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日本は、太平洋戦争で連合国の捕虜から有力な情報を聞き出しましたか。

eroero1919の回答

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  • eroero1919
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回答No.1

さあ、日本軍というところは情報というものに対して全く無関心だったので、個人レベルで手に入れたとしてもそれを有効活用するシステム自体が存在しなかったのですよ。 どのくらい情報に無関心だったのかというと、戦争当時にサンフランシスコに日本の優秀なスパイがいたそうでして、米軍のどのくらいの規模の部隊がどこ方面に向けて出発したかというのをかなり正確に伝えていたらしいんです。知らなかったでしょ?知られていなくて当然です。日本側に、その情報を活用した記録は一切残っていないからです。また、実際の戦略からもその情報を生かした様子は一切見られないそうです。 ご紹介された本に「最強の日本兵は、かくも容易に口を開いた!」なんて仰々しく書いてありますが、日本兵の口の軽さというか、捕虜の尋問というのは非常に楽だったそうです。なぜなら、ご存知のように日本軍では「生きて虜囚の辱めを受けず」と決まっています。そもそも捕虜になってはいけないのですから、捕虜になったときに「何を喋ってよくて、何を喋っちゃダメか」というのは一切教育していなかったのです。 また捕虜になった人たちの多くが「もう日本には帰れない」と覚悟を決めました。「もし捕虜になったとバレたら家族ごと村八分にされる」と恐れたのです。「名誉の戦死になっていたはずなのに、実は捕虜でしたなんてのがバレたら・・・」というわけです。だから、彼らは「アメリカで生きていくしかない」と覚悟したので「知っていることは何でも喋ってアメリカに恩を売ろう」と喋ったのです。 また多くの日本兵が日記をつけていました。日本人の日記好きは今も続いていて、ブログで世界で一番多く使われている言語は言うまでもなく英語ですが、次が日本語のブログなんだそうです。おーニッポンジン日記が大好きね。そういえば古典文学も日記モノが多いですね。 海外の多くの軍隊では日記は禁止です。もちろん米軍も。なぜなら、日記を見れば食料が多いとか少ないとか水があるとかないとかそういうことがよく分かるからです。ユージン・スレッジさんという海兵隊員が戦後名作と呼ばれる回想記を出しましたが、彼は聖書の端に書き込んだり、メモを聖書に挟んだりしていたそうです。荷物検査で日記を書いているとバレると酷い目に遭いますからね。 前述したように日本軍は他人の情報に全く無関心だったので、そういうものを利用するなんて思いもつかなかったし、また自分たちのそういう行為に価値があるとも思っていなかったのですね。

goo-par1732
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「日本軍は他人の情報に全く無関心だったので、そういうものを利用するなんて思いもつかなかったし、また自分たちのそういう行為に価値があるとも思っていなかったのですね。」 なるほど、そういうことだったのですか…。 日本軍では兵站と捕虜の扱いは、低レベルの業務とされていたと、何かの本で読んだような気がします。 捕虜の中には高官もパイロットもいたと思うのですが、それとも尋問するほどでもない兵士ばかりだったのでしょうか。 調べてみたいと思います。 「サンフランシスコにいた優秀なスパイ」のことは、まったく知りません。 開戦前なら通信手段もありましたが、開戦後ならどんなルートで情報を送ることができたのか、興味がありますね。

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