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武田軍で有名な赤備え
武田軍で有名な赤備え 猛将が率いる精鋭部隊の印象がありますが、戦にでれば多かれ少なかれ戦死者はでます。 でもその度にどんどん数が減れば、赤備え自体が消滅するのではないでしょうか? それとも赤備えの数は決められていて、減ったらその都度補充してひたすら訓練したのでしょうか? 訓練をして赤備え、又は赤備えと同等な強さを持った部隊というのを量産できなかったのでしょうか? 基本の強さが赤備えなら、戦ではまず負けることはないですよね? それとも赤備えとは赤い武装をした普通の部隊だったのですか? 質問が多くてすみません。分かることだけでも教えてください。
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武田の赤備えといっても、山県昌景が率いる部隊がの装束が赤いと言うだけです。 (武田軍では部隊に対して特定色の独占使用を認可していた。) 「勇将の下に弱卒無し」と昔から言われるように、兵が強いから部隊が強いのではなく、率いる将が優れているから、大きな軍功が立てられているのです。 (兵士に同じ装束をさせ、同じ訓練をさせたからといって、同じ働きができるとは限らない。) 特に近代戦以前の時代だと、兵士が戦場で恐怖心に捕らわれ、逃げ出し始めるのが敗北の決定的要因に成る様な時代ですから、過去に大きな軍功を上げ勇名が轟き渡っている将の下であれば、他の将の下で戦う兵士よりは安心して(すぐに恐怖心に駆られたりせず)戦えるはずです。 逆に敵にしてみれば、そんな部隊と戦いたくないと思う物ですから、敢えて赤という目立つ色で敵を脅して、少しでも早く敵兵が恐怖心に捕らわれて敗走するように誘導する事を意識した、ある意味での心理戦的意味合いもあります。 兵士の優劣だけで勝敗が決まらないのは、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が作った巨人連隊(ヨーロッパ各地から体格の良い者を誘拐してまで連れて来て作った部隊)がヴィルヘルム1世なくなった後に解隊されてしまったことからも…。
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- tanuki4u
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山県が戦争時に引き連れてくる兵の兵装が赤い。 それだけのことです。 質問者の文章から思うに、近代的な軍隊を前提に考えているようです。 だが、戦国時代は、兵農分離しておらず、戦国末の秀吉の時代になって、○○石に対して、●●人兵を連れてこいというレベルになった。それまでは、各国人レベルで召集がかかると「今回は、いけそうだから、たくさん連れていこうかな、今回は、少なくてもいいや」という感じです。 なので、大名自体は、兵が何者かなんて知らない。 大名の方では「○○村、□□殿、兵XX人!」という申請書を認識する程度。
- Pinhole-09
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伝統を引き継いだ「井伊の赤備え」は単に井伊直政の全軍が、赤胴のような赤い武装をしていただけでした。 戦死者が出れば補充をして、鍛えるだけです。 武田の赤備えは猛将「山県昌景」の率いる精強な軍団でした。 味方(三方)が原の戦いのあと、家康に「山県は恐ろしき男ぞ」といわせたほどでした。 こちらは戦死者の補充は楽ではないでしょう。