• ベストアンサー

聖徳太子について

よく聖徳太子は大勢の人が話したことをいっぺんに聞き取れたと言われていますが、それはやはり逸話ですか?それとも本当にそのような才能があったんでしょうか。 どれくらい真実味のある話なのか知っている方は教えてください。あとあの手に持っている棒状ののようなヘラみたいなものも何か教えてください。友人とそんな話しになって、どうしても気になりだしてしまいました。よろしくお願いしまーす。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sesame
  • ベストアンサー率49% (1127/2292)
回答No.1

聖徳太子が十人の訴えを同時に聞き答えたという、いわゆる豊耳皇子の逸話は、平安初期(つまり聖徳太子の没後300年も後)に書かれた「聖徳太子伝暦」に最初に見えます。これは日本書紀中の太子の紀伝をベースにして、太子にまつわる説話、奇談を加えて編まれたもので、史実的信憑性は薄いです。むしろ、聖徳太子の奇瑞を面白く書くことで当時の関心を誘ったものでしょう。太子が馬厩で生まれたこと、生まれてすぐにしゃべったことなど、彼の超人的イメージはこの作品から流布したものです。 ところであのヘラのようなものは「笏」(シャク)と言います。男性貴族が威儀を正すために持ったものですが、あれ、元々はカンニング用の道具だったんですよ。 重要な儀式などで詞を述べなければならないとき、笏の裏側にメモを書いた紙を貼って読み上げた、というのが元来の使い方でした。

rekishi
質問者

お礼

本当にありがとうございました。友人との取り留めのない雑談から、sesameさんのおかげで素晴らしい知識を得られて本当に嬉しいです。目からうろこです。さっそく友人に報告します。

その他の回答 (3)

  • msc
  • ベストアンサー率14% (5/35)
回答No.4

太子作の17条憲法2条にに、「篤く仏教を敬え」と明記してあるように、仏教を篤く重用した太子に対する後の仏僧達の言い伝えだと思います。 しかし、上記憲法作成、遣隋使の派遣や、10代では四天王寺を建立するなど、能力の高い人であったことは間違いないようです。 勺については私も初めて知りました。

  • ababa
  • ベストアンサー率43% (62/141)
回答No.3

特に根拠はありませんが、私はこの逸話は太子が有能でアホな役人が一人の陳情を処理するあいだに十人の陳情を処理できたということを大袈裟に伝えたものだと思っています。

  • Alias
  • ベストアンサー率59% (173/293)
回答No.2

『日本書紀』推古天皇の巻に「聖徳太子は生まれてすぐにものを言うことができた。聖者のような知恵があった。大人になると,一度に十人の話を聞き間違えずに理解することができた。未来のことを前もって知ることができた」という記述があります。そもそも記録に登場する初めからこのように伝説めいていたわけで,話半分に聞いておくほうがよさそうですね。今でも「聖徳太子はいなかった」なんて説を唱える人がいるくらいです。 それと,あのヘラのようなものは「笏(しゃく)」というものでしょう。昔の偉い人が正装するときに威儀をととのえるために手にしたものですが,本来は,上の人からの命令や上の人に申し上げる内容などを忘れないように書き留めておくカンペだったといわれています。

関連するQ&A

  • 【聖徳太子】聖徳太子像を見ていてふと思ったのですが

    【聖徳太子】聖徳太子像を見ていてふと思ったのですが、聖徳太子ってインド人だったのでは? 髪型と服装と手のポーズといい、伝承した龍や像など日本にいない動物を寺のモチーフに採用してるし、インドから日本に渡って来る途中に中国や朝鮮半島の日本より進んだ文明の職人も引き連れて来れた。 聖徳太子がインド人なら全ての辻褄が合う気がします。 ちなみに龍は虹と言われているが、聖徳太子の龍はアフリカ大陸にいた麒麟のことだったと思う。 インド人の聖徳太子はアフリカの麒麟を見たことがなくインドにアフリカの情報が伝承されたときには龍の形になっていた。 聖徳太子が中国人や朝鮮半島の出なら虹から龍になって角は無くなって髭が長い龍になってたはずだし、象もモチーフに採用してないと思います。

  • 聖徳太子の持っているもの

    『聖徳太子が絵の中で持っている平たい木のようなものは何か』について、学校の先生が『人に自分の息を吹きかけないようにするためのもの』と、まじめに教えてくれました。 (小6です) 本当でしょうか?

  • 聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ

    聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ ●国民期待の聖徳太子(当時国民という意識はあったのか?公地・公民だから大丈夫?) ●聖徳太子はコックさん(料理が得意だったり、そういう役目だったの?) ●ご苦労さんです聖徳太子(ご苦労さんて上から目線かな?596年と間違いやすい。) ●コックリさんと聖徳太子(ちょっと不謹慎な気が) ●五組に通う聖徳太子(本当?) ●国産大好き聖徳太子(遣隋使も送ってたから国産大好きとは言いがたいか?) ●極彩色な聖徳太子(派手だった?) ネットで調べたり自分で考えたりして上記のような語呂合わせが集まりました。 括弧の中はちょっとした疑問点です。 更に良い語呂合わせはあるでしょうか?もしくは上記の中でこれが一番だというのがありましたら理由を教えてください。時代背景までわかるような語呂合わせなら最高です。

  • 聖徳太子はいなかった!

