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"誰でも一人一票”の根拠

  • 質問No.590029
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お世話になります。
選挙権というのは一定年齢に達すると能力も責任感も全く問われずに誰でも手に入りますが、この制度の積極的な根拠は何かあるのでしょうか。
資産や家柄による選別が不適当なのは当然わかりますが、個々人の意欲や社会への参加意識が全く勘案されないのも少し理想論過ぎるのではないでしょうか。政治のセの字にも関心がない人でも二十歳になれば自動的に一票、というシステムが、ひょっとすると意識の高い人の意欲をそいでしまっているということはないでしょうか。
能力はさておいても、社会に関わりたいと思う人にだけ選挙権を与えることは駄目なのでしょうか。つまり出自ではなくて意欲の有無によって選挙権を自覚的に手に入れるような制度です。申請で手に入るようにするだけでもかなり効果があるように思えますが。
誰か私を納得させてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.9
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ベストアンサー率 54% (308/566)

#3の続きです。

> 反面ノブレス・オブリージュということで自覚とプライドとも背中合わせだったと思うのです。要するに、権利が限定されていることと権利者の意識の高さに相関があったのでは、と。

 制限選挙下で有権者の意識が(少なくともある時期まで)高かったのは事実ですが、逆は必ずしも真ではありません。「意識を高めるために権利を限るべきだ」としたら、我々は権利の大半を諦めなくてはならないでしょう。
 また「権利を限れば、意識の高い人だけが残る」というのも、おそらくうそです。たまたま手元に、2000年衆院選でのある県の年代別投票率があるのですが、60歳以上では7~8割の人が投票した反面、20代~40代までの人は4割台です。これが物語っているのは、「若年層の政治意識の低下」という可能性のほかに、意識は高いのだけれども「仕事や子育てで忙しい世代と、引退して時間のある人たち」「ある組織(後援会や地域の団体)に属していない人たちとどっぷりつかっている人たち」の間で差が出た、といったさまざまな可能性があります。

 議会がなぜスタートしたかというと、要は「自分の払った税金の使い道に口出しする権利」を具体化するためでした。今でもその機能は変わりません。その権利にとって、国会に議院が2つあることや、「政治」を知っているということはあまり本質的に重要な問題ではありません。要求する人(選挙民)がいて、その要求に全部は応じることができない政府があり、その利害を調整する場として議会がある。それが、ありていに言った「政治」そのものであり、「ノブレス・オブリージュ」があった時代でさえもこの現実に違いはありませんでした。
 では、税金の額で区別をしていた時代が正しいのかというと、

> いま現在はそれなりに所得も平準化していて昔ほどの差がないわけだし、

という現実がありますし(笑)、国民の側が分裂することは、国家に対抗する上で好ましくなかったことが分かってきたからです。フランスにおける3部会は、身分=納税額に応じて議院が分かれる仕組みでしたが、これが各議院ごとの対立を生んで、王が付け入る隙を与えてしまい、結局具体的な決定や行動を何一つ行うことはできませんでした(だから革命が起きた)。
 同じ理屈で、例えば納税額によってfaultlineさんは3票、lequeosは1票、○×は0票、となったら、3票を持つ人たちが合理的に行動すれば、既得権を守ろうとするのに対し、0票の人は、諦めて奴隷となるか、話し合いで解決できなければ革命を起こすか、のどちらかしかありません。それは、資格試験など、どのようなやり方をしても、必ず出てくる問題です。そこで、身分、出身、財産、人種などには目をつぶって、国民は国民としてひとつになって、強大な政府に対抗しましょう、という発想になりました。これがすなわち、平等権の根拠です。

 その意味で、真の「ノブレス・オブリージュ」とは、政治意識が低い人と同じ一票に、あえて甘んじることをさすのではないか、と私は思っています。
お礼コメント
noname#9289
再度ありがとうございます。丁寧に対応して頂いて御礼申し上げます。

