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ブッダ 手塚治虫作 について

質問のカテゴリが違っていたらすみません。 手塚治虫さんのマンガ、「ブッダ」を読んで思ったことがあります。 ブッダは、とてもすばらしい人であることは分かりました。しかし、奥さんとわが子を捨てて、修行の旅に出るという考えが理解できません。見方を変えると、ただの自分勝手だと思います。ただ自分の欲望を貫きたかっただけではないのかと思います。 たくさんの人々の迷う心を救ってあげたわけですが、一番身近な人(家族)を犠牲にしています。 ブッダも人の子、ということなのでしょうか? ブッダを全部読み終えて、何かすっきりしませんでした。 このことについて、どなたか詳しい方がいましたら、コメント等いただけたら幸いです。 よろしくお願いします。

  • pjdj
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質問者が選んだベストアンサー

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  • kigurumi
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回答No.9

No.2です。 >1人の命と100人の命はどちらが大切か? >2人の命と3人の命はどちらが大切か? >親の命と妻の命はどちらが大切か? >全て答えが無いですよね。 >そんな中、ブッダはブッダなりに答えを出したということなのでしょうか。 仏陀は実在した可能性が高い と言われますが、確かに実在はしていただろうけど、経歴全部が真実かというと、怪しい。。。とは思います。 で、、、、 上に挙げられた問いに関して、やはりどれが自分の将来にとってお徳かで判断可能なんじゃないかと。 中学の時の先生が、自分の子供と他人の子が同時におぼれていて、状況で一人しか助けることができなかった場合、他所の子を助けるって言ってました。 この先生の考えでいけば、一人の命と100人の命、二人と三人の命、親の命と妻の命は違うってことになります。 より自分の身近な人犠牲にした方が、その後生きる難易度が低くなるわけです。 世間の怖さを知っているので、他人の子を助けるわけです。 自分の子供を助けて他人子供が助けられなかったら、死んだ子供の親に恨まれるし、まわりも自分の子供だけ助けてって冷たい目でみられるでしょ? 他人の子供を助けて自分の子供が死んだ場合は、家族で痛み分けをすればすむわけです。 残りの人生、まわりから非難されて生きるより、お気の毒にと同情されたり、よくぞ自己犠牲を払って他人のために尽くしたと評価された方がマシってわけです。 執着を捨てることができれば、捨てられる。 家族への思いを切り取れば、家族が死んでも辛くなくなり、「よくぞ助けてくれた」とまわりから褒められて、<自分>が満足な人生になるわけです。 自分への執着だけは、捨てられないってことですね。 仏陀だってそう 自己愛が強かったと思えます。 解脱する直前に世間にはまだ救われていない人がたくさんいると思い、解脱を取りやめたとかいう話を聞いたことがあります。 大勢に感謝される自分を選んだ。 大勢の良い評価が、自分の人生の価値だと思うってわけです。 そこが、私が「結局この人もそうよね」と思ったところ。 確かに、その生き方は正しい生き方なのかもしれないが、正しいだけで完璧じゃあない。 まあ 完璧な人などいないですが。 人の価値は誰が決めるか、その人の周りにいる人です。 周りにいる大勢の人が益になったら「いい人だ」「存在価値が非常に高い」となる。 ええ その集団にとっては、存在価値は高いでしょうね。 逆にその集団に益をもたらさない人は「役立たず」「存在価値が無い」となってしまう。 世間という鏡は、真実の姿を映し出しているか? ノーですよね。 だけど 自分で自分を見れない以上、世間という鏡にうつった自分の姿を見るしかないわけです。 そうなると世間という鏡は、自分がどう振舞えば自分を美化して映し出してくれるのか となるわけで 鏡(世間)に益をもたらせばいいわけです。 現代人だってそうじゃないでしょうか。 世間という鏡の写った姿を見て 一喜一憂している。 つまり他人の評価に右往左往して、身体を捻じ曲げて、鏡に美しく映ろうとする。 鏡がゆがんでいたら、身体をゆがめないと、まっすぐ写っているように見えないでしょ? 鏡は絶対を写していない 相対的にしか写らないと気づかず、鏡に映った姿を真実だと思い込んでいるわけです。 で、そんな相対的な世界に我々はいるので、親は子供に「世間の役に立つ人になれ」と言うわけです。 世間を敵にまわすな 味方につけろ そのためには自己犠牲を払う周りが喜ぶことをしろ そうすれば犠牲を払った以上のものが手に入る ってね。 そんなもん いらんわ! ってきっぱりと言えたらすかっとするでしょうね。

