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外国人の作文です。自然な日本語に添削していただけないでしょうか(雨の音)
日本語を勉強中の中国人です。日本語で文章を書く力をつけたいので、作文の練習をしています。次の日本語を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。 雨の音 今日、地下鉄を待つ時に、ある女性の手提げかばんに気づいた。そのかばんに次のような英語が印刷されていた。「rainy day」というタイトルの下で、「The voice of raindrops is music to the world.」という文があった。とても美しい英文だなぁと感じた。地下鉄に乗るまでに、すでにその文を暗記することができた。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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先に断っておきたいのですが、1mizuumiさんの「雨の音」はほとんど自然な日本語です。意味だってじゅうぶん通じますし、このままでも胸を張ってもらっていいと思います。ですが、「小説レベルの日本語にするなら、このほうがいいかもしれない」というアドバイスはできるかもしれません。 〈今日、地下鉄を待つ時に、ある女性の手提げかばんに気づいた。〉 ぼくなら、こうします。 〈今日、地下鉄を待っている時に、ある女性の手提げかばんに気づいた。〉 ややこしい説明は抜きにしますが、この場合は「待つ」よりも、「待っている」のほうがよく使う言い回しです。さらに突っ込んで、ここを「待っていた」とすると、文末の「気づいた」と過去形がかぶって、もったりした印象になります。 〈そのかばんに次のような英語が印刷されていた。rainy day」というタイトルの下で、「The voice of raindrops is music to the world.」という文があった。〉 ぼくならこうします。 〈そのかばんには“rainy day”というタイトルで、“The voice of raindrops is music to the world.”と印刷されていた。〉 細かい話ですが、英文の場合は「」を使いません。また、このふたつの文章はひとつにまとめたほうがすっきりします。もちろん文章がふたつあったからといって、ダメというわけではありません。意味は通っていますので、このようなやり方もある、というふうにとらえてください。 〈とても美しい英文だなぁと感じた。〉 ぼくなら、こうします。 〈とても美しい英文だ。〉 ここは実は、もっとも作文らしい文章なのですが、ぼくはあえて、大幅に文章を削ってみました。なぜといわれると、長い説明になってしまうので、そうしたほうが、前後の文脈から考えて自然だから、ということにしておきましょう。 〈地下鉄に乗るまでに、すでにその文を暗記することができた。〉 ぼくならこうします。 〈地下鉄に乗るまでには、すっかりその文を暗記していた。〉 これも、言い回しだけの話です。これは前の〈とても美しい英文だ。〉からの前後関係で、文章に手を加えたのです。 というわけで、全文をまとめてみると、こんな感じになります。 〈今日、地下鉄を待っている時に、ある女性の手提げかばんに気づいた。そのかばんには“rainy day”というタイトルで、“The voice of raindrops is music to the world.”と印刷されていた。とても美しい英文だ。地下鉄に乗るまでには、すっかりその文を暗記していた。〉 日本語は、難しいそうです。特に文語の日本語は世界と比較してもかなり難しいらしいのですが、それをここまでしっかり書ける1mizuumiさんは、よほど勉強されたのだと思います。 ぼくの言ったことは重箱の隅をつつくようなことです。今のままでもじゅうぶん通じていますから、参考程度に聞いていただければ幸いです。
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- mota_miho
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出だしのところですが、2つの文に分けて書きたい気がします。例えば下のように。 →今日、地下鉄を待っていた時のことである。ある女性の手提げかばん~。
お礼
ご親切に添削していただきありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
- east-with
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私はこのサイトの運営会社「OK-Wiki」さんに嫌われています。ですから、無視してくれて構いません。先に一言、文章表現とは作者のココロと技術の問題です。この話は後にしましょう。 雨に音 今日、地下鉄のホームで電車を待つときに、ある女性の手提げかばんを見てふと気付いた。それはそのかばんのロゴデザインの英語の印刷だった。「rainy day」というタイトルに「The voice of raindrops to the world.」という一文が目に付いた。私はその英文をとても美しいと感じた。地下鉄に乗るまでその文章が心に残ったのだ。 「OK-wiki」に凄く嫌われている理由は、酷評をする点です。私に見つかったのが運が悪いと思ってくれれば幸いです。 文章表現とココロ まず、なぜ「ココロ」は「心」ではないのか。その説明をします。「心」とは気持ちの事で、「ココロ」とは思いです。気持ちと思いという違いは意味的にはありません。この節は技術面よりも人生論に近いものです。 では始めます。 「ハル」と「春」 ハルは「春」も「貼る」も「張る」も表す。漢字は一つの意味で「春」は季節を表す。ただ、平仮名や片仮名は同音異句とのつながる事がある。 「火」と「炎」についてだが、火から炎になるから、火が二個で炎になる。 「水」と「氷」は液体と固体の状態で、どちらも水を表す。 文章の作成法。まず、頭の思考や発想が大事。自分の中で生まれた言葉の組み合わせに満足する事。「稲穂」とはイネの端(はし)を表し「ほ」を付ける。毛も端で「け」という。つまり、「つま先」や「指先」も先で端を表す。そんな考えもあるというので参考に。 言葉を重ねる。