら,免許ももたないことが正しいのと同じように。 最初に述べたように,目的・動機はなんであっても,すでに一人の個人として存在している事実は覆せません。 個人としての自由を守ることも,義務のひとつですが,この国では憲法9条は議論になっても97条は無視されています。(たまに取り上げられると「重複している」という小ざかしい議論ばかりです) 97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 もしどうしても「道具」や「目的」というものを設定したいなら,97条を根拠に,「自分が自由・幸福になること」「その自由を守ること」のために生まれてきたと考えてみてはどうでしょうか。

weissrabexi
質問者

お礼

>どのような理由や動機から作られたにせよ,人はすべて個人としてみずからの幸福を獲得する権利があります。 >日本国憲法の「すべて国民は、個人として尊重される」というのはこのことです。 >この国では「個」の考え方がまだ行き渡っていないので,どこかで「道具として扱われている」と感じる場面は少なくありません。 個人は個人として尊重され、自らの幸福を追求する事が出来る。私の理想です。 ただ、社会通念や規範意識は人の「あるべき姿」を押し付けます。 「男らしさ」、「女らしさ」というのもその1つではないでしょうか。 (個人的に日本はその風潮が強いのではと思っています) 自分を道具と感じてしまうのもその為だと思います。 >子どもを作るかどうかも自由です。 >ただ,「作る」「残す」のは簡単ですが,「育てる」のは大変です。 >児童虐待・育児放棄の問題を見ていると,本来子どもを作るのには向いていなかった人がいるように思えます。 そうですよね。 単純に「欲しいから」という理由で子供を作ったしても、育てる必要があります。 児童虐待のニュースを見ていると心が痛みます。 育てる辛さ、苦労を知らなかったとはいえ、それを覚悟したうえで子供を作ってほしいものです。 自分の自由・幸福は誰かに定められ、与えられるものではない。 自分の為の自由と幸福だと思えるように生きてみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (15)

  • jam-23
  • ベストアンサー率48% (52/107)
回答No.16

君。 月は夜の部分だけではないのだよ。 昼の部分も知らないで、君に月の広さを論ずることが出来るものか。 そこから飛び上がってただじっと月を見てみるといい。 昼の部分が、きっと君にでさえも見えるだろう。 そこから飛び上がったら何が見える? 夜の部分だけ見るのはアンフェアだ。 昼の部分だけを見るのもアンフェアだ。 君は、見えるものを克明に理解しなくてはいけない。 その立派なロジックを武器にしてね。

weissrabexi
質問者

お礼

1つの見方では全体は見えない。 他の視点で人生を見てみようと思います。 ご回答ありがとうございました。

  • MARU4812
  • ベストアンサー率43% (196/452)
回答No.15

親子関係に限らず、 武士が農民を道具として扱ったことがあります。 貴族が奴隷を道具として扱ったことがあります。 男が女を道具として扱ったことがあります。 ルールとして決めても必ず反乱が起こりますね。 みんな、道具扱いじゃ満足できないんじゃない でしょうかw > 「道具」は「使用者」の、「人形」は「人形師」の物であり、逆らう事は出来ません。 「道具」から「付喪神(つくもがみ)」 「人形」から「ピノッキオ」? 案外、昔の人も同じような事を考えていたのかもしれません。 道具さえ道具として扱っては失礼だと。 そんなことしてたらいつか逆らう日が来るよって。 もともと決まった意味なんてないんだと思います。 それを自分も含めた誰かの都合で意味づけるんですが、 義務にしたって守った方が良いと思うから守るので あって、理不尽だと思えば反発すればいいと思い ますよ^^

weissrabexi
質問者

お礼

針供養や人形供養もありますね。 義務であっても、根底では自分の意思が働いているのですね。 ご回答ありがとうございました。

  • okkinaa
  • ベストアンサー率13% (97/734)
回答No.14

私らの頃より5年くらい遅いのかな。 現在のあなたの心理状態は自我の芽生えとか葛藤とかいうものです。 私は中学くらいの時に同様に悩みましたよ。 中学の頃の日記を読み返すと、こっぱずかしさで顔が赤くなります。 まあ首から上の麻疹みたいなものですから、 彼女でもできるとケロっと治ります。 下半身の雄たけびの方が脳味噌より強いんですよ。 悩むというのは人間特有の資質ですからね。 いっぱい悩んで下さい。 みーんな、悩んで大きくなった!