pjdj
質問者

お礼

ありがとうございます。 中学の先生の話、ためになりました。 まさに、究極の選択に対しての答えを準備した、という感じですね。 ただ、本当にその状況がきた場合、先生は反対の答えの方(わが子)を選んだかも知れないですね。まあ、そこは考えても無意味なのですが、、、 No.8の方の意見の中に、「智慧」という言葉があり、意味をインターネットで調べてみたのですが、 ・物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。「―を借りる」「生活の―」 ・ (智慧)仏語。相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。 と書いてありました。 まさに、ブッダも人も、日常起こる様々な出来事に対し、智慧を使って対応する。そして智慧を高める、ということのような気がしてきました。 家族を捨てたのも、家族と再会したのも、日常の出来事であり、修行を重ねた一人の人間がそれに対して、どのように智慧を使って行動したか、ということかなあと思います。

その他の回答 (13)

noname#105597
noname#105597
回答No.14

NO.8です。再質問へお答えします。 >気になるのは、ブッダが悟りを開いたあとに、残された家族に対してどのように考えたのか、というところです。 成道後の釈尊を見かけた以前の修行仲間が釈尊へ「友よ」と語りかけたところ、釈尊は「友よと呼ぶのはやめなさい」とおっしゃいます。その威厳に満ちた神々しさと、その後に語られる悟りの内容に打たれた彼らは、釈尊へ帰依します。 家族も結果的に帰依しているところをみると、同様な面もあったのではないでしょうか。 現代の大相撲で現役時代の貴乃花の親子関係も、弟子入りした以上は親子ではなく子弟の関係になっています。 師匠の境地として、家族を超えた境地にあられたのではと推察します。 ただ、「師の心、弟子知らず」と言われるように、逆の立場から師匠の境地をおもんぱかることは不足しがち、という面もありうるでしょう。 また、仏陀の悟りを開かれた以上、王として生きるより仏陀として生きられる方がいいのは当然でしょう。 また、釈尊は、在家の信者へは、家族としての正しいあり方を説いておられますので、その人その人に応じた最善のあり方を説いておられるのです。 また、釈尊も御帰天後、天上界からその後の世の展開を見られ、本意どおりに行ったところやそう行かなかったりしたところ等を見られ、「次に生まれる時は、もっとよいあり方を展開して行こう」と思われたのではないでしょうか。 インド地方には、過去七仏像の横に未来仏像も造られている所もあり、来世東の国に再誕されるという予言が伝わっている所もあります。 個人的には釈尊はその後現代日本に再誕しておられるように思います。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.13