>0票の人は、諦めて奴隷となるか、話し合いで解決できなければ革命を起こすか

そもそも民主主義自体が「小規模かつ均質な社会」を前提にしていますね(確かルソーもそんなことを書いていました)。現代の豊かさはその反対で成り立っているのだとしたら、民主主義が難しいのは当り前のことなのでしょうか。
政治によって生まれた豊かさが逆に政治に対する無関心を生んでいますね、「どうせどう転んでもそんなにひどくならないだろうから関係ない」というような。つまり豊かである限りにおいて政治的自覚も参加も面倒臭い、という意識を持つ人たちは、自分で奴隷状態を選んでいるわけですが、そのつけは一体どこに回されるのか、ちょっと不安を感じてしまいます。

>真の「ノブレス・オブリージュ」とは、政治意識が低い人と同じ一票に、あえて甘んじることをさすのではないか

これはなかなか考えさせられるご意見ですね。権利を有する者が権利のない者の立場をあえて慮ることという風に思っていましたが。
投稿日時:2003/07/03 18:55

その他の回答 (全14件)

  • 回答No.1

ベストアンサー率 27% (33/119)

最近は特にそういうことを考えなければならない時代になってきたと思います。

“人類皆平等”みたいなものは日本が戦後アメリカのアイデアの元に焼け野原の何も無いところからがんばっていくために必要だったロマンチックな合言葉だったような気がします。アメリカは王朝とかありませんでしたからやはり国家を築く上で同じようなコピーが必要だったのでしょう。それが民主化という多数決国家を作り上げたわけです。ですが、民主化イコール自由経済みたいなものも何十年と続くとやはり差が生まれてきて、結局昔の士農工商のような考えが芽生えます。いわゆるカースト制度です。たぶん今の日本はこの辺にきているのではないでしょうか。代議士の息子は代議士になり、歌手の娘は歌手など。

ですが社会にかかわらなくてよい人なんていないと思います。といいますか逆に、人がかかわりたい社会の形成こそが望ましいと思います。現代の日本人が政治にそれほど関心を持たなくなっているのは報道や国会の古い体制にあるのだと私は考えています。やはり人がかかわりたくなる社会を形成しないと立派な国会や政治は誕生しません。だれも代議士になろうなって思いませんから。

大体、普段見かけない人を選挙で投票するのはおかしいです。やっぱり実際メディアなどで活発に訴えかけている人や感銘をうける人間に投票したいものです。この選挙の方法が派閥の体制を認めているようなものだと私は考えています。

実際選挙権をもっていても投票しない人が多いので、それはやはり自覚的に権利を手に入れているのと同様の効果があると思います。ですが、私なんか地域に投票したいような人間が現れませんからだいたい共産党の方に投票します。共産党の思想を完全に指示しているわけではありませんが、共産党には現代でも通用するような理念があり自民党政治に唯一論理的な刺激を与えられる要素を含んでいると考えているからです。

意識の高い人は発言の自由を理由に人を動かし訴えていけばよいわけです。意識の高さはなかなか測れないので票を増やすわけには行かないと思いますが人を何人か動かせばその分同意見賛同者が増えます。

結局のところ私は、国を分けるべきだと考えております。政治に興味の無い国民はまずいし、いつまでも多数決制ではマイノリティがむくわれません。
お礼コメント
noname#9289
早々のご回答どうもありがとうございます。

>実際選挙権をもっていても投票しない人が多いので、それはやはり自覚的に権利を手に入れているのと同様の効果がある

少しこれには疑問を感じるんです。
ひとつは、選ばれているわけではないのでモラルや自覚の高さに結びつきにくいのでは、ということ。あくまで結果的にそうなっているだけであって、いい方を換えれば「やりたい人だけやっている」状態では、か細い自覚も消えて行きかねない、というのが現状ではないかと。
それに、自覚のある一票でも自覚のない一票が仮に行使されたらそれでチャラですね。税が争点の選挙で、税体系を知り尽くした人がそれなりに将来を考えたうえでの一票も、「顔がきらい」という人の反対票も同価値なのは、見過ごせる問題なのでしょうか。
投稿日時:2003/07/02 11:17
  • 回答No.2

