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認識者を想定しない「客観的実在」とは?

misokaの回答

  • misoka
  • ベストアンサー率35% (56/160)
回答No.12

> (もちろんmisokaさんはひとつの思想を例示されているだけだと思いますが) ...すみません、「回答」としては一番マジメではない部分が 引用されてしまって、お恥ずかしい限りです。 確かに、例は例ですし、「極論として」という位置付けでは ありますが、単なる「ご紹介」であったというわけでもない のは、もちろんのことです。 私の回答を(余計な部分を除いて、補足して)まとめれば、 ・外界の認識はすべて、感覚与件という信頼し切れない  「メディア」を通じて得た情報をもとに、推測された  ものを基盤としている、ということ  (また同時に、これによる以外の認識はない(?))  (「マトリクス」の例は、ここの部分の極論) ・したがって、ダイレクトにアプローチした場合の対象を  どうイメージするか、あるいは、アプローチ方法がない  対象をどうイメージするか、という問いには、  「意味がない」(!?)。  むしろ、感覚与件を基盤とする世界が、われわれの  「環境世界」であるという片付け方をするのがよい(?)、  ということ というような感じです。 おそらく、「認識の領域の縁」にアプローチする、ギリギリの 限界は、認識自体を、それ自身の体系により認識するという 程度に留まってしまうだろうと思います。 ここまでが、お題に対する回答として考えたこと+補足です。 もしかしたら、ズレまくっている(いた)かもしれませんが(^^; ところで、 > 「認識」とは「精神形成」そのものなのでは、、、 あまり脈絡のない話になってしますが、 この言葉、とても神秘的で面白いな、と思いました。 それで、「回答に対するお礼」欄で書いていただいた内容とは ズレてしまうとは思うのですが、勝手な連想をしてしまって (クセなんです)、変な禅問答を考えてしまいました。 ── 何ら認識を伴わない精神とは?(是如何に) でも、これはおっしゃる通り、両者一如なのかもしれませんね。 では、前述の問答からの派生として、こんなものを 考えてみましたが、これはどうでしょう... ── 一切の対象がない世界とは? 主客の分離がないその世界は「存在」していますが (もちろんあくまで仮定ですが)、認識する対象がないため、 認識という作用自体が発生し得ません。 その世界とは何でしょうか? 本題から大分それているようですが、ちょっと面白いかな? と思ったので、書いてしまいました。蛇足です。

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