以前テレビでナイチンゲール・モーツアルト・リンカーンらの真実番組をやっていた。 現在彼らの美談が語られているが、実像は・・・・。 >本能がこうなっているから私はこのように行動する,というのは嫌なというか,変な感じですね。 逆に何故人間はこういう行動をするのかわからないとき、他の動物を観察すればいいわけです。 謎が解けますから。 人間も動物であることを思い出してください。 特別でもなんでもない 人間も動物です。  他の動物がやらないことを、人間ならできると取り組んでも継続しない。 いずれ廃れる。だって不自然だから。 ホメオスタシスがあり、一時的に変化しても、また元の自然の状態に戻る。 仏陀も他の動物同様に子孫を残すという自然行動をしたわけです。 仏陀は釈迦族の王子様でしたよね。 釈迦族は気位が高くて高慢な種族だったって言われてますよね。 インドにカースト制度がいまもってある。 インドの地域に人々が住んでいて、そこに後からやってきた集団が住み着き、カースト制度をつくり自分たちを上位者にして、もともといた人たちを最下位にしたんだったと思います。 釈迦族はカースト制度の上位でしたよね。 さて何故カースト制度のおかげで裕福な暮らしができていたのに、家族と縁を切りカースト制度の撤廃をしようとしたのか。 ひとつには子供の安全が確保されたことと、いずれ不正(不自然)のゆがみが子孫の絶滅を引き起こすと危惧したからかもしれないですね。 オサマ・ビン・ラディンという人がいますよね。 やはり仏陀同様に王子様。 そのまま生きていれば何不自由の無い生活が一生が送れるのに、どうして一族と絶縁してテロ活動にいそしむようになったのか。 まず 絶縁した理由は仏陀同様に家族を守るためだと思います。 こんな話はご存知でしょうか。 アメリカでWTCに飛行機がつっこむ事件がありましたよね。 ラディン一族とブッシュ元大統領(パパブッシュ)は、これから起こることを事前に知っており、モニターで一緒に鑑賞しようと同席していたのだそうです。 事件直後、アメリカは厳戒態勢が敷かれて空港は閉鎖される中、ラディン一族だけはアメリカを出国できた。 絶縁していなければ、パパブッシュと共同活動することも無かったでしょう。 家族の身柄を拘束して息子を説得してもらい、テロを未然に防ぐこともできた。 表向きは絶縁しており、一切連絡が取れない状態というふれこみ。 実際は一族の結婚式に出席してるくらい仲がいいわけですが。 絶縁しており、一切関係が無い赤の他人とすることで、ラディンは一族の存続を守ったわけです。 これだけでは守りきれません。何を? 子孫を。 西側のイスラム勢力の領土を奪う行為を阻止しないと、いずれ近い将来自分の遺伝子を持つ子孫が安全に暮らせる場所が地球上から無くなってしまうと考えているんじゃないかと。 動物の本能は、自分の遺伝子の永遠の存続ですよね。 人間も動物である以上、他の動物が取る行動を取る。 一休さん、彼は高貴な生まれだったが、殺されないために出家させられましたよね。 縁を切ることで、子孫を守ったわけです。 で、一休さんは繁殖能力が旺盛だったので、えっらいエロ坊主だったらしいです。 手当たり次第女を手篭めにしたというのが、一休さんの実像。 たくさんのコピーを残したってことで、まあ 動物ですからねぇ・・・。

回答No.12

 こんにちは。  質問趣旨に述べられた見方が ふつうであるし 特別まちがっているとは思えません。  さとりを開く前の出来ごとだというのであれば あとで考え直したその内容を述べておけばよかったのですから。  人びとはなぜブッダに無謬性をつけ加えるのか。  こういう問いなのではないでしょうか? 実質的には。  たとえばゴータマ・ブッダの――成道後の――まちがいを例示します。  【Q:ブッダの美女マーガンディヤー事件】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5121424.html  ☆ ブッダが求婚の申し込みをことわるのはいいが その相手のマーガンディヤーの悪口をなんで言わなければならないのか?  【Q:ブッダの性愛観は 間違っていませんか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5145751.html  ☆ 性愛に関しては 無記であるべきなのではないでしょうか? それをこんなに貶める発言をするとは ブッダもおかしいと感じます。  【Q:ブッダはなぜ《仏性》を説かなかったのか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5224310.html  ☆ 自分では――おそらく バラモンのおしえを批判する立ち場に立つからには――知っていても説けなかったということは 弱さであり思想として欠陥だという見方も成り立つのではないでしょうか? 善意に解釈することもできると思います。バラモン批判のために 直接に説くことは後世に託したというものです。