ベストアンサー率 33% (21/62)

たしか、アメリカ大統領選挙は、選挙人登録しないと投票権が得られなかったと思います。


個人的な意見ですが、意識の低い人を選挙させないのでなく、選挙に行くように意識を高めるほうがいいと思います。登録制にすると、政治に関心のない人の関心度を一層低下させるような気がします。

また、政治的関心が高い人は、お金がからむ場合が多いので、選挙結果は特定の業界に利益誘導されそうですよね。「政治に関心を持つ人」=「政治を良くしたい人」という等式は必ずしも成り立ちません。
お礼コメント
noname#9289
どうもありがとうございます。

>登録制にすると、政治に関心のない人の関心度を一層低下させる
>政治的関心が高い人は、お金がからむ場合が多いので

よくわかります。その危険性は高そうですね。
私の本心は、選挙権に意欲というより「能力」をもう少し勘案できないものか、というところにあるんです。政治関心より、政治的能力で判別してもいいんじゃないかと。コストの問題はとりあえず措きますが。
投稿日時:2003/07/02 11:22
  • 回答No.3

ベストアンサー率 54% (308/566)

揚げ足を取るつもりは全くないので、あらかじめその点はご了解ください。

さて、

> 資産や家柄による選別が不適当なのは当然わかりますが、個々人の意欲や社会への参加意識が全く勘案されないのも少し理想論過ぎるのではないでしょうか。

 資産や家柄と、意欲・参加意識は全く別のものではありません。つまり、資産がある人、出自の高い人は当然社会への参加意識が強く(むしろ主導するという意識でしょうが)、逆に日々の生活で汲々としている人は、社会への参加どころの騒ぎではありません。
従って、両者はある程度の相関関係があります。ゆえに、(意欲や意識をどう評価するという問題は別にして)意欲、意識を勘案するような制度は、かなりの確率で、家柄や資産による差別をすることになるでしょう。選挙権の平等は、意欲・意識を評価する難しさという技術的な問題と同時に、人間として生まれた以上、家柄、資産、人種、出身地などにかかわらず平等に扱われるという人権の基本的な性質に由来しています。


米国では、大統領選挙に限らず、自ら登録した有権者以外は選挙権を行使することはできないことにしている州が少なくありません。ですが登録していない人も選挙権そのものは持っています=登録さえすれば、直ちに選挙権を行使できる。しかし、これはもともとが黒人に投票をさせないために設けられていた登録制度であり、現在は登録すること自体に特別の費用などはかかりませんが、本来非民主的なものです。
お礼コメント
noname#9289
ご回答ありがとうございます。

>意欲、意識を勘案するような制度は、かなりの確率で、家柄や資産による差別をすることになる

高額納税者に限られていたかつての選挙権は家柄や資産が条件でしたが、反面ノブレス・オブリージュということで自覚とプライドとも背中合わせだったと思うのです。要するに、権利が限定されていることと権利者の意識の高さに相関があったのでは、と。
いま現在はそれなりに所得も平準化していて昔ほどの差がないわけだし、家柄や資産の大小と政治意識はあまりリンクしないのではないでしょうか。経済力が低い人はそれなりに社会変革の意識が高い場合も多いでしょうし。

>人間として生まれた以上、家柄、資産、人種、出身地などにかかわらず平等に扱われる

私が疑問なのはここなんです。政治意識の深浅は別に人間性とは関係無いわけだし、自由権とは別に考えるべきなのでは、と。人間みな選挙権を持つべきなら子供にだって与えるべきでしょうし、二十歳以上という制約があるのはおかしいということになりませんか。そもそも現行の制度はある能力なり意欲を前提としているんじゃないでしょうか。それをもう少し徹底すれば、と思うだけなんです。
投稿日時:2003/07/02 10:55
  • 回答No.4

