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倭の五王の朝貢品

倭の五王の朝貢品 古代の日本は、朝鮮半島を支配する権利を認めてもらおうと、倭の五王は、南宋に使いをおくったといわれています。で、朝貢をするわけですが、日本は当時は遅れている国で、資源もないのに、奴隷以外で、なにか輸出するものがあったのでしょうか?なにか輸出するものがないと、朝貢貿易にならないとおもうのですが、、、。よろしくおねがいします。

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回答No.2

朝貢貿易というのは、後年(勘合貿易など)もそうですが10倍返しと言われています^^。中華人民共和国と違い、彼の国の皇帝は覇権主義でありましたが太っ腹でもあったのです。蛮夷を徳化することが皇帝の偉大さの証明ですから、朝貢が重要なのであって、献上品はおまけです^^; また、No.1さんの文にもある丹は喜ばれたと思います。これは辰砂ともいいますが硫化水銀で、顔料や不老長寿の薬として珍重されたものです。古代大和や丹波、丹後(名前に丹がついているのも象徴的です)などからボコボコ取れました。最近の古代史ではその産出線上に古代の都市が点在するなどという研究もなされているようです。 また、倭の五王時代は邪馬台国のあとですので、翡翠なども献上されたことでしょう。翡翠は中国では玉といわれ金よりも珍重されていました。ところが翡翠というのは産地が限られており、中国ではとれません。アジアでは現ミャンマーと日本(新潟あたり)で産出されます。 魏志倭人伝に翡翠の献上品が記載されていないことから、邪馬台国は大和ではなく九州にあったことがよくわかりますね^^。

その他の回答 (2)

回答No.3

青大句珠二枚は翡翠のことだとするのが有力みたいですけどね。 まあ、こういうのはほぼ立証は不可能なんですけど。

回答No.1

魏志倭人伝に記載されているようなものでしょうね。 初回 奉汝所獻男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈 正始四年 上獻生口・倭錦・絳青ケン・緜衣・丹・木フ・短弓矢 張政帰還時 獻上男女生口三十人、貢白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。 それと、 >朝貢貿易にならないとおもうのですが これは「貿易」ではないので。 中国王朝にとって広く蛮夷からの朝貢を受けるということは、その王朝の徳があまねく広がっていることを示すので、朝貢があるというだけで皇帝の権威を高めることになります。なので、何を持ってくるかはどうでもいいのです。もちろん、いい物を持っていったほうが皇帝の覚えがよくなることは間違いないでしょうが。

johnyangel
質問者

お礼

皇帝のご機嫌取りだと言うことを考えればたしかにそれでよさそうですね!ありがとうございました!!

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