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予備校で現代文を教わることについて

予備校で現代文を教わることについて 高三です。1年間予備校で現代文を受けましたが、さっぱり偏差値が上がりません。 「’’つまり’’の後に、筆者の主張がきます」みたいなことを教えられますが、模試の時にうまくつかえていないと感じます。 予備校に通う意味(効果?)があるのか不安です。辞めても偏差値は変わらないような気がします。 参考書すら使っていないのに、自分より偏差値の高い友達は、たくさんいます。(自分は偏差値50程度) 漠然とした質問になりますが、これからどうやって偏差値をあげたらいいのでしょうか? 同じような境遇だった方がいましたら、アドバイスしてください。

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  • blazin
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回答No.1

あると思うよ。 ただね、現代文には確実な法則やこれが来たらこうする的な決め事は無いんだよね。あくまでそういう事もあるという位で。 基本はその場その場の文脈で判断する必要がある。 あまりがちがちに考えると。余計に視野を狭く読解に当たる形を作ってしまう。偏差値は意識しなくて良いんだと思う。 ただ、何故得点できないのか?何故違うものを選んだのか? どこをどう読むことで正解を導く事が必要で、自分は何故読めなかったのか? そのヒントが模擬試験の解説や予備校の授業の中には沢山あるんだよね。それをしっかり浮かび上がらせて、貴方なりに納得する必要がある。 そして現代文はある文章を問題製作者が意図的に線を引いたり、切り取って設問を創ってる。 その問われてる部分には必ず意味があるんだよ。 そして文章を読みこめば回答にたどり着けるように創ってる。 そうじゃなければ悪問で、悪問なら間違えても差がつかない。 色々な読み方が出来ていいのが現代文。 ただ入試問題に限って言えば。敢えて問題製作者が求める読解の深さや意図を掴む必要があって。ここではこれが正解として求められる筈だと。 それを問題をやりこむ中で貴方なりに掴んでいく訓練が必要なんだと思う。得てして色々考えすぎたり、複雑に捉えようとする人の方が間違えやすい。どれも正解に見える。 友達たちは。おそらくシンプルに文章を読んで。 そこから浮かび上がる方向性を問いの中からシンプルに見つけてるんだよね。 苦手を放置せずに敢えて課題として受け止めて自分なりに磨いていく為に授業を受けるのは良い事だと思う。 ただ、確実にこれをするから上がるという部分が見えにくいのが現代文。それは授業の解説も一つのヒントにして、貴方なりに自ら読解をしていける力を養わないといけないからね。 その為には場数も必要だし、不安な時にナビゲートしてくれる先生や教えてくれる存在はあった方が進歩は生み出しやすいかもしれないよね☆

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