ベストアンサー率 17% (38/216)

>能力はさておいても、社会に関わりたいと思う人にだけ選挙権を・・

行使しているから、現在の投票率なのでしょう。
全員強制投票にすれば何らかの問題が生じると思いますが、今の体制のままで害はないのではないでしょうか。

選別して投票権を与えるために公務を増やすとまた税金が上がります。選挙権を自覚的に手に入れる、高齢になったり専門の仕事に忙しくて興味がなくなったりするつど選挙権を返上したりすることには、無理があるので、自覚のある人が投票すればいいと思います。

ただ、徴兵や義務教育終了を資格とするということは可能かと思います。事務的にもさほど負担にならないかと。
高額納税者限定というのは、税金を納める励みになっていいと思います。戦前の貴族院ですね。
お礼コメント
noname#9289
ご回答ありがとうございます。

>今の体制のままで害はないのではないでしょうか

害の有無ということを必ずしも問題にしているわけではないんです。投票率もさしあたって関係ありません。

能力や知識、政治意識、意欲、納税額…クライテリアは何でも(複数でも)いいと思いますが、どうしてこういう指標と無関係に選挙権が平等に与えられるのか、その根拠を考えているわけです。
選挙民すべてが高い教養と意識と自覚を持てるような社会が理想なのは当然でしょうが、それははっきり言えば常に手の届かない幻想ではないかな、と。

>また税金が上がります

もちろんわかります。けれどもコストは消極的理由ですよね。無条件に一人一票を与える積極的理由がわからないのでお尋ねしているつもりです。
投稿日時:2003/07/02 11:49
  • 回答No.5

ベストアンサー率 23% (191/829)

 残念ながら、faultlineさんを納得させる事は出来ないと思います。個人的には、選挙投票を法的に強制して、棄権したものには罰金を課すべきだと思いますが、議会は色々と理由をつけて、絶対に認めないでしょう。理由は明快で、投票を強制化すれば、投票率が上昇して結果として組織票で持っている政党が大打撃を受けるからです。自分で自分の首を絞めかねない法律を作る事はないでしょう。
 また、投票強制化については、根強い反対論があります。それは政治に関心の無い人が罰金を払いたくないがゆえに投票所に行き、適当に投票してくる(一番多いのは、投票用紙のトップに名前が載っている候補に票が入る、というものだそうです)というものだそうですが、私には反論があります。
 確かに、政治に関心の無い人が無責任な投票行動に出る事はあるでしょう。しかし、反面、せっかく投票に行くのだから、と候補者や政党の政策をきちんと調べてから投票に行く人達も増えるはずです。そして、今の日本には、棄権者の中には政治に失望して投票しなくなった政治意識の高い層が相当含まれています。投票の強制はこうした潜在的な政治意識の強い層を掘り起こす効果があると思います。こういう層が、どうせ投票を強制されるなら、ということで、自分達で政党を作ってしまうとか、市民団体を作って積極的に既成政党を変えていこうとする流れにつながるなら大歓迎です(議会が反対している本当の理由は、こういう現象が起きる事を阻止したいのでしょうが…彼らの本音は、自分たちの意のままに政治を動かし、そして甘い汁を吸うことですので)
 というわけで、議会が低投票率を食い止めるための行動を起こすとは考えにくいです。そもそも、日本の政治家の一体どれくらいの人達が、民主主義を尊んでいるのか、それすら怪しいと思っていますので。
 私達に出来る事は、とりあえず投票には必ず行く事と、おかしな政治家には投票しないことです。
お礼コメント
noname#9289
どうもご回答ありがとうございます。