pjdj
質問者

お礼

ありがとうございます。 勉強させていただきます。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.11

No.9です。 道教ってありますよね。 年老いた親と自分の子供がおぼれていたら、年老いた親の法を助けるのが道理だって教えだそうです。 人間の自然な行動だったら、わざわざ教えとして作られませんよね。 英知をもって、自然に逆らった行動をするのが、人としての道だって。 どうしてそういう教えかというと、親は失ったら二度と手に入りませんが、子供はまた作ればいいから、一人死んだところでいいってわけです。 まあ 要するに年上の方が年が若い人よりうんと価値が高いってのが、道教の教えらしいです。 イエス物語は、自己犠牲を払ってその他大勢を助けるって内容ですよね。 遺伝子学ではこんな問いがあった、自分を犠牲にして他の命を助けるか? はい。例えば働き蜂は自己犠牲を払って、女王蜂の娘のいる巣を守ります。 どうしてかというと、自分より濃い女王蜂の遺伝子を女王蜂の娘が持っているから。 確か、自分が50%で、女王蜂の娘は70%くらいの濃さなのだそうです。 だから、自己犠牲を払って濃い方を助けようとするのだそうです。 頭じゃなくてプログラムされているらしい。 人間は本能じゃなくて頭を使って選んでいるか? いえ、やっぱりプログラムされているので、それで行動しているんじゃないかと。 文化人類学というか、人間行動の考察の研究で自己犠牲を払って誰かを助けたるとしたら、自分の子供だったら人は自己犠牲を払っているのだそうです。 自分のコピーは子供に移しているので、自分が死んでも半分は残るわけですから。 子供はさらに子供を作るので、自分が死んでも永遠に自分の一部は継続されるので、究極の選択の場合、自分が死んでも子供を助けるのだろう というのが結論でした。 頭で判断しているんじゃなくてプログラムされている。 昆虫みたいな生き物ほどプログラムによって行動をするのですが、人間が頭を使っているからといっても、やはり他の生き物同様にいくつかは既に設計されているプログラムで動いているってわけですね。 で、本当に人間は自己犠牲を払う美しい生き物なのか と調べていって、この場合は確かに自己犠牲を払う、 ではその特異なケースの特徴は? となって、遺伝子が関係しているのかぁ って わかったのだそうです。 そんなことを考えると、仏陀の行動は、なんとなく理解できませんか? 自分が育てなくても、集団が育てるという社会だったので、仏陀が家族を捨てても自分の子供は生き残れるわけです。 自分が家族を捨てると、子供が死んでしまうのなら、捨てることは無いってことじゃないかと。 また 捨てて子供が死んでも、新しく子供を作れるのなら、最初の子供は捨てられるってことですね。 道教の教えもそういうことじゃないかと。 子殺しでも、やはり子供を作れる能力を持っているものが、子供を殺していますし。 あるピューマは別のピューマ一家を襲ってその一家のオスを殺し、巣の中にいた一家の子ピューマを引きずり出して食い殺し、その後メスピューマと交尾したんですね。 普通は「夫を殺して」と拒否するはずですが、何故なそのメスピューマは襲ってきたピューマを受け入れ交尾した。 もし子供を食い殺していなければ、メスピューマは襲撃者と死闘をしたと思います。 子供を食い殺されたことでスイッチが入って、子孫を残す行動をしたわけです。 プログラムされていますねぇ・・・ 人間の不可思議な行動は、他の動物の特異行動を見れば、結構わかるらしいです。 中学校の先生の選択も、結局 また子供は作ればいい って本能からくるんじゃないかと。 頭ではいかようにも語れるんですが、他の動物の行動で、説明できてしまう。

pjdj
質問者

お礼

ありがとうございます。 本能ですか,考えたこと無かったです。ただ,本能は意識しないで本能に動かされるならいいのですが,本能を知ってしまい,本能がこうなっているから私はこのように行動する,というのは嫌なというか,変な感じですね。 勉強になりました。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.10

漫画でも、レベルがピンキリなのは、他の分野のものと同じくですね。 なにしろ大昔のかたです、こうして様々な作品の題材に取り上げられるときには、作者個人の解釈も入り込みますでしょうし、漫画に限らず、物語や小説や映画にも多々見受けられるように、見せ場づくりやストーリーの流れ上、作者にも どうにもならない話の運びになってしまうということは、ままあるものです。 ですが、かの手塚氏の作品だそうですから、よもや低レベルのものとは思えませんが、実際、読んでいないのですから、その立場から申し上げることはできません。 質問者さまも、その手塚作品によるものしか、お読みになったことはないのでしょうか。 深く疑問と興味を お持ちになったのであれば、まずは、↓このあたりに眼を通されて、次には、もっと正統的なものを お求めになってみるのがいいかもしれません。 ↓コーサラーなる王国のことにも触れられています。 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%83%80/ 『釈迦』 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%87%88%E8%BF%A6/ ゴータマ・シッダールタ王子が出家に至るまでの前後の悩みの話を読むかぎりでは、こんにちでも、こちらのサイトでも特に男性が吐露する、死への恐れの深さなどの悩みと、なんら変わりのない面があったように思われます。 むしろ、シッダールタ王子の場合、恵まれた生活環境であったからこそ、失うことの恐れ悩みが付きまとったかもしれませんし、その恐れこそが、出家へと背中を押す動機であったかもしれません。 また、御自身が継がれるはずだった領土(現在のネパール領南部、インドとの国境のあたりだそうです)の先行きも、一小国として、あまり華々しいところは期待できなかったということも後押ししていたかもしれません。 そういうことで、御出家の前後は、あくまで悟り以前のことであると思います。しかし、悟りを得られてからは、個人の毀誉褒貶に価値を置かれた判断などなさるはずもなく(だって、悟りを得られたのだから) あとの御生涯は、ひたすら親切の御気持ちで、説法の旅を続けられたのだと思われます。 なお、自分の子を失うというのは、私の身近にも、そういう人がいて、その心情の話を聞くこともありますが、大概は、自分が親でありながら、なりふり構わずとも、子を守りきることができなかったという、なんとも表現しがたい自責の念に苛まれると聞きます。実際に体験してみないと到底、思い及ばない苦しみが付きまとうもののようですよ。軽々に憶測できることではないように思います。 もっとも、そんな親ばかりでないのも現実世界の一面にはあるようですけれどもね。 ちょっと急いで書き込みましたので、大雑把過ぎますのを御容赦ください。

