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カントやヘーゲルの最終ステージは

十界論によると、カントやヘーゲルなどの哲学者はどのステージに到達した考えますか。アインシュタインはどうですか。 (十界とは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10ステージ)

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  • ENERGEIA
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回答No.3

1から順に、人間の感覚器官と照らし合わせて考えると、 地獄界は痛みだから触覚 餓鬼界は貪りだから味覚 畜生界は嗅覚による生き残りを表す 修羅界は視覚によって反応する怒りを表す 人界 は音楽を聴いて和み、平穏な境遇で、聴覚か。 天界は五感による知覚を総括し、判断して 時に喜ぶ 意識 声聞界は 学者、研究家などが感覚器官を超えて 思考する。 縁覚界は 人種、職種に関係なく 独覚を意味する。つまり 洞察する。 菩薩界は 偽者でない宗教家や実践活動者 あるいは超一流の哲学者の 悟性 仏界 は ... 哲学者の範疇としては7~8が妥当でしょうか。 世界を創造する(し続ける)のが神であるという定義をし、アインシュタインの創造した世界が確かなものであるとするなら、10でしょう。少なくとも一喜一憂はしていなかっただろうし、一人悟りでもなかっただろうから、9以上は間違いない。生きているときの境遇が9で、死後が10か。9が生きている人間としての最高の数であり、10は0でもある。10では、生きている人間としての、人間世界での活動は無理、しかし、人に働きかけず、一人でいるときの境遇としては生きていても10はあり得るか... まあ、生きている人間でも、その時々である程度の変動はあるか。

その他の回答 (3)

  • ENERGEIA
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回答No.4

 五感において、下からあるいは外側表面から順に考えると、触覚から嗅覚までは1~3までと考えられるが、視覚と嗅覚は微妙ですね。むしろ耳(鼓膜)のほうが目(網膜器官など)より下についていて、より外側、つまり中心寄りでないところにあることを考えれば、No.3の記述は逆、つまり 修羅界が聴覚(言葉を聞いて怒る)、人間界が視覚(見て安心する)と考えることも出来ますが、  しかし胎児のときに既に「聴いている」ようですし、死ぬときも最後まで残るのは聴覚であるようです。  少し話がそれましたが...

  • mmky
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回答No.2

カント、ヘーゲル、アインシュタインは狭義の意味で仏界に戻っていますね。十界では狭義の意味で仏界ですが、菩薩界と仏界の間の如来界のステージということですね。本当の仏界にはまだまだですね。 十界といっても科学、哲学、音楽、宗教など役割はみな違うのですね。科学の分野ではアインシュタインは偉い人ですね。でもニュートンのほうが上なんですね。哲学・知識の分野ではヘーゲルは智天使と呼ばれてますね。カントも同じようなところですがやはりヘーゲルのほうが上ですね。日本人で同じようなところにいるのは宗教界では空海と内村鑑三、哲学では西田幾多郎ですね。

回答No.1

カントとヘーゲルは→人界か声聞界だと思います レアな考えかも知れませんが 偉大とか立派な発想 だったワケじゃ無さ気ですし ええはい きっとそう アインシュタインは→天界? 仏とか無視してそう だから 四聖? とかじゃなさそうですね うんッ 陶酔でも良シ→て見方なら 全員が天界ぽいですが  

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