あくまで疑問を書かせてもらってるので挑戦的に受け取ってもらいたくないんですが、私はあんまり投票率アップが有効とは思えないんです。とりわけ投票を強制する必要は感じません。投票したい政治家がいないということもよく言われますので、単純に投票する側だけの問題とも言えないような気がします。
ただ、さしあたってそこのところは議論する気はないんです。ここでお尋ねしているのは投票という行為に関わる是非ではなくて、あくまで投票する権利が無前提にもらえるのはなぜだろうか、ということです。ここをクリアしないと「だから積極的に行使すべき」という論理も生まれない、ような気がします。
投稿日時:2003/07/02 18:38
  • 回答No.6

ベストアンサー率 39% (490/1243)

>私が疑問なのはここなんです。政治意識の深浅は別に人間性とは関係無いわけだし、自由権とは別に考えるべきなのでは、と。

政治に対する関心度は、参政権に差別を設ける合理的基準となり得ないのです。

わが国は自由主義の国なので、政治に関心を持つも持たないも個人の自由です。また、平等主義の国でもあるので、合理的な理由なく国民の資格・権利に差別を設けることもできません。政治に無関心であることが国民の自由に属し、道徳的悪でも違法行為でもない以上、政治に対する関心度は参政権に差別を設ける合理的理由になり得ません。
一方、年齢は、一律の客観的基準で国民を分類できる唯一の(?)基準なので、国民の自由を侵さず、平等を害することもありません。20歳、という数字には積極的な意義は認められませんが、参政権が政治参加の権利である以上、参政権が与えられる者を政治を理解し得る「可能性」のある年齢層に限ることは、合理的な差別といえるでしょう。
お礼コメント
noname#9289
ご回答ありがとうございます。

>合理的な理由なく国民の資格・権利に差別を設けることもできません

現状としてそうだというのはよくわかるんです。
ただ参政権は思想の自由などと異なって社会にコミットする権利ですから、やはり一定のレベルが必要という考えもあると思うのです。
自動車を運転するもしないも自由ですが、する以上は勉強も練習もして免許をとるようなものです。税でも何でも社会の仕組みが高度化しているわけですから、最低限の意識と能力を要求することは別に個人の権利を侵害するものとは思えないし、十分合理的理由になるのではないでしょうか。
投稿日時:2003/07/02 18:19
  • 回答No.7

ベストアンサー率 39% (490/1243)

>やはり一定のレベルが必要という考えもあると思うのです。

その「一定レベル」を測定する客観的なモノサシが存在しないのです。
お礼コメント
noname#9289
再度ありがとうございます。

客観的な基準がもうけられないのは(本質的には)当然です。でもものさしの客観性が問題になるのは、大体物事の臨界点というか限界近くなった時ですね。
質問や他のお答えへの御礼をもう一度みて頂ければわかると思いますが、私の言ってるのは「政治のセ」にも関心がないor知識がない人、例えば衆議院と参議院の違いが全然わかっていない人に何で自動的に選挙権が与えられるのか、ということを問題にしているわけです。難しいことを言っているわけじゃありません。
自動車の免許試験なら80点で合格、79点で落第として、その1点に合否をわける意味があるかどうかとか、能力を数値化することがどうこう…というレベルの議論じゃなくて、せいぜい5点しかとれない人だっているでしょう、という話です。

それにそもそも客観的なものさしが存在しないから選挙民を選別しないわけじゃないですよね。「こういう能力が社会参加には必要だ」って社会合意ができさえすればいいだけの話ですから。再度書きますけど、そういう面で仮に社会参加に制限を設けても別に人間性を否定するわけじゃないと思いますが。

ちなみに昔は自動車免許も取得は簡単でしたが、今では金も時間も労力も必要ですね。せめてその十分の一ほどの手間を選挙権取得にふりむけるよう要求する社会があったとして、それがそんなにおかしいことでしょうか。
投稿日時:2003/07/02 20:54
  • 回答No.8

ベストアンサー率 51% (536/1044)

自分たちが他者に統治されるのではなく、自分たちが自分たちを統治する、という考え方に基づくものだと思います。
自分たちが生きていく社会を強権的に形成することができる権利であるからこそ、全員が行使できなければならないのです。

