• 締切済み

親にしてもらってうれしかったことを教えてくれませんか?

親には、子供の頃に色々と世話になっていたといいますが もう、あまり記憶がありませんし 今は、何もしてくれていなかったと思ってしまいます。 というのも、小学生3年生から10年間、 親同士の関係が崩れていて、ドロドロな家庭で育ちました。 両親のストレスが自分らへ向かい毎日怒られて怒鳴られて、 親に愛せれている気は、全くしませんでした。 兄弟の中で、末っ子の自分は、 弱い立場の犬を叩いて、ストレスを解消していました。 自分には、この思い出が強すぎて、最近でも、 親には、何もしてもらえなかったと思ってしまいます。 でも、この時期より前は、親どうしの関係が うまく行っていたので、やさしくしてもらっていたと思っています。 だから、みなさんが親にしてもらってうれしかったことを 教えてもらって、過去の良い両親の記憶をよみがえらせたいのです。 ちょっとしたことでも、かまいませんので 親にしてもらってうれしかったことを教えてもらえませんか。 みなさんの、お返事待っています。

みんなの回答

回答No.5

なぜか分かりませんが小学校1,2年の頃 不眠症になってしまい、夜なかなか眠れない私に(午前1~2時頃まで眠れなかった) 両親が交代で起きて相手をしてくれたことです。 特に父は7時に家を出て10時ごろ帰宅していたので 早く寝たかったと思うのですが私が眠るまで一緒に起きていてくれました。 あと小さな嬉しかった記憶は母が洋服を作ってくれたことや 休日に父と登山に出かけ2人だけで外食して帰ったことや 九九を覚えるのに付き合ってくれたこと・・・たくさんあります。

  • kaede-com
  • ベストアンサー率21% (214/993)
回答No.4

何でも嬉しかったですね。 些細なことで言えば、 ・寝る時にクラッシックのレコードをかけて貰って、父と指揮をしながら遊んだこと ・母と一緒に誕生日ケーキやバレンタインのチョコを手作りしたこと。ババロアを作ったときは型から抜けなくて苦労したのも懐かしいです ・始めてディズニーランドに連れていって貰って、はしゃいだこと。スペースマウンテンに乗ったのが幼稚園生の頃で怖くて泣いたこと。ミッキーと握手をしようとしたら「また後で会えるよ」と父に言われて断念。後で会えなくてバルーン風船を買って貰いました。浮く風船は始めてで家に帰ってもしばらく遊びました。 ・芋ほりに出かけたこと。母が豚汁をガスボンベ持参で作ってくれて、おにぎりも持参して・・・美味しかったです。 ・勉強熱心な母がいつも添削してくれて、ノートが綺麗に使えるよう包装紙でカバーを作ってくれたこと。ちょっと恥ずかしかったけど、嬉しかったですね。 ・一緒に買い物に自転車で行ったこと。ちょっとした冒険気分でした。電車で3駅分くらい走りましたから、今思うとよく買い物に遠くまで行っていたなぁと思います。時々買ってくれた焼き鳥が美味しかったです。 ・スキーに行った事。子供の時は最後の締めはそりでした。途中ビデオ撮影したり、かなり遊びました。外食はしない家だったのですが、そのときだけはケーキやおしるこを買って貰えました。それも嬉しかったですが、お湯持参でカップ麺を食べたお昼。ちょっとカップ麺が固くて・・・懐かしいです。 ・・・なんていうかあげたら本当にきりがないです。 それくらい色々して貰いました。 大人になって、実際には裕福ではなくお金をかけずに上手に遊んでいたこともわかりましたが、当時は不自由していると思わなかったです。 そう育ててくれた両親って凄いなぁと思います。 しかも、大学まで出して貰いました。 自分が親になった今、本当に頑張ってくれたんだなぁと感謝してもしたりないです。喧嘩しているところも1度もみたことがないし、今でも仲がいいので、私の理想であり、指標となりました。 ご質問者様もきっとよかった記憶もあると思いますよ。 よみがえるといいですね。

  • nnmsg1327
  • ベストアンサー率39% (206/525)
回答No.3

長女で、年子の弟が一人います。 6歳ごろのことです。 家は商売をしており、景気がよく繁盛はしていたのですが、 父が傲慢で母はなかなか大変な思いをしていたと思います。 夜中に酔って帰る父が怖く、私は気が小さいためなかなか眠れなかったのですが、 夜の11時ごろに目が覚めてしまって、 そういうときの子供って、長い夜が怖くて孤独なんですが、 母がりんごをむいてくれ、「早く寝なさい」の一言も言わず、 おしゃべりにつきあってくれました。 「早く寝なさい」と言われると思ってパニックになっていた私は、 とても安心して、また自然に寝付くことができました。 気が強く、いつもいらいらして怒ってばかりの母でしたが、 ありきたりの子育てにはまらない考えのところは、ありがたかったです。 子育てって子供をなだめすかすより、 どどーーんと構える姿勢が有効なんだなあと、 今、子供をもってみて思います。

回答No.2

私の母は生まれてから私が成長するまでの様子をつづった育児日記をつけてくれていました。成人になった時、それを始めて知り日記を読ませてもらいました。今日はこれをしたなどと、とりとめもない簡単な記述でしたが、小さなことまでも書きとめてくれるその姿に愛を感じました。 私は数年前に母を亡くしたのですが、その事を通してただ母がいて私を育ててくれてという事に母の愛を感じるようになりました。眠れる家があり、おいしい食べ物を出してくれて、学校に行かせてくれて、お弁当を作ってくれて、授業参観にも来てくれて、、私の成長を見守ってくれる、、特別な事じゃないかもしれないけど、普通の事を普通にずーっとできる、それが親の愛なのかなと思います。

noname#108572
noname#108572
回答No.1

こんにちは。 私は真ん中っ子でした。 祖父母と同居で嫁姑問題が耐えず、家族で出かけた記憶もありません。いつも不機嫌な母が大っきらいでした。自分も愛せれてはいないと感じていましたし。 逆に姉と弟はとても可愛がられていてそれがまた自分の居場所のなさを実感させられて・・ 大好きな父はいつも仕事が忙しく、顔を合わす事さえ難しく。。 私の記憶に残っている幼少期の記憶は母のいない休日に姉と父と3人でお弁当を買って公園の花畑で食べた事。 いつも「早くしなさい、食事中はおしゃべりしないで!」と言う母がおらず、父とたくさん話をしながら食べたお弁当が本当に楽しかった。 その時の菜の花の風景が今でも鮮明に残っています。 それと、少し大きくなってからですが、5年生の時に編み物の興味をもち、得意だった母に教えてほしいとお願いすると「あんたには無理。飽きっぽいから」と一蹴されたところ「教えてやれ!」と父が一喝してくれたこと。「お前は器用だからなんでもできるよ」といってくれたことが 本当にうれしくて。都の展覧会で優秀賞を頂くまでになりました。 ほんの些細な言葉でも十分記憶に残って私を支えてくれています。 質問者さまにもきっと愛された記憶があるのでは?

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