weissrabexi
質問者

お礼

悩んで先に進めることもあれば、立ち止まってしまう事もありました。 本当に人間は単純に出来ていませんね。 ご回答ありがとうございました。

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.13

<造られた道具か>と聞かれたら、張っ倒したくなります!殴っても、殴っても、自分の心がどんどん凍りついていく気がします。 心から人を愛した事の無い人にどう言えば、<愛>を伝える事が出来るのでしょう…。 心から人を愛した事の無い人にどう言えば、<無償の愛>を捧げている事を伝える事が出来るのでしょう…。 心から人を愛した事の無い人にどう言えば、<見返りを求めない愛>の有る事を伝える事が出来るのでしょう…。 <何のため>…ご両親が生きた<証>として<愛>を形あるものとして望んだから。 それが、たまたま貴方として生まれてきただけの事に過ぎない。 たまたまの貴方でも、<大事な大事な大事なただ一人の貴方>なの。 <道具>か? たとえご両親二人ともが、<目が不自由>でも、<耳が不自由>でも、<体が不自由>で有ったとしても <自分達の面倒をみる為>に貴方を望むなんて事は、100%無い!!!有るわけが無い!!! たとえ<レイプ>で受けた<生>だとしても、産む選択をした母親の<子供に対しての愛>で胸を張って生きていける。 愛を知らない貴方の、さもしい、ひねくれた根性は…悲しすぎて、辛すぎる…。 人が生きていくためには物を食べるけれど、それは形式上の事であって、本当は<愛>を食べて育ったと言っても過言ではないと思う。 貴方が生まれてくれただけで、貴方の役目は立派に果たしたの。 誰も貴方に見返りなんか求めていない。 貴方は与えられるだけの<愛>を受け取ったら、貴方は貴方の道を進めば良い。 貴方の人生、貴方の好きなように生きれば良い。 そして…愛する人を見つけてくれれば、これ以上の喜びはない。 貴方の役目は、<生まれてきてくれた>ことだけで、充分果たせています。

weissrabexi
質問者

お礼

「愛を知らない」というのはあながち間違っていないな、と感じました。 「道具としての存在」という解釈に辿り着いた時に、自分が育てられた理由も 「育てられた事に恩を感じて、自分に従うようになる」 自発的な服従を促す為の方法にしか思えなかったからです。 例えそれが愛だったしても、私はそれを愛だと認識していなかったのです。 社会というものを利害や計算、目的と実行によって動く機械、人間はその部品に過ぎず、 そう見た時に感情に意味がないように思えた、というのが私の考えでしたから。 ただ、こうした機械論(?)的な見方では説明出来ない物は多いですし、 自分の持つ感情を簡単に捨てる事も出来ませんでした。 人間である以上、理性的なものと本能的なものはどちらも必要なのですね。 もう1つ。道具か、という問いは 「実際にある目的の為に作られる人間がそもそも存在するのか」という問いでもありました。 「後継ぎ」として作られる子供はいると思います。 そして、その目的を強く心に刻み付ける為、あるいはそれ自体への疑いを持たない様に育てられます。 親にとって、子とは一体何なのか。 愛情を持って育てるものなのか。それとも単なる道具でしかないのか。 それは親によるのでしょうね。 私は役割らしい役割は与えられませんでした。 自分の望む人生を歩めるようになりたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.12