制限選挙においては、統治者と被治者が明らかに分けられます。
現状を20歳を区切りとする制限選挙である、ととらえれば、19歳以下の国民は、単なる被治者であるということになります。
これは、時限的措置であり、未成年はその分責任も軽減されている、ということを考慮する必要があるとは思います。

しかし、一定の資格を得なければ永久に被治者であり、統治者と成り得ないのであれば、その人は自らの生活を自らで決定することができない奴隷と変わりがありません。
より高度の能力を持った者が統治に当たり、愚昧な庶民は被治者として奴隷の平和を喜ぶべきであるという思想は、「哲人政治」の理想に通ずるものがあるのかもしれません。
その場合、統治者に課せられる責任はより重いものとなるでしょうし、被治者との利益対立を起こさないよう、自らの身を削る努力も求められるでしょう。
そうであれば、なぜ、そんなに多数の人間が統治者となる必要があるんでしょうか? ある一定の多様性が確保できるのであれば、統治者は数十人でもいいのではないですか? 端的に言えば、国民から参政権を取り上げて、より優秀な官僚が物事を決めればいいのではないでしょうか?(現在の官僚が優秀だと言っているわけではありません)
faultlineさんの提示されたシステムは、そんなシステムになるのではないですか?
「意識の低い人」を切り捨てた後の有権者も、必ず「意識の低い人」と「高い人」に分かれます。その「意識の高い人」を満足させるためには、ハードルをさらにあげなければなりません。

まあ、現在でも、そう認識されていないだけで、実際にはそのような構造がある、という認識も実はあり得ます。
また、その認識されていないことが、統治者側の無責任を招いているとの考えもあるでしょう。
お礼コメント
noname#9289
どうもご回答ありがとうございます。

>自分たちが自分たちを統治する、という考え方に基づくもの

自己統治ですね。しかしNo9のお礼にも書きましたが、それが自動的に是とされるのにはやはり前提があると思うんです。果たして現代でもそれは無条件に通用するものかどうか疑問に思った次第です。

>その人は自らの生活を自らで決定することができない奴隷と変わりがありません

やはりNo9のお礼に書きましたが(お礼が順不同ですみません)、自ら奴隷状態を選んでいる人達は多いように感じます。
ただ誤解されたかも知れませんが、そういった、豊かである限り社会にコミットすることを望まない人達を「愚昧」だと言ってるわけではありません。結果的に私がいうことはごくごく緩めの哲人政治になるのかもしれませんが、自ら望まない人にまで与える必要が感じられないということなんです。

>より優秀な官僚が物事を決めればいい

私の立場からはちょっと異論があります。官僚制度は決断とか処理のプロセスを機械的にすることで責任問題の発生を排除しつつ効率を追求するわけですよね。でも私は別に結果オーライならいいと思っているわけじゃなくて、やっぱり「オブリージュ」ですから決断と責任は政治というシステムが引きうけないといけないとは思っているんです。あくまでその際の母数というレベルが気になっているに過ぎません。

>ハードルをさらにあげなければなりません

これはよくわかりますしおっしゃる通りだと思います。
しかしやっぱり結局この無限地獄を避けるために、消極的に一人一票をとっているということなんでしょうか。
投稿日時:2003/07/03 19:57
  • 回答No.10

ベストアンサー率 23% (191/829)

