• 締切済み

日本の地域社会について

近年、人々の地域とのつながりが薄れてきている、というのをよく聞きます。田舎の方では昔からの村などが残っているところも多いですが、都市部では確かにそうだと思います。これは日本に限らないし、社会のしくみ自体が変わってきているので仕方のないことだと思うのですが、日本という国は何か他の国とは違う気がするのです…。人々の意識というのでしょうか、その辺がよくわかりません。教えてください。

みんなの回答

回答No.5

人々の「水」に対する意識の薄れもあるでしょう。 水田に欠かせないのはなんといっても水です。現在は電気ポンプもあり、農業用水路も整備されています。しかし昔は、ポンプもなく水路も整備されていませんでした。このような時代では、川やため池の水をいかに確保するか、ということが強く意識されていました。そこで水を管理する仲間、水利組織が形成され、その組織はため池の管理、水路の整備などを分担して行っていました。 また、水をめぐってほかの水利組織と対抗することもあったようです。そのため仲間意識が非常に強くなり、現代においてもムラの領土(領域)という考えが残っているといいいます。 ある地域では「ため池文化」というものが今も根強く残っています。 上下水道がしっかり整備されたムラの中では、このような意識は当然薄れていくでしょう。 文章が下手ですみません。

  • marinfish
  • ベストアンサー率25% (18/72)
回答No.4

元来 地域というのは、たとえば、「その村」では同じ時期に田植えをしたり、漁業をしたり、刈り入れしたり、そしてその間に豊作を願うお祭りという行事があったわけです。そして総じて貧しかったそれらの時代はもちつもたれつしながらやっとこさその年を過ごせたのだと想像します。同じ職業、同じ楽しみ、同じ村、同じ時期に同じ事をお互い助け合ってする、家を建てるのだって村人が助け合って作りあう、わらぶき屋根だってみんなで助け合ってやる。 休日も起きる時間も寝る時間もだいたい同じでした。 それが<<人々の地域とのつながり>>でした。 しかし、近年そこにいきなり工場が立ち、村や川を買いあさり、好き放題に開発し、公害をまきちらし、 また、村にいきなり高層マンションが立ち、それらの人はまったく農業や漁業にかかわりなく、祭りに費用を求めてもうさんくさがられる、またマンション住人からすれば、興味のない祭りに銭をよこせといわんばかりの寄付金集めは迷惑でしかない。  地域の行事を今迄どおり古式に乗っ取ってしようとしても、村民はすでにまちまちの職業についていて、休日すら同じでなく、起きている時間ですらまちまちなので、「会合」などといって村の「実力者」がいばりながら「来なければいかん!」と言っても、行けない事情がいっぱいある。 そして村には愛着心も薄れ、魅力的な都会にあこがれ若者は出て行く。 田舎に残った者と都会に出て言った者との心も離れて行く事もある。 現在日本は昔そうであったはずの「作る」という事を軽ろんじるようになってしまった社会である。 農家、漁し、職人、それらを小手先で使いたいというような「商売人」「ブローカー」「安売りばかりする大型店鋪」大工を手先にしてしまった「大型工務店」 それらは世界的な大企業になり、この国の「作る」物たちをこきつかう。そして若者はそのような者を 「人の上に立つ者」とい呼び、あこがれ、そのような者を「おおもの」と称しそのような所へ就職したいと そのための「いい大学」を目指す。 ここに欧州との違いがある。 欧州は作る者(職人、農業、漁業、工業職人等)を マイスター(マスター)と呼んで尊敬する存在であり、地位が高い。 しかし我が国ではそのような作る者を粗末に扱い、 そのあげく使い捨て、外国に作らせたりする、(工業も漁業も農業も職人も) そのように価値観がただ「銭儲け」とか「損得」だけになってしまったのが悲劇のようだ。 また「村の実力者」というような者においても、そのような社会変化に気が付かず、ただいばり、実力をみせつけたり、自分の思うようにしたいだけの者が多く、損得、欲得という意味では同じかもしれない。 もはや、同じ村民といっても、働く時間も職種も、休日も全てまちまちの者が住んでいる事をふまえた上で、考えなくてはならない、自分達の考え以外は排除しようとするような発想はもはや役にたたないので、祭り離れも増えてくる。 また村と村は政治や経済の思惑(損得価値)で合併させられるが、愛着ある村の名前も消え、団結意識も消える、しかし、さらにおおきくなった「実力者」が誕生するのだが、そこにはもはや、愛村心などみじんもないような損得だけの銭の実力者(それを日本語では「オオモノ」と呼んでたりするが、本来の大人物という意味とは全く違って、心はとても狭い場合が多い) が村野の大きな事をすべて牛耳る。 このあたりで、もはや街(村)の魅力はなくなり地域とのつながりもいわゆる「うざったい」ものに変化してしまったようだ。 地域とのつながりが薄れてきたのは、 この国の者が自ら作る事より「他人に作らせて、がっぽり設ける事」に必死になり、欲得に目がくらみ、 価値観がそれだけになってしまった事だと思う。 もちろん戦争に破れた事、いつのまにか自国が悪い事をした国となっていた事、悪い事をする為に戦い負けた国に歴史ではなってしまった事、 その後必死で働いた事をいまとなっては「働き過ぎ」 「公害をまきちらした」と云われ、なにもかも悪い事のようにされてしまい「まじめに一生懸命働く事」を 「ぶさいく」、「ださい」、「かっこわるい」と云われ、映画やテレビでは主人公はビルの中でコンピューターに向って数億円だの数千万円だのと携帯片手に命令している若い男前だったりする。 働く職人といっても、パイロットや医者や、スチュワーデス、が多い。  「漁師に生きの良いのを持ってこらせた」と、えらそうに吠えまくる、仲買人、中央市場の商売人、 このあたりの社会のありかたが全くヨーロッパと違う事です。 ヨーロッパは自国を守る為強くする為に軍事も強化し工業もITも盛んにしますが、同時に兵糧に対して食料自国生産率70%~200%といったところでしょうか? まず100%を切るような国はもはや先進国ではありません。日本はおもいっきりそこを間違っています。 だからなぜだか、あくせくしていて、余裕がないのです、裕福だといわれながら、超高額の家賃を払い、あとは小さな家に住みローンを一生抱えて過ごします。 それらは他国にはない「不動産売買」がこの国の経済の中枢だという事です。イギリスは日本と同じくらいの面積と人工であっても、土地問題は解決し、いっぱい土地もあり家賃も安価であります。 だから快適な暮らしがある。 それは「つながり」があるからで、国民を「くいもの」にする政治家や、大企業が日本ほど深刻ではないという事です。 土地問題等に関して詳しくというのであればグリーンベルトなどの話しをしますが、、。