noname#105597
noname#105597
回答No.8

ブッダに限らず、自分の中から突き上げて来る衝動の方が、肉親との絆よりも勝る、ということは世に多々あります。 例えば、超有名な某お笑いタレント等も、その道に進むなら家族の縁を切る、と言われて、お笑いの道をとった、という実話はあるわけです。 そして、ブッダもその超有名お笑いタレントも、後に大成されて世間に認められたりした後には、家族の方がむしろ敬ったりするようになっているのです。 この他にも、例えば普通の暮らしを離れて他国の難民を危険の中であっても支援したいというような抑え難い衝動に突き上げられた際、家族としては必死になって止める、というケース等も想像に難くない面はあるでしょう。 ブッダの場合は、同時代の人々を救うに止まらず、時代を超えてまでを救うほどのものがあったわけなのです。 信頼する身内であればこそ、成道の折りにはきっと自分の真意をわかってもらえるはず、という思いもあったのではないでしょうか。 そして、他の御回答にもありますが、実際に成道後は、家族は弟子になったりしているのです。 なお、手塚氏の「ブッダ」においては、肝心なブッダの悟りの内容そのものに関しての描写が残念ながらあまり見受けられないように、個人的には思えます。 私は、仏教とは、例えば阿羅漢→菩薩→如来→仏陀というように、転生輪廻を繰り返しながら、心境境地(主として智慧と愛の質)を高めて行くことに、主要な意義の一面があるように思っておりますので、付け足しておきます。

pjdj
質問者

お礼

ありがとうございます。 気になるのは、ブッダが悟りを開いたあとに、残された家族に対してどのように考えたのか、というところです。

  • no009
  • ベストアンサー率40% (109/269)
回答No.7

あなたのイメージしている現代日本の核家族制度と仏陀の家族制度(当時の釈迦族の王の家族制度はわかりませんが、インド伝統の合同家族(ジョイントファミリー)制度だったと推察しています。)は、違います。一家3人だけでで食事をしたり、団欒したりするようなことはなかったでしょうね。50名から100名程度の親族が同じお城に住み、共同生活を送っていたのではないでしょうか。しかも王族ですので、身の回りの世話をする家来もたくさんいたでしょう。 仏陀が出て行っても、生活に困ることも、さびしいと思う感覚もあまりなかったことと思います。(今の日本人の感覚、常識で判断されると、仏陀も可哀相と思います。) >ただ自分の欲望を貫きたかっただけではないのかと思います。 欲望とはきつい言葉ですが、四苦八苦からのがれるすべはないのか、という疑問を、合同家族や地位を投げ打ってまでも、求めようとする力が大きかったからだと、思います。いろいろ葛藤はあったと思います。 当時はまだ悟りを開く前の悩める一人の普通の人間でした。

pjdj
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、時代や国が違うということもありますよね。 悟りを開いた後に、過去に家族を捨てたことに対してどう思ったのか、また捨てた家族がまだ生きている中でどのように行動したのか、というのが気になります。