#5です。
 議論するつもりはありませんので、心配しなくて大丈夫ですよ。
 では、具体的な問題点についてだけ書きます。他の方の回答と重複する部分もありますけど。
 まず、政治意識の高さとはなにか、という問題があります。選挙権の制限については、総理大臣経験者の某氏が一時期学歴による選挙資格の制限を設けようとして物議を醸した事があります。政治意識の高低が学歴に根ざすものでない事は言及するに及ばないような馬鹿げた話ですが、例えば、極右や極左といった、現実には日本という国に害をもたらすとしか考えられない人達も政治意識だけではかれば高い、ということになるでしょう。また、異なる政治思想や意見を持つ者を勉強不足と言ってのける傲慢で危険な人物ですら政治意識の高い人間ということになります。なので、政治意識の高さを何らかの物差しではかる事は、ただ難しいのみならず、無意味でしょう。良い例えではありませんが、ヒトラーと政治に無関心な人達、どちらが有害かと言えば明らかにヒトラーですので。
 次に、選挙権を申請者に付与する制度を採った場合。具体的には、特定の政党の党員、支持者、もしくは宗教団体の信徒などが申請しようとする際に、圧力を受ける危険性があります。暴力を用いたもの、中傷ビラ、申請所周辺に詰め掛けて申請を妨害する…特定の組織や政党が集会や大会を開こうとするたびに、反対勢力が結集するので、警察がガードするというのが、情けない話ですが日本という国の現状ですので、こうした事態に発展しかねないでしょう。申請制度を導入すれば、結局、既得権益を持つ人々や組織は積極的に申請して選挙権を得て、それ以外の人達は妨害にあって申請すら出来ないか、もしくは選挙に行かないかという深刻な事態に陥ることでしょう。あまり効果は期待できないものと思われます。
お礼コメント
noname#9289
再度ありがとうございます。大変助かります。

>政治意識の高さとはなにか、という問題

確かにおっしゃる通りで難しい問題なのはよくわかります。政治意識といっても右と左、プラスとマイナス両方あるのが現実だし、意識の高さは正しさを全然保証しないですからね。
そんなわけで、一般人にとってみるとどちら側に針の振れた政治意識でもちょっと勘弁、という感覚が生まれるんでしょうか。

>既得権益を持つ人々や組織は積極的に申請して選挙権を得て、それ以外の人達は妨害にあって申請すら出来ない

残念ですけども、確かに考えられる事態ですね。妨害を防ぐこと自体は制度的に可能でしょうけれど、既得権益の問題はゼロからスタートするわけじゃないので頭の痛いところですね。
投稿日時:2003/07/03 20:09
  • 回答No.11

ベストアンサー率 41% (20/48)

ご質問の主旨からズレるかも知れませんが、お許し下さい。その時は、読み流して結構です。

結論から言いますと、どういう方法をとっても、今の選挙制度を変えない限り何も変わらないと思います。
現在は、政党・組織票・後援会・出身地と制約が多すぎます。
議員の選挙は、国民投票にするべきだと提案します。
具体的には、政治家・官僚等によらない第三機関による「国民投票事務局」を立ち上げます。こゝでは、議員選出選挙はもちろんの事、政党・政策・議員のリコールも扱うようにします。
これにより、多少なりとも、出身地の利権・無能な議員・灰色議員等の排除が出来るのでは?と思います。
又、議員も公務員なら、二世・秘書等が簡単に地盤を引き継げないように、公務員試験を義務付けるべきではないでしょうか ?
一方、スカパーのように、議員専用チャンネルを設け、誰でも何時でも出演して、自分の主張・成果を自由に発表できる場を提供します。
こうした積み重ねを基に、一候補対全国民で投票します。
それでも、投票率が~%に満たなかったら、その選挙は無効→再投票とします。
わづらわしくとも、これ位しないと変わらないと思います。
しかしながら、これには強大な壁が有ります。
それは、法改正が必要だという事です。これには与野党一致で反対するでしょうから、それでも強硬に進められる指導者が出現しない限り不可能でしょうが・・・
お礼コメント
noname#9289
どうもご回答ありがとうございます。

書いて頂いた内容はよくわかります。制度疲労といってもここだけいじればOK、というレベルでは既にないですよね。選挙民と政治家の問題も合わせ鏡みたいなことなのかも知れませんし、一緒に本当は考えるべきなんでしょうね。
ただおわかり頂けると思いますが、私は今お尋ねしていることだけで一杯いっぱいで、今回は残念ながらちょっと手も頭も回りかねます。もしまた今度の機会があればよろしくお願いします。
投稿日時:2003/07/03 20:35
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