noname#118466
noname#118466
回答No.3

基本的には日本人はやさしい仲間意識の強い民族ですから、その場が与えられればどこへ住んでも地域密着型で生活できると思います。 ではどこでおかしくなったのか。私なりの分析では、戦前からの習慣ではなく、日本が高度経済成長を迎え地方から都市へ急激に人口が移動したとき、ベッド・タウンと化した都市近郊の町でこのような現象(地域とのつながりの希薄化)が起きたと考えられます。近郊都市は新参者の出身地と大きく違わない町村だった筈なので、新参者と迎える側もう少し心のゆとりがあれば、違った展開があったのではないかという気がします。実際には当時はとにかく働け働けの現在と価値観の違う時代だったので、両者の交流をうまく働きかける機関も人もなく、新参者は地域社会に溶け込むことが出来ず、変な風習が生まれたのでしょう。 このような現象は都市近郊で起こったのであり、都市部では洋の東西を問わず、大きな変化は起こっていないと見ています。海外生活の経験がありますが、都市の人々は地方の人ほど地域活動に参加していません。教会にも地方の人ほど熱心に行っていません。若干違うのは見知らぬ人でも 気軽に挨拶をしたり話をすることぐらいです。 地域との交流が云々され始めたのは、人びとがゆとりを持ってきたこと、世代交代が進み、新参者が新参ではなくなったこと、もともとの地域住民だけでは伝統行事などが維持できなくなったこと、かつてのよそ者が定年を向かえ地域社会の仲間になる人、依然として溶け込まない(非協力的)人がいるなど状況変化(意識変化も)が起こったからではないでしょうか。 地域の原住民ともいえる人々が、地域への流入が始った30~40年前から、現在と同じようなオープンな態度で受け入れを行なっていたら又違った展開があったような気もしますが、村社会で育った人びとにそれを求める事は無理だったのだと思います。 若い世代はこうして出来上がった混合集落で育ったため地域に溶け込まない人々がいても不思議と思わず、個人の自由だと受け止めたのかも知れません。あまり混合が起こらなかったために昔ながらに地域分化を守っている人びと(地区、集落)もいることはご存知でしょう。

liz221
質問者

お礼

ありがとうございます。わかりやすかったです。 今の時代、都市近郊では昔の“村”のような地域社会を目指すことはほとんど不可能ですが、やはり市民が皆ある程度はその地域の一員であるという意識を持っていなくては、良い社会を作ることはできませんよね。

  • y_44111
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.2

少しでも参考になればと思い書かせていただきます。 他の国とはやはり欧米の国々のことでしょうか。キリスト教圏では、毎週教会へお祈りへ行くという習慣があります。それによって、ある程度地域の結びつきは失われないのではないでしょうか。

  • ma_
  • ベストアンサー率23% (879/3732)
回答No.1

>>日本という国は何か他の国とは違う気がするのです…。 「ウチ・ソト」という、ムラ意識があるところが特徴的だとおもいます。また、単一民族特有の、日本民族以外には排他的な意識もあると思います。

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