道具なら道具で道具に徹すれば道具としての使命を全うする。自分は道具ではないと思うのなら自分の人生を責任を持って楽しんで生きることだ。一般的に、防具は自分の意思をもたない。意思を持つものは道具とは言わない。道具扱いされるが盲導犬のほうが、あなたよりもよほど自分の存在を理解しているかもしれない。いえる事は、道具にしろ何にしろこの世に生を持って生まれてきたということだ。これは理由はどうあれ感謝しなくちゃいかん。なぜならあなたは「ベッドの上のシミ」に過ぎなかったかもしれないからだ。

weissrabexi
質問者

お礼

奴隷とは「生きた道具」と言われていました。 意思を持っていたとしてもそれで何をする訳ではなく、ただ持ち主の命令に従うのみ。 逆らえば何らかのサンクション(制裁)がありますから。 自分の持ち主=親に従わなければ、同じ様に制裁がある。 言う事を聞かない事で叱られるかもしれない。 期待を裏切る事が自分の、時には親の悪評になり得る。 そへの恐れが役目への義務感、逆らう事への罪悪感に繋がります。 どんな生き方をしたとしても、それは自分の意思に基づいた物なのですね。

  • vansancan
  • ベストアンサー率23% (341/1422)
回答No.10

なるほど。 そういう思いにとらわれるのも無理はありません。 いつぞやの大臣は女性のことを、『産む機械』と言った。 どこかの経営者は、従業員を生産する機械と同じように考え、 どこかの家では、子供を家督を継ぐ道具と考え、 どこかの夫は、妻をメシを炊く機械と考え、 どこかの妻は、夫を金を運んでくる道具と考え。。 もしかして、質問者様と同じような気持ちになっている人はけっこういるのかもしれません。 きっと、他に生きている意義みたいなのを見つけて、なんとかやっていけているのかもしれません。 わたしは結婚していますが、子供がまだいません。 質問者様の考え方を用いるのなら、 子孫さえ残すことの出来ない、『欠陥品』です。

weissrabexi
質問者

お礼

社会に生きる以上、人間には役割があります。 その役割にだけ目を向ければ、人間とは社会という大きな機械を構成する「部品」でしかなく、人間は社会に適応する部品を産み、育てます。不適応な人間は「欠陥品」です。 こういった見方をすれば人間に「個」は必要ありませんよね。 本来「人間あっての社会」を「社会あっての人間」 と未成熟な考えなりに捉えていたのだと思います。 私は結婚や子孫を残す事への義務感からそれに躊躇いを持つ自分の事を「欠陥品」だと思っています。 個人の自由を重視する生き方が出来れば、もう少し気が楽になりそうです。 ご回答ありがとうございました。

  • tajmahal22
  • ベストアンサー率34% (346/1005)
回答No.9

私は都会的な考えの核家族の中で育ちました。 自分の職業や結婚相手について干渉されたりとやかく指示されたこともなく、 昔から両親には、精神的にも経済的自立した、自分で考え、自分で人生を洗濯して生きられる大人になるよう言われてきたように思います。 だから、私の人生は私が充実して生きることにあると思ったし、そうなることで両親も喜ぶと考えていました。 人によっては“後継ぎ”や“介護”など明確な役割を期待されて生まれてきた人もいるでしょうから、 私には質問者様が役割のために生まれたのかなんなのかはわかりません。 でも、例え親になにかを強制されたり、育ててもらった恩があったとしても、 子供は必ずしもそれに応えなくてもいいと思っております。 子供は親の所有物ではなく、違う人生を生きる別の個体だからです。 私の両親のように子供に役割を求めないタイプは、「子供をもつことは人生の醍醐味」だと考えてわたしを生み、育てたのだろうと思います。 私もまだ妊娠さえしていませんが、将来子供には理想を押し付けたり役割を期待するのではなく、子育てそのものの悲喜こもごもや、育成の過程で自分自身も成長していきたいと考えています。 将来、自立した我が子と一緒に酒を囲むのが楽しみです。

weissrabexi
質問者

お礼

>例え親になにかを強制されたり、育ててもらった恩があったとしても、 >子供は必ずしもそれに応えなくてもいいと思っております。 >子供は親の所有物ではなく、違う人生を生きる別の個体だからです。 私は自分が親の所有物であり、応える事が義務だと思って生きてきました。 私の両親はそんな事を望んでいなかったかもしれないのに。 私も将来自分に子供を持つ事があれば、我が子に私の理想や介護などの役割の為に生きて欲しいとは 思いません。そのせいで自由を捨てて生きる辛さや虚しさは私が一番良く理解していますから。 ご回答ありがとうございました。