  • yuimakozi
  • ベストアンサー率22% (25/110)
回答No.6

こんにちは。上手く、説明できるか自信がありませんが回答したいと思います。  まず、あなたが感じた、「奥さんとわが子を捨てて、修行の旅に出るという考えが理解できません。見方を変えると、ただの自分勝手だと思います。ただ自分の欲望を貫きたかっただけではないのかと思います。」と言う感情は、現代の日本人ならごく普通のことだと思います。  しかし、釈尊が生きていた二千五百年前のインドの価値観は違っていたのです。当時は、人間等の生物はその所業(カルマ)によって生まれ変わると考えられていました。悪い行いをすれば、それに応じて人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄に生まれ変わり、良い事をすれば天上や極楽に生まれ変わると言った具合です。  そして、当時の人々は、生、老、病、死という苦るしみを背負って生きねばならない人間界にも二度と生まれ変わりたくないと思っていたのです。そのためには、世俗的な欲であり執着の対象である地位、財産、妻、などを捨てて身一つで修行し、悟りを得る必要がありまいた。  ですから、出家修行者は人間として理想的な生き方であると考えられ、大変な尊敬を受けたのです。  江戸時代までの日本でも、出家修行者は人々の尊敬を受けていました。財産、妻子を捨てた事は、非難の対象ではなく、むしろ中々まね出来無い事だと賞賛されたのです。ある意味、自分勝手だとか自分の欲望 を貫いたといえます。しかし、それらの事は全ての欲や執着を捨てて悟りを開くという大事の前の小事だと考えられたのです。  しかし、仏典の中には、息子や夫が釈尊の教えを聞いて出家してしまったので、釈尊を非難した者も多かったと言う記述もあります。一般論として出家は立派な事と思っていても、自分の息子が夫がと言う各論になると、容認できなかったと言う感情は理解できます。  つまるところ、人間の生き方の問題であり、価値観の問題なのです。

pjdj
質問者

お礼

ありがとうございます。 人間の生き方、価値観、ということで説明は付きますよね。 なるほど、確かにそのとおりだと思います。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.5

私は、手塚氏の「ブッダ」は読んだことがないですし、仏教そのものにも疎いです。ですが、 出家当時のゴータマ・シッダールタ王子は、まだ悟りを開いてはおられなかったであろうという単純な事実は忘れてならないことではないでしょうか。 もしも、悟りを開いた後であったなら、あるいは、また違った行き方をなされたのかもしれない、と思います。 もちろん、人の子であられたはずと思います。 しかし、ダイヤモンドの原石のようなもので、すぐれた素質を持って生まれておいでだったでしょう。 王子として何不自由ない御自身の身分からは程遠い下々の生活ぶりを御覧になって、やがての出家に結び付くほどに深く大いなる疑問を起こされた。 そこが、常人ならぬ「とてもすばらしい人」ならではと思います。 常人の誰が、最上級の恵まれた生活を捨て去って、しかも、この時代です、危険極まりない過酷な修行の旅に出ることなど、考えも起こしますまい。 捨てられたはずの お子さまも、後に、仏陀のもとに入られたということからも、すばらしい徳のかたであったという証左の一つであろうか、と思います。

pjdj
質問者

補足

ありがとうございます。 漫画の話でもうしわけないのです。話の最後の方の場面です。 コーサラという国にいるブッダのもとにブッダの妻や親が助けを求めにやってきます。コーサラを攻めようとする人々に反対したところ、全然取り合ってもらえず、国を捨てて逃げてきた、とブッダに言ったところ、ブッダはこう言います、 「それで逃げ出したのか、あなた方はそれでも王族か、なぜ命をかけてでも止めなかったのか」 この言葉が矛盾しているようで、疑問です。 漫画の話ですみません。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

手塚治虫氏の漫画は出家・成道ぐらいまででしょ。 その後を漫画にすればあなたのような疑問はなくなったと思いますよ。 釈尊は、自身の子供、ラーフラも後妻の妻もみんな弟子にしてます。 多くの釈迦族を弟子にしたことで、後に戦争による釈迦族の滅亡を防いでもいるのですね。釈迦族は武家一族(クシャトリア)でしたから争いは避けられなかったのですね。 簡単に言えば、釈尊が出家をして一時期家族や一族は悲しんだかも知れませんが長い眼で見れば釈尊が仏陀になったことで家族も一族も救われたのですね。そういう話ですよ。

pjdj
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、長い目で見たら結果的には多くの幸せな人を生んだ話ということですか。 人生の選択において、自分で選んだ道が間違いなかった、と。こっちの道よりあっちの道を選んだ方が、きっと多くの人を幸せにできる、というような考えかも知れませんね。

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