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ボランティア仲間の対立:どちらが正しい?
- ボランティア仲間で意見が対立してつらいです。在日日本人を対象にした日本語教室でボランティアをしています。教室のサブリーダーであるスタッフAさんが彼らをとても大事にしており、休日に彼らを連れ出したり、寮に訪ねたりしています。しかし、彼らを教室に送迎までしていることに対して異議を唱えるスタッフもいます。Aさんは他のスタッフに応援してもらっている一方で、対立や嫌悪感が広がっています。どちらの言い分が正しいのか、また調和や調整はどうすれば良いのか悩んでいます。
- ボランティア仲間の対立:どちらが正しいと思いますか?日本語教室でボランティアをしている在日日本人の教室サブリーダーであるスタッフAさんが彼らをとても大事にしており、頻繁に連れ出したり寮に訪ねたりしています。しかし、彼らを教室に送迎までしていることに対して異議を唱えるスタッフもいます。是非とも、どちらの言い分が正しいと思いますか?また、対立や嫌悪感が広まらないように調和や調整をする方法はありますか?
- ボランティア仲間の対立:どちらが正しいと思いますか?ボランティアとして、在日日本人を対象にした日本語教室で活動している教室のサブリーダーであるスタッフAさんが彼らを大事にしており、頻繁に連れ出して相談にのっています。しかし、彼らを教室に送迎することについて他のスタッフと意見が分かれており、対立や嫌悪感が広まっています。どちらが正しいと思いますか?そして、どのような方法で調和や調整をすることができるでしょうか?
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リーダーは何してるんですかね。 一度話し合いの場をきちんと設けたらいいんじゃないかと思います。 集団に所属している以上、Aさんのしていることは 良かれと思ってしているとしても スタッフ間で嫌悪感が広がっているなら (実際納得いかないまま手伝わされている人もいるようですし) 身勝手な行為です。 そもそもボランティアですよね。 営利目的の教室ではなく。 生徒が来なくなっても、その活動ができなくなるだけで 損失はないのでは? Aさんがしたくてしているなら、 それはほかのスタッフに強要すべきではないし ほかのスタッフも納得もしてないのに 動くのはちょっとな、と思います。 Aさんはボランティア全体のことはあまり考えていないようです。 よい友人?と知り合えて役立てている実感もあるから 要は自分のために色々しています。 自分の居場所が見つかって嬉しい、と舞い上がって 視野が狭くなっているのではないでしょうかね。 なので、他のスタッフが できないことはできないときちんと意思表示をして ボランティアの範囲外だと思うことに手をかさないことです。 そして、どちらかが間違っているとか正しいとか言い出したら まとまるものもまとまらなくなるので 「何のためにするのか」 「どんな効果があるのか」 「それは本当に必要なのか」 そういうアプローチの仕方で話をしたらいいんじゃないでしょうか。 送迎に関してはAさんはするのなら みんなが知っておいたほうがいいことなので きちんと報告する必要があるし できないからといってほかの人の手を借りるのなら 相談も必要でしょう。 生徒さんも単純に厚意に甘えているのであって 通えるけどなあ、と思っている人もいるかもしれません。 なので、 ・どういう思いでボランティア活動をしているのか一人一人明らかにする (それぞれ目的が違うと思いますので、意外とほかの人の思いを知らなかったり すると思います) ・個別ではなく全員で話をする (複数で話すことで、発言などに証人がいることになりますから 必要以上に感情的にならずに話ができます。言った言わないでもめることもありません) を リーダーにきちんとしてもらって 必ずスタッフ間で報告・連絡・相談をするように 決めたらよいと思います。
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- cxe28284
