- ベストアンサー
集団疎開と縁故疎開はどちらが気が楽だったのか
戦時中、親戚等いる場合は縁故疎開で縁故疎開できなければ 集団疎開していましたが、どちらが気が楽だったでしょうか。 漫画「少年時代」では主人公が一人縁故疎開したが、 疎開先の子供達に受け入れられず苛めにあって辛い思い をしています。 集団疎開(学童疎開)なら親しい友人達と共に 疎開するのでそのような辛い思いはしなかったのでは ないかと思うのですが(労働奉仕はどちらでもあったで しょうから肉体的な辛さではなく精神的な辛さです) 実際にはどちらが気が楽だったのでしょうか。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
学童疎開より前の世代で経験はありませんが、 「学童疎開の記録」1~5巻 大空社 などによると どちらも大変でした。 縁故疎開は親戚なので気兼ねで遠慮があり、また今までの都市生活と田舎暮らしの落差に驚き、感謝も言えず世話する方との意思疎通を欠き、先方の子供にしてみれば、自分たちの食べ物が減らされるので不満。 その家や近所の子たちから苛められました。 集団疎開では食事の量が少ないのが最大の不満でした。 学童疎開は国策で米の配給はあったようですが、(金はあっても配給以外入手は困難)食べ盛の子には不足でした。 先生の食事はおれたちより多いとの不満あり、これは米が大人は一日320gに対し、小3年生以下は250gの規定のためで、実情に合わなかった。 不足は他で埋めあわせ出来たかどうか。 畑のイモなどの盗み食いはよくありました。 食べ物不足は縁故疎開でもありましたが、集団疎開よりはよかったようです。 母方の祖父母の家に疎開した子は良かったといいます。 結局疎開先の貧富と食糧が豊かだったかどうかが、運不運の分かれ目でした。 余談ですが疎開先で空襲による学童の死者が、少なくないのは驚きです。
その他の回答 (3)
- kodon
- ベストアンサー率19% (17/86)
私は戦時中は縁故疎開していた者ですが、街で生活していた者が田舎へ行って一番最初に皆にからかわれたことは言葉が全く変だと言われたことです。その当時でも小学生は敬語は標準語で教育されていましたが子供同士の会話は方言まるだしの言葉ではなしていたものが地方へ行って 会話すれば子供たちの会話がなりたたないのは当たり前です。そのほかには疎開で転校してきた者を虐めるようなことはなかたようです。やはり食料は乏しく田舎の子供たちも食料不足であったようで、地元の子供たちとよくサツマイモ畑からいもを掘り出してはそのまま生で食べた記憶があります。縁故疎開者を虐めるより街から来たものたちを一目置いてみていたようですぐに皆とうちとけて仲良くやっていたようです。 戦時中を小学生で生活してきた私がいつも異常に思うことはあの戦争を敗戦したばりにアメリカの戦時国際法違反行為を全く知らずにそれを批判することもせず、我が国の荒さがしばかりしている輩がいることです。この疎開もアメリカが非戦闘員である子供を狙って攻撃してくることを予測しての処置で、その予測どうり無差別都市攻撃を開始しあげくの果てには原爆投下までして一般住民三十万人以上を虐殺してしまっている。戦後には東京裁判まで開いて戦時中の高官を平和に対する罪とか 訳のわからない罪で処刑してしまい、アメリカは取り返しのつかない失敗をしている。負けた国の指導者を罪に問える裁判などするべきではないのです、そのような前例をつくれば一旦戦争してしまえば負けを認めれば戦争指導者が処刑されるこ分かっていながら敗戦を認めることはしないものです。アメリカは第二次大戦以後の戦争で相手国を敗戦に追い込み戦後処理条約を結んだことはありません。イラク戦争、アフガニスタン戦争いずれも戦争の処理ができずにきています。これらは全て日米戦争の処理のまずさからきています。現在もアフガンで戦争をしていますが世界には子供は攻撃対象から外されていますが、あの戦争当時は子供が攻撃対象になっていたのです、昭和20年8月になれば仰撃戦闘機もなくなり艦載機が自由に攻撃できるようになると田舎道を歩いている 子供を狙って機銃掃射してきたものです。縁故疎開も集団疎開も今の世の中で考えられる気楽なものでなく子供ながらに戦争を生き抜こうとしていたのです。
お礼
回答ありがとうございます。 仰る通りです。子供まで攻撃対象にされては 疎開中子供でも命の危険を感じていた事を 考えれば気が楽とは言えませんね。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
両方を体験した人はいないだろうから比較は難しいでしょうね 私の場合は祖母が空いた蚕室を借りてそこに住んでいました 幼稚園世代だったのですがなんということはなく普通の田舎暮らしでした
お礼
回答ありがとうございます。 縁故疎開されたんですね。 疎開先で違いが出るんですね。
- demio
- ベストアンサー率13% (200/1473)
母の弟が集団疎開だったそうです、戦争が終わって帰ってきたときは ガリガリに痩せて、シラミだらけだったそうです どんな生活をしていたか想像してみてください 作家の向田邦子さんのエッセイ集に、妹が集団疎開になって、家族に葉書を出すときは、文章でかくと先生達もみるので、たのしかったら「○」そうでなかったら「×」と印をつけて出すようにしたところ、最初に届いた葉書には大きな「○」だったのがだんだん小さな「○」になり、その後は大きな「×」だけかいた葉書が届いたそうです 縁故にしろ集団にしろ辛くないとか気が楽とはとても考えられませんが 疎開世代の人はまだまだ元気で生きています、このころの情勢を書いた本は沢山あります、調べて見ましょう
お礼
回答ありがとうございます。 もちろん気が楽というのは縁故疎遠で全く見知らぬ 所へ一人で行って溶け込めずいじめられる辛さから 見て集団疎開の方が気が楽かという事です。
お礼
回答ありがとうございます。 そういえば火垂の墓で描かれてました。親戚に少ししか食事を 貰えず、嫌みを言われて辛い思いをするというのが。 そう考えると仰る通り疎開先によって違いが出たんですね。 参考になりました。