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死にたいと思う心理
いまはそれほど思いませんが、中学生、高校生、のころは死にたい死にたいと思っていました。死にたいと思う心理ってなんでしょうか?
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当然の欲求です。 死ぬのは権利であり義務であり責任ですから、生きている限りいつかはその思いに行き着く事があります。しかも、なんとなく。 死への欲求はただの退避であって、最大で最低の行為です。 なぜならそれは本当は、死にたいじゃなく、 「この弱い自分を殺して消し去ってやりたい」 みたいな欲求が殆どです。 つまり究極の挫折とも言えるんでしょうか。 まぁ私も死んだ事も殺した事も無いので実際わかりませんが、こういうことだと思ってます。
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おはようございます。 死にたいと言う心理の一つは、自分に取って耐えられないほどの辛い事が起きた場合に、そのような心理に陥ると思います。 それは死ねば、苦しみから解放されると思っているからに他なりません。 果たして、この世は苦労の連続で、心、休まりません。 死んでしまいたいのは、きっと周りから姿を消してしまいたい心理とも共通するかも知れません。 この世から、オサラバしたい気持ち。 家出、失踪なども一部は、死にたいと言う心の叫びだと思います。 私もお守りのように一瓶、睡眠薬をぎっしり詰めたのを持っています。 酒と一気に飲んだら、もしかしたら死ねると思いますか? 死ねないかも知れませんんね。 でも最近は、火葬場が怖くて死ぬ気が失せています。 死んだら意識はないのでしょうけど、もし熱かったらとか考えると燃やされるのが怖いです。 変な考えである事は重々承知なのでが・・・。 でも死神に、支配されたら、色々な事は考えないで、突っ走ってしまうのでしょうね。 死神には支配されたくないですね。
生きているということに対する感謝ととそれを失うことへの恐怖が混ざった結果なのではないでしょうか。下品な例で恐縮ですが今目の前に札束で100万円置かれてどうぞお取りくださいと言われた時のような感じと思います。この100万で何が買えるからと思うよりもこれをとられてらどうしようというような感じにならないでしょうか。大人になると、いつかは死ぬということが無意識にしてもいつもどこかにありますから、死にたいなどとはまず考えなくなります。いわば年金暮らしのような感じです。100万もらったらまずがっちり預金しようなどと思います。ある意味では死にたいと考えることは生きていればこそできることの中で最高のぜいたくなのかもしれません。先程の例ではせっかくもらったお金を1枚1枚火にくべて燃えるのを見て楽しむようなものだと思います。青春の特権だったのかもしれません。
- h1r0kazu
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私が声を出す。 …。 これが原点です。 私の表現(声や行動)が誰にもどこにも届かないと私は私で在る事実が薄れて行きます。そして自分の存在に、存在価値に疑問視します。 しかし、転べば足が痛い。壁を殴れば手が痛い。ナイフで切れば痛い。 だんだん「自分の痛み」に自分の存在意義を見出す。自分が在る事が「確認」出来る。 「痛み」を知って自分の存在を確認下のにも拘らず、自分以外からの反作用がなければ、混乱します。自分は居るのか在るのかどうなのか、と。 そろそろ道は無くなって来ました。 現在は情報社会。色んな情報がPC一つでナンデモ手に入り、ナンニモ身に付かない。 会話、対話、表現のキャッチボールをしていないわけですから、「信用」「信頼」は皆無です。他者と比較して自分を発見するはずの他者がいない。 スガルモノも無い私に何が残ってるでしょう? 「死」。平和ボケした奴らの一般人はこんなカンジでしょう。国レベルで虐げられている子供や女、戦場のど真ん中に何年も何年も従軍している戦中心理はまた別ですけれどね。