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在日日本人とは定住外国人の事でしょうか。 日本語サポートのボランティアは忍耐の要る仕事(奉仕)ですし、 教材などの自腹での負担も大きいです。ずいぶんあちらこちらでやっていて、 組織の種類もいろいろですね。そちらの事情はよく分かりませんが、 そこまでしなければ学習者さんが来ないのでしょうか。 私はNPO法人のやっている、支援センターの賛同者として、年間三千円 寄付して、週一回マンツーマンでやっていますが、専門のコーディネーターが いて、助かっています。学習者の意志や意欲を尊重すること。彼らがどういう言語を いま必要としているか、を察知することが一番大切だという方針です。 Aさんが何かの都合で今のようにはいかなくなると、誰も来なくなるようなやり方は、 この先続けていくうえで、どうなのか私も疑問を感じます。確かに 学校で教えるよりはある意味大変なところもあると思いますが、 どこかで線引きしないと長く続けられないことも確かですかです。 YWCAの講座などにでて御覧になると、いろいろやり方があるようで、 社会的経験のある男性がいたりする方が、いいのかもしれませんね。 何処でも講座がよくありますが、講師は経験豊かな先生たちですので ご相談になるのもいいと思います。
お礼
cxe28284さん、ご回答ありがとうございます。 (在日日本人とは定住外国人の事でしょうか) 大半は企業の研修生で3年くらいで本国へ帰国します。 (そこまでしなければ学習者さんが来ないのでしょうか) その辺は私も疑問で、Aさんが送迎する前は 彼らは自転車できていました。 3年で研修生が入れ替わることが多いので その頃の生徒と今の生徒は違いますが。 今は、他の企業の担当者からAさんに「送迎してもらえないか」 という要請が入ったりしているみたいです。 本当にやる気があったら自転車でも来ると思うし、 やる気のない人を無理に来てもらう?のも 本末転倒ではないかと私は思うのですが・・・ 車が足りないと彼らが 「今日はじゃあ、あなたが乗って行きなさい。 私は休むから」 なんて話しをしているのを聞いたこともあります。 自転車で来ればみんなこられるのに・・と思います。 YMCAの講座の情報ありがとうございます。 早速調べて、状況が許せば私も出てみたいと思います。
>こんな場合、どちらの言い分が正しいとお考えになりますか? 基本的にボランティアなのですら、 それぞれができる範囲でできることをすればいい。 というのが基本的にスタンスだと思います。 ボランティア内で決まったルールがないのであれば、 Aさんのように送迎してあげるというのもかまわないでしょう。 でも、それを他のスタッフに強要するというのは違うでしょう? 個人的にはAさんはやりすぎだとは思います。 彼が自分のやり方を押しとおしたければ、 賛同できる仲間だけを集めてやればいいとも思います。 ただ、その場合は、質問者さんのような人たちを 排除してでもということになります。 長い目で見ればそういうやり方は続かないということに 気が付いていないのでしょう。 金と暇のある人がいなくなれば、できないのですから、 結局は小さな善意を集めて人のためにするという ボランティアの精神からは逸脱することになり、 小さな善意を持つ人たちを排除することで、結局は Aさんがいなくなった時点でその活動自体がなくなる可能性があります。 そういう活動方針は結局は日本語を学びたいという人たちに不利益となります。 >また、どう調和、調整していったらよいのでしょう? グループを二分する。もしくはAさんとその一派を排除する 方向で調整されてもいいと思います。 慈善事業とボランティアに分けるという考え方です。
お礼
narara2008さん、早速のご回答ありがとうございました。 拝見して、頭の整理ができました。 ボランティアとは 〈小さな善意を集めて人のためにする〉 もの、誰でもが気軽にできるもの。 特定のひとしかできないのでは 〈日本語を学びたいという人たちに不利益) ですよね。 グループを二分するしかないのかもしれませんね。 私はAさんを支持したい部分(彼らのために必死という)もあり、 なんとかみんなで調和していかれないものか、という思いも 捨てきれなかったのですが・・ 甘いかもしれませんね。
お礼
LOTUS18さん、ご回答ありがとうございます。 おっしゃるひとつひとつが本当にそうだと思いました。 自分の意思に反することは手を貸さない、 みんなで話し合いをする、(正しい、正しくないではなく) ひとつ、ふっきれたような気がします。 リーダーに話してみようと思います。