  • MARU4812
  • ベストアンサー率43% (196/452)
回答No.8

> 他者から与えられた目的と、自分が自分自身に与える目的。 > どちらが優先されるのでしょうか。 ちょっと先読みしますが、 自分が自分自身に与える目的を優先したいのではないですか? それは自分の「欲求」であり、自分の人生の「目的」では? 要は、親には将来医者になって欲しいと願われている。 自分はロック歌手になりたい。どっちを優先するのか? ってことですよね。 答えはありません。どちらを優先するかという事さえ 人生の「目的」であり、それは自分の「欲求」によって 決めるからです。 単純に自分の好きな方を選ぶ。これは実に分かり易い 選択です。しかし、現実はそう簡単ではありません。 「期待してくれる人の期待に答えたい」これもまた 自分の「欲求」であり、他者から与えられた目的 を優先することが、人生の「目的」つまりは自分が 自分自身に与える目的に成り得るからです。 確かに自分自身で自分の価値を認めるのは難しいです。 また、他人から見た自分の価値が無くなるのは苦痛 です。 しかし、一般的に「最終的な決断を自分で下して いないと満足できない」という事が言われています。 「目的」単体の判断はできません。それにぶら下がって いる自分自身の「欲求」のうちどれを優先させるか を自分で決めないと、後悔することになるようです。

weissrabexi
質問者

お礼

>ちょっと先読みしますが、 >自分が自分自身に与える目的を優先したいのではないですか? >それは自分の「欲求」であり、自分の人生の「目的」では? 私の悩んでいた問題は突き詰めてしまえば 「親にとって子供とは何なのか」(親の目線) 「子供は親にとっての何であればいいのか」(子供の目線) になると思います。 「道具」は「使用者」の、「人形」は「人形師」の物であり、逆らう事は出来ません。 私は「子供」とは「親」の所有物であり、その親の支配は「必然」、子の服従は「義務」だと考えてきました。当然、子供に「自由」はありません。 (これはあくまでも私自身のケースであり、他者がそうあるべき、ましてやもし自分に子供がいればそうであって欲しいとはは全く思いません。) >「期待してくれる人の期待に答えたい」これもまた >自分の「欲求」であり、他者から与えられた目的 >を優先することが、人生の「目的」つまりは自分が >自分自身に与える目的に成り得るからです。 「期待に答えたい」というのは私の「欲求」ではなく、 「期待に答えなければならない」という「義務」だと捉えていました。 「やらなければならない事」は思い付いても、 「やりたい事」が思い付かなかったのです。 親の所有物という認識が強く根付いていて、 「私はこの人達=両親から生まれた。私はこの人達の物。  だから私はこの人達に従わなければならない。  私はこの人達の為に生きていかなけらばならない」 という義務感だけが私を縛っていましたから。 その「義務」は私の幻想だったのだと思います。 自分自身の「自由」を享受出来るように、変わっていこうと思います。 重ね重ねご回答ありがとうございました。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.7

>それは私の狂った思考に原因があるのですが、 自分の考え方が狂っているとわかっているじゃないですか。 狂っている考えは間違っているんだから、自分は道具だという考えは間違っています。 道具じゃないんだから、自分の為の人生を歩んでいきましょう。

weissrabexi
質問者

お礼

自分の考えが客観的に見て間違っている事はわかっている。 今の考えを捨てて良いのか。自分がその在り方であってもいいのか。 「変化」への恐れが心の中で葛藤になっていました。 「自分の為の人生」についてもう少し考えてみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

  • cpbr
  • ベストアンサー率25% (70/273)
回答No.6

動物は本能のプログラムに従って子供を作ります。本能のプログラムはそれに従った結果その種がいままで生き残って来たというのが存在理由です。人間も基本的には同じですが、いつの頃からか知りませんが、本能のプログラムに従って生殖行為を行い快楽を得ながらも子供は作らない方法を発見し、その結果、子供を作る理由とか子供を作らない理由とかを考えるようになりました。あなたの悩みもその延長にあると思います。

weissrabexi
質問者

お礼

本能に従うのであれば子供を作るのは必然なのでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

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