    日本書紀を指導した藤原不比等と その指導のもとで書き上げた道慈とういう坊さんが、自bンたちの都合のよい内容に書き上げた日本書紀。及び 藤原家の書物・懐風藻から 引用されて作り上げた聖徳太子像であって、実在しなかった人物像と言われ始めている。 誕生の経緯がキリスト園も出、生まれて2年目に 大人の言葉を発したとか、一度に多く人の要求を聞いて、皆答えたとか、あり得ない話ばかり。 これに関しての参考意見や 参考書物を教えてください。

  • 聖徳太子について

    カテゴリはここで良いのか、それすらも分かってないのですが、違っていたら「違います」の回答でも構いません。 聖徳太子、十七条の憲法の第1条『和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗と為す』の中の『和』とは何と読むのが一番正しいのでしょうか? 昭和10年に出された改訂では、「やはらか」つまり『やわら』と読んでいますよね? もしくは、少し聞いた話では、当時『和』と言う人がいたとか・・・。 それでも質問は同じです。『和』とは何と読むのでしょう? 実は、クイズみたいなもので調べているのです。 人(女性)の名前で『和』と書いた場合、何と読むのか? 上の文章は自分で調べ、そこまでたどり着きました。関係があるのかないのか、それも分からないのですが・・・。 下の文章は問題を出した知り合いからヒントと言う感じで聞きました。しかし「やわら」とは読まないそうです。 もし、『分かる』と言う方、『こうじゃないか?』と言う方、いらっしゃいましたらよろしくお願いします。

  • 小野妹子は聖徳太子の国書を持って隋に行ってどうして生きて帰ってこれたのでしょうか?

    小野妹子は聖徳太子の国書を持って隋にいって、どうして生きて帰ってこれたのでしょうか? 聖徳太子の国書は「日出る処の天子,書を,日没する処の天子に致す。恙なきや。」で始まっていますが、中華思想の強い中国の王朝では非常に無礼なものと考えられたと思います。特に強大な力をもった統一王朝の隋に行って、対等な関係を示す「天子」を持った国書差し出せば無礼者としてその場で殺されてしまうような気がします。 ところが現実には裴世清を伴い帰国し、聖徳太子の対等外交政策は一応成功しました。高句麗の脅威に対抗するため倭国と手を結ぶ必要があった等の説明を聞きますが、どうもそれだけでは「天子」という言葉の記載のある対等の国書を受け取った上裴世清まで使者として送った理由としては、彼らの中華思想の強さや何百年かぶりの統一王朝の隋の登場といった背景を考えると、説得力がやや弱いと思います。 聖徳太子や小野妹子は隋王朝内部にコネがあったり、彼らの弱みを握っていたのでしょうか? あるいは朝鮮半島出身ではなく、大陸出身の渡来人がブレーンとしていたのでしょうか?

  • キリストの逸話について

    その昔、テレビ番組でキリストは複数の人の訴えを聞き分け、それぞれの人に的確なアドバイスをしたという、聖徳太子と同じような逸話があるというのを見たような気がするのですが、これは聖書ではどのあたりに該当する部分があるのでしょう? 単に私の勘違いなのか?実際にそういう話があるのか知りたいです。 どなたかよろしくお願いします。

  • いくつかの事を同時に聞く事ってできるんですか?

    聖徳太子が10人の人の話を同時に聞いたという話がありますが、 ああいうことって本当に出来るんでしょうか? 訓練すればできるようになるのか? それとも人間はそんなこと出来ないのか。出来るような造りになっていないのか? を知りたいです。

  • 『日出処の天子』を読んだことのある方

    聖徳太子に詳しい人や歴史研究家、飛鳥寺にもかなりけちょんけちょんに言われた『日出処の天子』 日本書紀にある『一晩で何里も移動』『一度に何人もの話を聞く』『未来を予見できる』...等 神格化された太子の逸話を随分大胆に物語にしているな、と以前読んだときマンガとして感銘を受けました。 猪の首の話など、実際語られている事を織り込んでいるところも多く見受けられますが、 『いくらなんでもそれはめちゃくちゃ』とおもわれるところ、 逆に『しっかり歴史的背景をつかんでるじゃないか』 と思われる処を幾つかお聞かせ願いますか? ホモと超能力は抜きにして。

  • 大河ドラマにならない人って?

    有名な歴史上の人物なのに、大河ドラマにならない人って 誰がいるでしょうか? 自分は聖徳太子と今川義元だと思います。 ・聖徳太子:皇族同士が争う話になりそうだから。       (大化の改新直前で終われば大丈夫?) ・今川義元:有名だけど偉人じゃないから。