それは一つの言葉に二つの意味を持たせる事。例えば、「松」で「待つ」を表す。 (例文1)松に触れて感じる。 そんな文章を読んで、松の水脈つまり、根から葉へと水が上にいく様子を表しているだけでは幼稚園や小学生レベルです。 そこから、感じる事。まず、その前の文章に敏感になり、後ろの文章も注意がいる。例えば、その(例文1)の前にこんな一文があったらどうですか。 (例文2)別れは寂しい。庭の松に触れるとふと思い出せる。ああ、松が枯れるのかもしれない。 (例文1)と(例文2)ではなんか雰囲気は違うでしょう。(例文1)は児童ポルノやアダルトが全くない普通の文章。(例文2)は男と女の性的関係や肉体関係をも臭わせるのです。(例文2)とは恋人との分かれで待っていても遭いに来てくれない悲しさも臭わせます。つまり、いやらしくなっているのです。 以上が、最近にはつかわれない「重ね言葉」の話でした。 枕詞 たらちね 母 つまり「たらちねの母」です。つまり、赤ちゃんに母乳を飲ませるのは母で重なります。 ひさかたの 光のどけし 春の日に しず心なく 花の散るらむ(正岡子規) それについて詳しく説明します。「ひさかた」は「久かた」で、「光」に係る枕詞です。 その問題より、その俳句は不気味ではないでしょうか。風が吹いてなく静かな時に、花の花弁が落ちる。それは正岡子規のココロの中をあらわしています。その時の子規は結核で残りの命が短かった。自宅療法で生け花の花が風のない時に散った。つまり、この世の終わりを見た。「カタチあるものは消える」という精神です。生命の有限性や死との距離が感じられる。 つまり、自分で適切な語句を浮かべる訓練が大事です。 後、「OK-wiki」に嫌われているので、この回答は無視したり批判するなどが妥当でしょう。私は批判を歓迎しております。
お礼
ご丁寧に添削していただきありがとうございます。「文章表現とココロ」は私にとってちょっと難しいです。でも、参考になりました。本当にありがとうございました。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3506/7250)
私はこれほどの日本語の文章が書ける人は、日本人でもそんなにはいないのではないかという気がします。 とかく、他人の文章だと、あちこち手を入れたくなるのも人情です。 内容を変えずに、別バージョンの文に書き直すと、以下のようになりました。 雨の音 今日、地下鉄の電車を待っていたら、ふと、ある女性の手提げかばんに目がいった。そこには「rainy day」というタイトルがプリントされていて、その下に The voice of raindrops is music to the world. とあるのを見て、美しい文だなぁと思った。 そうして、電車に乗り込む頃には、私はもうすっかりその文を覚えてしまって、暗唱できるほどになっていた。 でも、やはり、オリジナルには及ばない気がします。
お礼
下手な日本語をご親切に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。頑張ります。
- CTAB
- ベストアンサー率57% (41/71)
日本人ですが、日本語を専門的に勉強したわけではないです。 出来る範囲でアドバイスとコメントをさせていただきます。 「地下鉄を待つ時に」>「地下鉄を待っていた時に」or「地下鉄を待っているときに」 理由:待つ時、だとある特定の一瞬のことになる。「時」が「待つ」にかかるから。 ちなみに日本語の文章では「~~に行く」は「~~にいく」、「~~の時」は「~~のとき」にするなど、分かりきった部分で漢字を使うのは避ける傾向がある。(絶対止めるべきというわけじゃありません) 「次のような英語」>「英語」「英文」 理由:「次のような」と書いたら文章にするべきではない。書くなら下みたいにする。あと「だなぁ」は止めた方がよい。 そのかばんに次のような英語が印刷されていた。 「rainy day」 「The voice of raindrops is music to the world.」 とても美しい英文だなぁと感じた。 「タイトルの下で」>「タイトルの下に」 理由:その英語は下であるものじゃなく、下にあるものだから。 「までに、すでにその文を」>「までに、その文を」or「までの間に、その文を」 理由:まで、というのは~~までに終わらせる。とか~~までにやりました。とか期限を区切る文章につかう。すでに、は「やれと言われたけどすでに終わっています」とか「すでに手遅れだ」みたいな予想よりも早く終わったことに使う。この文章だと期限を決めているわけじゃないので違和感がある。 「英語の文を覚えるのに駅に着くまでかかると思ったけど、印象深い文だったためか、2つ目の駅についたときにはすでに覚えていた」みたいな文ならOK。 「暗記することができた」>「暗記してしまった」「いつの間にか覚えてしまっていた」 理由。暗記は覚えようとして覚えること。この文章では覚えようとしてるわけではないはず。自然と覚えてしまっていた、という文では?
お礼
ご丁寧に添削していただきありがとうございます。アドバイスは大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- tenten525
- ベストアンサー率27% (615/2233)
「地下鉄を待つ時に」ではなく、「地下鉄(で電車が来るの)を待っている時に」のように、~しているという表現にすると自然です。 「待つ」を生かしたいなら、「地下鉄を待つ間に」(時を間に替える)にしてはどうでしょう?「時」だけだと一瞬な感じがしますが、「間」にすると時間の経過が感じられます。 今日、地下鉄を待っている時に、ある女性の手提げかばんが目に付いた。 そのかばんには、英語が印刷されていた。「rainy day」というタイトルの下に、「The voice of raindrops is music to the world.」とあり、とても美しい英文だなぁと感じた。地下鉄に乗るまでには、すっかり私の頭の中に入っていた。 (地下鉄に乗るまでには、すっかり暗記できるまでになっていた。) こんな感じです。わかりますか?
お礼
ご親切に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
お礼
ご丁寧に添削していただきありがとうございます。詳しいご説明もしていただき大変助かりました。とても参考になりました。本当にありがとうございました。